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金閣寺の3階建は、1階が貴族、2階が武士、3階が中国の様式を表すということですが、
銀閣寺の2階建では、2階は金閣同様、中国を表す様式に見えますが、1階はどちらなのでしょう?
貴族はもはやない、のか、武士がないのか、折衷なのか、教えてください!

A 回答 (2件)

金閣寺(きんかくじ)の第1層には阿弥陀三尊像(あみださんぞんぞう)がおかれ、平安時代の貴族の寝殿造(しんでんづくり)となっている。

第2層は観音像(かんのうぞう)がおかれ、武士の武家造(ぶけづくり)になっている。第3層は、仏舎利(ぶっしゃり 釈迦の骨のころ)をおさめた仏堂(ぶつどう)になっている。金閣寺(きんかくじ)には、あの世の極楽浄土(ごくらくじょうど)をこの世に移した別世界の意味もあった。
銀閣寺(ぎんかくじ)は観音殿(かんのんでん)とよばれ、1階は武士の書院風(しょいんふう)、2階は仏堂風(ぶつどうふう)に作られ、静かな雰囲気(ふんいき)をただよわせている。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~gakusyuu/rekisi/muro …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

足利義満らの室町時代では明朝に対して使節を派遣して「日本国王」に冊封されたということですが、竹田恒泰『日本人はなぜ日本のことを知らないのか』によると、それまでの「朝貢すれども冊封は受けず」という外交を止め、朝貢し冊封も受けた日本史上唯一の稀有なケース、というような記述があったかと思います。このことから、足利義光らの中国(明)に対する帰属意識のような感覚はとりわけ強かったのではないか、と想像しておりました。義政は進貢すら省略し一方的な銅銭の賜与を求め、これは一度認められた、ということですが、これが中国に対するどのような態度を示すものかは、まだ理解できておりません。いずれにせよ、武士と貴族の関係よりも、明との関係に意識の中心があったのかな、と考えを進めました。

お礼日時:2012/12/12 22:30

鹿苑寺金閣と慈照寺銀閣では文化が違います。

それぞれ北山文化と東山文化です。
似ている部分もありますが、基本的に違います。

武士、貴族、中国というより、禅宗の影響が大きいそうです。窓からわかります。
銀閣の書院造は今もあるので身近に感じられると思います。

質問の内容とズレた気がしますが、どちらも貴族と武士の融合が感じられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、融合なのですね。

お礼日時:2012/12/12 22:24

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