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宗教って何でしょうか?
私は以前年配の方から宗教は何でもいいから
先祖を祭りなさいといわれました。
その先祖の祭り方が悪いといって
孫子にたたるでしょうか?
教えてください。

A 回答 (11件中1~10件)

うちは創価学会ですが、まず宗教は何でもいいというのはおかしいかと。

極論すれば、オウムでも何でもいいということになってしまいます。
我々は、毎日勤行の中で先祖や故人を供養しますが、それを欠かしたからといって「祟る」とはいいませんね。ご参考まで。

(学会の教義であれば、面白い掲示板がありますのでURLのせときます)

参考URL:http://jbbs.shitaraba.com/study/3764/soka.html
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基本的にはたたるという観念は宗教にはないと思います。


幸せというのは個人の考え方でがらりと変わります。

一応キリスト教では先祖を祭りなさいという考えはありません。それならクリスチャンすべてたたっていますよね。
(先祖に感謝する気持ちはありますが)
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 先祖崇拝は儒教の思想です。

日本の在来仏教は,儒教思想を取り込んで来ました。ですので,日本の在来仏教には大抵,先祖供養,或いは先祖供養の名の下に行う行事というものがありますから,年配の方が「宗教は何でもいいから」とおっしゃったのでしょう。
 
 今自分があるのは,自分の力だけではなく,命を宿してこの世に生まれたのは先祖があるからであり,生きて行くには他人の力添えが必要です。そしてこれらの事に感謝する心を持たなければなりません。
 
 感謝の心を育むひとつの方策として,先祖を祀ります。仏壇であれ墓であれ,それらに接する時には手を合わせ,感謝の念を表します。こうした行為から感謝の心を育んでいるのです。
 
 「先祖を祀らないとたたりがある」と言うのは方便です。
 先祖を祀らないような人は,先祖に感謝する気持ちがなく,そのような人は他人に感謝する気持ちなどもないから,当然,他人から疎まれる。他人から疎まれると実生活でなにかと支障を来す。困った時に助けて貰えない。と展開して行くわけです。
 
 感謝の心を持たないと生活上支障がある。感謝の心を育むひとつの方策として先祖祭祀があるということです。
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「先祖の祭り方が悪いからたたる」という宗教はありません。



それは宗教の顔をした別のものです。

たとえば浄土真宗では先祖供養は「法事は亡き人を縁として、いま生かされている生命の尊さをかみしめつつ、故人も我も共にすくってくださる阿弥陀如来の智慧と慈悲に手を合わせ、その仏恩にご報謝のおつとめとして行います。」と説明しています。
けっしてたたられないように、ではありません。

またたたりについては、水子供養についての中で、
「世間では水子を供養しないと、私たちに祟(たた)られるなどというようなことを申しますが、断じてそのようなことはありません。祟るのは自分自身、障りの原因は全て私たち自身の心の中にあるのです。祟ると考える人たちの中には、なにかあると水子に責任転嫁するかのように、水子がたたるが如くいいますが、これは大きな間違いです。何か自分に都合の悪いことが起こると、すぐに「水子のせいで」と水子を悪者にしてしまっているのは、世間の脅かしに迷っている私たち自身なのです。」
といっています。

浄土真宗に限らず、日本の「まともな」仏教は「たたる」なんていう言葉は「絶対に」使わないと思いますよ。
使ったらそれは仏教のニセモノ。

キリスト教もイスラム教も、先祖崇拝は禁止しています。
その他の宗教でも、「先祖の祭り方が悪いから祟られる」という宗教は、にせものです。

なぜなら、宗教の本質とは「神などの超越的なものを信じることにより救いを見出す」ことであり、「たたりなどを恐れて行動すること」は「救い」とは正反対の行動なのですから。

本物かニセモノかの区別は
「その実りを見よ」ということばで説明されます。

いくらきれいな花が咲いていたって、その後どういう結果があるかで判断できる、つまり、いくらきれいなことを教えていても、それを教えている人の有様、行動、教えを受けている人の生活、心情、行動がその教えに見合うものではないのなら、それはニセモノ。

「祟る」という宗教モドキの先にあるものは、救いでもなんでもない、ただの「おどし」と「おどしから逃げられた」という思いだけですよね。

参考URL:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/40 …
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>にたたるでしょうか?


これは.簡単に言えば.
社寺に適当な金額の寄付をできないような家の住民は.衛生環境をよくするだけの視力がなく.衛生環境の悪い状態で住むしか.昔は.生活手段がありませんでした。

劣った衛生環境の元で暮らすと.当然あるとあらゆる感染症にかかりやすくなるわけで.かかったら「寺に寄付をしなかったから.なったのだ」という坊主の暴言があり.たたりがあった。
ということになるのです。

現代では衛生環境が改善していますので.このようなことはないでしょう。
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全ての宗教が先祖を祭ったり拝むものではありませんね。


だから、何でも良いというのは間違いだと思います。
子孫にたたるかどうかは、その人の受け入れ方次第でしょうか?。

たとえばキリスト教は偶像などの崇拝はしないので、
私たちが慣れ親しんでいる「仏壇」にあたるものもないし、「供え物」などもしませんね。
ご先祖様はこの世には帰ってこないというのが基本的な考え方なのでしょう。

宗教とは人は死んだらどこに行くのか?という未知のものへの恐怖と不安を取り除くためのものなのかな?。
と考えると、私などは科学的な解明がなくともある程度は納得しますね。
信仰を持った人間が死を迎える時、行く場所があるとないとでは、全く違う安堵感があるのかとも思います。
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ご先祖様の「たたり」って、あるかどうかわかりません。


でも、あると考えていた方が都合が良いことが多々あります。
ちょっとヘリクツですが、この場合
 1.たたりがあると思っていて、本当にある
 2.たたりがあると思っていて、本当はない
 3.たたりがないと思っていて、本当はある
 4.たたりがないと思っていて、本当にない
の四通りのパターンがあると、何かの本で読んだことがあります。
1と2を考えてみると、たたりがあると思っているので
ご先祖様を大切にします。そこで本当にたたりがあった場合、大切にしていたのだから、怖くも何ともありません。
そして本当はない場合は、何もないので、やっぱりなんともありません。
3と4は、たたりがないと思っているのでご先祖様を粗末に扱います。そこで本当はたたりがあると、すごく恐ろしいことになってしまいます。たたりが本当はない場合は
やっぱりなかったといった程度です。

以上のことから、たたりはあると思ってご先祖様を大切にした方がお得ということになるわけです。

と、まぁ半分冗談ですが、こんなふうに気楽に考えるのもひとつの方法でしょうね。

最後にひとつ
あなたが、ご先祖様がのおかげでこうして生を受けたのは紛れもない事実です。それに感謝し、まつるのは悪くないことだと思います。
そして、あなたがそうしていれば、子供は親を見て育ちます。あなたのお子さんもお孫さんも、あなたに感謝し、まつってくれるでしょう。
もし死後の世界が存在するなら、そういうふうにまつってもらえて、あなたはうれしいんじゃないでしょうか。そうしたら、たたったりしませんよね。
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たたる物は宗教ではなく悪霊かなんかです。

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宗教は心のよりどころ、「苦しい時の神頼み」くらいがちょうどいいように思います。



「たたる」とか「バチが当たる」というのは一種の戒めとして受けとめ、「今自分がここにいるのは、先祖がいるからなんだなあ。けっこうスゴイことだなあ」と、折りにふれて手を合わせてはいかがでしょうか。
「まつり方」という形より、気持ちが大切なのではないでしょうか。
100万円の墓石を建ててもそのまま放っておくだけより、自然石を置くお金しかなくても心から手を合わせる方が、喜ばれるのではないかと思います。

「こうしないとこういう悪いことがある」と脅す懲罰主義のような宗教は本来おかしいと思いますし、まして「これを買わないと悪いことがある」というお金がらみの脅しは、決して宗教のあるべき形とは思えません。
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  こんばんは。


祖先を大切にすることは大事です。宗派によっては仏壇がどうとか、そんなのはいらないという信仰宗教もあります。

 仏壇がなくても、祖先の墓参りに行くという気持ちが大切です。祖先があったからこそ今の自分が有るのですから、祖先に感謝の念は大切だと思います。

 宗教は何でもいいからというのは乱暴な考え方です。祭るというのは本人の気持ち次第だと思います。

 孫子にたたるなとどというのはある意味戒めです。祖先の祭り方などよりも、春と秋に墓参りすればそれで良いと思います。
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