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映画スライディング・ドア、好きな映画なのですがどうもラストの事ですっきりしないのです。

ジェームズ「モンティ・パイソンの台詞知ってる?」ヘレン「何事も宗教裁判よりマシ」。
で幕を閉じる。
でも、これっておかしくない???
髪の長いほうのヘレンはジェームズとは無関係の人生だったわけだから、この台詞は知らないはず。
(髪の短いほうのヘレンは、序盤ジェームズと出逢った時にこのセリフを教えてもらっていた)。
なぜ髪の長いほうのヘレンがこの台詞を知ってるの?

これって、映画の中のミスなんでしょうか・・・?肝心のラストなのに・・・

A 回答 (2件)

こんにちは


遅く なりましたが、私も 好きな 映画の 一つです
問題の 台詞ですが、ヨーロッパの 歴史を 考えると かなり 重い 台詞と 言えないでしょうか …
宗教裁判 というのは、そもそも、それに 該当 する (キリスト教を 信仰して いない) に せよ、しないに せよ、疑いを かけられた 時点で、もう その 人の 人生は 破滅です … 拷問の 末、罪を 認めさせられ 火刑に 処せられる など という 恐ろしい もので、最も 凄まじかった スペインでは、ほぼ このテーマで 初の 映画と される 『宮廷画家ゴヤは見た』 でも、それを 垣間見る ことが できます …
ただ、その 痛みを 背負わされた 人々は もはや 遠い 過去に 全て いなくなり、子孫が いた としても 先祖の 辛酸を 知る ことは 殆ど できないでしょう … それに 対して、ホロコースト など は、まだ 近い 過去であり、到底 引き合いに 出す こと など できません …
… それで、ひどい 災難や 病苦にあって 何とか 生き 残り、これから 一体 どうすれば いいのか、という やり場の ない 怒り や 悲しみに 苛まれ、生きる 気力が 絞り 出せない 時 …、到底 生き 残れない ような 理不尽な 出来事は もう 過ぎた … あなたの 苦しみは あの時 苦しみ 抜いて 死んでいった 人たちが 皆 わかって くれている … そして、あなたは 生き 残った … だから ありがたく もう 少しだけ 安心して、その 人たちや 家族や 大切な 人の 為に、生きて いこう … という 意味を 感じ取れる ような 気が します …
この 台詞を 連発し、困難や 不運に 直面しても、明るく 人を いたわり 励まそう と する 青年の 気質は 本来の もので、どのような 運命の 可能性の 中に おいても 変わらず、彼女が 出逢うべき 人なので あって、彼女の 中で 一つの 尊い 生命が 宿り、失われていく 過程で、その 生命が 持っていた 無数の 可能性が、彼女の 中に 小さな 火花を 散らした … その 中で、彼女は 出逢うべき 人に 出逢い、その 気質に 触れ、象徴的な 言葉を 胸に 刻み、失われていく 生命と 別れを 告げて、ほんとうに 出逢うべき 人に 出逢った 時、正しい 答えを 返す ことが できた … 失われてゆく 子が 母の 為に その 生命と 可能性の 全てを 使って 導いてくれた 運命を つかみ 取る ことが できた 母は、その 人の 子を きっと 宿し、その 子は 無事に 育ってくれる ことを、その 子の 失われた 兄弟は 願っていた のだと …
クシシュトフ・キェシロフスキ 監督 の 『偶然』 という 映画に、青年が 列車に 乗れた 場合と 乗れなかった(諦めきれず 駅で 暴れる・諦めて すんなり 帰る) 場合の 三つの 人生を 生きる 話が あり、これが 基に なっている のでは と …

ネタ ばれに なります ので、それが お嫌で あれば、これ 以降の 段落の 「 」 内は 読まずに いただきたい のですが、
「この 青年は 戦火の さなかに、必死で 病院に 辿り 着いた 母から 生まれ、母と その時 生まれた 双子の 兄弟と 思われる 赤子は その場で 亡くなった ようなのです … そして、彼も また 若くして 飛行機 事故に 遭う 運命だった ようなのですが、その 運命を 回避する 為、母と 兄弟の 生が 彼に 託されます … ですが、その 運命を 回避した 場合、出逢うべき 人と 出逢えず、八方 塞がりのような 不本意な 人生と なり … 最後に おそらく 自分の 人生を 選んで、出逢うべき人と 出逢い、子どもにも 恵まれ、本来の 仕事を 得て、その 飛行機に 乗ります …」

ご存知かも しれませんが、この他に、同じ キェシロフスキ 監督 の 『ふたりのベロニカ』 『デカローグ』 『トリコロール 青の愛 白の愛 赤の愛』、他の 監督で、『イルマーレ』 『ビフォア・ザ・レイン』 『ステイ』 『パッセンジャーズ』 『ミスター・ノーバディ』 等 も そのような 出逢いや 運命を 扱っているので お気に召される のでは …
どうぞ よい お年を お迎え ください
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モンティ・パイソンってのが映画の中だけではなく誰もが知ってて当たり前の有名なコメディアンでその名言も知ってて当たり前という前提があります。



だから、映画の中でそのセリフに接していなかったとしても、その流れは自然な流れです。

名言はほとんどがブラックジョークですから嫌味ですね、嫌味を言われて(嫌味で)切り替えして終わり、なんてのは映画などでははよくある事です。
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