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大学二年生です。まだ確定ではないですが、卒論のテーマを提出しなければいけないのですが、なかなか決まりません。
私は、哲学科に属しているのですが、応用倫理に興味があり、その中でも生命倫理についての論文を書きたいと考えています。
現在考えたのが、以下のテーマなのですが、どれがおもしろいというか、うまく書けそうでしょうか。

1、死の準備教育について
A・デーケン氏が提唱してきた死の準備教育(人間らしい死を迎えるためにはどうすべきかに関する教育)についてどのようなものかまとめてから、海外や国内での実践例を挙げ、これからどのように行われていくのか、どのように行っていくべきなのか、今後の展望について考える。

2、優生学について
優生学とはに何かについて、ナチスドイツ下やアメリカで行われてきた優性政策を挙げるなどしてまとめた後、出生前診断の普及に伴い現れた新しい優生学についてまとめ、倫理的問題はないかなど自分の意見を述べる。または、シンガポールで行われた大卒女性の出産推奨など、「ポジティブな優生学」について考え、倫理的問題はあるか、などについて考える。

3、医療倫理の四原則について
自律尊重原則、善行原則、無危害原則、正義原則からなる医療倫理の四原則について、例えば、患者の治療拒否に際してどの原則が優先されるかなどから、四原則が実際全て対等なのか、そうでないのかについて考え、問題点や自分の意見を述べる。

この三つを今のところ考えました。
どれも抽象的でいまいち課題がつかみきれていないのですが、現時点での卒論のテーマを提出しなければいけないので、とりあえず一つ課題を設定し、色々勉強していく中でテーマを確立させていきたいと考えています。
どのテーマがうまく書けそうでしょうか。
アドバイスよろしくお願いします。
これは読んでおいたほうがいいぞ、という参考文献などもありましたら教えて頂きたいと思います。

A 回答 (4件)

テーマをもう少し拡大的に取り、副題で調整すべきだと思います。

最悪、書き始めてから自分の目指す結論へと至る考察要素に不足し、上記三項すべて章立に用いた構成としなければならぬ可能性も有り得るので。

場合によっては、気になってること全部を詰め込んじゃったほうが最終的にまとめやすかったりしますから、のっけの段階で無理に限定してしまう必要もないでしょう。

文献よりも、まずはすでに発表されている論文に目を通してどこまで研究が進んでいるか把握したほうが良いと思います。
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どれも興味があるんでしょうが、本当はどれが一番やりたいのか。




>どのテーマがうまく書けそうでしょうか。

そういう気持ちは、大なり小なり誰でもでますよね。
でも、その視点で探して満足な研究になりそうですか?

人はいつでもいくつかの選択肢を選びながら生きてますが
多くの人は大きな問題だと思うときほど、やりたいことよりやれそうなことを選びます。

それが悪いことだとは思ってないのですが、長期にわたってやっていく時
自分が本気で打ち込んでいけるのかなと思います。

自分が深く掘り下げていくことを続けられるものを選ぶ。
自分にとって後悔しないものを選ぶ。
それは自分自身しかわらかない。

そんな事も大切かなと思います。

自分自身にどれがいいか何度も問いかけて出た答えなら、頑張れるだろうし後悔はないかなと。
どの答えになろうといいのですが、迷うときは今一度自分の視点を見つめ直すことも必要かなと思います。
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死の準備教育について。


ソクラテスから「哲学は死を学ぶこと」という考えがあり、現代は脳死などの状況がありますので、古くて新しい問題だと言えそうですね。メメント・モリとか。カミュも『シーシュポスの神話』で生死について書いていますが、論文の参考文献としてはともかく、こうした問題に関心があるなら読んでおくのもよいのでは。
ソクラテス以来からの重要なテーマであることから書き出すのもありかもです。なぜ死の準備教育を取り上げるのか、という感じで。
死へ関わる存在Sein zum Todeや死の不安で有名なハイデガーも少し触ったりするなら、事例を挙げるのとは異なるアプローチというか、幅が出せるのではないでしょうか。ハイデガーはケアの倫理に影響を及ぼした哲学者でもありますし。そんなわけで、解説書や『存在と時間』で死に関わる箇所だけでも目を通すのもありかと。後は『夜の霧』で有名なピーター・フランクルの著作とか。

優生学について。
人工受精などの生殖技術の向上は新たな問題を引き起こしましたね。痛いニュースという2chまとめサイトで見たのですが、精子バンクに精子を提供した男性に養育費の支払いを命じる判決がでたりなど、不謹慎ながらなかなか面白いことになっていると思います(法の再整備の必要性?)。
出生前診断によって胎児を中絶することを是とするなら、胎児の生命に内在的な価値はないということになるか。生命の価値が問題になりそうですね。胎児はまだ人間ではないとするなら、中絶は人間を殺すことではないので、不正ではないということになるか。ここでは人格概念についての知見が不可避でしょう。乙武さんのように、知能に問題がない身体障がい者なら「人間らしい」生き方もできるでしょうが、重度の知的障がい者の場合はどうだろうとか。死について考えることがよく生きることにつながるなら、死について考えたり学習できないほどの知的障がい者は、「人間らしく」よく生きることはできないのだろうか。よく生きることのできない胎児を中絶することは悪い殺生か善い殺生か。いや、すべての人間はよく生きることができるのではないか。「人間らしい」とはどういうことか。知的障がい者ではない者は、知的障がい者に比べてより人間らしいようにも思います。人間らしくあるとは、ヒトという種に属することではないでしょうし。難しい問題です。
出生前診断や着床前診断は中絶の問題とおそらく不可分ですから、中絶は殺人かという疑問につながります。中絶が殺人でなくとも、胎児や胎芽の生命を奪うことは不正だとするなら、生命の価値への関心が派生しますが、生命がそれ自体としてもつ価値というのは功利主義と対立するでしょう。
脳死者はもはやよく生きることはできない。生命維持装置によって身体的に生きているという状態を保っているのみであり、生きることはできない。意識あるいは人格をもつ末期患者とは異なり、医療関係者や親類らとも交流できない。だとするならば、脳死とはある人間が人間らしくない者になることであり、脳死者から臓器を摘出したりするなどして殺すほうがよいのではないか。脳死者を殺すことはよく生きることの一端だろうか。つれづれに思いつきを書き連ねましたが、生命の質QOLを考えると、脳死者と健全な人間の生命の質には単なる違いではなく優劣という違いが本質的にあるように思います。
あとはビオスとゾーエーについて触れるのもありかもしれませんね。

うまく書けるかどうかはさておき、「ここがよくわからない」という点について明確に厳密に書くことも卒論の書き方としてよいと思います。自分がもつ疑問を明晰化するというか、課題をはっきりさせるような論文も。担当教授の意向にもよりますが。うまく書くよりも、はっきりわかりやすく書くほうがさらに重要かと。
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卒業論文のテーマなんて、最悪4年の秋にも変更できるのでは?

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