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さっきNHKで、徳川が国を征服した(江戸)時代において「徳川の外様であったため苦労したところの3国」を見ました。その3国とは「薩摩」「長州」とあと一国でした。
これは、明治維新を成し遂げた(江戸幕府に反対した)国と符合します。
やはりつながりがあるということでしょうか?

A 回答 (7件)

こんにちは



関ヶ原以来の遺恨は関係はあると思いますよー
長州は儀式として、元旦の挨拶にきた重臣が藩主に、「そろそろいかがでございます」と聞くと、藩主は「まだその時期ではない」と答えるのが常だったそうです。そろそろとは関東征伐、つまり徳川幕府へ反旗を翻す時期という事みたいです。

長州候・毛利敬親は「そうせい候」と呼ばれて、家臣のどんな提案にも「そうせい、そうせい」と言っていたとかいないとか…(^^)
(決して暗愚だったという意味ではないです。)
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こんにちは。


 NO.3の方と同じく、漫画『風雲児たち』を一読されることをおすすめします!江戸時代の見方が確実に変わりますし、たいへんドラマチックで壮大なスケールの歴史観が、なぜかギャグ漫画(^_^;)で丁寧に描かれていきます。かなり、レベルの高い漫画っす!

 薩摩島津家は、関ヶ原の戦いで最後まで兵を動かさず、「敵の正面突破で逃げる」というとんでもないことをやらかして以来、もちろん徳川幕府の外様として、そして辺境の地のわけのわからない実力を持った藩として、江戸時代を生き抜きます。お取り潰しにならぬよう、息を潜め、南方との貿易で国力を高め、そして幕末のあの動乱を迎えるんですよね。

 長州毛利家は、やはり関ヶ原の戦いで西軍総大将という立場だったため、領土のほとんどを召し上げられ、萩の地でやはり息を潜めて徳川家への恨みを代々受け継いで生き抜きます。しかも、天皇家と独特の関係を持っていたため、そのプライドを密かに胸に抱いて。

 このことが、両藩から突出した幕末の志士を生んだバックボーンになっていたのでしょうね。長州藩の方が過激に尊皇攘夷に突き進んだのも、そういった背景を考え併せると理解しやすいと思います。

 以上、上記マンガから得た知識でした(^^;)
リイド社からのワイド版全20巻が最近出そろい、現在「幕末編」が続いてます。
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NO3さん、ごめんなさい!


そうですね、維新でおおいに働いた土佐の郷士たちは長宗我部家の家臣たちの末裔ですね。
失礼をお詫び申し上げます。
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no.3です。


番組的にはNO.4さんのいうとおり仙台の伊達家でした。
私が先ほど回答した土佐というのは山之内家ではなく長宗我部家のことになります。

何もできなかった宗我部家の家臣が後からきた山之内家に郷士としてしいたげられてそのエネルギーが維新につながるみたいなニュアンスです。
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TVは見てないのですが、あと一国は伊達家(なんていう国だっけ?)ではないでしょうか?


土佐の山之内家は関が原の時は東軍ですね。
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そのあたりのことは みなもと太郎「風雲児たち」で書かれています。


関が原の合戦でほとんどなにもしなかった薩摩・長州・土佐の三国が明治維新の原動力となった、と書かれています。かなりの長編です。
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すみません。


質問の趣旨が良くわからないのですが・・・。
あと一国がつながりがあるかどうかという事ですか?
その国が符合すると言われるのですか?

私も、その番組を見ました。
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