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アフリカ、南米、アジアとよくもまあ白人は植民地にして行ったもんだと思います。歴史の授業であまり教えてもらわなかったのですが欧米列強はどのように有色人種の国家を制服していったのですか? いきなり戦争を吹っかけて取っている訳ではないですよね? 例えば英国、フランスはどのように入り込んだのか教えて頂きたいです。もちろん植民地化した地域により違ったアプローチをしたと思いますが、例えばどの国の場合と紹介して頂ければ勉強になります。 宜しく御願いします!

A 回答 (4件)

 確かにいきなり大軍を送り込み征服するのでは



支配する側も犠牲が多く効率は悪いですね。

大きく2つのパターンがあります。

古い方から、

(1) スペインが中南米を植民地にしたやり方
 
 スペインとポルトガルは欧州の中で先駆けて

植民地作りをしていきました。この2国は重商主義

と言って商業(貿易)利益で大国になります。どこ

そこの資源をどこそこに売って差額でもうけるわけ。

 有名な話しですが、インカ帝国(現代のチリなど)

の神話に「東の海から白い顔をした神がやってくる」

というのがあったらしくてスペイン人がその通り、

来航、インカ帝国は喜んで歓迎した。ところが、記録

によるとスペイン人が驚くことに金・銀がとても豊富。

さっそくその資源を手にいれるために大軍を送り、

虐殺と占領をしたそうです。これも有名ですが、インカ

帝国は一部の技術文化はヨーロッパより進んでいたが、

致命的な弱点は武器がほぼない、鉄砲と大砲で武装した

スペイン軍にはたちうちできなかった。

 ちなみに中南米ではブラジルだけが旧ポルトガル領

アジアではフィリピンだけが旧スペイン領。世界がほぼ

この2国で分割された頃、争いをさけるためにローマ法王

の前で2国がお互いに相手の植民地から1つずつ選んで、

交換し合ったそうです。真偽はよく知らないのでごめん。


(2) 次はイギリス・フランス・オランダに代表される

 自国の産業を発達させて、世界中から集めた資源で、

製品をつくり支配する地域にその製品を売りつけていく

やりかた。少し具体例で

イギリスです。ちょうど日本で江戸時代が始まるころ、

英国はインドに「東インド会社」という国策会社を作り

ました。当初はインドから綿織物を買い付けて、本国に

送り売ってもうけるというやりかたでした。インドは

世界最大の綿織物手工業国でしたから、しかしこれでは

イギリスはインドにお金を払います。国同士で考えると

イギリスが赤字。そこでイギリスは産業革命という時期

自動織機を発明し、機械による綿織物生産に成功。

そうなるとインドの手工業が邪魔。軍隊の力でインドの

職人の手首を切り落とすという野蛮なこともするのですが

経済的にはインドから綿花を輸入、インドの手工業製品

よりも安価にできる英国産綿織物をインドに売りつける。

このやりかたでインドを衰えさせ、イギリスはついに、

ムガール帝国を滅ぼし「インド帝国」なる植民地を作り

ました。東インド会社から「インド帝国」創建までじわ

じわと時間をかけ徐々に植民地化をなしとげます。

 ちなみにこの関係でもインドから綿花を買うので銀は

支払います。そこでイギリスが考えたのは、インドで

アヘンを作らせてそれを中国の民衆に売りつける。もう

けた金(銀)でインドから綿花を買うとイギリスは只で

綿花を手に入れ、綿織物を売れるので美味しい。これに

中国が怒り、入港していたイギリス船のアヘンを海に

捨てると賠償と謝罪を要求したイギリスが中国に戦争を

しかけるという理不尽な行動に。これがアヘン戦争。

アヘン戦争を自分の目で見た長州藩の高杉晋作らが、

欧米を追い返すことなど不可能と知り、なおかつ欧米は

日本をも植民地にするは明らかと、開国方針にきりかえる。

※ 世間的にはあまり知られていないが、英仏はアフリカ

各地を植民地にするに当たってはコンゴ王国やマリ王国

などいくつもの王国を滅ぼして支配。そして本国では、

アフリカには文明などなに一つ無い「暗黒大陸」と紹介。

学校教育で暗黒のアフリカに自分たちの手で文化を伝えて

あげようと洗脳した。これが植民地という言葉の由来。

つまり文化のすすんだ自国民が文化のない遅れた地域に

住み着いて文化の開花してあげよう。それがアフリカ黒人の

幸せになる、だって彼らはチンパンジーとかわらないのだか

ら。その代わりその土地の資源や黒人を奴隷として売るぐら

いは当然だよね、という感覚でした。

 アフリカ諸国は1960年代に続々と独立、とても若い。

しかも経済的にはまだまだ英仏両国の結びつきが強く、

利益を吸われている。近年やっと一部の国々で経済発展が

見られ初めて来ました。



 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。学校の歴史の時間で習ったことがあるのですが、ほぼザルのようにこぼれて記憶には残っていません。よ~く分かりました。アフリカの植民地化は何となく力ずく的な感じがしますがアジアでは何かアジア人がぼさっとしていたからしてやられた感がどうもあります。そしてアフリカもアジアも結局、西洋人から見るとColoredと言う事になっているのでしょうね。悔しいけど事実ですね。

お礼日時:2013/02/04 12:34

これは「銃・病原菌・鉄」と言う本の受け売りですが。



征服するのに一番役に立ったのは旧大陸から持ち込まれた病気の様です。

ユーラシア大陸では広く交流が行われ、其々の地域にあった固有の病気が全体を一巡りして収束して行きました。
天然痘やペストと言った強力な病気が何度か人口を半分以下にするような流行が在り、生き残った人もその病原菌を保有し免疫ができていた訳です。

そう言った様々な病気が新大陸に一気に上陸し、密集した集団に一気に感染して人口が激減し、社会が弱った所で侵略が始まって征服が簡単に可能になった様です。

勿論キリスト教の不況と言う大義名分と、馬と銃と言う兵器が役だった事は多いのですが、最近の研究では新大陸には数千万人の人口が存在したとされており、せいぜい数百人の兵隊で簡単に征服する事は本来は出来なかったでしょう。

他の回答者さんの説明がある様に、インカ制服には偶々ケッツアコルトと言う神話が役だった事は在ったようですが、コロンブス等が最初は交易を行って持ち込んで病気が大流行し人口が激減し、その情報もあってスペイン・ポルトガルの征服戦争が始まった。

以上の様な状況でまず当時の欧州強国が中南米を征服し、その後興隆した仏国と英国は精強なインディアンがいる残った北米について、狩猟民族であるインディアンが存在しない湾岸地区に入植し、その後英国から独立した米国が力で徐々にインディアンを征服して行った。
その時にも天然痘にかかった人の古着等をインディアンに送る等が在り、戦争より病気で人口を激減させたと言う事もあった様です。

病気による手助けが無かったアジアに対しては、国と言う確固とした権力が無かった地域(オセアニア・ポリネシア等)は単純に征服し、相手の国がしっかりしていた国(インド・カンボジア等)に関しては当初は交易と布教で交流を開始、相手を観察して内戦等の機会に乗じて征服すると言う手段を取りました。

植民地を獲得して行ったのは殆どその時の欧州覇者で、当初はポルトガル・スペイン、その後オランダ、最終的には英国が大きな地域を手に入れました。

ナポレオンによって浮沈の大きかった仏国は、短い興隆時に現カナダの一部や北アフリカなどを飛び地上に植民地として獲得して行きましたが、あまり大きな地域を有する事は出来ませんでした。

キリスト教について言えば、ローマ法王はスペインとポルトガルが「占領してよい」地域を線引きして許可し、両国はその布教の尖兵となったイエスズ会から情報を得て植民地を増やしました。

両国の後に植民地を広げた国々は、交易から入って相手を壟断し、英国に至ってはアヘンを上手く使って国を乱す手段まで取りました。

隣国と切磋琢磨して外交のノウハウを獲得した欧州各国にとって、自国で威張るだけの王様をだますのは簡単な事だったでしょう。
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この回答へのお礼

詳しく説明していただきありがとうございました。色々今回コメントを頂きまして勉強になりました。私が勝手に思ったのは人間は知恵で何でも制服してきたんだなあという事です。白人も体力では黒人に勝てませんが知恵で無理やり自分達より下に置けます。アジア人は力も知恵も白人より劣るので何をかいわんやです。今の世界を見渡しても数百年前に白人に付けられた序列をヒックリ返せない状態です。まあ、そのままの序列で来ているのは白人の優越感と同様に有色人種の劣等感があるので距離がちじまる事がありませんね。

お礼日時:2013/02/04 12:47

まず、宗教を利用していますね。


キリスト教を広めておいて住民を宣撫してから
軍隊が乗り出す、てパターンが多いですね。
フイリピンとか南米がそれです。
だから、今でもフイリピンや南米はキリスト教
信者が多いのです。
日本は、いち早くそれに気づいて、キリスト教を
禁止し、檀家制度を設けたのです。

それから、間接統治があげられると思います。
その土地の、有力者と手を結び、その有力者を
支配することで、間接的に住民を支配します。
インドが典型です。

なお、民族や人種の間には能力の優劣はないことが
科学的に立証されております。
DNAの違いにしても、人種の違いは0,6%に
過ぎず、その違いは色とか背の高さなどで占められて
います。

欧米人が優れていた訳ではありません。
現代は、欧米人が世界を席巻している、というだけです。
少し前ではイスラムが、中国が世界を席巻していました。
将来はどうなるか判りませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。宗教、民族って言うのは日本に生まれ育つとあまりぴんと来ない観念ですね。でもおっしゃるとおり未だに世界で揉めているのはこの二つの要因が多いですね。それを逆手に有色人種を支配して来た白人はやはり知力、体力的にも私は優れていたと思います。情けない感じがします。

お礼日時:2013/02/04 12:20

国や地域、時代により異なります。


相手が一定の国家を形成している場合、相手国の内紛を利用する事が多かったですね。

アスティカ制圧の場合は、アスティカ支配に反発する勢力を味方につけています。
インカ攻略の場合、インカ皇帝をめぐる兄弟の対立に介入しています。
インドでは、イスラム教徒とヒンズー教徒の対立に介入するなどです。
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この回答へのお礼

早速の回答ございました。やはり国としてしっかりしていないと上手いように他国に持ってゆかれるということですよね。植民地のマップを見ているとすべて有色人種の地域です。やはり白人より劣等なのかなと思ってしまいます。植民地ではないですがオーストラリアやニューージーランドにしても何でアジア人が見つけ出してアジア人国家が出来なかったのか悔しく思います。

お礼日時:2013/01/30 16:23

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