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文章を書いていたら、読点の打ち方がよく分からなくなってしましました。

~~~なことに共感し、また、~~~~~~にも共感することが出来ました。

上の文章の「また」の場合 後ろと 前に読点をつける形で良いのでしょうか?

読みやすさを考えて打とうとしても、考えるほど分からなくなってきます。

また、読点が多くなることは良くないのでしょうか?

ご教授よろしくお願いします

A 回答 (4件)

私も他の回答者の方と同じで、例に挙げた文は、読点の問題ではなく「また」の使い方と、短い文の中に「共感する」という言葉が続けて出てくることの方が引っ掛かりを覚えました。


この文なら、単に「〇〇なことと、××なことに共感することができました」でいいと思います。

自分で文章を書いていてもそうなんですが、誰でも文章を書く時の「クセ」というものがあって、つい使ってしまいがちな言葉はあるものです。特に接続詞に多いような気がします。大切なのは推敲に時間を掛け、不必要な単語はないか、同じようなことを書いていないかというチェックをして、削る作業をする癖を付けることだと思います。

本題の読点ですが、内容を度外視すれば、例文はそのまま読点を打てばいいと思います。問題は読点ではないですから。
読点って、意外と難しいんですよね。以前、文章教室に通っていた時に習ったのですが、読点は基本自由なようです。自由だから、難しいんでしょうね。人によって読点の多い人、少ない人がいるということで、プロでも人によって違うらしいです。一つ言えることは、多過ぎても少な過ぎても読みづらいということです。
適度な読点と感じてもらうためには、バランスではないかと、最近思うようになりました。標語やキャッチコピーじゃない限り、文章って短くても数十字、普通は数百字書くわけですから、一つ一つの文の長さや読点の間隔が同じだと、平板な印象になります。文も読点の間隔も、長いものもあれば短いものもある方が、文章として全体のバランスがよくなると思います。
ということは、「~で、また、~」のような、読点の間隔が短い部分も、必要ならあっていいということです。

もう一つ読点を入れるポイントは、読み手の気持ちになることです。
たまたま、ずっとひらがなが続くとか、逆に漢字ばかりが続くような時は、読み手がどこで切ればいいか迷わないように、間隔が多少短くても読点を入れた方がいい場合があります。
なので読点が多くなること自体がいいとか悪いとかは言えないと思います。
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この回答へのお礼

大変分かりやすく回答していただきありがとうございました。

他に回答下くださった皆様もありがとうございました。大変勉強になりました。

お礼日時:2013/02/04 20:43

ケース・バイ・ケースですから、自分で読んでみて違和感のないほうにすればよろしいかと。



ただ、例文の…

>>~~~なことに共感し、また、~~~~~~にも共感することが出来ました。

については「また」で区切られているにも関わらず前後で「共感する」が共通していますし、「~なことに共感」は「~に共感」と表記するのが普通、同じ文節に「共感」「こと」が再出するのも気になります。

具体的には…

※「私は、彼の演説に共感し、また、彼の持つ思想信条にも同調することが出来た。」

など。
読点を減らせば…

※「私は彼の演説に共感し、また彼の持つ思想信条にも同調することが出来た。」

となり、印象は変わります。
これをさらに質問者様の書式に直すと…

※「私は彼の演説が私の考えに近いことに共感し、また、彼の持つ思想信条にも共感することが出来ました。」

というように多少くどくなり、また、言い回しの都合で「私の考えに近いこと」と「共感」が重複してしまう結果に。


はい、私はここで「、また、」を用いましたが、この場合「また」の後ろの読点は必要ないと思いますか?
用法によっては読点で区切ってあげないと別な意味合いになってしまうので、注意しなければなりません。
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 No.1でコメントした者です。


 ↑の質問の文にも「また、」がありましたね。こういう書き方をすると、論旨が曖昧になりがちです。
 たとえば後半の4行を下記のようにしてはいかがですか。最後の1行は不要かもしれません。

================
 読点の打ち方について質問が2つあります。
1)上のような文章の「また」の場合 後ろと 前に読点をつける形で良いのでしょうか?
2)読点が多くなることは良くないのでしょうか?

 読みやすさを考えて打とうとしても、考えるほど分からなくなってきます。
================
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 基本的に、接続詞の「また」のうしろには読点をつけたほうがいいでしょう。

ただし、それ以前に文の途中で接続詞の「また」は使わずに、文を分割するべきです。
 さらに言うなら、「また、」はたいてい削除できます。例文の場合も、後ろに「にも」と「も」を使っているのですから、「また、」はいらないはずです。

>また、読点が多くなることは良くないのでしょうか?
 一概には言えません。

 読点の使い方に関して詳しくは下記をご参照ください。
句読点の打ち方──簡略版
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n140029

「また」の使い方に関しては下記をご参照ください。
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-1442. …
================引用開始
接続詞の「また」は原則として使わない

 本文ではふれていませんが、「また」もできるだけ削除したほうがよい接続詞です。
「転換」などの働きをもつ接続詞の「また」は、話題をかえるときなどに使います。これほど便利な接続詞もなく、「また」を使って「転換」してしまえば、それまでの文章の流れとは無関係の話を書いてもさほどおかしくありません。この点が大きな問題です。「また」を使わなければならないのは文章の流れが悪いからで、自然な流れの文章なら使う必要はありません。
 強引とは知りつつ、いいきってしまいます。
 接続詞の「また」が頻繁に出てくるのは、流れが悪いヘンな文章です。
 たいていの場合、「また」は改行したあとに使います。改行には「転換」の効果があるので、「また」をそのまま削除しても問題がないことが多いはずです。頻繁に改行しているために「転換」の効果が薄い文章は、改行の数を減らすのが先決になります。どうしても「また」を使わないとヘンなら、文章の流れを考え直すべきです。
 全体が長い文章なら、ごくまれに「また」が出てくるのはしかたがないかもしれません。しかし、短い文章の中で「また」が使われていると異様な感じになります。
 以前、ガイドブックの編集の仕事で、短い原稿の中に「また」が目立つ例を見ました。よくあるガイドブックの形式ですから、1物件を紹介する原稿量は300字足らずです。さすがに約300字の中に2回出てくることはなかったのですが、3物件分の原稿に1カ所ぐらいの割合で「また」が使われていました。すべてそのまま削除しても問題がなかったので、書き手の単なるクセだったのだと思います。
================引用終了
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