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一般的には、
日本の大学で難易度や偏差値が高いのは
東大、京大があげられますが、

果たして、その大学の難易度や偏差値の高さというのは
大学の質の良さと比例するものなのでしょうか?

迷うなら東大、京大に行け、と言われるのは
就職難の時代だから、というのもあるのでしょうけども。


自分のやりたいことがはっきりしていれば
別にどの大学に行ってもいい、という見方もあります。

どうして特に東大、京大あたりがずば抜けて難易度が高くなるのでしょうか。
旧帝大だから、昔からそういう文化があるのでしょうか。

それだけの理由だとすれば、
大学の難易度や偏差値の高さは、
必ずしも大学の質に比例するとは限らない、ということなのではないでしょうか。
例えば、筑波大学なんかも、中々興味深い実験が数多く行われています。


うまく日本語になってるか分かりませんが、何か意見があればお待ちしております。

A 回答 (6件)

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Normal_distrib …

仮定1
受験生の成績が正規分布する

仮定2
受験生の数に応じて大学を作る

現在大学の数は700余りなので、仮に大学数を769あるとする
→ 偏差値80以上 => σ=3 が0.13%なので、計算をラクにするため。

偏差値80以上の受験生を収容する大学は1つでよい
偏差値70-80の間では 16.5校必要 (2.14÷0.13)
偏差値60-70の間では 104.5校必要 (13.59÷0.13)
偏差値50-60の間では 262.5校必要 (34.13÷0.13)
以下左右対称なので、収容する学校数は上記の鏡像関係になる。

そもそもの大学の質がどうであろうと、個別の受験生がより偏差値の高い大学に行こうというインセンティブがある限り、大学間には差ができる。

※ ずば抜けて

正規分布の特性から、中心値から離れた場所では、大学の数がまばらになる(=つまり、偏差値の差が大きくなっていく)その結果として、上位では偏差値の差が大きいが、中心値に近づくほど、偏差値の差が小さくなる。
http://win.hakase-jyuku.com/entry3.html
上記で、大学間偏差値の差は
4 3 1 0 2 0 0 1 0 0 0
同一偏差値の大学が多くなる(=差が0になる)というのは、東大がすごいとかいう話ではなく、正規分布の特徴となります。

文化ではなく、大量の数を処理するとそうなるだけの話。

※ 筑波大学
上の偏差値のランキングで、普通に帝大の中に入っていますが・・・
横国 筑波 北大 が同じ
千葉大 農工大 筑波 名古屋大 が同じ

個別にあの研究が この研究が・・・ではなく、科研費の補助金(≒研究の評価額とすれば)
http://blog.goo.ne.jp/la_old_september/e/7336134 …

これも、偏差値の分布と同様になる。
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僕は京大は危惧してますね。

勝手に・・・
地元ですが、「京大の自由」への頑迷さを感じます。
「自由を守る」、と言いつつその自由が曖昧で要約すれば「現状維持」な感じがする。
リーダーシップがなく、実際に動きは東大の後手に廻ってる気がしますね。
偏差値も東大と開いて来てます。

帝大全般で見ても差が出ている。例えば阪大名大東北大は評価が高いのに九大、北大は沈下してる気がしますね。偏差値やランキングでも。

大体、こういうのは下位大学の方が頑迷でジリ貧になっている、あるいは看板だけ改革をして中身は大して変わってない、と言うようなケースが多いですね。

人気のある大学が偏差値を上がるのは当然です。
ただ人気を得るような事をしていないと将来は厳しくなりますね。
AIUなども場所が豪雪地帯だし、賃金・評価がシビアで平気でリストラするし、時には裁判沙汰になったりしてます。
よって教職員からはめちゃくちゃ評判悪いです。
ただ今後はますますそういう嫌われるようなことをしてでも、正しいと思う事をトライ&エラーをする大学が人気を得る、偏差値を挙げていくことでしょう。
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「おおむね比例する」と思う。


もちろん個人の差が大きいし、「おおむね」だけど。
例えば僕が覚えている限り、初期の有名私立の西大和学園や有名公立大のAIUはそこまで偏差値が高くなかったです。
評判が良くて一気に偏差値が上がった。
やはりそういう風に良い教育をしてれば偏差値は上がってくるものです。
確かに、男子比率が高い、場所が悪い、厳しいなどで有名な
東京理科大、KIT,巣鴨高校などは実績の割に偏差値が低くでることもあります。
逆に僕が子どもの頃は大阪市大などはもっと名門・難関だった。それがずっと下がって来ている。
このように世間の評価はかなりシビアです。

個人で見れば、例えば就職活動でそこそこの企業の2次、3次に進むとGDで話す大学名はほぼ決まってくる。例えばカンタンなマーケの単語が出たり、ケーススタディもある。けど、たぶん全員が理解してる。
もちろん経済学部生だけでなく工学部や文学部もいてです。
ふつう企業が「これもやっといてね、あれもやっといてね」とは言わない。でもそのように差異が出来ちゃうのは、事前準備や努力と言う「基準値」が有名大生の方が高いからだと思う。
このように自分が採用担当なら○大ならまあ安心かな、と言うのはぶっちゃけある。

あとは「思い入れ」ですね。当然伝統企業や伝統大学の方が強い。
例えば関西では僕の周囲は女の子の場合はめちゃくちゃ優秀でも同志社の付属中高に行かせる親が多かった。
他者に「A校に行かせたら医学部や京大も夢じゃないよ」って言われてもその親には届かないわけです。別の価値基準があるから。こういうのは思い入れですね。
同じような理由で桜陰や開成じゃなく、慶応、慶応女子を選ぶ人も多い。
東大に入れるぐらい賢いのに内部進学で成城や日本女子にエスカレーターで上がるような人もいる。
麻布から20名ぐらい京大に来てる。「なんで東大じゃなく京大に?」となるだろうけど、京都の風土、京大の学風に惚れ込む奴が割にいるのです。
これは体感されないと分からないですが「慶応」と言うだけで神格化しそうな人が東急沿線にはけっこう多いのです。
「埼玉には死んでも済まない」・・のような偏った考えの人が多くいるからこそ、アホみたいに坪単価の高いエリアとそうじゃないエリアに分かれます。またそういう繰り返しが住民の「質」につながり、評判、評価の再構築になります。一般的には「ブランド」と言われます。
大学も同じですね。
そういう「思い入れ」がある学生や親の多い大学は強いですね。

東大京大は1位、2位に設立された大学だしそういう経緯もあって思い入れが強い、よって人気となり偏差値も上がる、と言う仕組みです。
もちろん
経済学ではLSEがオックスブリッジを
医学ではホプキンスがハーバードを
法学ではエールがハーバードを
コンピュータではスタンフォードがハーバードを
教育学では筑波が東大京大を
上回って来ています。
このように単に伝統がある、過去が云々、と言うのは必ずしも万有の定理ではなさそうです。
よく言われている事ですがますます専門化が進み、大学名でなく、「そこで何が出来るか」を基準に選ばれる時代になるでしょう。

例えば欧米ではマスコミに進むのはジャーナリズムなどのマスコミ学位を得たものだけです。
日本もそうなっていくと思われますし、事実そうなって来ています。
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専門的な分野は別にして、東大がいいとかは全く思えない。


学校の質とは、ある意味卒業生の質です。鳩山や
原口を見て高い質って思えますか?

結局、学校じゃなくて、当人がいかに学んだか、
それが最重要です。
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教授、施設、研究費、外部機関との連携などあらゆる面で格が違うと思います。

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 こんばんは。

ごもっともな指摘です。これは僕の個人的な印象かもしれませんが、日本の社会はともすれば「看板」を見て「中身」を見ない、実質よりもネームバリューに重点が置かれている意識構造に根ざす部分が影を落としていることが最大の要因であると考えます。
 「○○大卒」であることと「その人物が大学で何を学んできたか」は別物です。その人物を適切に評価するならば、大学の名前などは不要のはずです。それがかつて日本の社会に根強くあったそして今でも一部には遺されている「良い学校」を卒業すれば「良い会社」に入れる、それで人生は安泰であるとの信仰にも似た意識があるのではなかろうかとの考えです。
 けれどもそこに示されている「良い」とは具体的にどの様な指標を基準とするのかは不明なままです。個人によって異なりもします。ある人は生涯収入で判断し、また別のある人は「やりがい」に活路を見出すなどといった具合に基準はまちまちです。数学の定理のように「これが基準である」などの汎用的な定式化はすることも恐らく困難でしょう。また「卒業した大学の名前」と「その人物」の関係は必ずしも「等号関係」であるとも限りません。それを証明する手だてはない、のが実情です。
 東大も元を正せば近代国家を構築し支える官僚を育成するための機関から出発した組織であり、阪大はシーボルトや緒方洪庵などの当時最高レベルの知識に基づく医学研究やそのための基礎教育である語学を学ぶ場に原点を求めることができます。目的と出口が異なるならば、東大と阪大を単純に比較することなどは本来ならば「できない話」といえます。
 それでも固定的な観念に基づいている世代ではどうしても順位付けすることに興味と意義を見出すのは、信じているものが根底から否定されることに対する恐怖感が背後にあるのではないでしょうか。
 経済学ならば一橋の方が僕は一日の長があると理解し、また法律学ならばイギリス法の中央もあればフランス法の明治や法政などの私大もあります。それぞれに「法と社会の関係をどう認識するか」などの部分で特色と相違もありますから一概に「これが一番」などとはいえません。
 質問者様がご指摘の問題の背景にあるものは「権威主義」との目に見えないものに対する憧憬と畏怖が作用しているのかもしれませんね。
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