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文系脳のバカです。
理系のお利口さんな友人に、アキレスと亀の話の解説を聞いたのですが、結局よく分かりませんでした。
つまるところ「考え方が間違ってる。そんなふうに考えちゃダメ!」っていう解説だった(と理解した)のですが、文系脳のバカな私にも理解できるよう、アキレスと亀の問題点の解説をしてもらえませんか?

お願いします。

A 回答 (6件)

 お礼、ありがとうございます。

#2,3です。

 アキレスと亀は、単純な速度差による算数計算をして『有限時間で追いつく』で最終的な答えです。その事実について、別の論法で追いつけないと主張しても、この簡単で明瞭な計算を否定できなければ、なんら有効性はありません。


 止めを刺すにはゼノンの論法通りでも追いつくとすることですが、単純化して亀の速度からアキレスの速度を引くといいでしょう。アキレス視点ならば、アキレスが静止と考えるという、物理学では基本の観方になります。この場合、静止したアキレスに対して亀が近づいてくる思考実験モデルになります。

 そうすると、#3で説明した問題と、ほぼ同じになります。違いは、目標地点の方が近づいてくるということですね。それでも、半分の距離、そのまた半分の距離という、ゼノンの論法は変わりません。

 これは、既に数学で解決されています。単純化のため、亀との距離を1としましょう(距離の単位なんて、なんでもいいですので)。

 亀は1/2まで近づき、これにかかる時間を1/2と揃えておきましょうか(時間の単位は何でもいいですので)。次は1/4、1/8となる無限回の繰り返しになります。

 公式は示しませんが、1/2+1/4+1/8+……=1であることは、たとえ無限個の数の和であっても、現在の数学が保証しています。なんのことはない、1の距離を行くのに、1の時間と、有限になってくれます。

 これは普通の算数での簡単明快な計算と何ら違いはありません。1/2の距離を行くのにかかる時間を1/2としたのですから、1の距離を行くには時間は1です。

 そう説明しても、ゼノンの肩を持ったつもりの人の中には、「しかし、無限回の行為なんてできないじゃないか」と言い募る人がいたりします。

 そういうときは、こう言うことにしています。「無限回に分割したのは、あなたじゃないか。終わらないのは、あなたの話だけだよ」。

 単純な物理学でも、似たような問題は日常茶飯事で解いています。たとえば、「落とした高さから半分の高さまで跳ね上がるボールを落としたらどうなるか?」なんてあります。

 もちろん、「跳ね上がり方が小さくなりながらも、永遠に跳ね続ける」なんてことにはなりません。有限の時間で静止します。それも、収束する無限級数の和ということで数学が保証してくれています(もっと物理学的には、『最小の時間』とか『最小の長さ』がありますが、割愛するのが通例)。

P.S.

「人間はナマケモノ(性格)である。」
「ナマケモノ(生物)は木の上に住んでいる。」
「故に、人間は木の上に住んでいる……とは限らないじゃないかあっ!」

といったところでしょうか。似たようなものでは、英語で有名なのは以下です(和訳すると切れ味が鈍る)。

Nothing is better than my wife.
A penny is better than nothing.
Therefore, a penny is better than my wife.

 似ているもので、日本語で大真面目に言っていた例では、ちょっと薄気味が悪かったです。9÷0=0なる、不可思議な割算を調べていた時に見かけました(そのときは気にならず、ブックマークしなかったのが悔やまれる)。

「数学では、0で割った答えは無い。」
「数学では、無いならば、0である。」
「ゆえに、数学では、0で割った答えは0である。」

 0で割った答えが0だと思っている人が設計した建物とか橋とかには近づきたくないです。

 命題が真なら対偶も真、を単純に自然言語に適用すると、おかしくなる例もあります。

命題「叱られ『ない』と、勉強し『ない』。」
対偶「勉強すると、叱られる。」

 これらは、無限大は絡みません。古代ギリシアでも反論可能だったでしょう。無限大だけは、まだ扱い方が研究されていなかったので、ゼノンの論法は長く残るパラドクスとなったようです。
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この回答へのお礼

何度もご回答頂き、ありがとうございます。こちらにまとめてお礼とさせて頂きます。

>これは普通の算数での簡単明快な計算と何ら違いはありません。1/2の距離を行くのにかかる時間を1/2としたのですから、1の距離を行くには時間は1です。
>そう説明しても、ゼノンの肩を持ったつもりの人の中には、「しかし、無限回の行為なんてできないじゃないか」と言い募る人がいたりします。
>そういうときは、こう言うことにしています。「無限回に分割したのは、あなたじゃないか。終わらないのは、あなたの話だけだよ」。

この3行が私が欲しかった答えだと思います。文系の私でもなんとかついていけて理解することが出来ました。

後半の「0で割る」話は私の頭のキャパを超えたので考えませんでした。
「2で割る」「1で割る」までは理解できるのですが、「0で割る」やら「-3で割る」やらにすれば「割ったのに数が減る」や「数は変わらない」といった現象が起きるため、理解の範疇を超えています。

『それって違うくな~い?』
『え?違うってことなくな~い?』
『え?え?そっちこそ、そんなことなくなくなくなくな~い?』
と同じで、どっちがどっちやら(肯定してるのか否定してるのか・数が増えるのか減るのか)わからなくなり、混乱します(笑)

お礼日時:2013/02/20 15:13

 思い直して、少しだけ続きを。



「無限論の教室」(野矢茂樹)
http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E9%99%90%E8%AB …

という本に、ゼノンの亀とアキレスの話が引用され、使われています。哲学の先生と二人の学生という設定で、数学について触れています。

 この中で、学生が無限級数の和が収束するからアキレスは亀に有限時間で追いつくと答え、先生が「だから君は愚かだと言うのです」と、その答えを切り捨てるシーンがあります。でも、本の最後まで読んでも何が愚かなのか、先生は語りません。

 非常にバカにした態度だ、と思いました。そのフィクションのキャラクターの『先生』ではありません。著者の読者に対する態度です。

 著者は、無限といっても無限が実在すると考える実無限と、いくらでも続いている手続きと考える可算無限があることを強調したいようです。それで、無限級数の和を切り捨てたのかの知れません。無限回の手続きをこなした結果の数ですから。

 先生(≒著者)は、アキレスの亀の話に、アキレスが亀に追いつくごとに自然数を数えて行くという設定を付けたし、アキレスが亀を追い越した後に、アキレスに自然数の最後の数が奇数か偶数か訊いてみる、と書き、自然数が奇数で終わるか、偶数で終わるかと考えることは馬鹿げていると言います。

 0.999……(9が無限に続く)=1ということも、間違いと『だけ』言ってのけています。非常に重要な数学の正しい定理なのに。それが間違いとなると、0.333……などの他の循環小数が有理数であることが保証できなくなり、数学が崩壊しかねません。数学はあまりにも緻密なため、少しでも気ままにいじると、簡単に崩壊してしまうのです。なんとも、横暴、横柄、横着な『先生』です。

 数学では、無限大が絡むと非常に慎重になる直観主義という学派があります。著者(≒先生)は、それ寄りのようでいて、でも違うようです。何かが決定的に分かっていない感じです。否定したがっているらしい実無限と、肯定したがっているらしい可算無限の使い分けもあやふやな感じです。可算無限を貫くなら、有限回の手続きの結果しか認めないはずですから、自然数は決して数え終わりません。

 無限級数の和を単純に否定してよいはずがありません。それを否定すると、既に数学で分かっていて、自然科学研究、さらに実用にまで使われていることの多くを拒否することになります。

 仮に自然数を数え終えたなら(それは、実無限に属します)、∞(むげんだい、と読む)という数のようで数ではないものになります。それなら奇数でも偶数でもない。当たり前のことです。(自然)数ではないのですから。

 生半可なことしか書いていない「無限論の教室」や、それに類した未消化の本などを、さらに中途半端に分かったつもりになってしまうことがあるようです。何度も、それからと思しきネタを、複数の人から振られたことがあります。

 私は数学は苦手なんですけれど、さすがに「無限論の教室」レベルで得意げな人なら、なんとでもなります。しかし、時間の無駄ですし、徒労でもあります。ややこしいことを言って嬉しそうにしている人は、適当にあしらうのがいいのかもしれません。その手の人の話を聞いても、得るところはありませんから。
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すでに出ていることの言い換えになりますが、


「有限の時間内に、無限回のトライを行うことができる。」と言うことを認めるのが鍵になります。

そうすると、このパラドックスは、単に「いくら(有限回)やっても追いつかない」ことを主張しているだけですので、「無限回やったら追いつく」こととは矛盾しなくなります。

無限回のトライを行うことは、決して無限の時間がかかることを意味しません。
しかし、常識的にはそう捉えてしまうので、「無限回やったら追いつく」を「追いつくには無限の時間がかかる」と頭の中で読み替えてしまい、その結果、矛盾が生じてしまいます。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

むー、後半の
「無限回のトライを行うことは、決して無限の時間がかかることを意味しません。」
から「え?え?え?」となり、理解できなくなりました。

A:「「いくらやっても」といっても無限にやるわけではないよね?もしそうなら結論出すの早いでしょ?だってまだ出来るから(無限にできるならやれよ)」
B:「そんな。無限にできるから終わりなんてないよ。」
C:「だったら結論は出ないな。無限にできること終わらせてから結論だせよ。ハイ論破。」
ってことですかね?

いささか屁理屈めきますが。

お礼日時:2013/02/20 15:24

 ゼノンは、もっと単純化したパラドクスも述べています。



 100メートル離れた位置まで歩くとしましょう。

 途中で、半分の残り50メートルまでたどり着きます。

 さらに、半分の残り25メートルまでたどり着きます。

 さらに、残り半分の12.5メートルまでたどり着きます。

 こうして、半分の半分の半分の、といくら繰り返しても、100メートル離れた位置にはたどり着けません。

 100メートルが1メートルでも同じです。1センチでも同じです。少しでも離れたところには、決してたどり着けません。

 歩くのではなく、手を伸ばして何かに触ろうとしても、同じ理屈です。少しでも離れたところにある物に触ることすらできません。

 馬鹿馬鹿しい話です。しかし、当時の似非哲学者の中には、もったいぶって難しい話をしているようでも、実は無意味で馬鹿げたことを言う者がいたようです。

 そういうことについての、分かりやすく誇張した警告になっていたのかもしれません。普通に常識を使えていれば、関係ないことではあります。

P.S.

 こうしたパラドクスには、無限ということが含まれています。現代的に評価するなら、無限が絡むとややこしいことが起こりがち、といったことは考えてもよいかもしれません。

 ゼノンの別のパラドクスには、上記とほぼ同様の論法で「飛んでいる矢は止まっている」というものがあります。こちらは、「0で割るとはどういうことか」という問題を含んでいると考えることもできます。数学なら、「無限小」や「極限値」から「微積分」に通じると考えることもできます。

「無限小」とは、「0そのものではないが、どんな小さな数よりも小さい数のようなもの」というもので、「無限大」と同じく、数のようでいて数でないものです。

 当然ですが、ゼノンの生きていたころには、そういう数学はまだできていませんので、ゼノンが無限大や無限小を扱う数学を意識したということは、なかっただろうと思われます。
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この回答へのお礼

再びご回答頂き、ありがとうございます。
「無限」というのがキーワードみたいですね。
要は「~こうして、その半分、半分と、と無限に割っていったら」の前提部分にある、「無限に割る」という事自体、不可能だから机上の空論、ということでよろしいのでしょうかね?

ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/20 11:26

 古代ギリシアのゼノンが考えたパラドクスですね。



 アキレスの前に亀がいる。アキレスと亀が同時にスタートする。アキレスは亀より速い。だから時間が経てば、アキレスは亀を追い抜く。

 しかし、こう考えてみよう。アキレスは亀がスタートした位置に辿り着く。そのとき、亀は少し先に進んでいる。

 そこからスタートし直したのだと考えてみよう。すると、亀が少し進んだ位置にアキレスが辿り着いたら、亀はまた少し先まで進んでいる。そういう同じことになる。

 こんなことを何度繰り返しても、アキレスは亀に追いつけない。なぜなら、亀はいつも少しは進んでしまい、いつもアキレスより前にいるのだから。

 そういう話です。馬鹿馬鹿しいと言えば、馬鹿馬鹿しいです。論より証拠、歩いている亀を見つけて、アキレスなどに頼まずとも、自分で追い越してみればいい。確実に追い越せます。

 算数なら、速さが違う二人の計算(追いかけ算と呼ぶそうです)として頻出問題ですし、ゼノンの論法に従っても、高校辺りで習う、『収束する無限級数の和』ということで、単純計算と同じ時間でアキレスが亀に追いつくことが示せます。

 ゼノンだって、アキレスが亀を追い越せないとは思わなかったはずです。ましてや、ゼノンは有名な賢者でした。ヘンテコな考え方に陥ったというわけではなさそうです。

 もし馬鹿馬鹿しくないことがあるとしたら、たとえば『考え方、論じ方を間違えると、まるっきり間違ったことを、なんだか正しく思えてしまう罠にはまることがある』といったことでしょうか。

 その程度に受け取っておけばいいんじゃないかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
そうです。その話です。
もちろん実際には、現実にはアキレスは亀に追いつけるし、追いぬくことだって可能なのはわかっています。ですが、このパラドクスの理論だと追いつけないじゃないですか。
で、「理論が間違ってるはずなんだけど、バカな私にはどこが間違ってるのか分からない」という質問です。

「人間はナマケモノである。」
「ナマケモノは木の上に住んでいる。」
「故に、人間は木の上に住んでいる。」
の三段論法の間違いは、最初の行は喩え話なのに、二行目の実際の動物とゴッチャにして扱ったことです。

こんな感じで、アキレスと亀の話の間違ってる部分を簡単に教えてもらえたら幸いです。
『算数の追いかけ算で証明できる』でFAでしょうか?

お礼日時:2013/02/20 11:20

本質は「追いつくまでは、追いつかない」です。



 追いつくのを1分後とすると、
 30秒後にはおいついていない
 60-30/2(=45)秒後にはおいついていない
 60-30/3(=50)秒後にはおいついていない
 60-30/4(=52.5)秒後にはおいついていない
 60-30/5秒後にはおいついていない
 60-30/6秒後にはおいついていない
  ・・・・
 60-30/n秒後にもおいついていない
  ・・・・
 という状況から

 「いつまでたっても追いつかない」と結論しているのがアキレスと亀の話。


 実は、
 「いつまでたっても」ってのがウソで、
 「60秒より前には追いつかない」っていうのを延々と主張しているだけ。


 つまり、「追いつく時刻より前の時刻を考えている限り、追いつかない」
  まとめると、「追いつくまでは、追いつかない」。
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この回答へのお礼

早々のご回答、ありがとうございます。
せっかくご回答頂いたのですが、分かったようで分かりませんでした。
理解できないバカです。

私の場合、「アキレスが亀がいた地点にたどり着いた時には、亀はすでに先に進んでいる。」という話です。
キモとなる部分は一緒のことなんでしょうけども、「刺青 →『ヤクザみたい』」「タトゥー → 『ヤダちょっとカッコイイじゃない!』」レベルで、別物に見えてます。

申し訳ありませんが、「~秒後に追いついていない」ではなく、「A地点にたどり着いた時にはB地点にいる」視点でもう一度解説願えませんか?

お礼日時:2013/02/20 01:36

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