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古典音楽と呼ばれる音楽は、やはり今の現代音楽の基礎になっているのでしょうか?

詳しい方、どなたかご回答よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

>古典音楽と呼ばれる音楽は、やはり今の現代音楽の基礎になっているのでしょうか?



ます単刀直入に回答いたしますと、多岐に渡るジャンルの『一部』ではそうですが、全てではありません。
現代の音楽はそんなに狭くないし、単純じゃないです。

『クラシックは全ての音楽の基礎』説を唱える原理主義の方は時々いらっしゃいますが、大きく分けて【自分は音楽に詳しいと思っているが、実はクラシックが基礎になっている音楽しか見えていない】か、【クラシックが大好きなので、周りに布教したい。だから大げさにハッタリを効かせてクラシックの偉大さを知らしめよう】のどちらかです。

音楽というのは違う音楽同士が互いに影響をしあって変化、分化、融合していくものなので、クラシックだけが基礎というのは流石に無理があります。
そもそもクラシックの元はヨーロッパ地方の民族音楽なワケで、音楽の起源が人類の進化と共にあったと仮定するとアフリカまで遡れるので、現代の音楽の基礎はアフリカ音楽という事になります。キリがありません。

クラシックが現代の音楽の基礎じゃない例を例えるとコレが分かりやすいでしょうか。
民族音楽を今風にアレンジした、紛れも無い現代の音楽です。
Makyo - Swords

機会があればこの曲を聞かせて、この曲の基礎が本当にクラシックなのかお母様に聞いてみて下さい。


現代のクラシックのサブジャンルにミニマルミュージック(20世紀後半に誕生した音楽)というものがあるんですが、一般的には現代のクラブミュージックのルーツとされています。
ミニマルミュージックっていうのは、要はクラシック界の人が最近になってようやく繰り返しフレーズの良さに気が付いたって事なんですが、繰り返しの手法はアフリカ音楽など、世界中の民族音楽で大昔からやってる事なんですね。
ミニマルミュージックの代名詞であるスティーブライヒは、アフリカ音楽の影響を受けていますし。

現代の音楽の全ての基礎はクラシックであると主張するという事は、クラブミュージックで基本となる繰り返しのリズムは、まるでクラシック界が発明したかのように主張すると言う事です。
音楽というのは異なるジャンルがお互いに影響をし合ってお互い様な所があるのに、起源を横取りするような発言は、随分えげつないなぁと思います。
クラシックも様々な外の音楽の影響を受けて進化していったのに、自分が手法を借りてもクラシックだけど、他のジャンルにちょっとでもクラシックの要素があればクラシックの手柄か?と。

個人的に、現代のクラシックという意味での『現代音楽』というジャンルのネーミングセンスから、『クラシックがが現代の音楽の代表だぞ』みたいな驕りが滲み出ているような気がします。

主張をハッキリ伝える為に結構辛口めに書いてしまいましたが、クラシックは好きです!(汗)
最初に音楽に興味を持ったのがクラシックですし、好き過ぎてお年玉を貯めて安いバイオリンも買いました。(笑)
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 他の方も書いているように、「現代の音楽は、古典音楽に『直接』影響を受けているか?」と言われれば、ほとんど「No」のように見えます。

(ここで言う「現代の音楽」とはメロディや使用楽器の音色その他の表面的な様相のこと、「古典音楽」とは18世紀から19世紀初めごろのヨーロッパ音楽との意味で考えました)

 しかし、「現代の日本の音楽は、江戸時代の日本の伝統音楽に直接影響を受けているか?」という質問以上には、「古典音楽に影響を受けている」と言えるのではないでしょうか。

 現在の音楽は、クラシック、ジャズ、ポピュラー、J-POPなどのジャンルを問わず、同じ「5線の楽譜」に書きますし、ハ長調(Cメジャー)やホ短調(Eマイナー)といった調性、その調における音階や和音、音楽の拍子(4分の4拍子、3拍子など)といったものは、基本的に共通です。
 これらの音楽の基礎は、1500年ごろのルネッサンス以降にヨーロッパで発達し、それまでの「単旋律」(メロディ1本だけ)に「対旋律」を付けてハモったり、それを長調/短調の和声として体系化したりして、特に17世紀・18世紀に長足の進歩を遂げ、それがいわゆる「古典音楽」の基本となりました。(バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンあたりで一通り完成。「文字」が紀元前からあったのに対し、音楽の基本や現在の「5線の楽譜」が確立したのは17世紀になってからというのはかなり遅いですね。高々400年程度です。それ以前の音楽は、残っていないのです!)
 それ以降は、その音楽理論や手法が全世界に広がり、完成した「基本形」を如何に活用するか、最大の効果を上げるか、高度化・複雑化するか、あるいは如何に「例外」「型破り」「意表をつく」ことを狙うか(それが個性)、ということに熱を上げてきたわけです。
 ジャズにせよ、ポピュラー音楽にせよ、J-POPにせよ、この「基本の上で、如何に新しい音楽を作るか」という営みの延長線であることには変わらないと思います。

 また、楽器についても、ベートーヴェンのころに完成した「ピアノ」がジャズ、ポピュラーでもそのまま使われますし、シンセサイザーやキーボードにしても「ピアノの鍵盤」が基本になっています。

 逆に、現在の音楽と日本の民謡や伝統音楽(琴、三味線、和太鼓など)といったものには、「現代の音楽にその楽器を取り込む」ことはあっても、その手法や記譜法が現代音楽に取り込まれていることはほとんどないのではないでしょうか。現在では、琴の楽譜も、昔ながらの伝統の「文字や記号」ではなく、五線紙に音符を書くのだそうです。
 同様に、ジャズと言ってもアフリカ伝統音楽が継承されているわけではなく、やはりヨーロッパ音楽の延長線上にあるわけです。(当時のアメリカの黒人奴隷が、南北戦争で余った楽器を演奏し始めたのが発端)

 そういう意味で、現在の音楽は、日本やアフリカやインドや中国の伝統音楽ではなく、「ヨーロッパで発展・完成した音楽理論や方法論」(=古典音楽)に基づいた音楽になっているのです。どこかの本にかいてありましたが、「音楽」を文字と同じように記録することにかけて、「5線譜」というのは相当に合理的かつオールマイティらしいです。

 「古典音楽と呼ばれる音楽が、今の現代音楽の基礎になっている」というのは、音楽の表面的なメロディやリズムということではなく、それが立脚している「音楽理論」「音楽語法」、つまり「楽譜(記譜法)」や「調性」、「音階」、「ハーモニー」、「拍子」といったもの、という意味ではないでしょうか。
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古典音楽というのは、古典派のことではなく、そうですね・・例えばロマン派以前の所謂「独墺系クラシック」(よく知られたバッハ、ベートーベン、ワーグナー・・等)という意味と受け取ってよろしいですか。




「(クラシック以外の)現代の音楽」と、一般的によく知られた「クラシック(以降、近代以降のクラシック除く)」の違いは、リズムだけではなく、和声、形式、使われる楽器から編成から、全く違いますね。
「何を良し(魅力的な音楽)とするか」が違うというのは、まぁ素人目にも明らかでしょう。ロマン派以前のクラシックは、今の音楽と比べてもいかにも「クラシック」であり、ああいう音楽を作る人は(パロディやオマージュのようなものでもない限り)今はいませんからね。

ただ、ディアトニックや機能和声といった限られた表現法においては、この「独墺系クラシック」が基礎となっていることは確かです。
西洋音楽の近代化の流れをまことにおおまかに話すと・・・この「限られた表現法と作法に基づいた、当時の西洋音楽」は、1900前後に当時世界の文化の中心都市となっていたフランスを中心としてやはり崩壊しました。(やはりと言ったのは、明らかに現代ではもう見ないからです。)当時の西洋音楽はこの「限られた表現と作法」(今の観点からですが)によりがんじがらめで煮詰まりまくっていました。当時の人気作曲家であったワーグナー等により、崩壊の兆しもちらほら見え始めていました。そこに、ドビュッシーを始めとした今で言われる当時の近代作曲家達が、すすんで様々な国や時代を越えた表現法を取り入れ、あるいは自ら編み出し、より音楽表現を拡大した多くの優れた作品(もしくは当時の人気作)を排出した為に、それまでの独墺系音楽は一気に前時代の古いものとなってしまいました。
その後も音楽の流れは「独墺系」に戻ることなく、現代音楽や、映画音楽や、ブラック、ジャズ、ロック・・といった今一般的に作られているような音楽中心になったことは言うまでもありません。

今でもバロックからロマン派辺りの「独墺系クラシック」がありがたがられるのは、そういう理由もあると思います。ある時代の限られた表現の特徴的な音楽であり、近代の文法が普通となってしまった今ではもう誰も作らないから、という。(そのことすら自覚せずに、むやみに「天才だ」「至高の音楽だ」等と騒ぐクラシックファンというのは少なくないみたいですが。)

間接的結果論ですが、今の音楽のベース(理論、美意識など)は基本的に、ドビュッシーやシェーンベルクの時代の西洋音楽と言ってもいいと思います。例えば現に、ドビュッシーなんかは中期の「牧神」や後期の「管弦楽のための映像」まで、「最近作られた映画音楽だよ」と言われてもわからないような管弦楽曲を多く残しています。機能和声を拡大した近代的な和声、拍に収まらない不規則かつ流動的リズム・・等を、ジャズやアンビエント等よりも先立って取り込んでいたのも、ドビュッシーを始めとした当時の作曲家です。
勿論そんな彼らも、所謂「独墺系クラシック」を見てきた(ディアトニックや機能和声を学んできた)上で、それらとは違う近・現代の音楽に至った訳ですから、そういう意味で「独墺系クラシックがベース」言っても必ずしも間違いではないのですが。
ただ、今となっては、「ロマン派以前の音楽理論」だけを学ぶというのは、表現的にも偏っていますし、かなり無意義としか思えません。たぶんそんなものだけ学んでも、少なくとも現代においてはろくな音楽は作れないです。今の日本の作曲家達がいい例です。
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芸術音楽としての役割は大きなものがありますが大衆音楽としてはせいぜい半分ぐらいしか機能してません



弱いのがリズムです

音楽ジャンルとして特に優れたものとは言えないです
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この回答へのお礼

お忙しい中回答ありがとうございます。

確かに仰る通りリズムはかなり異なるものがありますね。

もちろんジャンルにもよるのでしょうが、現在の日本の歌謡曲(あまり個人的には聞かないのですが・・・)を耳にすると繋がりが弱いのはうなずけます。

クラシック=全ての音楽の原点だとクラシック好きの母に言われてきたもので質問させて頂きました。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/21 12:33

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