以前、ここで、同じ問題について質問させて戴きました。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7314759.html?best_fl …
その時、siryuanさんからの回答の中で、『あらゆる存在には実体が無く、空であり無です。でも、この事を正確に解説している書物など有り得ません。何故なら、空や無を概念として捉える事も、正確に表現する事も出来ないからです。もし本当に知りたいなら、書物によって知識を得るのではなく、自分自身で真実を見極めなければならないのです。』とのご回答が寄せられました。
そこで、教えて戴きたいのですが、『自分自身で真実を見極める』には、どうすれば良いか、お教えいただけると、その教えを実践してみたいと思います。
もし、この質問が、siryuan様のお目に留まれば、是非、お教え戴けますよう、よろしくお願い申し上げます。
この質問は、本当なら、あの時にしておけば良かったのですが、どういう訳か、あの時は、空無性へのsiryuan様のご回答に感じ入るばかりで、本日の質問の点については座禅でもすれば良いのだろう、ぐらいに勝手に思い込んでいて、『自分自身で真実を見極める』には具体的にどうすれば良いか、改めて再質問する事を思いつかないまま質問を締め切ってしまい、それ以来、その事を後悔し、悶々としていましたが、本日、思い切って再質問させて戴きました。
どうぞよろしくお願い申し上げます。
A 回答 (11件中1~10件)
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No.11
- 回答日時:
>そこで、教えて戴きたいのですが、『自分自身で真実を見極める』には、どうすれば良いか、お教えいただけると、その教えを実践してみたいと思います。
○簡単なことですよ。まずあなた自身がなにものであるかを知れば良いだけですね。
方法は、あなたの心に浮ぶ考えを1秒ごとに書き連ねてご覧なさい。それを何日か続けて見直すとあなた自身がなにものであるかがわかります。肉体的見かけや生存環境ではないのですね。あなたは日々あなたが発する考えかたがあなた自身であるということですね。
それであなたが何者かがわかればそれを推し進めると何をしなければいけないかがわかるでしょう、
空とか無というのは、何十年も続けると過去のことが本当に自分の考たことであったかどうかさえ怪しくなるという意味ですね。あったことさえ怪しくなる、そう言う世界観のことですね。
死ねば肉体もないのでこの世界の肉体的生存も無いのでこの世界など存在しないと同じですね。
まあ、やってみればわかりますよ。
No.10
- 回答日時:
自らの内に虚偽や矛盾があるならば、ひとつひとつ丁寧に問題解決に取り組む。
都合の悪い事から逃げない。安易に妥協をしない。誤魔化さない。多少しんどくても、自分の事は自分でやる。自分で決断し、責任を持ち、他人任せにしない。依存しない。何が必要で、何故、必要なのか、当たり前の事が、何故、当たり前になっているのかを考える。因果関係の追求に慣れ親しみ、なるべく自力で答えを出すようにする。もちろん必要があれば他人から学ぶ。そして純粋に、無垢に、自分らしく生きていく。
うん、まあ、具体的ちゅーても、特別な事は何も無いですな。
人生は様々な出来事が複雑に絡み合って成り立っているのですが、個々の出来事がどう繋がってくるのかは、誰にも分かりません。でも、ちゃんと自分らしく生きていれば、必要なものは揃う様になってます。それをワクワクしながら楽しむのが人生の醍醐味って奴です。
もし何か違うな~とか、必要なものが揃ってないな~と思ったら、ちょっと立ち止まって振り返り、道を踏み外していないか、本当にこのままで良いのかと、自分自身に尋ねてみる。気に入るかどうかは問題じゃありません。自分にとって嫌なもの、嫌いなものでも、必要になる事がありますからね。
人生の主役は自分自身。アンテナをビッと立てて、目を見張って、目を見張って、歩いてく。それだけ。やる事やったら、後は弥陀にお任せする(笑)
他の方へのお礼文で「座禅を始めようと思いながら、怠けていた」と仰ってますけど、それは怠けじゃなくて、単に今は必要ないってだけの話じゃないですかね。特に必要なければ、必死になれないのは当たり前ですし、実際、念仏や坐禅が必要な人なんか、滅多に居ませんよ。
人が本当に真実を渇望する時ってのは、虚偽や矛盾に殺されかかっている時だけです。ここまで行かないと念仏や坐禅という救いの手段が必要にはなりません。
単に趣味として禅を嗜むならいいけど、変な色気を出したり、小賢しい損得勘定で首を突っ込むと、後々禅から仕返しされまっせ。
何度も質問にお答え戴き、ありがとうございます。
自分を誤魔化さず、怠けず、真剣に生きて行く、という事ですね。
「存在の空無性」については、その後も、いろいろな本を読んだりしましたが、なんだか、ますます分からなくなってくる様な気がしていて、同時に理屈の追求に少し疲れて来たようなので、一旦、頭の中の理屈は置いといて、この大宇宙の中に抱かれている自分と言うものを、大宇宙との関係の中で捉え、感謝し、全てを大宇宙にお任せする心境に浸るようにするのが良いのかな、と思ったりしています。
いずれにしても、全てに真剣に向き合って生きて行く、ということは大事にしなければいけないと思いました。
>「座禅を始めようと思いながら、怠けていた」と仰ってますけど、それは怠けじゃなくて、単に今は必要ないってだけの話じゃないですかね。特に必要なければ、必死になれないのは当たり前ですし、実際、念仏や坐禅が必要な人なんか、滅多に居ませんよ。
人が本当に真実を渇望する時ってのは、虚偽や矛盾に殺されかかっている時だけです。ここまで行かないと念仏や坐禅という救いの手段が必要にはなりません。
⇒これをお聞きして、なんだか少しホッとした感じです。
>単に趣味として禅を嗜むならいいけど、変な色気を出したり、小賢しい損得勘定で首を突っ込むと、後々禅から仕返しされまっせ。
⇒変な色気は出さないようにしたいと思います。
いろいろ、教えて戴き、ありがとうございました。
No.9
- 回答日時:
個人的には、「無」や「空」を知ったのではなく、それらの逆
=存在の本質を確定しようとする努力が、原理レベルで否定
された結果としての認識です。
現象レベルで相対性理論において絶対時空が否定され、
原理レベルで不確定性原理において先入的実体が否定され、
認識レベルで不完全性定理により論理構造の完結性が否定され、
美しく相殺されたのです。
確かに、「存在の本質はこれだ」と言う風に、確定されてはいませんね。
まさに、人知の限界、という事ですね。
不完全性定理は、初めて知りました。
教えて戴き、ありがとうございました。
ご回答、ありがとうございました。
No.8
- 回答日時:
>「座禅をしなさい」ということになるのでしょうか?
そうですね。
siryuanさんは考えた理想の生き方はないと、言っているのではないでしょうか。
座禅は考えから離れます、霧に隠れた羅針盤。
http://www.geocities.co.jp/suzakicojp/seihou.htm …
http://www.eonet.ne.jp/~sunamori/daruma.htm
再度のご回答、ありがとうございます。
また、2つのサイトをご紹介下さいまして、ありがとうございました。
1年前も、座禅を始めようと思いながら、近くにしかるべき所がないなどの理由から、怠けていました。
楽して手に入れたいと思う、怠け心があるようです。
そんな状態では、悟りなど、程遠いですよね。
siryuan様も、そこの所を『心底から真実を渇望するなら、それは必ず与えられます。・・・でも、自らの内に虚偽や矛盾を抱えながら真理を求める事は出来ないし、ろくすっぽ捜しもしないなら与えられる訳もない。』とご指摘されているような気がしてきました。
真剣に反省しなくては、と思います。
お恥ずかしいかぎりです。
ありがとうございました。
No.7
- 回答日時:
念仏や坐禅で一切皆空と分かるなら、世の中悟り人でいっぱいになっている筈です。
でも、実際には分かってる人なんか全然居やしない。空無性という真理が難解で、極一部の天才的頭脳の持ち主にしか理解出来ないのであれば、そういう事もあるかも知れない。
でも、実際には「どう見えようが無いものは無い」という、たったそれだけの単純な理屈だったりする訳です。
周利槃特(チューダ・パンタカ)という、愚かで頭の悪い(と言われた)人でも阿羅漢になれた様に、本来の仏教は難解な理屈を説くものではありません。
真理は単純。でもそれを悟る人は滅多に出てこない。それは何故かと言うと、みんな本当は真実なんか知りたくないからなんですよ。
人々が欲しているのは都合の良い理想であって、厳然たる事実では無いんです。
心底から真実を渇望するなら、それは必ず与えられます。それは己の内にあるものなので、捜せば必ず見いだせます。
でも、自らの内に虚偽や矛盾を抱えながら真理を求める事は出来ないし、ろくすっぽ捜しもしないなら与えられる訳もない。
自分自身で真実を見極める為の具体的な方法論は、畢竟、どう生きるかの話になるのです。
この回答への補足
siryuan様、私の質問にお気付き戴き、ご回答下さいまして、ありがとうございます。
もう一点、お教え下さいますでしょうか?
>自分自身で真実を見極める為の具体的な方法論は、畢竟、どう生きるかの話になるのです。
⇒「どう生きるか」、もう少し、詳しく、具体的にお教え戴けないでしょうか?
例えば、どんな風な生き方をすべきか、など、など。
せめて、少しのヒントでも。
よろしくお願い申し上げます。
No.5
- 回答日時:
この動画の中で語られています。
URL:
この体験は『見性体験』です。
判りやすく書くなら、自我意識は有限の存在です。『我を張る』という場合では自我意識が、我を張っている事を意味します。
この我を張る相手が『右脳の意識=仏性』です。自分の心が自分の心と言い争いをしている訳です。自我の機能は未来と過去を、主に担当しています。それも理論武装してです。ですが自我の世界では『不確定要素がある場合では、結論が出ないように仕組まれています。』何故なら、割り切れない問題を解く機能が無いからです。
従って『明日の事を思い煩う事』が自我の機能という事になります。ですが『明日の事を思い煩う人』は少数派です。
この人と結婚をしたら幸せに成れるのか?という場合に『端的に表れています。』右脳は直感で物事の判断が出来ます。一瞥しただけで、全てを把握する力があります。
結婚生活には『不確定要素だらけですが、』右脳の考えを知って、結婚の約束が成り立つ場合では、おおむね失敗がありません。まるで運命の赤い糸の存在を思わせる』付き合いになっています。
この反対の場合では、金や私利私欲や欲と得や、見得が入り混じった『自我の働き』出決断する事になります。
『本当の自分の声が反映されない事を意味します。』一緒に暮らし始めてから、当てが外れる事の多さに気が付く事を意味します。この場合では『必要以上の努力が必要とされて、同じ幸福感を味わう事になります。』
人間の(自分の)本当に求めるべきものが、お金や地位や財産なのかという問題が試されています。
この動画が示している、本当の意味は、肉体や目に見えるものは『人間が見ている幻影』という意味があって、目に見えないとしても、『自分が本当に望むもの』は、少なくとも『争いの中で、お金や地位や財産を獲得するものではない事』を示唆しています。
右脳の意識は、仏性や神を意味します。その存在は『永遠で出来ています。』その事が判る事を『見性成仏』といいます。
人間は『意識の根底=脳梁』の中で、会話をしています。この会話に違和感を抱く場合に『漠然とした不安』を感じています。是は二つの意識のずれや、機能的な、矛盾を感じています。つまり『心の矛盾』を漠然とした不安や、罪悪感として感じています。
それも『四六時中』です、是が高じた場合には『一切皆苦』の世界に入ります。意識地獄の世界です。
この世界観は『頭の中で作り上げた世界観です。』現実の世界とはかけ離れています。ですが本人には『この頭の中の世界が真実の世界に感じられています。』
頭の中の世界は、『妄想で出来ています。』
ですが真実の世界と、妄想の世界は重なり合っていて、その境目がありません。その事に気が付いた貴方は『自分自身で真実を見極める』にはどうすれば良いかと質問しています。
現実の真実の世界と、頭の中の世界が一致する時がその時ですので、一つの方法を書いてみます。
仏性は今現在の全ての情報を端的に伝えています。妄想が湧き上る発端は『自我が分別意識をもたげるときです。』
心に湧き上る感情を湧き上がらせる『情報を受け取る』丁度その時、『好きと嫌いの心を捨てて』その情報を受け取る事です。
分かり易い書き方をするなら、『湧き上る感情に、』良し悪しを付けない事です。『湧き上る感情をそのままにしておいて、只感ずるままにしておく事です。』
此処が判るなら『湧き上る感情に流されない人間性が出来上がります。』良い事を喜び過ぎないで、悪い事に落ち込み過ぎない事が大事です。
良い事と、悪い事と差別する事がなくなるなら、真実の世界は近くなっています。
良いの悪いのという、差別する心が、良い事を遠ざけて悪い事を近ずけています。
安心したい心は不安や恐怖心を呼び寄せています。
不安や恐怖を避けたい心が、地獄の釜に縛り付けています。
安心したい心を捨てた時『地獄は消滅しています。』
地獄に入る決心をした時『天国の中にいます。』
天国も地獄も頭の中で、自分で勝手に作っていた事がわかる時とは、感情を湧き上らせている者と出会う時です。この動画が示しています。
全てを諦めた時に、右脳の意識が自分を救ってくれます。一番厭な事を受け容れた時です。この動画では『自分の人生に終わりを感じて、全てを諦めた時です。』
生きながら全てを諦める場合では、禅問答を解く事で可能となります。何故なら禅問答は左脳の機能では解くことが出来ないように仕組まれているからです。自我意識には出来なかった事がわかる時、変わって問題を説いて切れる事になっています。
もう一つの方法は、神経症や心を病む場合や、自律神経失調症などになった場合です。心の矛盾の産物が症状名になっているからです。この場合では『症状を受け入れる時』完治します。それが悟りの効用です。
ご回答、ありがとうございました。
ジル・ボルト・テイラー博士のサイトを教えて戴き、大変ありがとうございます。
大変参考になりました。
>妄想が湧き上る発端は『自我が分別意識をもたげるときです。』
>『湧き上る感情に、』良し悪しを付けない事です。『湧き上る感情をそのままにしておいて、只感ずるままにしておく事です。』
>良い事と、悪い事と差別する事がなくなるなら、真実の世界は近くなっています。
>良いの悪いのという、差別する心が、良い事を遠ざけて悪い事を近ずけています。
>安心したい心は不安や恐怖心を呼び寄せています。
>不安や恐怖を避けたい心が、地獄の釜に縛り付けています。
>安心したい心を捨てた時『地獄は消滅しています。』
>良い事と、悪い事と差別する事がなくなるなら、真実の世界は近くなっています。
与えられる出来事に、好きの嫌いのと、意味づけせずに、例えば病気で体が痛む時でも、それを不快と思わずに、痛みは痛みとして、そのままに、ありのままを、そのままに受け入れる、ということが大事だと言うことかと、理解しました。
でも、なかなか出来ませんけど、・・・。
努力してみようと思います。
No.4
- 回答日時:
此の法門の中無障無碍なり 外一切善悪の境界に於て、心念起こらざる。
内に本性を見て乱れざるを禅と為す(『六祖壇経』)「「そのまま、座っていれば、法(空)は向こうから遣って来ます」」、法に気づく(自覚・直観)気づかない人もいるようです。
法とか空は分別理屈で判るものでも掴むものでもないはずです、座禅により全ての分別理屈から離れた瞬間
外と内が一定になる(無障無碍)自己即宇宙 自己即諸行無常
でも私たちは分別(煩悩)の世界で生きていかなければなりません、分別の世界は差別、矛盾の渦巻く世界です
分別は人間の本質ではないでしょうか、人間の本質も諸行無常と直観した時、煩悩渦巻く世界が
そのまま肯定出きるのではないでしょうか。
空無性は・形がないと言う事です=(無障無碍)隔てるものがない
禅の公案は理屈を壊すように出来ていますから、理屈を言わなければ解けます
>『あらゆる存在には実体が無く、空
即非の論理 AはA非 Aである A=A非
今の私60歳(A)は過去の私20歳(A非)でない が私である
草Aがある 誰かが食べる 誰かが排泄A非する
この回答への補足
「『自分自身で真実を見極める』には、どうすれば良いか」と言う私の質問に対するお答えとしては、結局、「座禅をしなさい」ということになるのでしょうか?
補足日時:2013/03/03 13:15No.3
- 回答日時:
書いてまとめていましたが、あまりにも長くなりすぎるので要点だけ。
自分が求めているものは、自分で積極的に探してやっていくしかない。
やってみてやり続けることで、自分の体験と感覚からしか得られないので。
やり方は、すでに世の中に数多く出ていますので自分が必要なものを選んでいく。
必要そうだと思ったやつは、やってやってやりつくして本質を知っていく。
知識(頭)と気持ち(心)と事実が一致していなければ、自己内部に矛盾があるので
徹底して掘り下げていきます。
自分自身を掘り下げて自己を理解し、矛盾点がなくなって行けば
その過程で感覚で概念を掴めるほどになっています。
「このやり方・これをやれば分かるようになる」などはなく、理解しようと努めることと
やり方が自分に必要なもの(人によって違いが出るので)になります。
やり方を探して学ぶだけでなく、知識として足りない所も補う必要も出ると思います。
その時、自分の足りない物(情報など)は自分でしか分かり得ません。
自己の再構築をやっていくことになりますので、じっくり取り組んで行くのと
急いで答えを決めてしまわないことが大切です。
小さなコペルニクス的転回を何度もおこしながら進んで行くと
考え方が根底からひっくり返るほどの大転回がおきていきます。
そんなこんなを積み重ねていくと、無も空も釈迦は何が言いたかったのか
何を示したかったのかを感覚として掴み取れるところまで掘り下げたとき分かります。
長い旅のようなものですから、急ぐと囚われるのでゆっくり進んで行くといいと思います。
答えは、誰しもすべて自分の中に持っています。
それを探していくだけです。
>自分で積極的に探してやっていくしかない。
やってみてやり続けることで、自分の体験と感覚からしか得られないので。
>「このやり方・これをやれば分かるようになる」などはなく、理解しようと努めることと
やり方が必要。
>じっくり取り組んで行くのと急いで答えを決めてしまわないことが大切です。
>長い旅のようなものですから、急ぐと囚われるのでゆっくり進んで行くといいと思います。
じっくりと、あれこれ試行錯誤して行こうと思います。
ご回答、ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
ちょっと質問からは外れますが、
そもそも「空(くう)」とは、仏教用語であり、今目に見えている物も、いずれ風化し実体を失うという意味です。
未来永劫原型をとどめ続けられるものはない、という考え方です。
だから目に見えるものに執着しても、意味無いよ、と言っているのです。
仏教の専門書には「空」に関する記述がたくさんありますし、経典にも登場します。
「無」はまったく違う解釈です。「有」に対しての「無」なので、単に「無い」ということです。
「空無性」という言葉が誰によって作られたか知りませんが、
いずれ無くなる、という意味合いで使っているのでしょう。つまりは「空」です。
それは一見、精神世界の話のように聞こえても、そうではありません。
極めて現実的なことを、少々悲観的に表してるだけです。
つまり「空」は体感するものでなく、理屈です。
それほど深く考えることではないと思いますが、
興味がおありでしたら、仏教の専門書を読み漁ってください。
>そもそも「空(くう)」とは、仏教用語であり、今目に見えている物も、いずれ風化し実体を失うという意味です。
>興味がおありでしたら、仏教の専門書を読み漁ってください。
そうします。
ご回答、ありがとうございました。
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