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新聞が自己の主張をすることはある程度仕方がないことですが、その公共性ゆえに最低限の公平性・信頼性などなどが必要だというのは恐らく誰もが異論は無いのではないでしょうか。では、2月20日の産経新聞のコラム「産経抄」はどうでしょう?友人には「右寄り」と言われる僕でも完全にアウトだと思います。ネットで簡単に見られますのでどうかご意見をいただきたいです。

以下一部抜粋します
>アメリカの方に大義がないとするとイラクに大義があることになってしまう。フセインの独裁やクルド人虐殺は大義や正義かい
誰がそんなことを言っているのか?「アメリカに大義が無い→フセインの「抵抗」に大義がある」となるならわからんではないですが、記事が言っているのは「アメリカに大義が無い→フセインの「平時における独裁・虐殺」に大義がある」などとふざけたことを言っている・・。

>大義があるかないか、どっちに大義があるかなどという議論は意味がない。戦争はどっちもどっちなのさ。だれもが自分の方に大義があるという。
これは結果のみを述べているだけだ。結果としてはそりゃあ湾岸戦争におけるイラクにだって理屈はあっただろう。しかし過程の段階で大義を一切考えないというのはあり得ない話だ。だいたい明日北朝鮮が「占いで今日は何事もうまくいくって言ってた♪」なんぞの理由でテポドンを打ってきてもそれを当然だと受け止めて一切の抗議をしないのか??

というわけでかなり情けない気分になっているんですが、皆さんはどう思いますか?念のため産経新聞のサイトで確認してからお考えをいただきたいです。http://www.sankei.co.jp/news/040220/morning/colu …

A 回答 (17件中1~10件)

大変遅くなりもうしわけありません



質問→この主張を多数派の子供読者は理解できないので『逆効果』ではないか?「新聞」たるものそこを最も意識すべきではないか?

私の考えは「そうは思わない」です。でも質問者さんのような意見もアリでしょうね。要は人によって見解が分かれる問題ということでしょう。
当初の質問から波及して「メディアはどうあるべきか」論ですね。これも興味のつきない重要なテーマですね。

まず質問者さんの次の指摘
>現に回答をいただいた方は「ほとんど」「このコラムのみ」では「大義は全く不要だ」と解釈されている(またはそういう理解も可能であるとの解釈)ものと思う

現に#14の方は「大義は不要」と解釈されていますよね
しかし、回答の多数派はどうでしょう。「大義は不要との理解も可能である」といっているだけ(あくまで可能であって「そう理解するのが自然」ではないですよ)で、むしろ以下のような論調が主流ではないですか
emsdさん (このコラムが大義は不要といっているのか必要といっているのかと問われれば)「建前の大儀を論じても仕方ないが、コラムには書いていないものの、戦争目的という本音の大儀は必要です 」:()内は私の補足「」内はemsdさん
私 「大義を議論するのは意味がない(大義そのものに意味がないといっているのではない)」

多数決でどちらが正しいか決めようというのではないですよ。いいたいのは、質問者さんは「このコラムは逆効果であり、新聞として最も意識すべき「現実の厳しさに触れにくい主婦やおっちゃん」を惑わすのではないか」と感じ、私は「多数派の読者に逆効果を与えるほど有害なコラムであったとは思わない。主婦やおっちゃんも含めて読者の多数はコラムの主旨を理解したと思う」ということです

メディアの質を問うことは、国民の質を問うことです(#13の回答も同主旨と思いました)。民主主義が根付いていない国ではメディアは国家が統制します。民主主義が確立すれば「報道の自由」「表現の自由」が守られます。また、民主主義は多様な価値観を相互に認め合い、議論するものでもあります。いろいろな主義主張をもった論説、硬軟さまざまな表現があってこそ民主主義が成立し、メディアの受け手である我々もまた、いろいろな解釈をする人や理解度の優れた人、劣る人がいてこそ民主主義が成立するのではないでしょうか。
「しかし新聞は公器であるから、誤った極論をふりかざすのは社会への害悪である」ことはいうまでもありません。だが、今回のコラムが「誤った極論が世間の無知な大衆の反感を買い、彼らを左寄り(というより理想主義的エセ平和?)に向かわせてしまうのではないか」というのは杞憂でしょう。私はそんな心配はないと思いますし、今回のコラムの表現は新聞として許される範囲でのおちょくりや態度であると思います。

私は「メディアリテラシー」が重要だと思います
メディアリテラシーとはメディアの受けて側に必要な選択眼や情報分析力といったらいいでしょうか
民主主義を維持するにはメディアの役割は不可欠ですし、表現の自由がある以上、いろいろなメディアが乱立し、中には低俗で誤った情報を流す場合もあります。だからこそ、受け手側には、優劣さまざまな質の報道を選別し、咀嚼し踊らされることなく自分の考えを持てるような能力を身につける必要があると思います。
その意味で、一般の、ごく普通の人々がもっとメディアリテラシーに関心をもってくれたらいいと思います。今回のご質問者さんも、きっとメディアリテラシーについてご興味があるのではないかと思います。なぜなら、今回のこの質問&回答のような議論こそ、メディアリテラシーを身につける最も実践的な方法のひとつだからです。
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この回答へのお礼

>(あくまで可能であって「そう理解するのが自然」ではないですよ)
おっしゃるとおりです・・!!無意識に自分の都合のいいように解釈していました・・。お恥ずかしい・・・・。
>メディアの質を問うことは、国民の質を問うことです
まったくもってそのとおりだと思います。NEWS STATIONを見て全てを知ったようなことを言う人が周りにもいますが、この言葉を聞かせてやりたいです。
>なぜなら、今回のこの質問&回答のような議論こそ、メディアリテラシーを身につける最も実践的な方法のひとつだからです。
本当にまったくもって非常に(笑)共感します。それに単純に全ての基本であるコミュニケーション能力の鍛錬にもなりますよね。
>多数決でどちらが正しいか決めようというのではないですよ。
えと、僕もあくまで解釈ですので「正しい」を決めたいわけではありません。単純にどう解釈する人が多いのかを知りたかったんです。
>いいたいのは、質問者さんは「このコラムは逆効果であり、新聞として最も意識すべき「現実の厳しさに触れにくい主婦やおっちゃん」を惑わすのではないか」と感じ、私は「多数派の読者に逆効果を与えるほど有害なコラムであったとは思わない。主婦やおっちゃんも含めて読者の多数はコラムの主旨を理解したと思う」ということです。
端的に質問に答えていただいてありがとうございます。でも、(まあここのような話ではなくて「アンケート」に近い話でしたので)勿論あくまでも到底統計などと言えたものではありませんが、周りの人にもちょっと見てもらったところやっぱり僕側の解釈の方が明らかに多いんですよね(11人中七人・「よくわからない」と回答棄権二人)・・。ちなみに母親は激怒でした(笑)。それでも回答者さんのようにきちんと理解されている方の判断は真摯に受け止めなければいけないと思いました。

最後に
拙い質問に過不足無く端的にお答えをいただけたことに感心しました。相手の質問に答えながら且つ自分の主張もしっかりとしていらっしゃいますね。自分はどうも考え無しに(むしろ反射?)動くところがありますので見習わないといけないと強く思いました。今回の質問内容にとどまらず勉強になりました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 02:34

#13です。



>もし何かおっしゃりたいことがございましたらよろしくお願いいたします。

私が書かせて頂いた文章を全て読み返し、”回答”という枠内で説明差し上げるべき点は全て書いてあることを確認致しました。この先は見解の表明になってしまい、教えてgooの主旨に沿わない内容になってしまうのでご挨拶だけ申し上げます。

長い文章にお付き合いいただき有難う御座いました。
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#11です


再度、お声かけいただいたので回答します

しかし、今は時間がないので後刻送信します

ですからいましばらく締め切らないで下さい
(勝手いってすみません)
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この回答へのお礼

とんでもないです。お忙しい中本当にありがとうございます。tama4622さんが御回答下さるまでいつまででもお待ちしますので、どうか急がれないで下さい。全く急ぐような内容ではないですし。

お礼日時:2004/03/15 10:31

コラム読みました。



内容からすると「戦争に大義はいらない」というコラムですね。

「大義」を言い出したのはアメリカであるのですから、そこを追及する人(コラムでは管さん)を馬鹿にするのは筋違いですね。

「国益」のためなら戦争OKという結論に持っていくあたりは「現実的」ですが、マスコミの姿勢としては最悪ですね。「戦争して良い!」なんて報道は新興宗教の教祖・信者が「ポアの正当性」を語っているのと同じですね。
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この回答へのお礼

僕も他の記事を読んでみてさらに「よくよく」読むと「戦争に大義はいらない」とは言い切っていないと思いましたが、最初は回答者さんのように思いました。

僕と回答者さんの解釈のどちらが正しいのかはわかりませんが、少なくとも「表現」はもう少し考えて欲しいなと思います。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 02:39

>「回答者さんは大人で



はあ、34歳は確かに子供では許されない年齢ではありますね。社会的責任を負う年代として責任ある回答申し上げます。

>この主張を『多数派』であろう『僕のような子供読者は』きちんと『理解できるか?』特に若年層・主婦層は危険。若年層はまだ社会に出ての経験が乏しいし主婦層は現実の厳しさに生活上触れにくい。

「誤解してしまう可能性」はあります。そういう意味では懸念されている弊害は起こりえます。た・だ・しこれは年齢や性別、職種を問わず起こり得る可能性があります。主婦や学生(小中学生には難しいかな...)であっても、正しくメッセージを受け止められる人はいますし、私と同年代上の社会人でも誤解する、理解出来ない人はいるでしょう。

ここからは少々厳しい事を申し上げる。結論を言うと、理解出来ない人たちに必ずしも合わせる必要はありません。なぜか?理由は2つです。

1)新聞は公器である事は間違えありませんが、本コラムの主旨はあくまでも”本質を見極めよ”と言っており、それこそが本来伝えたいメッセージなのです。表現自体も大切という場合も往々にしてありますが、言葉の定義ばかりに拘泥されると、本来の主旨がぼやける可能性があります。

もし今回のコラムで、”大儀とは本来...”という文章が加わると、単語選択の適切性を批判する内容にもなりかねない。そうなると、今回の主旨が不正確な表現に対する批判なのか、本質を突かない建前のスローガンの妥当性にばかり時間を浪費する事への批判なのか、論点がぼやけますよね?

2)説明に”真実”という劇薬を使わせて頂きます。新聞の記事にしろコラムにしろ”情報”です。これだけは絶対に忘れないで下さい=情報は人を選びます。受け入れ準備が整っていない人の所を、情報は素通りしていきます。

平沼騏一郎首相が独ソ不可侵条約締結に際し「複雑怪奇」の声を残し総辞職しましたが、実はドイツが開戦準備をしている可能性ありとの情報は当時日本にも一部伝わってきていました。しかし、その情報は当時の日本の首脳をよけていってしまったのです。理由は、受け入れ準備が出来てなかったからです。

新聞のコラムと外交情報を一緒にできるわけないじゃないか、と思われるかも知れませんが、両方共”情報という生き物”である事には変わり無く、準備が出来ていない人間を素通りして行く事に違いはありません。
この様に書くと、じゃあ準備出来ていない人の所でも立ち寄ってくれる情報を発信してくれれば良いじゃん、とは言わないで下さいね。情報の質が低下しますから。(読者に迎合するしか能が無い新聞より、斬新かつ正鵠を得た論評を掲載する新聞社の方が良いでしょう?)


なぜ、この様に厳しい意見を申し上げたかというと、日本は民主主義国家だからなのです。民主主義では、国民一人一人の選択が国の運営方針を決めます。だからこそ、愚衆政治になら無い様にするには、みんなで難しいことであっても知恵を絞りあわなければならないワケです。みんなが新聞のコラムの主旨も分からないような国では将来思いやられるでしょう?

要するに、みんな自分の故郷は好きだよね?だったら理解力つけて、難しい状況になってもみんな適切な選択肢を選ぼうよ、という事です。実は、この文章そんなに難しくないんだけどな...というニュアンスも含ませてます(バカにしてるんじゃないですよ?)。

但し、疑問を疑問に終わらせない姿勢は非常に好感を持ちますので是非維持してください。非常に大切なことですから。

補足です。
>理想的解決方法を探る→できない→現実的解決方法を探る。

これはcase by caseですね。”理想的”というのは絶対的なものでは無く、価値観によって左右されてしまう相対的なものですから。
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この回答へのお礼

>じゃあ準備出来ていない人の所でも立ち寄ってくれる情報を発信してくれれば良いじゃん、とは言わないで下さいね。情報の質が低下しますから。
「準備」の内容にもよるでしょうが、回答者さんはこの表現でなければ論点がぼやけてしまうと感じておられるようですね。やはり僕はもっと平易な文章で表現できると思っていますのでそうは思いませんが、そのあたりは読解力と感性の違いだと思いますので特には触れずにおきます。ちなみに僕は「準備」とは「最低限の知識・文章読解力」であって「高度な知識・文章読解力」ではないと思っています。新聞は文学である必要は全く無いわけであって、特に奇抜だったりセンスのある表現を求められるわけではありません。それに国語のテストでもありません。であればなるべく平易な文章でお願いしたいものですし、その能力もあるはずです。

>「みんなが」新聞のコラムの主旨も分からないような国では将来思いやられるでしょう? 実は、この文章そんなに難しくないんだけどな...というニュアンスも含ませてます
このコラムは例外だと思います。「新聞のコラムの趣旨も」と軽く片付けられるようなものではない難解な(?)もののように思います。現に回答をいただいた方は「ほとんど」「このコラムのみ」では「大義は全く不要だ」と解釈されている(またはそういう理解も可能であるとの解釈)ものと僕は考えています(でももっと読解力を高めねばとは常々思います。情けなや・・)。

>但し、疑問を疑問に終わらせない姿勢は非常に好感を持ちますので是非維持してください。非常に大切なことですから。
ありがとうございます。面と向かってならいいんですが、掲示板には慣れないものでちょっとおよび腰でした・・(笑)。
>読者に迎合するしか能が無い新聞より、斬新かつ正鵠を得た論評を掲載する新聞社の方が良いでしょう?
そうですね。ポピュリストは非常に危険だと思います。あとちょっと補足すると、「内容」は迎合してはいけませんが、「表現」はひたすらに迎合してかまわないと思っています。
>(バカにしてるんじゃないですよ?)。
こんなに丁寧にお答えをいただけるというだけで回答者さんのお人柄がうかがえますよ。

長い間丁寧なご回答をありがとうございました。大変参考になりました。もし何かおっしゃりたいことがございましたらよろしくお願いいたします。

お礼日時:2004/03/15 18:08

#2です。

分かるまで質問されて結構ですよ?分からないことを質問する場ですから。

>大変恐縮ですが、広義での「国益」です・・。見間違えをされているようですね

例えば、太平洋戦争時で南進政策を取らせたのは、資源の確保という国益の為であり、延長線上には国民の生活保護という大儀がある訳です。つまり、国益:大義=8(7):2(3)というのと感覚的には同じものではないかと判断いたしました、がそれとも違うのでしょうか?一応自分なりに消化してから述べさせていただいた意見です(見間違えではありませんよ)。という事で本題です。

→「故意に茶化した表現だとしても、表現としてあからさま過ぎる」

結論から申し上げると、茶化していません。
但し#3の方との内容も合わせて読ませて頂き得心いたしました。大儀という言葉を軽く扱いすぎ、というのを問題にされている訳ですね?なるほど、そういう視点で見れば、”大儀”をもう少し丁重に扱うべき、という考え方も理解できます。

但し、ここで茶化しているのは、民主・朝日が党利や新聞社の歪んだポリシーで、本来の”大儀”を無視して、自分たちの利益のために使っている”建前の大儀=ニセモノ”を馬鹿にしているのですよ。

このコラムが言わんとしているのは、見せかけのスローガンに騙されるな、本質を見極めろ、という事であり私は、現在の日本にとって非常に健全な問いかけであると感じました。思い出してみてくださいよ、大儀の名をかりて自分のエゴむき出しにやりたい放題やっていた連中がどれだけいたか。私は、関東軍や支那派遣軍の”暴走将校”を始めとした昭和の原理主義軍人、冷戦真っ盛りの時平和を叫んだ”政治カルト運動家”やオウムには共通点があると考えています。

正に絶対正義(オウムは教義や法律)を盾に取り、自由な議論を封殺し国民を思考停止させ反社会的活動繰り返しました。残念ながら”大儀”やそれに類する言葉が彼らによって汚された歴史があると思います。だからこそ、あえてそれらと差をつけるために、(言外のニュアンスになりますが)”国益”という言葉をサンケイは使ったと感じます。考えてみると大儀という言葉には気の毒と感じてしまいますが、一方で国民の目を本質に向けさせるためには、このコラムの様な表現を使わざるを得ない訳です。

>「コラムくらいに反応するな」

コラムにこそ反応しましょうよ。#10の方のご意見に賛成なのですが、一般記事は中立性を要求される内容であり、コラムこそがその新聞社がオピニオンリーダーとして意見を社会に問う場ですので(笑)。

この回答への補足

>分かるまで質問されて結構ですよ?分からないことを質問する場ですから。
ありがとうございます。そう言っていただけると本当にありがたいです。図々しく再度質問をさせていただきます。
>大儀という言葉を軽く扱いすぎ、というのを問題にされている訳ですね?
そうです。まさにそこです。
>国益:大義=8(7):2(3)というのと感覚的には同じものではないかと判断いたしました、がそれとも違うのでしょうか?
補足したいところではありますが本論とはちょっと離れてしまいますので今回は割愛させていただきます。申し訳ありません。
一方で国民の目を本質に向けさせるためには、このコラムの様な表現を使わざるを得ない訳です。
>下記のとおり一般的には逆効果では?


(以下#11さんと共通)
始めに
今回この質問をしたことと、最初に「ズレ」が生じてしまったことの原因が今更ですがわかったように思います。それは「回答者さんは大人で僕は大人になりかけだから」ではないかと感じました。つまり僕はまだ「子供」だったゆえに目先の表現にとらわれてしまい、回答者さんは行間を読んで冷静に判断をされているから生じた「ズレ」だったのだと。

以下まず前提として「日本人」について話をさせていただきます。
日本人は総選挙を見ても北朝鮮問題・不景気を通して随分と「大人」になったと思いますが、やはり「戦後教育の原因もあって甘い(優しい)」国民なんだと思います。ですからまだまだ潜在的に「朝日的思考」を持っているのではないかと。少なくとも僕の周りは圧倒的に僕より左派的思考の持主が多いです。ですから産経のこのような言い方だと「右翼」という評価をされて「やっぱり戦争をやりたい右翼の主張は恐い。これよりは朝日の主張の方が正しい。」などと思われてしまってかえって逆効果ではないのかと。
・・っていうか白状しますが僕もなんですけどね(笑)。僕は根本的には理想家なんです。本気で朝日のような主張(この表現は微妙ですが)が現実であって欲しいなと思っています。でも現実を冷静に考えてみると朝日の主張は無責任だし正義を盾に「嘘」をついている場合もあるし基本的に「自己満足」じゃないか・・。ということで泣く泣く(?)右寄りと言われる主張の方を支持しています。ということで僕の思考順序はこうです。理想的解決方法を探る→できない→現実的解決方法を探る。こんな僕なのでこのコラムの「表現」に「カチン」ときてその反射的効果としてちょっと朝日の高感度がアップしたんです。まあ僕は大人に「なりかけ」ているつもりなので勿論一時的なものですが(笑)。
また、日本人は折衷・中立が大好きです。あちらも立てたいがこちらも立てたいという性格から考えると確かにやっかいな「大義様」でございますが、ほんの一言顔を立ててやっていただきたいのです。全く尊敬していなくても先輩・上司なんかには呼ぶときに「さん」をつけるような感覚です。それだけで円滑に生活できるわけじゃないですか。ちょっと茶化して書きましたが、本気で重要なことだと思っています。この産経の主張を近所のおっちゃんがきちんと理解できるとは思えないんです。

これを踏まえると今更ながらもっといい聞き方があったように思いますので「子供の立場から」再度質問をさせていただきます。
前提確認→僕も回答者さんも基本的な姿勢は「本質としては産経の主張を支持する」ということで同じである。
質問→「この主張を『多数派』であろう『僕のような子供読者は』きちんと『理解できるか?』むしろ『逆効果』と言っていいのではないか?「新聞」たるものそこを最も意識すべきではないか?特に若年層・主婦層は危険。若年層はまだ社会に出ての経験が乏しいし主婦層は現実の厳しさに生活上触れにくい。」

ようやくちょっといい質問ができたような気がします。

補足日時:2004/03/12 07:44
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#3、#8です


質問→「茶化した表現だとしてもあからさま過ぎる」と思いませんか?

答え→いいえ、そうは感じませんでした。でも、それは質問者さんが間違っているわけではなく、私が鈍感なだけかもしれないし、、、。同じ文章を読んでも解釈は人それぞれなんだなあ、と思い、私も興味深かったです。また、質問者さんも冷静に自覚しておられるとおり、ハイ、イイエのどちらかが正しいというものでもありませんね。

ここまでの質問&回答を読んで、私と質問者さんとは決して対立軸があるわけではなく、同一認識を共有できていると思うんですよ。「大義」は必要なものである、イラクへの派遣には基本的には賛成である、朝日や民主が「大義、大義」とわめくのも嫌いである、等々。そのうえで質問者さんがこのコラムに感じた不快感も理解できました。

私は「主張を際立たせるために大義を小ばかにしたりしている」とは感じましたが、「それはいいすぎだろう」とも「大義を完全に無視している」とも感じませんでした。
でも質問者さんは 「その表現が嫌なんですよね・・。 」となったわけです
たとえて言えば、私が「いつもは魚介系ダシの醤油味ラーメンが好きだけど、たまに背油ギトギト濃厚味も食べたくなるんだよね」という好みで、貴方は「塩ラーメン派なので、たまに醤油も食べるけど背油ギトギトは口に合わないので食べない」という違い。私も貴方もラーメン好きということではお互い理解できる、、といったような違いではないでしょうか

>もし質問者さんのように「大義を完全に無視」していると受取った人がいたとしたらそれは誤解だ。>
「このコラムのみ」を読んでどの文章を読んでそう思われたのですか?

鋭いご指摘です。確かにこのコラムの文章だけで「それは誤解だ」とまではいえないかも、、、
むしろ「確かにこのコラムの書き方では質問者さんのように受取る読者がいてもおかしくない」と評すべきだったと思います
質問者さんの
>たった一言でも大義の益について触れていれば僕もここまで「しゃかりき」にはならなかったように思うんです。>
という意見には説得力があります

で、どうして私が「このコラムが大義を無視しているとは思わない」のかを、改めて自己分析してみました
理由1:軽いノリで茶化しながら書かれているので、こちらも軽いノリでサラッと読んでしまい、そこまで深く考えなかった
理由2:「国益を論じて欲しい」と主張せんがために、意図的に「大義があるかないかという議論は意味がない」といいきってはいるが、それは主題を引き立たせるための一種の誇張と思って読んだ。
理由3:文中では「大義は不要」とはいってない。「大義があるかないかという議論は無意味な議論」「大義論は不毛」「大義にこだわるのは空想的平和論と同根」といっている。拡大解釈すれば「大義にこだわるのは愚か=大義は必要だけれどもそれにこだわって国益を見失うのは愚か」と、とれなくもない。だから多分私は心の中で勝手に以下の文章を補足して解釈していたのだろう。「大義も国際世論を納得させるためなど、一定の場面で一定の必要性があることは否定しない。国が戦争をする以上、大義があってしかるべきだとも思う。しかし、いつまでも大義にこだわって結論のでない議論(つまり大義論)を交わしているのは愚かだ」と受取った。
理由4:このコラムが仮にイラク戦争開始前に掲載されたら私も憤慨したかもしれない。しかし、「大義」についてあーだこーだは1年以上長いあいださんざん聞かされてきたあとでもあるし、野党の大義、大義っていうのにも食傷気味だったので、すんなり筆者の誇張を受け入れて「もう大義大義と騒ぐのはいいかげんにしてほしい」と思った。

といったところでしょうか
私も有意義な質疑に参加できて楽しかったですよ
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この回答へのお礼

>文中では「大義は不要」とはいってない。「大義があるかないかという議論は無意味な議論」
確かに大義というものは「議論」には性質からしてなりにくいですね。どうせ分かり合えるはずはないんだから(分かり合えるなら「党」なんか無くなりそうです)「お互い『俺が正しい!お前は間違ってる!』という言いっ放し」くらいがいいんだろうと思います。
>多分私は心の中で勝手に以下の文章を補足して解釈していたのだろう。
理想的なメディアとの接し方だと思います。情報を自分の中で消化できているんでしょうね。尊敬してしまいます。
お詫び
前回最後と言ったのにもう少し質問をさせていただきたいことができました。#12さんへの質問をまるまる伺いたいのです。ここにもまるまる書いてもよかったんですが、全体として読みにくくなりますし長くもなりますので割愛させていただきました。もしお暇でしたらお答えをいただけると幸いです。返信本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/03/12 07:44

社説やコラムというのは、意見を主張する場であり、それに


対して中立性を期待するほうが間違っていると思います。

記事は可能な限り公平性・中立性が求められます。
しかし、社説やコラムは意見を主張する場であり、これらの
文面に、その新聞社の主張が打ち出されるのは当然であると
私は思います。

今回は産経新聞が題材でしたが、朝日新聞にしても同様の
ことが言えます。
朝日新聞が、しばしば叩かれるのは、客観性を必要とする
ニュース記事にまで、自社の主張を盛り込んだ編集をする
ことがあるからです。

産経妙の記事の評価については、私としてはNo.6の方の意見
にほぼ同意します。
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#2&#7です。

お待たせしました。

ずばり結論です。
ここでコラムニストが言っているのは、”タテマエ”の大儀を議論しても仕方が無いでしょう、という事です。しかし、willlyさんが必要と仰っているのは”戦争目的=本音”という大儀ですよね?そこに違いがありはしませんでしょうか?

太平洋戦争を見てみましょうよ。米英は”ファシズムとの戦い”を大儀とし、日本は”八紘一宇”を大儀としていましたが、戦争の本質は日米英という列強の権益確保でした(少なくとも、戦争が始まった原因を突き詰めていくとですよ?日本の戦争目的は資源確保にあったのも事実ですが、経済封鎖の原因になったのは中国での権益確保で米英とモメた事ですよね)。
つまりこの場合、本音は各国とも権益確保で、タテマエがファシズムとの戦いであり八紘一宇となるわけです。(うわーこんな事書くと怒られそうだなー、でも私はサヨクさんではありませんよ、歴史認識に関して議論すると削除されてしまうのでナシにして下さいね...)

今回のイラク戦では、戦争前からアメリカの査察官自ら大量破壊兵器なんて無い!と言っていた訳で、これは大儀といっても”タテマエ”の大儀だと思いますよ。じゃあ本当の戦争目的は?となると、やはり石油の価格、数量の安定の為、石油市場に大きな影響を及ぼしかねない中東の政治的安定を図るため、という事では無いでしょうか?

だから自衛隊の派遣理由でも、「わが国は中東地域にエネルギー供給のかなりの割合を依存しているから」という日本政府の見解は納得できました。

所が、民主党や朝日新聞はどうでしょう。一番国民として議論しなければならないエネルギー政策のことには触れもせず、ひたすら”タテマエ”の部分ばかり「どーなったんだ!!!」と言ってるわけです。

では”タテマエ”としての大儀は不要か?となるとやはり必要です。自分の利権ばかりを主張していると、「利己的過ぎる」と他の国ばかりか自国民すらついてこなくなってしまいますから。だから人類の普遍的利益のために戦うんだよ、という”タテマエ”の大儀は必要になります。

ただし、国家戦略を考える場合、タテマエで戦略の立案なんてできないじゃないですか。しかし、朝日・民主ラインはそこばかり突いてくるわです。この戦争の本音の大儀を理解していてもおかしく無いはずなのに、あえて建前の大儀にこだわる背景には党利党略や朝日がシンパとなっている勢力の戦略といったものが見え隠れしてしまじゃあないですか。本来の戦争目的=大儀が霞んでしまうばかりか、結局自分たちグループの為の議論しかないじゃん、そんなのに時間を何で割かれなきゃいけないの?っていう結論になりますよね?

そこで”不毛な議論”というコラムになったワケですよ。

少なくとも広義での”大義”には国益が過半数を占めるはず、というご意見から考えると、willlyのご指摘されている大儀は戦争目的という意味であり、朝日・民主が主張している建前の大儀では無いと理解しました。

ちなみに、戦争の場合と外交の場合はケースが異なり、外交の場合は京都議定書の様に始めに大儀ありき、というケースもあります。

さて個別に回答申し上げます。

>回答者さんは「国益のために」大義を「必要」ではなく「有用」とおっしゃっておられるのですね?

はい、以上の理由により本音、建前双方の大儀が戦争には必要です。

>とすると産経の主張とは異なるのではないですか?

日経の読者ですが、このサンケイのコラムと同意見で、建前の大儀を論じても仕方ないと思いますが、コラムには書いていないものの、戦争目的という本音の大儀は必要です。

>「独裁・虐殺は大儀」だったとなってしまうという意味なんでしょうか?僕はそうは思わないんですが。

大丈夫です当然そんなモンは大儀になりません。大儀大儀と外に向かって喧伝される大儀は本質では無い、という事の比喩で、これは”白か黒か””+か-か””ありか無しか”という議論ばかりで、中間のグレーゾーンが無い議論では、そんなアホな結論になり兼ねない、という議論の方法そのものに対する批判です。そのままの意味に取らないで下さいネ。

>皮肉のつもりですよ・・。さすがにそこまで救いようの無いアホじゃないです・・。というか冗談でしょうか・・。

スミマセン。どこまでが本気なのかが文章だけからでは判別できませんでしたので、もしかして国家戦略的知見をお持ちで無い場合、説明した方が良いかと思い書かせて頂きました。

>産経があまりにも「公共性ゆえの最低限の公平性・信頼性などなど」についての配慮が足りないと思うからです。

今回の説明でそんな事もないんだよ、という事がご理解頂けましたでしょうか?

>またかなりわかりにくい上に長い永い文章になってすいませんです・・。もっと簡潔にすべきなのはわかっていますが、眠いのでちょっと限界です・・

熱意は伝わってきました。しかし、私も流行おくれのインフルエンザにやられた様で、頭がフラフラしますのでこの辺で限界です。「んー...なんだかわかんない」という事がありましたら改めてご質問下さい。

この回答への補足

返信が遅れて申し訳ありませんでした。
始めに
>少なくとも広義での”大義”には国益が過半数を占めるはず、というご意見から考えると、willlyのご指摘されている大儀は戦争目的という意味であり、朝日・民主が主張している建前の大儀では無いと理解しました。
大変恐縮ですが、広義での「国益」です・・。見間違えをされているようですね。ということでタテマエの方についての話です。

再度簡単に整理します。
まず再度確認ですが、本音としての大義は当然に必要であり、建前よりもかなり重視されるべきであるが(一般的には右派と言われますね)、タテマエを完全に無視するのはだめだ。さすがにいくら産経でも本気でタテマエとしての大義を無視しようとしているわけではないと思う。よって本質的には産経の主張を「支持する」人間です。イラク戦争支持も自衛隊派遣も正しかったと思います。

しかし産経は完全に無視しているととられてしまっても文句を言えない表現を使っている・・というか「表現が」あからさま過ぎ・・。この「表現」についてお聞きします。「故意に茶化した表現だとしても、感覚としてあからさま過ぎる」と思いませんか?勿論「コラムくらいに反応するな」と言われそうですが(同様の題材である2月23日の社説でもやはり少し同様の違和感を感じます)、僕はコラムと言っても週刊紙とは違う(べき?)んだから、またことが人が死ぬ戦争なんだからもうちょっと書き方があるだろうと思います。感覚としては年配の方がキャミソールを見て「下着で出歩くなんか信じられない」と言うような(笑)感覚なんでしょうか?朝日も産経も「しゃかりき」になり過ぎのような気がします。たった一言でも大義の益について触れていれば僕もここまで「しゃかりき」にはならなかったように思うんです。時間がたって今は随分落ち着きましたが。

(本当に)最後に
最初の質問で下手に文章を引用して考えを述べたために回答者の方々に誤解を与えてしまい長い「議論」になってしまいました。回答者さんのご意見に9割方賛同しています。もう一度誤解を招かないように端的に質問をしたいと思います。なお、いい加減皆様にご迷惑をおかけしているのも重々承知しているので
「はい」や「いいえ」の単語のみで本当にけっこうですのでそこまでお付き合いをお願いします。結果はわかっていますが、ちゃんと終わらせたいもので。
質問→「故意に茶化した表現だとしても、表現としてあからさま過ぎる」と思いませんか?「感覚」でお答えください。

以下は直接は今回は無いので無視してください。
>では”タテマエ”としての大儀は不要か?となるとやはり必要です。自分の利権ばかりを主張していると、「利己的過ぎる」と他の国ばかりか自国民すらついてこなくなってしまいますから。だから人類の普遍的利益のために戦うんだよ、という”タテマエ”の大儀は必要になります。>国家戦略を考える場合、タテマエで戦略の立案なんてできないじゃないですか
タテマエで戦略の立案は確かに無理です(カードとしてはありですが)が、むしろタテマエは主に国内向けに必要なんだと思います。それはまず国内選挙においての特に無党派層などはタテマエを重視することが多いと思うからです。田中真紀子氏に人気がある(既にあったと言えるかも知れないが)くらいですからねぇ。

インフルエンザのなか本当にありがとうございました。お大事に。早期の回復をお祈りしております。

補足日時:2004/03/11 01:37
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#3です


お礼を読んで質問者さんのいいたいことはよく理解できました
質問者さんの考えがわかってみれば、#3の回答はある意味失礼な回答でした。申しわけありません

さて、本題です
質問者さんはコラムを「大義不要という主張をした」と受取られた
私は「いつまで大義大義と不毛な論議を続けるのだ、いいかげん国益を中心に論じて欲しいものだ」と受け取りました

以下、敢えて(私はサンケイは好きではありません
が)このコラム作者を擁護してみます(以下コラム作者=私)

私は「この後に及んで(←ココ重要)大義があったかなかったかの論議に拘泥するのは不毛」といっているのであって、決して戦争に大義は不要といっているつもりはない(もし質問者さんのように「大義を完全に無視」していると受取った人がいたとしたらそれは誤解だ)
確かにイラク戦争がはじまる前は「戦争の大義」(=大量破壊兵器)の有無は論じる必要があるし、実際、さかんに国際社会でも論じられていた。それは「米国とフセインのどちらに大義があるか」を論じる必要があったからではなく、「国際世論や国連など国際社会の賛同をより多く獲得するため」に論じる必要があった。その点において大義を論じることは不要とは思わない。アメリカの主張する「大義」は「国際社会が納得するイラク攻撃を正当化する理由」ということばに置き換えた方がわかりやすい。なぜなら「大義」といいだすと、戦争の当事者であれば誰でもが「われに大義あり」と主張するもので、戦争はどっちもどっちという側面が多かれ少なかれあるから。
もうひとつ「大義」論を否定した理由は事実の進行と時間経緯。現状、イラクの状況が(よしあしは別として)ここまできている以上、いまだに「大義があったかなかったか」の論に時間を費やすのはは不毛ではないか。ことここに至っての日本にとっての「国益論」を私は望んでいるのである。

繰り返しますが大義を完全に否定するコラムとは思いません。国益を論じろという主張を際立たせるために必要以上に朝日をおちょくったり「大義」を小ばかにしたりしていますが、、、、
質問者さんのいう「広義の国益の中には2割くらい大義がふくまれるのではないか」という意見には賛同します。ただし、そこで主張されるべき大義が、このコラムでも指摘されているように「戦争当事者ならだれでも使う怪しげなもの」であることは承知した上で使う必要がありますが。
今のところ、質問者さんの「自分はこう思うが他の人はそこまでは思わないのだろうか」という疑問に対して、私をはじめ複数の回答者が「それほど目くじらたてるほどのこととは思いませんが」的意見で、質問者さんには少々ものたりないでしょうが、、、私も「それほど」派です

この回答への補足

返信が遅れて申し訳ありませんでした。

まず再度簡単に整理します。
まず再度確認ですが、本音としての大義は当然に必要であり、建前よりもかなり重視されるべきであるが(一般的には右派と言われますね)、タテマエを完全に無視するのはだめだ。さすがにいくら産経でも本気でタテマエとしての大義を無視しようとしているわけではないと思う。よって本質的には産経の主張を「支持する」人間です。イラク戦争支持も自衛隊派遣も正しかったと思います。
しかし産経は完全に無視しているととられてしまっても文句を言えない表現を使っている・・というか「表現が」あからさま過ぎ・・。この「表現」についてお聞きします。「故意に茶化した表現だとしても、感覚としてあからさま過ぎる」と思いませんか?勿論「コラムくらいに反応するな」と言われそうですが(同様の題材である2月23日の社説でもやはり少し同様の違和感を感じます)、僕はコラムと言っても週刊紙とは違う(べき?)んだから、またことが人が死ぬ戦争なんだからもうちょっと書き方があるだろうと思います。感覚としては年配の方がキャミソールを見て「下着で出歩くなんか信じられない」と言うような(笑)感覚なんでしょうか?朝日も産経も「しゃかりき」になり過ぎのような気がします。たった一言でも大義の益について触れていれば僕もここまで「しゃかりき」にはならなかったように思うんです。時間がたって今は随分落ち着きましたが。

(本当に)最後に
最初の質問で下手に文章を引用して考えを述べたために回答者の方々に誤解を与えてしまい長い「議論」になってしまいました。回答者さんのご意見に9割方賛同しています。もう一度誤解を招かないように端的に質問をしたいと思います。なお、いい加減皆様にご迷惑をおかけしているのも重々承知しているので
「はい」や「いいえ」の単語のみで本当にけっこうですのでそこまでお付き合いをお願いします。結果はわかっていますが、ちゃんと終わらせたいもので。
質問→「故意に茶化した表現だとしても、表現としてあからさま過ぎる」と思いませんか?「感覚」でお答えください。

最後にその(2)
>もし質問者さんのように「大義を完全に無視」していると受取った人がいたとしたらそれは誤解だ。
「このコラムのみ」を読んでどの文章を読んでそう思われたのですか?まあこんな茶化した文章を分析なんぞしてどないやねんと自分でも思うのですが。「何となく」でもいいのでお教えいただきたいのですが。それとも他の記事から産経の主張をご存知だったからでしょうか?該当する文章を書いていただけるだけで十分です。面倒な解説を要求しているわけではありませんのでよろしくお願いいたします。


>私は「この後に及んで(←ココ重要)大義があったかなかったかの論議に拘泥するのは不毛」といっているのであって
まったくもって同意です。総選挙後民主党(というより管直人氏だけだと思いたい)には期待していた分幻滅しました。
>主張を際立たせるために必要以上に朝日をおちょくったり「大義」を小ばかにしたりしていますが
その表現が嫌なんですよね・・。
>少々ものたりないでしょうが、、、私も「それほど」派です
はい、そうですね(笑)。でも目的は「あんたが正しい」なんぞと言ってもらうための投稿ではなくて他の人の感覚を教えて欲しかったわけですからとてもとても満足ですよ。

補足日時:2004/03/11 01:36
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