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こんにちは。突然疑問に思ったので、質問しました。

タイトルのままですが。
高校の学力レベルとは同じ都道府県内でも、かなりの高低差があるのは知っています。
では、その差は最初、どのようにして生じるのでしょうか。
現在は、勿論高校側の平均点なんかも定まっていて、受験生は「私は実力的にここしか受けられない」などといった状況になっているでしょうけども。(私の話ではありません!w)
開校当初から、そのようなことはあるんですか?
また、それはどのように定められるものですか?

受験が終わり、安心しまくっているさなかの疑問です。
知ってどーすんだよとは思いますでしょうが、何卒ご意見を頂きたいです。お願いします。

A 回答 (4件)

私はかつて学習塾講師をしており、その際2つの公立高校の新設を実際に体験しましたのでその経験から・・・。

まず、余程のことがない限り、新設校には受験生が集まります。理由は設備が充実していることでしょうね。当然、倍率が高くなりますからそれなりに優秀な生徒も混じっています。最初の卒業生が出る3年後に進路の結果が出て、その高校に対する評価が決まっていきます。そこで結果を出せればある程度受験生を集めることができ、レベルを維持できますが、うまくいかないと、受験生は離れていきます。3回生までが卒業するころには、大体その高校の偏差値的な位置は決まっていきますね。4回生以降は卒業生の結果を見て入学した世代になるので、進路結果にあった生徒が大半を占めるようになります。
新設校の場合はこんな感じに決まっていきますね。結局のところ普通科の高校に進む生徒の多くが大学進学を考える時代ですので、進学実績を残した学校に人気が集まりレベルが上がっていきます。私立高校の特別進学コースの新設などを考えれば分かるとおりです。結果が出せない特進コースのレベルは上がりません。
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この回答へのお礼

私の県でも、数年前に新しくできた高校の倍率は物凄いことになってます。あとはやっぱり評判ですよね(笑)
身近な例でしたのでベストアンサーにさせていただきました。
ご回答、本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/04/03 12:44

「歴史的背景を背負っている」という点は,すでにお答えがあるとおりです。

すべての学校が同時にできてスタートを切ったわけではありません。

戦後に学校制度が「新制」になったとき,すでにあった「旧制」の学校を母体にしてできた高校や大学がありました。これが現在のハイレベル校になっていることが多いです。ぼくが出た高校は田舎進学校でしたが,高校校舎を再建するときの寄付金募集は,卒業生のぼくらはもちろん,旧制卒業者にも送られたそうです 笑。

その後,高校進学率や大学進学率が高まると学校数や入学定員も増えますが(両者はタマゴとニワトリの関係ですが),それらは学力的に先発組に入れない生徒・学生を受け入れることになりました。そして中学校では,「君の成績はこれこれだから,○○高校を受けなさい」と振り分け進路指導が行われたのです。

大学でいえば,旧帝大も戦後にすべて解体して新制大学として再構成していたら,東大も京大もそれぞれ東京都・京都府の地方国立大学になったはずであり,いまの状況はなかったと思います。日本は,「戦前」をいかに温存するか,いかに「戦前」に復帰するかを考えたのですね。大学が真に新制大学になったのは,新制大学卒のぼくらがプロフェッサーになった平成時代なんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
歴史ある学校ほどレベルが高い傾向にあるんですね。
ちなみに私は女で、受験した高校も共学ですが、元々は男子校だったようです。

お礼日時:2013/04/03 12:49

多くの県では、昔、高校は、一高、二高など、番号がついていました。

そして、男女別により地域差はありますが、ほぼこの番号順になっています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
番号なんて知りませんでした…

お礼日時:2013/04/03 12:40

1 旧制中学は一地区に一つだった


例 旧制府立一中 → 現日比谷高校など
1878年

2 同一通学圏に私立などができる
例 開成中学
1871年開学

公立中学に落ちた学生を拾うような感じ。
※ 戦前の灘中学は、県立一中(現神戸高校)を落ちた生徒が通っていた

3 旧制中学が増える(同一通学圏に)
二中は現 立川高校 三中は両国だが 四中は現戸山高校。四中は通学圏がかぶるので、一中と違う教育方針を立てたが。
それにしても 東大合格者数(旧制高校で一高)では 一中>四中であった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%B3% …

だいたいできた順番で高低差ができる。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3860.html

日比谷 一中
戸山 四中
西  十中
新宿 六中
小石川五中
両国 三中
小山台八中
上野 市立二中 < 順番的には八中の後九中の前
立川 二中

通学圏の違いなどもあるが、同一の通学圏であれば、古い方から順番に東大合格者が多い
市立一中は九段高校になりますが、通学圏的に日比谷や戸山、新宿、小石川にかぶりますから割りを食いましたが。市立二中の上野高校は東京の北部に競合がいなかった。
上記は1960年の数字より
※ 西が十中でもランクが高いのは、杉並区という立地の良さからきます。
上記の時代は、都立高校でも基本的に学区のない時代(小学校や中学の段階で越境OKの時代ですから)

学区制度が変わるとか、有力な私立高校が出てこない限り、この傾向になります。

仙台一と仙台二の場合仙台二の場合、一中を分割して 一中と二中を作り、二中のほうが文教地区にあるというよな背景があります。

原則、古い高校から そして通学圏という立地条件です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
確かに現実的な話で、通学がしやすいというのは重要な選択肢ですよね。進学校と言われていても、立地条件のせいか今年は定員割れした高校もありました。最寄り駅から遠くて、ほんと通いづらいんだそうです…(笑)

お礼日時:2013/04/03 12:53

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