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1800年ごろの日本人の識字率は、世界一だったと友人が
言っていましたが、本当なのでしょうか?

アジアや西欧主要国の識字率は、どうだったのでしょうか?

よろしくお教えください。

A 回答 (10件)

本当です。

識字率の定義は確かではないし、その時代にどの国もそんな統計が無いのでここで数値化することはできません。しかし日本人の識字率が世界一だったのは疑いようがない状況証拠があります。

戦国時代に来日したイエズス会の宣教師が、日本で茶屋に奉公している娘が暇を見つけては、熱心に本を読んでいるのを見て驚愕した記録が残されています。こんなに文明度が高い国を植民地化することなど不可能だといった手紙を本国に送っていたのです。

お馬鹿な現代日本人は、イエズス会の宣教師がキリスト教の布教の為だけに遠路はるばる西欧から来日していたと信じ込んでいますが、そうじゃないんです。実際のところは植民地化する為に来日していたんです。宣教師は現地人を手なづけて支配下に置こうとする侵略者の尖兵だった。そうしてアジア・アフリカ・新大陸のほとんどの地域がスペイン・ポルトガルの植民地にされたんです。

西洋にしても本を読めるのは貴族・官僚・学者・聖職者・商人といった知識階級だけで、大多数の農民は無学文盲だった時代が1800年頃です。無学文盲で自分で聖書を読めないから、毎週教会に通って、牧師さんの話に耳を傾けていたのです。

日本がどうして識字率が高かったかというと、日本は平安時代にひらがな、カタカナを発明していたからです。時代と共に仏教が階層を超えて広まったと共に文字も広まった。それが寺子屋による読み・書き・そろばんの教育の成果です。寺子屋は当初は、僧侶の副業で、民間学習塾のようなものです。江戸時代は、武士階級も寺子屋の講師になっていましたが、全国津々浦々まで寺子屋があったから、明治時代に入って普通教育を実現できたのです。寺子屋の看板を付け替えるだけだったのでお金がかからなかった。日本はひらがな、カタカナで漢字にルビを振って誰でも読めるようにしました。これは戦前の新聞もそうで、世界を見回しても日本にしかない独自の工夫だったのです。戦後の国語改革で漢字が制限されると共に新聞はルビを振るのを止めてしまったのだけど、このルビという工夫が日本の識字率が高かった理由です。

産業革命期イングランドの識字率と労働者階級教育態様
http://barrel.ih.otaru-uc.ac.jp/bitstream/10252/ …

西洋で劇的に識字率が向上するのは産業革命の進展が鍵になっています。だから19世紀の前半ぐらいにはおそらくイギリスには追い越された筈です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:57

No.9です。

ゴメン、俺も識字率が低い一人なのかな?

誤:「混同や間違った表現方法」が使われていないからです

正:「混同や間違った表現方法」が使われて"いる"からです

(って、これも連動して削除されます)
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(質問の趣旨とは、全然違うので削除されると思います)


よく海外からは「日本の識字率(文盲率の逆)」は低いと言われます。

それはあくまで「混同や間違った表現方法」が使われていないからです。

「間違い」と「違い」は、完全に混同して使われています。
ですから、「違い」はすべて「間違い」扱いであるため、「違い」すぐに「どちらが正しい?」と議論になります。

また「お前に言われなくともわかっている」を英語に翻訳しても意味が通じません。
「だから何?」とね。

もっと、あげればキリがないのですが、どうせ削除されてしまうので。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:53

前の回答者さんと重なるような回答を避けます。


昭和30年代にソニーがトランジスタラジオを販売しました。
その時代のラジオ雑誌にこんな記事がありました。
アメリカの議員がランプで発電できる素子を使って鳴るラジオをアメリカ全土に普及させ文盲を減らすと言う記事でした。
あのアメリカで字が読めない人がいると言う事がとても不思議だった記憶があります。
日本は昔から一般の民間人の子供の頃からの寺子屋でのいわゆる読み書きそろばんの教育は熱心であったのに対して最近まで欧米では識字教育がそれ程重視されていなかった様です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:53

本当です。

江戸などの大都市では寺子屋が普及していて、就学率が90%以上あり、町人でも70%くらいの識字率があったようです、武士階級はほぼ100%です。全国の平均でも50%はあったと思われます。当時の先進国イギリスで20~30%、フランスでは10%、中国など東南アジアではさらに低かったと言われています。日本人の識字率の高いことは幕末に来日した多くの外国人が証言していますので間違いないでしょう。
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この回答へのお礼

素晴らしいお話ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:54

おそらく本当。



19世紀ごろまでは、教育は特権階級限定商品というのが世界の常識でしたから。
教育を受けられるのは特権だったのです。
一般庶民には意図的に教育をしなかったんですよ。

一般庶民にまで教育を普及させていたのは世界中で日本だけです。
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この回答へのお礼

さすがは日本ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:54

幕末の識字率は非常に高いです。

江戸260年間、戦争が無く、文化が発展・爛熟したおかげと思います。

戦乱や専制のもとに置かれて、文化が発展・爛熟できなかった国では、このような高い識字率を達成することができません。

===以下、Wikipediaからの引用===

1443年に朝鮮通信使一行に参加して日本に来た申叔舟は「日本人は男女身分に関わらず全員が字を読み書きする」と記録し、また幕末期に来日したヴァーシリー・ゴローニンは「日本には読み書き出来ない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もゐない」[2]と述べている。これらの記述には誇張があると思われるが、近世の日本の識字率は実際にかなり高く、江戸時代に培われた高い識字率が明治期の発展につながったとされる。

近世の識字率の具体的な数字について明治以前の調査は存在が確認されていないが、江戸末期についてもある程度の推定が可能な明治初期の文部省年報によると、明治10年(1877年)に滋賀県で実施された一番古い調査で「6歳以上で自己の姓名を記し得る者」の比率は男子89%、女子39%、全体64%であり、群馬県や岡山県でも男女の自署率が50%以上を示していたが、青森県や鹿児島県の男女の自署率は20%未満とかなり低く、地域格差が認められる。また明治14年(1881年)に長野県北安曇郡常盤村(現大町市)で15歳以上男子882人を対象により詳細な自署率の調査が実施されたが、自署し得ない者35.4%、自署し得る者64.6%との結果が得られており(岡山県の男子の自署率とほぼ同じ)、さらに自署し得る者の内訳は、自己の氏名・村名のみを記し得る者63.7%、日常出納の帳簿を記し得る者22.5%、普通の書簡や証書を白書し得る者6.8%、普通の公用文に差し支えなき者3.0%、公布達を読みうる者1.4%、公布達に加え新聞論説を解読できる者2.6%となる。したがってこの調査では、自署できる男子のうち、多少なりとも実用的な読み書きが可能であったのは4割程度である。 [3]
明治期の各県の調査初年次の自署率(文部省年報による)[3]
府県調査初年次調査対象男子女子全体
滋賀県1877年満6歳以上89.2339.3164.13
群馬県1880年満6歳以上79.1323.4152.00
青森県1881年全住民37.39 2.7119.94
鹿児島県1884年満6歳以上33.43 4.0018.33
岡山県1887年満6歳以上65.6442.0554.38

ただし近世の正規文書は話し言葉と全く異なる特殊文体によって書かれ、かなりの習熟が必要であった。近世期「筆を使えない者」を意味する「無筆者」とは文書の作成に必要な漢字を知らない者を意味しており、簡単なかなを読めることはどの庶民の間でも常識に属し、大衆を読者に想定したおびただしい平仮名主体の仮名草子が発行されていた。
義務教育開始以前の文字教育を担ったのは寺子屋であり、かなと簡単な漢字の学習、および算数を加えた「読み書き算盤」は寺子屋の主要科目であった。寺子屋の入門率から識字率は推定が可能であるが、確実な記録の残る近江国神埼郡北庄村(現滋賀県東近江市)にあった寺子屋の例では、入門者の名簿と人口の比率から、幕末期に村民の91%が寺子屋に入門したと推定される。[3]

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%98%E5%AD%97# …
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この回答へのお礼

素晴らしい国日本、素晴らしい国民日本人ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:56

識字率も高かったのですが,教養の高さも見過ごせません。


それが農民にまで及んでいたこと,さらに,農村で和算の私塾が開かれ,算術が庶民の一般教養となっていたことも見逃せません。
読み・書き・算盤は武士や僧侶だけのものではありませんでした。
鶴亀算,ねずみ算などの計算問題が考案され,面積を求める可成り高度な計算問題などを書き記した『算額』が,地方農村の神社などに残されています。
工業技術の面で西洋に後れを取りましたが,素養の高さが明治以降の急速な発展の基礎になっています。
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この回答へのお礼

こうしたことは、小学生の間に学校でしっかり教えるべきですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:57

世界一であったという説は 確証ないですが。


(同時期、西ヨーロッパの産業革命は 読み書きできる多くの労働力を必要とし、
識字率は短期間にめざましく 上昇した。)
日本の識字率は
東ヨーロッパより 高く 西ヨーロッパ、北米と共に識字率のもっとも高いグループ
の国に属していた。
中国、インドでは 識字率は 30% 以下であった。

寺子屋は 江戸に 1300校、全国に11000校あった。
1850年 江戸での識字率は  男子79%、 女子 21%であった。

欧州の識字率は いろいろ異なった説があるが ある説によると 
イングランドの
1641年の識字率は 30% であり、 1649年 47%、 1800年には 62%に
達した。 

19世紀末までに イギリスの識字率は 90%を越えた。(統計には 奴隷の
識字率は 含まれていない。) 
 
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この回答へのお礼

やはり日本はすごかったのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:47

世界一かどうかは知りませんが、


西洋人から見たら識字率は高かった見たいですよ。
宣教師が見て驚いたと言う話は有りますし。

他のアジアなどの識字率はちょっと分からないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/03/31 19:47

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