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大河ドラマに出てきたツェントナーデル銃ってどんな銃でしょうか?
時代的にプロイセンの制式銃ならドライゼ銃だと思うのですが、ツェントナーデル銃でググッテもどうにもなんなんだかよくわかりません。
どんな銃なのでしょうか?
日本語の詳しいサイトはないでしょうか?
スナイドル銃と比較して性能はどうなのでしょうか?

A 回答 (5件)

jkpawapuro さん、こんばんわ。



ドライゼ銃(ツェントナーデル銃)はプロイセンが1860年代に制式化していた小銃でドライゼ銃といっていました。弾薬を重心の後ろから装弾する最初の後装式小銃でしたが、弾薬は紙式薬莢でした。そのため、その当時の前装式の小銃に比べて威力は劣っていましたが、立ったままで弾薬を装填する前装式に比べ、伏せたまま装填ができるので、戦闘中安全でした。
欠点は紙式薬莢なので連射を続けると黒色火薬のススがボルト先端に付着して、ボルトを完全に閉じることが難しくなり、大量のガスが漏れ出して威力の低下を招いたため、概ね60~80発ごとに銃身やボルトにこびりついたススを掃除する必要があったことと色火薬と雷汞の燃焼ガスは共に腐食性が高く、発射後の手入れを怠れば銃身とボルトの嵌合部はすぐに腐食してしまい、時として酷いガス漏れが発生して射手の手や顔に火傷を負わせてしまうことなど取り扱いが難しいことでした。
スナイドル銃はその点、金属式薬莢を採用していたことで紙製薬莢式の銃器が悩まされた銃身後端(薬室部)からのガス漏れは、発射ガスで膨張させられた薬莢側筒部が薬室内壁に張り付く事で防止されていたのです。こちらの方がヨーロッパやアメリカ、そして日本の小銃の主流になりました。ただ、この銃もエンフィールド銃という前装式の銃を改造しているので、取り扱いに問題がありました。だから、欧州では普仏戦争以後、各国で正式な金属薬莢を使用する後装式小銃を開発しました。
性能は上記の薬莢の差から来るもので有効射程でスナイドル銃の方が有利だと思います。
この時代の兵器という物はヨーロッパでナポレオン戦争以後、ヨーロッパ列強がいろいろなところで戦争していたため、いろいろな方式の兵器が考案されました。だから、小銃一つとってもたくさんのバリエーションがあるのです。
下記のURLを参照してください。


スナイドル銃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8A% …

ドライゼ銃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9% …

この回答への補足

金属薬莢の製造設備を持たない藩にとって、紙製薬莢のほうが都合がよかった面もあるのでしょうか?

補足日時:2013/05/05 06:37
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 06:34

ツェントナーデル銃はドライゼ、シャスポー等に採用されたニードルファイヤー式の銃の事です。



会津藩にツェントナーデル銃を販売したのは、カール・レーマンというシャウムブルク・リッペ(1930年代に4万人の人口しかいない小さな領邦)出身の商人です。山本覚馬とレーマンの間で1400梃の銃取引が成立しました。

シャウムブルク・リッペという聞きなれない国ですが、世界で2番目にツェントナーデル銃を開発した国で、当時ドイツ連邦以外の国に唯一ツェントナーデル銃を販売営業した国です。開発した銃はバウムガルテンという銃です。日本国内で騎兵型と歩兵型合わせて3梃の現存が確認されています。
ドライゼ銃ですがプロイセンでは軍事機密になっており、同盟関係にあるドイツの領邦以外には販売されませんでした。もし、幕末の日本にドライゼが輸入されていたとなると世界史の常識がひっくり返る事になります。

レーマンと覚馬の間で合意されたのは、鉄砲の購入、操作指導員の派遣(カール・ケッペンというシャウムベルクリッぺ出身の曹長)、戦術教育の教官派遣(リッペ王子とその部下)でした。ですが400梃ほど引き渡した段階で戦争となってしまい、バウムガルテンは弾丸が無いため死蔵されることになります。
さて、問題は残りの銃と日本に向かってしまったケッペンです。これは仕方なく紀州藩が引き受けたのです。

バウムガルテン銃、実は哀しい銃です。必死の営業も虚しく、完全な形で買ってくれたのは会津と紀州だけで、機関部のライセンスはイタリアの小国が買ってくれただけでした。本国で250梃ほどの猟兵銃が採用され、歩兵銃と騎兵銃は日本にしか無い(それも自国向けよりも多い)という銃です。実銃は霊山の博物館に残っています。
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この回答へのお礼

シャスポー銃やスナイドル銃などもはやドライゼ銃よりいい銃が開発された時代にまだ機密ですか。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 23:19

    #1です。

補足です。

    どうして Zündnadel が「ツェントナーデル」になるのだろう、と思っていたのですが  ü すなわち u に点々を打ったウムラウトを ue と書く場合があります。

    そのしきたりで Zündnadel を書き直しますと Zuendnadel となりますので、恐らく大河ドラマが出来る課程のどこかで、これの読み間違いが混入したものと思われます。

    銃そのものは、おっしゃる通りドライゼ銃です。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 22:51

jkpawapuro さん、おはようございます。



NO.1です。
ドライゼ銃の紙式薬莢をつくっているという確証はありませんでしたが、採用している有名な藩は紀州藩、長岡藩、会津藩です。藩の記録か何かで調べれば、何か出てくるでしょう。特に紀州藩はドライゼ銃を製造していたらしいです。
一方、スナイドル銃の方は薩摩藩、仙台藩、長岡藩が導入していましたが、少数でした。ただ薩摩藩は戊辰戦争以後鹿児島県になってからも大量に弾薬を製造していたことがわかりました。


スナイドル銃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%8A% …

ドライゼ銃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9% …
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 22:51

   下記に、次のような記述があります。

この Zündnadelgewehre が、「ツェントナーデル」の語源でしょう。

    「ドライゼ銃は長い撃針が紙製薬莢を貫いて弾底の雷管を撃発させる撃発機構と弾薬から「ドライゼのニードルガン」とも呼ばれ、日本では火針銃または針打式、旧日本軍の公文書にはドイツ語のZündnadelgewehreの発音から“普式ツンナール銃”と記されている。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9% …
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この回答へのお礼

ドライゼ銃の派生型かと思っていたらドライゼ銃そのものでしたか。
御回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/05 06:33

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