「汝の敵を愛せよ」という言葉の意味を調べたら、このような文章が出てきました。
ルカによる福音書 6章27~38節(口語訳)
人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
「人を裁くな、許してやれ」とありますが、例えば仕事を怠る部下を許してしまえば、その部下の分の叱責を自分が喰らうことになるかも知れません。
もしそうなってしまっても、その叱責は自分が受けるべきものなのでしょうか?
それとも、最初から昇格を他人に譲れば、部下を持つ機会もなくなるだろうという事でしょうか?
前提そのものが間違っていたらすみません。
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
他の方が真剣に答えておられるので参考まで。
C.S. ルイスという有名な作家で「キリスト教の精髄」という名著を著した人がその中でこういう趣旨のことをいっています。
愛すという行為は、相手を甘やかすことではない。その者のためを思い、必要とあらば叱責し、罰を加え、また、寛大にふるまうことも含まれる。
子供を愛すということを思い出すといいかもしれません。子供を甘やかすことが愛すことではないでしょう?
また旧約聖書には次のような言葉が載っています。これは私が大好きな箇所なのですが、うろ覚えなので言わんとすることだけ伝えます。
「人と人が争った時には神が仲裁するであろうが、人が神と争った時にいったい誰が仲裁できるのであろう?」
私は、「敵を愛す」ということは、自分の感情を捻じ曲げて口先で「許す」ということではないと思います。
人が憎むべき人に会ったとき、自分の力でそれを許すことはできないと思います。
自分の子供を故意に殺した人間を許すことはできるでしょうか?また、それが愛なのでしょうか?
ただ、「神が仲裁に入る」ことを望むこと。それが精いっぱいの愛なのではないでしょうか?
キリスト教は、人が人を裁くことを戒め、神の裁き、あるいは仲裁に任せることを命じています。
裁く権利の有るものは完全に罪のないものだけ、つまり「神」だけということです。
このようなバックグランドがわかると、少しは「敵を愛せ」も理解しやすいのではないでしょうか?
No.7
- 回答日時:
>汝の敵を愛せよ
○これは字のごとく、あなたの敵を愛せよと言っているのであって、身内や所属の組織、会社や卑近の部下を愛せよと言っているわけではありません。身近なものは当然の愛の対象ですから特別に言葉はいりませんね。
部下を上司が指導するのは上司の義務ですから、指導できない上司であれば当然、上司ではいられませんね。
部下を指導し、将来の幹部にすることは上司の義務であり、愛なんですから。
さて、イエスは決して曖昧な人物ではありませんよ。明確な意図を持って「汝の敵を愛せよ。」と言い切っているのですね。ここでいう敵とはあなたを殺すような敵のことです。イエスの時代で言えばローマ人ですね。
イエス本人で言えば、ユダヤの司祭たちですね。
つまり、あなたを殺すような人を愛せよと言っているのです。部下が怠けてあなたを殺すことはありません。単にあなたの指導が悪いだけのことはここでの愛の範疇に入るものではありません。厳しく指導するか、仕事に不向きな部下であれば転職を勧めることが本当の愛ですね。
さて、ゴルゴダの丘ではりつけ処刑になったイエスは、実行者のローマ兵に対して「父よ、この者たちは本当のことを知らなかっただけです。この者たちをお許しください。と心で祈っていたのですよ。」
逃げて、処刑に立ち会わなかった弟子の記録(現代の聖書)にはない言葉ですけどね。
イエスは自分を屠った実行者たちを許していたのです。これが「汝の敵を愛せよ。」という意味ですね。
当然、裏切り者のユダも許してますよ。ただね、許された者たちが本当に罪から逃れられたかと言えば、これは難しいことなのですね。自らの罪は自らでしか消せないですからね。それがどれほどの歳月を要するかですね。それが問題なのですね。誰しも心の奥の奥にそのような罪のひとつやふたつはあるものです。
それが顕著に現れる人はわりと近年(数百年程度)のうちに犯した罪ですね。罪は許しましょうよ。神の前では、みなそんなもんなんですからね。
パウロなどはイエスを殺す側にいて、さらに弟子の一人も石打で殺しているのですから、それが改心して立派な伝道者ですからね。罪を消そうとすることが大きな仕事をしたということですね。
No.6
- 回答日時:
こんにちは。
まづ 聖書は 倫理規範をそのとおりに振る舞えと言って示したものではありません。
道徳などは 糞くらえと言っている思想です。
その意味では 何の根拠もないところで 自分みづからの考えで行動せよという実存思想のごとくです。
▼ 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。
☆ これも ひとつの考え方です。先ほどの実存の姿勢から考えて得たひとつの行き方です。
それでよいか。よくないか。
それだけに限られるかどうなのか。
こういったことを 自分で考え――ただし 心をつくし知恵をつくし知識をつくして 《存在》としては相手のことを 自分のことと同じように(と言っても抽象的ですから 相手のことを自分のことより一秒先に思うかたちで) 考慮に入れつつ―― その自分をうんうんと推してあゆむのだと 語っていると思います。
▼ また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。
☆ これらも 同じことです。実存の姿勢から得られた一つひとつの行き方であり考え方です。
ものごとを――律法のような倫理規範としてのごとく――固定的な答えのあるものとして扱う必要はない。と語っているはずです。
要するに われわれは 自由なのだ。自由に考え 自由にふるまおう。と語っているはずです。
▼ 汝の敵を愛せよ
☆ というかたちで 自己の実存の具体的な踏み出しとしての答えを見い出したというのなら そのように自由に自信を持って 振る舞うのがよいでしょう。そのときには 確信をもって行動しましょう。
○ 部下も 自分の同じ人間だ
というふうに単純に考えるということではないでしょうか。
確かに、人を批判・評価すると自分の自由まで奪われるような気がします。
逆に言うと、他人を批評したり評価したりしさえしなければ、自分は自由な心でいられる、ということなのでしょうかね。
「神はあなたを愛しています」もそうですが、他人の自由を許すことによって、自分も自由と平等を獲得できるのかなと解釈しています。
No.5
- 回答日時:
一種の極論です。
究極的な理想を述べていますが、現実に対する批判でもあります。それが現実の何を意識したかは踏まえておく必要があります。聖書にはそうしたことが少なからず出てきます。敵を愛せは、隣人(≒同胞)を愛せを極限まで拡張しています。見ず知らずの人に留まらず、自分を害する者ですら愛せというわけですね。これは、当時のユダヤの庶民が、ローマ、ローマの代理であるユダヤの王、ユダヤ教の高位者らの厳しい支配を受けていたことを意識したものです。
ユダヤの庶民は厳しく搾取され、貧困に苦しみ、反抗すれば処刑されるという過酷な境遇にありました。当然、憎む気持ちが起ります。それが言動・行動に出れば、最悪は処刑、あるいはその場で殺されます。仮に結束して反乱を起こしても、当時は極めて強力であったローマには敵いそうもなく、反乱分子は全員処刑されることは疑いようもありません。
そのため、行動については「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」であり、そうする心構えが「汝の敵を愛せ」であるわけです。あるいは「罪なき者、これを打て」も別の視点からですが、同じような意味合いを持ちます。
かといって、精神まで屈せよということではありません。「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ」などは、物は敵に差し出しても、心は与えないことを強く示唆しています。
そうしたことを考えると、非暴力・不服従主義に非常に近い部分があります。それを勧めているわけです。
当時は律法が極めて厳しくて守るのは非常に困難で、特にユダヤ人の大多数である貧困層では、律法に違反しないで生きていくのは不可能でした。また律法は罪の規定と罰則がありますし、たとえローマの支配に依らない場合でも、現実には「目には目を、歯には歯を」を上限として、人を裁く法が行われないと社会は維持できません。
イエスは自分が受けた裁きについて何も非難せずに服したし(せいぜい神に「私を見捨てるのですか?」とつぶやいた程度)、キリスト教が禁教である時代に裁きを受けたキリスト教徒で、裁くことを厳しく非難したということは伝えられていません。裁くなと言いつつ、裁きには従順に服したわけです。
現実には「悪法も法なり」として従うという態度を示したことになります。
その裁くことを罪としたのがイエスの教えにあるわけですが、それだけだと結局は誰も救われません。罪を犯しても、それを罰しても罪になってしまう。そこで、悔いて神に許しを乞えば許されるということが救済としてあります。過ちを繰り返し犯しても、そのたびごとに許しを乞えば、直ちに許されるわけですね。
宗教が理想として求めるモラルですから、誰もが守れる前提の法を遥かに超え、一般常識の道徳も超えてしまっており、聖者でもなければ到達できません。
聖者は社会の中では希少であるからうまく機能するのであって、誰もが聖者になると社会は崩壊します。つまり、宗教のモラルは普通の人には守れないものです。
それでも、「理想に向かう心は誰もが持ちなさい、失敗しても反省してやり直せば、それでいいんですよ」、あるいは「やむを得ずやることは、必要悪なのだと自覚しましょう、当然だと思ってやり過ぎるのはよくないですよ」と言っているのが、お示しの言葉を含む宗教モラルです。
昔の悪政や今の中共は、ある意味政府を恨めばそれでいいように思えますが、今の日本は民主主義で万人闘争の状態で、必ず報われないまでも主張する程権利を得るのだと思います。
そんな中で、自分がその「周り」を受け入れ、行動しないままでいいのか。
食うか食われるかの世界とは次元が違うけれども、全てを受け入れることが自分の為なのかと疑問に思ってしまいます。
日本という大船に裏切られない為にどうあるべきか、一人一人が知恵を絞る時かなと思います。
No.4
- 回答日時:
No.3さんが、ほとんどそのまま書いてありますが、もう少し具体的な感じで書いてみたいと思います。
人は未熟ですが裁かずに許す。
行動は、そのままにしてしまうと問題ありですから訂正が必要。
人は他者の行動がその場に相応しくないと思うと、行動した人を裁こうとします。
つまりは人間として否定したくなります。
未熟な人を許し、行動を導け。
それが「汝の敵を愛せよ」の結果だと思います。
ルカの福音書では、行動で人を裁くと自分も行動を間違えたときに人として裁かれる恐怖に囚われ
行動できなくなることまで示唆してありますが。
部下を人として裁くと、部下の行動が著しく制限され叱責すればするほど
上司の思うように動いてくれなくなってしまう。
子育てと同じ状態に陥りますね。
だからこそ相手を愛することが、愛を持って接することがお互いの有益に繋がります。
「人は許す、行動は見直す」です。
No.3
- 回答日時:
>汝の敵を愛せよ
No.2の方がかなり真髄をついた説得力のある内容での回答ですので少し自分の方は感覚的でお粗末な内容かも知れませんが回答させて頂きます。
ここで「敵」 とは何かを想定すれば 貴方の足を引っ張るかもしれない 「部下」 ですね。
その部下を 愛する事だと思います。
ではどうやって? ほうっておけば 部下は同じ間違いを犯します。 愛の心を持って部下の将来を思い 厳しく指導するのが 今の社会ではないでしょうか。 「仕事を怠る部下を許してしまえば。。。」 と有りますが、それは部下にとっても良くないことです。 仕事の環境や厳しさに慣れるように導くことが 本当の 許しであり、 愛だと思います。 妥協とは違いますね。
それでも怠る部下はその仕事に就くべきではないと思います。 周りの人はどれくらいの怠けかはおぼろげに見えています。自分はキリスト教徒ではないのですが、キリスト教徒であれば(引用から判断) 最後まで自分の部下を愛してください。 仕事を怠る理由が見えてくるかも知れません。
厳しい指導も場合によっては誤解・すれ違いを招くこともあるかも知れませんが、いつかは部下の身になるものですからね。
その部下を放置してしまうようでは、どれ程想っていても無意味です。
No.2
- 回答日時:
ご質問箇所の前後を検索してここに掲載しました。
ルカによる福音書 6章27~38節(口語訳)
しかし、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者に親切にせよ。のろう者を祝福し、はずかしめる者のために祈れ。あなたの頬を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒むな。あなたに求める者には与えてやり、あなたの持ち物を奪う者からは取りもどそうとするな。人々にしてほしいと、あなたがたの望むことを、人々にもそのとおりにせよ。自分を愛してくれる者を愛したからとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、自分を愛してくれる者を愛している。自分によくしてくれる者によくしたとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でさえ、それくらいの事はしている。また返してもらうつもりで貸したとて、どれほどの手柄になろうか。罪人でも、同じだけのものを返してもらおうとして、仲間に貸すのである。しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深いように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も罪に定められることがないであろう。ゆるしてやれ。そうすれば、自分もゆるされるであろう。与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。あなたがたの量るその量りで、自分にも量りかえされるであろうから。
プロテスタントのクリスチャンですが、このようなことはできませんとはっきりと述べる以外にございません。そのようにありたいと思ってはおりますが、上の記載の一部でもほとんど出来ないことを認めざるを得ません。
しかしながら、キリストが十字架で命を捨てたことの意味を知るものは神の罰を受けることが無くなりました。これが聖書のメッセージの中心と思います。
また聖書は積極的に罪を犯してきたものにさえも、イエスキリストの十字架の死を理解するものには罪の赦しを与えてきました。
>もしそうなってしまっても、その叱責は自分が受けるべきものなのでしょうか?
>それとも、最初から昇格を他人に譲れば、部下を持つ機会もなくなるだろうという事でしょうか?
聖書はそのような叱責を受けるべきだと述べておりますが、しかしそのことにより罰を逃れた人が、さらに悪い方向に進まないとも限りませんので、現実問題はもう少し複雑なんだろうと思います。一方昇格を他の人に譲りなさいとは書いていないように思います。むしろ自分に与えられている能力を最大限に発揮しなさい。それが会社の経営や部下の指導であるならば、そのようなチャレンジはむしろ受けるべきだと述べています。
いずれにしましてもこの個所は人の持つべき心の姿勢を述べているのだと思います。人を赦そうと思って、赦せない時苦しむのは他でもない赦せない人であり、愛すべきだと思いながら愛せないのは、愛されなかった人はいざ知らず、愛せなかった人であることは確かことだと思います。
つまりこの個所は人がより幸いな人生を送るための心構えあるいは心のありようを教えているのではないでしょうか。
「敵」と定義するに及ばないものの、小さなことを許せないのは自分でも苦しいと思います。
嫌いなものを無理に好きにならないまでも、先ず許してやることが一歩だと思います。
「許してやる」はかなり上から目線ですが、これくらいの余裕があった方が心掛けやすいですね。
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