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ふと、あるきっかけでアイデンティティーというワードが出てきて、調べてみました。
前からこの言葉については知っていましたが、意味がいまいちわかりませんでした。
調べていくうちに、自分とは何か、という議題も出てきて、それも調べました。
今私は高校二年生(女子)ですが、自分とは何かわかりません。
ちょうどそのことについて悩んで居たりもして、自分は周りからどう見られているのか、どの立場にいるのかなど気になってしまいます。
アイデンティティーについてのページで、「環境の変化などがあっても一貫性を持った自己」や「自己一貫性」や「自分は自分」というような記述がよく見られます。
その「一貫性を持った自己」というのは、どうやったら見つけられるのでしょうか?
周りに流されない、自分の人生のポリシーとかそういうことでしょうか?
自分を構成する「核」的な役割を果たすもの、という記述もありました。
最近、いろいろ考えているときにそういう「核」的なものが欲しい、と思うことがありました。
どうしたら「自分」というものが分かり、「核」を発見できるのでしょうか?
アイデンティティーを確立するために、何をすればいいんでしょうか?
さまざまな経験を積むことがやはり一番重要なのですか?
某ドラマで(すぐにドラマに影響されてしまいます…笑)、現在の日本の教育・社会ではアイデンティティーの確立が難しく、個性が失われる
と言っていました。本当にそうなのでしょうか。
自分の個性を見つけ出し、それを死なせないためには何をしたらいいのでしょうか。


自分の中でも漠然としていて、考えがまとまっておらず、このような読みにくい文章になってしまってすいません。
何がわからないのかすらわからず、かなり悩んでいます。
専門家の方・子供のころ私と同じようなことを考えていた、というような大人の方、
なんでもいいのでこのことについて教えてください!
現在進行形で悩んでいる方も考えを教えてください。


乱文失礼しました。

A 回答 (16件中1~10件)

私は誰なのでしょうか。

大抵の人は、これが私ですと自分の体を指すでしょう。
 では仮に、手が切り取られたらどうでしょう。手と残りの体とでは、どちらが私でしょう。手は私では無く、残りの方が私ですと答えるでしょう。では首が取れたらどうでしょう。首の方が私ですと答えるでしょう。では脳を取り出したらどうでしょう。脳の方が私ですと答えるでしょう。では脳を半分に切ったらどうでしょう。どちらが私でしょうか。脳を切り刻んだらどうでしょうか。どれが私でしょうか。脳の中のどの部分が私なのでしょうか。
 そもそも、体の中の物質は、3年に一回全てが入れ替わっています。では、3年後の私は私ではなくなっているのでしょうか。
 赤いとか熱いとか感じているのが私です。では、赤い熱いと言う感じは、物質でしょうか。赤い色は、心の外の世界には存在しません。物質の表面に当たって反射する光の波長が存在するだけです。
では、音はどうでしょうか。外界には、色々な波長の空気の振動があるだけです。私たちが感じている様な音は存在しません。
  この様に、心が作り出したものを取り去ると、何も残りません。従って、赤い熱いと言った感じは、物質ではありません。幾ら科学が発達して、全てを見ることが出来る顕微鏡が出来たとしても、脳の中を覗いたところで、熱いと言う感覚を見ることは出来ません。触ることも出来ません。ただ、私が感じるだけです。物質ではないものを感じている私も物質ではありません。
 私の感じている世界は、私が心の中に作り出したものです。心の外の世界がどうなっているか、私には全く知る術がありません。しかし、心は外界に出来る限り似せて、心の中に世界を作り出しています。
例えば部屋の中で、テレビを見ている様なものです。テレビは、実際の現場に似せて場面を作り出しています。しかし、決して現場そのものを見ている訳ではありません。あくまでも、テレビが作り出した場面を見ているだけです。
部屋の中にいる限り、外の現場を直接見ることは出来ません。
 テレビを見ているのが私です。決して、テレビが私なのではありません。 テレビが壊れても、修理すればまた見える様になります。見ている私が壊れた訳ではありません。
 もし、見ている私が壊れたのであれば、幾らテレビを修理しても元通りに見える様にはなりません。テレビを修理して、元通りに見える様になったと言うことは、私自身は何も変わってはいなかった事を証明しています。
 同様に、もし病気で脳が壊れて、何も感じなくなったとしても、医学が発達して、脳を直す事が出来る様になれば、また私は前と同じ様に感じることが出来る様になるでしょう。
 この事は、私は何も変わっていなかったことを証明しています。病気をしても、年を取ってボケても、そして死んでも脳を元の状態に戻せば、元通り感じることが出来るので、私自身は何も変わってはいません。
 ただ脳が信号を送らなくなったので、何も感じなくなっただけです。テレビが壊れて直せなくなっても、新しいテレビを買えば元通りに見ることが出来ます。脳が死んでなくなっても、新しい脳が私に信号を送る様になれば、また元の通りに感じることが出来ます。
 科学が発達し、かつて脳を構成していた、物質を掻き集めて、元の通りに組み合わせて、脳を作ったら、また、私は元の通り感じるようになるでしょう。
 私自身は、生じるものでも無くなるものでもありません。穢れるものでも、清くなるものでもありません。増えるものでも、減るものでもありません。宇宙の初めから存在しており、宇宙の終わりまで全く変わらずに存在するものです。
 死んだ後の状態は、生まれる前の状態と何一つ変わりません。何か違いを指摘できるでしょうか。
 生まれる前の状態から、人は生まれてきました。死んだ後の状態から生まれることは、何ら不思議なことではありません。

この様に脳と言う物質は、精神である私に刺激を送ります。そうして初めて心が生じ、私は感じることが出来ます。脳と言う物質が刺激を送らなければ、精神である私は何も感じることは出来ません。感じている全体が心です。心は物質と精神のコラボレーションです。物質がなくても、精神がなくても、感じている心は生じません。
ただ、1秒前にこの私の脳が刺激を送っていた精神が、今の私の精神である保証は何処にもありません。精神である私に記憶が蓄えられるのであれば、1秒前の精神と今の精神である私とは同一であることが分かります。しかし、記憶は脳に物質の構造として蓄えられます。脳に蓄えられた1秒前の精神が感じた記憶を、今の精神である私が感じているのです。こう言う意味で、私とは、「今現在のこの一瞬のこの心」です。次の瞬間には私ではなくなっているかも知れません。ですから、この刹那を精一杯生きなければならないのです。
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思うままを書き連ねてみます。



私は出産した時に神様から託された魂の重みに身が引き締まる思いでした。
この魂が阻害されず輝くようにどうやって導き育てていけばいいのかと。
すべての人は生まれながらに根底にある固有のものはあるはずです。
それは人生の折々で指標にもなるコンパスのようなもの。
それに気づける感性を曇らせない必要はあるでしょう。

>現在の日本の教育・社会ではアイデンティティーの確立が難しく、個性が失われる

教育は一種の洗脳ですから、その社会に都合がいい人に育てようとします。
また真実を教えられるとは限りません。
価値観も違う別の世界もあるのです。
まるでパラレルワールドのようです。
それに気づいたからといってすぐに新しい真のアイデンティティーができるわけではありません。
ゆらぎ悩み苦しむ事、疑問を持てること、そのものがその人のアイデンティティーであるともいえるでしょう。

ブレない芯は、努力して培うものです。
絶えず考えて行動する、その一歩々々がぶれない芯を強化しいくでしょう。
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創価学会 壮年部の者です。




少し宗教の話しをします。
宗教の中でも、仏教の話しをします。
仏教の中でも、『法華経』の話しをします。
法華経の中でも、末法の法華経である、日蓮大聖人の著した御書の中の『一生成仏抄』を紹介したいと思います。

■■■《一生成仏抄》■■■

『・・・・・略・・・・・
衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷うときは衆生と名け悟る時をば仏と名けたり・・・・抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず言葉も及ばずと云うことなり、然ればすなわち起こるところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起こる有りと思うべきに非ず無と思うべきにも非ず有無の二の言葉も及ばず有無の二の心も及ばず有無に有らずして而も有無に徧して中道一実の妙体にして不思議なるを【妙】とは名くるなり、此の妙なる心を名けて【法】とも云うなり・・・・然ればすなはち善悪に付いて起こり起こる処の【念心の当体】を指して是妙法の当体と説き宣べたる経王なれば【成仏の直道】とは云うなり・・・・・・略』

※【】は、分かりやすくするために、私が付け足しています。

■■■■■■■■■■■■

>今私は高校二年生(女子)ですが、自分とは何かわかりません。

大人でも判らないのに、高校二年生では判らなくて当たり前です。
ですが、折角質問をいただいたので、何かの参考になればと思い、回答したいと思います。

人間というものは、全てに【命】があります。その命とは、科学的または医学的概念で言うところの命とは多少意味合いが違います。科学的または医学的概念では、命は人が(実際は人に限りませんが、、、)生まれて命を得、死んだら終わると言うものですが、仏教でとかれる【命】とはそうではなくて、“三世を貫くものである”とされています。そして、個々の命には、過去世における“宿業”というものがあり、その宿業によって現世において生きているのです。

仏教には、『依正不二』というものが説かれており、これは【命=一念=正報】と【依報】との関係を言っていて、個々の命(心)と体、環境は正報である命(一念)と連動している事を言っています。つまりは、貴方の体、貴方の住まい、友人、学校、社会環境と貴方の持っている命(一念)は関係している、もしくは、貴方の持っている命(一念)によってそれらは存在している、という事です。また、生活する上において個人の身の上に出てくるであろう悩みや問題は、その人の命(一念)に具わった“宿業”が現われているに過ぎないのです。

実は、人間は誰しもが持ったこの“宿業”を転換し、同じような悩みを持った他人を救って行くために生まれています。その使命を自覚し生きていくところに、人間としての本当の目的が存在します。



>その「一貫性を持った自己」というのは、どうやったら見つけられるのでしょうか?
>周りに流されない、自分の人生のポリシーとかそういうことでしょうか?
>自分を構成する「核」的な役割を果たすもの、という記述もありました。
>最近、いろいろ考えているときにそういう「核」的なものが欲しい、と思うことがありました。
>どうしたら「自分」というものが分かり、「核」を発見できるのでしょうか?

先ほど、【命(一念)】の話しをしましたが、ここではその命(一念)に具わる十界についてお話いたします。
正確には、【一念三千】という法門があるのですが、少し難しいので、先ずは基礎的な【十界】の話しをしたいと思います。

・地獄界・・・苦しみの境涯。
・餓鬼界・・・飢えの境涯。
・畜生界・・・理性がなく、本能的欲望のままに行動する境涯。
---------以上、三悪道。
・修羅界・・・自己本意で卑しく、他人を羨み、滅ぼそうとする境涯。
---------以上、四悪趣。
・人界・・・人間らしく物事を正しく知覚し、判断し、認識できる境涯。
・天界・・・喜びの境涯。⇒この場合の喜びは、永続的なものではありません。
---------以上、六道。(六道輪廻の六道。)
・声聞界・・・仏の教えを聞いて、悟りを求める人の境涯。
・縁覚界・・・外縁によって、何らかの悟りを得た人の事で、それに満足してしまう境涯。辟支仏とも言います。
---------声聞、縁覚の二道を二乗と言います。
・菩薩界・・・自ら仏の悟りを求めて仏道修行に励むと共に、他人を利益するために実践する人の境涯。
---------以上が、九界。
・仏界・・・無上の智慧と慈悲を体現し、法を広め一切衆生を苦悩からすくう為に行動する境涯。

この十の境界が、全て命(一念)に具わる事を言います。どれか一つしかないとかどれかが欠けるというものではありません。全てが具わっているのです。そして、前にも話したように“宿業”や縁に触れ、様々に変化していくものなのです。多くの衆生は、【六道】を出ないとされています。また、仏界については、現ずることは難しいとされています。これが、貴方や他の人の命の状態です。この十界を踏まえて良く見ることで、その人の現在の境涯が実際に見えてくるのです。


>アイデンティティーを確立するために、何をすればいいんでしょうか?

以上の(先に述べた事)を踏まえ、自身の心を良く観察する事です。

あえて言えば、御本尊に向かい、『南無妙法蓮華経』とお題目を唱えていく事です。

これは、【絶対的】な自己確立をする為に、書かせていただきました。
未成年ということもあり、色々と難しい(環境的に)点もあると思います。
できれば、ご近所やご友人に創価学会の方がいましたら、相談してください。


※急ぎ足で説明しましたが、難しいところや疑問に残るところは、再度、質問を立ててください。
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「勉強する」しかないと思います。

(明治時代?)

「学ぶ」しかないと思います。(昭和時代?)


>「最近、いろいろ考えているときにそういう「核」的なものが欲しい、と思うことがありました。
どうしたら「自分」というものが分かり、「核」を発見できるのでしょうか?
アイデンティティーを確立するために、何をすればいいんでしょうか?
さまざまな経験を積むことがやはり一番重要なのですか?
某ドラマで(すぐにドラマに影響されてしまいます…笑)、現在の日本の教育・社会ではアイデンティティーの確立が難しく、個性が失われる
と言っていました。本当にそうなのでしょうか。
自分の個性を見つけ出し、それを死なせないためには何をしたらいいのでしょうか。」

いいよ、いいよ、・・・いざとなったら「生活保護」があるさ
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>アイデンティティーを確立するために、何をすればいいんでしょうか?



等身大のあなたがアイデンティティーそのものです。やりたいことを素直にやってください。

 今私は高校二年生(女子)・・・・・・

その悩みも含めてトータルがアイデンティティ。

>その「一貫性を持った自己」というのは、どうやったら見つけられるのでしょうか?
>周りに流されない、自分の人生のポリシーとかそういうことでしょうか?
>どうしたら「自分」というものが分かり、「核」を発見できるのでしょうか?

おそらく、周りに流されることを不快に感じているのではないでしょうか。
自分のやりたいと思うことを好きなようにやりたいだけ思いっきりやれていないということじゃありませんか。

強いて言うなら、やりたいことに没入しているあなたが本当のあなたの核みたいなものだと思いますよ。
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No.1の方と同じ意見です。



ただ、自分が今どうしてるのか分からないし、どうやってもいいか分からない状態ではないでしょうか。

http://www.amazon.co.jp/BC/dp/4163733507

お奨めの本です。
テレビで再放送の機会があるかもしれませんが。

自分で集めて手にした情報から、自分で考え出すこと。
まずは選択から学ぶといいかもしれません。

高校生ですから、徐々に自分を形作る時期です。
自分に近づいていくことが大切です。

楽しく自由にやっていけることを願います。
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丁度、私もそのことを最近考えています。

アイデンティティとは何か。
自分と一言で言っても、いろいろな面があります。たとえば、都合や置かれた状況によって、同じ疑問に違う回答を与えたりもします。
そんな多面的な私であるから、自分というのは、総体としての自分というものが、いわゆる自分なのではないかと考えています。あの時私はこういった、でもその時はこうしたではないか、、いろいろな矛盾もコミコミで、自分なのだと思います。

深い話をすれば、自分の個性と思っていたものは個性でもなんでもなかったり、或いは、他者とは違うと思っていた部分が、案外、他者との共通点であったり、そういうようなこともあるのが普通なのではないでしょうか。
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自分とは、宇宙をこのように認識しているもの、です。


人は、見えている「自分」の内側を、自分の実体だと思いがち
ですが、「見えている」世界とは、脳内の現象であり、「自分」
の外側こそが、自分の実体なのです。

全ての存在は、量子的な不確定性=確率波動性に基づいて
おり、無限につめ込むと存在確率の山が平らになって、無と
等しくなります。
この「絶対無=不確定性無限」において、その無限の闇に、
認識体の仮定断面(潜在的認識可能性)の運動を想定すれば、
相対的に無の風は光になり、認識体はその光(量子相互作用
パターン)の向うに、自己の補完(相補的不確定性)としての
宇宙を認識するのです。

認識可能性(感受表面=光速)からの、自我仮設(時間的流れ
=記憶=過去=超光速)と時空仮説(空間的広がり=予測=未来=
光速下)の相補分化だと言えるのです(現象表面的(仮説的)
定性化による非光速性に依拠した)。
全ては、あなたが存在するための補完なのです(ただし物理的
根源にまで遡った「補完」なので、現象表面的な肉体的自己の
思い通りにはならない<本質性において自己矛盾する)。

その発生に、異なる認識可能性(プランク定数h)の時系列化
(宇宙膨張=物体収縮=h(不確定性)の収束)が必要であった事は、
宇宙は、異なる本質(h)=別の認識可能性を自己同一視すると
いう、ある種の精神異常として発生していると言えます。
一方、量子的に時間性も不連続である事が知られており、実は
過去の自己と、外の他人も同じ認識可能性として共通であり、
その事が原理の共有において、自己の環境への延長(遺伝的な
連続=交配、社会的な分業化=互助、生態系の循環)に射影して
いるのです。

認識の深まりは、その自我の補完としての存在性に於ける認識
可能性の他我化=愛に向かい、その自己存在の本質に根差し
た自律的な生において、生理的な認識可能性の最大化とその
充足の最大化=精神的充足量の最大化は可能になるのです。
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”自分とは何かわかりません”


   ↑
お母さんから生まれて、家族と接し、他人とつきあい
社会に揉まれて、そうやって構築されたのが自分です。

私は誰? どこから来たの?

私は、そうやって醸成されて来たのです。


”自分は周りからどう見られているのか、どの立場にいるのかなど気になってしまいます。”
   ↑
それは当然です。他と比較することにより、自分が
より鮮明に浮き上がって来るからです。
日本文化の特徴は、外国と比較するとよく判るのと
同じ理屈です。

”「一貫性を持った自己」というのは、どうやったら見つけられるのでしょうか”
     ↑
見付けるんじゃなくて、今のあなたが自分です。
その自分は、長い年月を重ねて造られたものですから
そう簡単に変わりません。
つまり一貫性を持っている、ということです。
見付ける、というのは哲学を勉強して迷うのですが、
まあ言葉遊びの一種です。
怪我して疵ができ、それが治る、とします。
それでは、その疵はどこに行ったのでしょうか?
というのが、哲学っぽい言葉遊びになる訳です。
疵はどこにも行きません。
治っただけです。

”「核」を発見できるのでしょうか”
    ↑
以上説明したように、核も発見するものではありません。
自分で造るものです。
私は、核とは自分にとって一番大切なモノだと思っています。
明日死ぬとします。
その時、何が大切でしょうか。
何が残るでしょうか。
金など大切でないとわかります。
何でしょう。
それは人によって異なります。
それが核です。

”現在の日本の教育・社会ではアイデンティティーの確立が難しく、個性が失われる
と言っていました。本当にそうなのでしょうか。”
   ↑
本当にそうなんです。
日本は価値相対主義を採っていますから、何が大切かは
自分で決めねばなりません。
子供の手に余ります。
大人だって沢山勉強しないと判りません。
結局、勉強しない人はアイデンティティを確立できなくなります。
だから難しいのです。
これに対して
欧米ではキリスト教という核が決められています。
だから、日本よりは容易だと思われます。

”自分の個性を見つけ出し、それを死なせないためには何をしたらいいのでしょうか”
    ↑
勉強することです。
世の中にはものすごく頭の良い人が沢山いて、
そういうことを考え、本を書いています。
そういう本を読んで、自分で考えることだと
思います。
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 こんにちは。




 ★ 自分とは何?
 ☆ いまそのように問うているひとのことです。

 《自分》あるいは《私》と称しているその人です。

 そのように自称しうるひと。その自称が指し示す存在のことです。それ以外にありません。

 ★ 自分を構成する「核」的な役割を果たすもの
 ☆ こんなものは あっても無くても かまいません。
 それを持ち出して来ているひとは 何も分かっていないから 体裁をつけているだけだと思ってもマチガイありません。

 ★ 個性
 ☆ 同じくなくても かまいません。あったから その個性が《自分》だというわけのものではありません。
 個性は 《自分やわたし》と自称するひとが 自己表現をしつつその過程で身につくものです。クセ(エートス)のことです。

 自己表現をおこなう人が 《自分》です。


 ★ アイデンティティ
 ☆ とは ひとが《わたしはわたしである》と言うということです。
 またその宣言を どこまでも自乗してあゆむところに あると言えばあります。

 ですが いちいち確認しなければならないものでもありません。

 わが心を心として自己表現できていれば 何も言うことはありません。
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