プロが教えるわが家の防犯対策術!

私は我が強く、利己的です。
自分の得になること以外はしたくないです。
表向きはそうではないように振る舞っているので、かなり長年私と一緒にいないと普通は気づきません。私も意識せず、無意識のうちに自分に得になるかならないかを一瞬で計算している面があり、そのような意図的なことでないからこそ、人は気づきにくいんだと思います。でも実はかなり腹黒です。こう書くと謙虚な気持ちを持っていて自分の事を冷静に見ている人のようですが、長年私と付き合うと私が本当に利己的な人間だと分かると思います。

人のために何かをするって、なんですか。なんで自分の時間、労力、お金、気力、色んな物を使って人に何かをしなきゃいけないんですか。いや、したくないならしなくていいと思います。でも、しようと思う人がいるのは何故ですか。どうして、自分の財産(時間や労力も含めて)を犠牲にしてまで、人に何かするのですか。きっと、犠牲と思っていないんでしょうね。どうやったらそのように感じられますか。

私が一度も人のために何かをしたことがないかというと、そうではないです。何かすることはあります。でも本当は、それをしたら何かが返って来ることが分かっている時だと思います。つまり見返りを求めているんです。100%潔癖に見返りを求めていない聖人なんていないでしょうけど、もちろんそれは私も望んでいないのですけど、私は見返りがないとき、内心、腹を立てるくらい、利己的で、その怒り、被害妄想が自分にすごく悪影響を与えています。近い人間に対しては、その甘えを出してしまい、人間関係が壊れます。

相手の幸せを純粋に願うって、どうやったらできますか。理屈じゃなくて良いです、どんな感覚なんですか?どんな気持ちなんですか・・・。私はまた、人に合わせることができません。全部自分のルールです。そのルールに従ってくれない相手には怒りがわきます。近い相手にはそのルールを一般論にすり替えたり正当化したりして怒りをぶつけます。遠い相手にはしませんが、かなりイライラしながら、それを押さえ込みます。それはすごく苦労します。疲労します。相手の都合、相手の気持ち、相手のルール、なんで私は考えられないんでしょうか。いや、考えはできるんですが、それでもイライラが収まらず、被害を受けたような気持ちになり、とてもツラいです。近い人間関係を壊してしまうのは、私がこんな人間だからです。

どうかアドバイスをください。ぐっとこらえる以外に私は何ができますか。どんな<感覚>なんですか?人に合わせたいのに、人の利益になること、人が喜ぶことも本当にしたいのに、(いや、でも、本当はしたくないのかな・・・)どうしても、その場になると、焦りとイライラがあります。自分がなくなる感じがするのかもしれません。自分の持ち物が減るとでも思っているのかも知れません。本当はそんなことないのに・・・。どなたかヒントをください。長々と書いてすみません。読んでいただいてありがとうございました。

A 回答 (6件)

どんな感覚か?という質問なので答えますと


「快感」ですね。

快感と言っても色々とありますね?。
気持ちがいい状態というのは、日常でも何度もあります。
例えば「やっと部屋が片付いた」という快感だったり、お腹がいっぱいになって幸せだったり。
快感を感じるときは幾度もありますね?。
そういったものの一つです。
清々しかったり、誇らしかったり、嬉しかったり。
そういう感じですね。

私が思うにはですけど「減ること」を怖がっているんでしょうか?。
何かを差し出すことで、ただ奪われてしまうだけ、という、そういった強固な自我があって、それで苦しむという。

多分、あなたが他人に対して求めているものは「あなたが欲しいものとは違う」んでしょうね。
それでそうじゃないよ、違うよ?というと、あっそう、じゃ勝手にすれば?になる。
そのうちに自分がわがままに思えてきて、やがて他人の価値が信じられなくなってしまう。
それで「自分は冷たい」と貫き通すこと、自分を騙すことで、なんとか日常を成立しようとしたのではないでしょうか?。
きっと「根」は深いところにあるはずです。
なので一朝一夕でどうなるというものじゃないですが、救いはあるはずです。

自分と他人は「必ず違うもの」です。
違う存在、違う人生、違う考え方をみな持っています。
それを「認めて理解する」ということは、これは生涯かかっても無理なことだと思います。

あなたと他人は違いますし、それが当たり前なのです。
だから「違うということを恐れないで」欲しいと思います。
あなたの存在は多分、理解されるのに時間がかかるとは思いますが、それで自分を隠すように、我慢するように生きてはいけないと思いますよ?。
自分を出していくことは、どうしても必要なことです。
誤解はこれからも生まれるとは思いますが、あなたが「必要だと感じたことなら」考えること無くやってみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

後半は少し感覚的に分かりませんでしたが(文章では理解はできました)、
何かを差し出すことで、ただ奪われてしまうだけという恐怖が根底にあるというのはすごくピンと来ました。その通りです。だからこそ“見返り”がないと自分がどんどんなくなって消えてしまうような、おおげさに言うと生存を脅かされているような、そんな怖さがあるんです。苦しいです。そんなことはないと分かっているのは頭だけ。人のために何かしよう、我慢して合わせようとすると、この恐怖からパニック状態になり、表向きは盛大に怒っていたりします。最低ですね。
清々しかったり、誇らしかったり、嬉しかったりといった感覚になるのも、なるほど、と思いました。苦しいとき、この感覚を思い浮かべてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 07:14

 私も、あなたのようになります。

利己的なのかな。
人のために何かをしたいとか、深くかんがえて行動してませんけど、私は仕事をしても勉強していたときも、学生でクラブや勉強のときも、まずは、とにかく自分のことが大事で自分のことだけかんがえて頑張ってました、気をつけていたことは、人に迷惑を掛けないようにすること、自分の事だけしか考えて行動していなかったけど、何か困難があったときは、常に誰かが助けてくれていたと思う、私になにかしても何のメリットもないけど、思えば学生のときも、仕事でも独立するときも、病気で手術するときも、どうして良いか分からなくなっていた私に、助けてくれた方が、たくさんいた。自然とそうなっていった気がする。ずっと一緒にいた友達もなく、親の知り合いでもない、何かの縁で助けられて、今がある、今思えばとても不思議なことが多い、そのときだけの付き合いで助けてくれた方もいた。  私には何の力もないから、その人たちは、本当に自分を犠牲にしてくれたといえる、
私は、こうやって色々な人の縁で今があるので、いつしか自分も人にできることは自然としているところがある。
無意識に親切にしている。でも、押し付けて人に何かしているつもりはないが、中には素直に人の親切や好意をうけとれない人もいる。
損得でしか人と付き合わないというか、
こちも嫌なきもちになるが、そういうひとは、きっと人の縁を大事にしてこなかったのではないかと思う。
色んな人に助けてもらってないとか、その感覚がないひと。
人がとか、人にとか思うのでなく、自分のことを大事に考え今のしている仕事や勉強や家庭や自分のことを
もっと真剣に頑張れば、周りが変わりまわりのかかわりが変わり、自然と助けられ、また自分が自然と何かをしたくなるのではないかな。
  
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。。私もまわりにたくさん助けれてはいるんです。頭では、わかるんです。。でもどうしてかな、あなたのように感謝することが出来ない。人のために何かをしたいという気持ち自体になれないんです。自分でも意味が分かりません。
ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 07:21

我が強くていいんじゃないですかね。



まずは自分の基盤を何とかしないと。

他人のために何かする考え方はこれです。

相手の得は自分の得。

相手に何かを与えれば、自分が豊かになる。

だから、相手のためになにかする。

結局は、エゴです。

でも、それでいいんじゃないかと思います。

自分のために、利他的になる。

それって、ウィンウィンってことです。

大事なのは、利他的な心をもつことよりも、
結果的に相手のためになるかどうかってことじゃないですか。

立派なこと言うより、立派な行いをすることです。

その際、自分の利益も考慮して、かまいません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まずは行動から先に入る、というのも確かに1つできることかもしれません。苦しくても何か少しでもやってみるように頑張ります。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 07:15

私は子供頃に、とっても上品で美味しいキャンディーをくれた、おばあさんに感謝しています。



他にも近所のおじいさんが何故かケンタッキーをくれたりして嬉しかったです。

中学の時は同級生にスイカを貰えて感激しました。

とにかく何でも感謝の連続です。

数え切れないほど幸せをもらっているの人ほど貰うのが当たり前のように考えてしまうのでしょう。

ラジオは情報とかメッセージが入ってくるのでハッピーになれます。ラジオはオススメです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

泣きそうになりました。あなたのように私も感じたい。あなたは人に感謝できる素晴らしい人ですね。ずっとそのままでいてください。私も人からいただくものを当然ではないと感じたいです。もらえないと怒るのに、もらえると当然。理屈では絶対おかしいと分かるのに、感じるのはそういう風になってしまっています。つらいです。ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 07:05

そうですね、見返り…というか自分が損する一方を望む人はいません。


ただ、この損得にはメンタル的な意味も含まれます。

例えばプレゼントをあげる、という行為ですが。
自分のお金を損失し、選ぶ時間を損失し、店に足を運ぶ労力を使います。
見返りは笑顔と好意です。
損失と利益で利益の方が大きいと考えるからプレゼントをするわけです。

人間関係が壊れて嫌なのは、嫌われたくないという思いがあるからですよね?
我慢をすることで、好意という見返りを得る事ができるわけです。
逆に我慢をしない事で、嫌悪という損失を出しています。

おっしゃる通り、貴方の計算は無意識です。
意識的に計算をするようにしましょう。
自分がやりたいようにやった場合、生まれる損失。
我慢した場合、得られる利益。
どちらが得なのか…。
貴方の状態を腹黒いとは言いません。ワガママなだけです。
腹黒い人はちゃんと理性的に計算していますよ。

腹黒でいいんですよ。
本能のままに生きているだけなのに何をやっても愛される人はそういう才能を持っているだけです。
凡人には努力が必要です。

人が他人に尽くすのは見返りがあるからです。
その場その場ではなく、長い目で見るようにしましょう。
情けは人のためならず、です。
他人から優しくされるためには優しくしておく必要があるのです。
「見返りがない時」と言いますが、本当に見返りがありませんか?
貴方がその見返りに気づいていないだけだと思います。
冷静になって、本当に見返りがないのかどうか考えてみましょう。
まあ、本当に無い時もありますが。


人に合わせるのが得意な人や、尽くすのが好きな人がいますが。
我慢していないわけではありません。むしろ我慢しすぎて裏では屍のようになっています。
それでも我慢する事で得られる利益の方が大きい、と思って我慢するわけです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど…。腹黒ではなく我がまま、その通りかも知れません。おっしゃるとおり長い目で何かを見たり長期的なプランで何かをすることもすごく苦手です。その辺りもヒントにしてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 07:02

自分の考えかたを変えるしかないと思います。



自分が人にしてもらって嬉しかったから、自分も人にできるようになるんだと思います。
損得勘定だけで過ごしているのはもったいないと思います。

まずは常に自分より相手を優先してあげれているか自分に確認して行動することだと思います☆

ヒントになれば幸いです☆
    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうしてもそれができないんですけどね。。がんばります。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/14 06:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!