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今付き合っている彼からギリシャ正教会で洗礼を受けるように言われています。
彼は結婚を考えているので、洗礼を受けるならギリシャ正教会で、とのことです。
私は宗教とはまったく無関係の家で育ち、倫理の授業以外は宗教との接点はありませんでした。
神様はいると思っていますが、自分が聖書にならってイエス・キリストの様に生きたいとか、救済されて永遠の命がほしいとは思いません。
神様の存在は認めても、特定の宗教に属したくないというのはおかしいですか?

A 回答 (13件中1~10件)

>>神様の存在は認めても、特定の宗教に属したくないというのはおかしいですか?


気持ちはとてもよくわかります。実際、どのような教えであっても、宗教団体が肥大化してくれば、綻びも出れば分裂もします。「信仰は宗教でなくては行えない」わけではありませんから、それはそれでいいのではないでしょうか。

いかなる事情があれど、誰にも信教の自由はあります。あなたがギリシャ正教会の洗礼を受けたくないのであれば、あなたは拒否できる筈です。彼があなたが洗礼を受けない状態で結婚するのかは怪しいものですが。

ただ、彼とのご結婚を考えていらっしゃるようですが、結婚すれば嫌でもギリシャ正教会とのつながりは出てくるでしょう。結婚してしまえば、後戻りするのは簡単ではありません。熟考の上で行動に移した方が良いのではないでしょうか。
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難しい問題ですねえ・・・



つまり心に神が存在する事は認めても ギリシャ正教会の教理はそのまま鵜呑みに出来ない

この時代その様な事例は多いのかもしれませんねえ

日本の仏教の場合もその様な事はあったでしょうけど 今は家の宗旨も形骸化してる家も多いので

浄土真宗ですか はい南無阿弥陀仏 日蓮宗ですか はい南無妙法蓮華経と唱えて

分かった振りしてても何とかなるかもしれませんが

キリスト教は厳格ですから洗礼を受けて誓わなければなりませんからねえ

そこには矢張り宗旨に引っ掛かる所があるかもしれませんねえ

その彼に説得してもらって 熱意を持って説得してもらって 納得するか

どうしても納得できなければ正直に 納得できないまま洗礼を受けてもいいのかと

極端に言えば 私とギリシャ正教とどっちを取るのと 聞いてみない事には治まりは付かないかもしれませんねえ

私は聖書は読みましたし参考にしていますが クリスチャンになれと言われたら・・・

さもなくば妹の命はないぞといわれたら なるかも?

宗教も夫婦別宗になりませんかね ギリシャ正教会の夫と無宗教の妻って。

それくらいしないと治まらない問題ですねえこれは。
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キリスト教はアジア人の上には原爆を投下してもかまわないと考えている人が過半です。


実際に、広島や長崎の老人や子供などの非戦闘員を原爆で虐殺しながら反省も謝罪もしないのが平均的キリスト教徒の実態です。(例外もあるとは聞いておりますがあくまで平均的キリスト教徒と考えてください)。

このような自己中・極悪非道のキリスト教でさえも、日本では宗教の自由の憲法の元、守られております。
しかし、個人として、このような残虐な宗教に入信するのはいかがなものでしょうか。

まして、ご本人がキリスト教に帰依するつもりが無いのに、彼氏という地位を利用して純粋な質問者さんをキリスト教の仲間に引きづり込もうと言うのは横暴ですね。

ところが、キリスト教には教徒に対して「他教徒を改宗させて手キリスト教徒を増やすべき」という教えがあるのです。

怖い事ですから、近づかないのが上策と思います。
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michalist さん、michael-mさんと今回は揃い踏みですね。

私もmichaelを洗礼名に持つカトリック信者です。

但し、私は「お礼教」の信者でもあるので、原則として「お礼率」が少ない「異教徒」の皆さんの質問には答えません。
・・・
他に、私は「初恋教」と記憶していたのですが、「もろもろの不幸は、ことごとく初恋のたたりである。だから初恋の生霊、死霊を祓い浄めてつき進めば、未来は祝福され、幸運が招来される」と教える「天元教」というのもあるそうです。・・・そう言われてみると、当たっているような気もしますね。
似たのに、血液型の話になると、突然饒舌になる「血液型教」の信者もウヨウヨいますね。・・・実は私もその一人です。

もっと有名なのは、「日本人とユダヤ人」の著者、イザヤ・ベンダサンの提唱した「日本教」ですね。

実は、私はカトリックなのですが、それ以前に、日本人として、日本の伝統や仏教、神道にも深い敬愛を感じています。実は多くのカトリック信者も同じような考えの持ち主であり、他宗教で営まれる法要やイベントに出席することなどについては、何ら禁止する教令はありません。そのあたりについては比較的鷹揚な部分が多いのがカトリックです。同じキリスト教でもプロテスタント諸宗派は、やや原理主義的で、上記2~3番目に書いたような「神」でないものを「神」として拝む「偶像主義」をカトリック以上に忌避する傾向があるように感じられます。

古くは、西欧社会はキリスト教のみの一枚岩の世界であり、他文化圏の諸国に対しては非常に頑迷且つ排他的な所があったというのは事実ですが、世界的にも、そういった傾向は薄れていっているようです。

ですから、冒頭のように、自分の信仰や信条を他人に押し付けたり、入信を迫るのは、やはりたとえ家族や恋人でも、好ましくないことでしょうね。日本国憲法で保障されている「基本的人権」で保障されているのですから、気が進まないのであれば、あなたは彼に従う必要はありません。

あなたの「神は認めるが特定の宗教の信者にはなりたくない」というのは、日本人の代表的な考え方であり、私も大いに共感する所です。

実は、「宗教」には、教義や教祖が存在するキリスト教、仏教、イスラム教などの「創唱宗教」のほかに、
先祖や自然に手を合わせる、特定の宗教を通じることなく漠然とした「神」を崇敬するという「自然宗教」があり、後者の人たちも広い意味での「宗教者」と呼べるという考えもあります。

このあたりの詳細については、私は過去に何度も回答や質問をしていますので、プロフィールから関連質問をご覧下さい。ここでは一つだけ、以下に、私の過去問を挙げておきます。

「普通名詞としての神」に祈ること
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7321056.html

最後に、押し付けを承知で言いますが、是非とも改宗して「お礼教」に帰依されることを期待しています。
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「自分が聖書にならってイエス・キリストの様に生きたい」


「救済されて永遠の命がほしい」

これを彼が真顔で言っているとしたら、別れたほうが無難ですね。
ちょっと現代の日本人ではついてゆくのがツライと思います。
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ぜんぜんおかしくないですよ。

真っ向から否定する、或いは排他的な宗教に属しているなら、私は良くないと思いますが、神を信じているのなら縛られる必要もありません。

そもそも宗教あっての神でしょうか?それとも神あっての宗教でしょうか?
神という存在があって、そこから何かしらの道筋を学んで出来上がったのが宗教です。
神から学ぶ道筋や教訓は人によって異なるのが当たり前でしょ。であれば幾つもの宗教があったってそれを否定する理由等ないはずです。だって神は唯一なんでしょ。

本来は神と人間との関係であって、そこの宗教が介在しなければならないわけじゃありません。自分自身で神と接し、何かしらの啓示なり力(御神徳)なりを得て生きる指標とするべきものですが、なかなかそれが得られない人が縁を得るのが宗教です。
神の啓示と言っても誰かさんのように霊言が下るというわけじゃありませんし、厳しい修行が必要なわけでもありません。日々の生活の中のふとした思いつき、発想、想像、その中に存在しているということです。また朝日を浴びる暖かさ、清らかな水の心地よさ、清浄な空気の中に感じ取ることが出来るものです。

私はカトリックであります。妻は浄土真宗です。私の家系は臨済宗であり曹洞宗です。
私は私と神とのつながりをもっとも崇高な物だと思っているから、どんな宗教だろうと排他的でない限り受け入れることも出来ますし他の者が得た指針をも尊ぶことが出来ます。
逆に自分が他を排すれば、他も自分を排するということです。

もし妻が入信していないことで罰を受けるというのなら、私はそれを阻止します。もし阻止できないのであれば、私もそのバツを分かち合います。私はそれを結婚の際に誓いました。「死が二人を分かつまで」ではありません「死が二人を分かとうとしても」です。
アダムはイブに唆されて智恵の実を食べたんじゃありません。彼女と共に生きることを決意して智恵の実を食べたんです。それが「愛」という物ではありませんか?

竜宮城は「絵にも描けないうつくしさ」って言いますよね。人に伝えるとき、その美しさをどんな形に表しても、それは真実を歪めています。神の教訓も人に伝えれば真実を歪めています。その歪みは時を経るに従って大きくなります。だから人は伝えられた言葉の中から真実の姿を想像しなければなりません。
だから私は教会とは距離を置いています。それはある事件がきっかけでもあったんですが、それによって私は悟ったわけです。

だから貴女は貴女の神の捕らえ方を第一としなさい。
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>神様の存在は認めても、特定の宗教に属したくないというのはおかしいですか?



○おかしくはないですけど、特定の宗教に属したくないのであれば彼との結婚は諦めたほうが良いと思いますね。結婚というのは家族になることですから、家族が信じるものを受け入れることができなければ、うまくはいきませんね。ギリシャ正教というのですからギリシャ系なのですかね。
ギリシャではギリシャ正教で洗礼を受けることがギリシャ人としての条件のようなものですから、それに従うことが普通ですね。
日本の場合は神道か仏教ですが、日本国民は全員、例外なく、みなどこかの神社の氏子となってますね。
洗礼式などありませんが、それが真実なんですよ。一度でも神社に行くとということではないんですね。日本に生まれ、存在するだけで神道の氏子なんですよ。仏教の場合は、帰依式というのがあるのですがこれも割愛で、葬式の時はみな仏教徒のような顔をしてますね。
儀式としての洗礼式などありませんが日本はそういう国ですからね。それが普通なこととして受け入れられていますが、日本以外の国、特に西洋では、このような曖昧なことは許されないのですね。異端として捉えられるのです。異端というのは、何をしでかすかわからない蛮族という意味ですね。
宗教という同じ規範の人であれば考え方は理解できるので付き合えるが、枠外の人間は信用できないという意味ですね。キリスト教、ユダヤ教、仏教には「汝、殺すなかれ。姦淫するなかれ、盗むなかれなど」という規範がありますので、人間として安全に付き合えますが、そういう範疇にないものは何をしでかすかわかりませんからね。お隣の国には宗教的規範がないので「嘘も100回つくと本当になる。」などがまかり通つていますね。このような人とは付き合いたくないでしょ。
外国系の人との結婚は規範を同じくする必要があるのですね。宗教という規範が結婚の条件ですね。
難しく考えることはないと思いますね。
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人生観が違うんだから、徹底的に話し合えばいい。


それすらできないのに、結婚なんてちゃんちゃらおかしい。

その程度の付き合いなのですか?
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一度、喧嘩する事をお勧めします


彼にとってキリスト教こす総てなのかもしれませんが、あなたにとっては違います
洗礼受けても棄教してしまうと思います
棄教とは、教会にも通わないし崇めもしない
結婚後ですと最悪な結果にしかなりません
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別におかしくないと思います。



参考に
個人的な意見ですが、神という存在は実は科学技術力がやたら発達した宇宙人なのではないかと思っています。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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