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人間にとって 存在とは? (1)目的である (2)価値である (3)意味の根拠である

さあ どれでしょう?

その理由も教えて下さい まだ開拓中の課題なんで皆さんの意見が聞きたいです。

存在と書くと分かり難ければ 存在する事 生存することとかでも構いません

A 回答 (5件)

同じ‘存在‘ということを三つの切り口からみたそれぞれの結果ということで、三択ではなくそれぞれがそれぞれの切り口において正しいと言えるのではないでしょうか。

そして‘存在‘という言葉には少なくともそういう切り口が三つはあるということが示されたと私は解釈しました。三次元空間のxyz軸のそれぞれのように、言葉に付随する三つのファクターとでもとらえるのが妥当なような気がします。‘存在‘ということを質問文中の(3)(2)(1)のようにとらえるのは、順番に「実質・相関・方向」という三つの切り口による視点から見た結果と言えると思います。
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この回答へのお礼

なるほどそうですね 3つとも言える様に思えます

人によってどれに思えるのだろうと思っていました

妥当な意見だと思います

どうも大変ありがとうございます☆

お礼日時:2013/05/20 20:27

人間にとって『存在とは?』と疑問を抱く事を『失楽園』と聖書に書いてあります。

こう云った自己存在の意義や、生きる意味や生きがいを求める事は、自分自身に疑いを差し挟む事を意味すると思います。

こういった疑問が無い状態を『天国』と聖書は教えています。その理由は『脳の構造による思索する内容の違いです。』幼子は『自分は何者か?或いは人生とは何ぞや?』という疑問を持つ事がありません。その理由は『全てを、既に知っているからです。』

幼子には『自我意識』という意味での『自我』が未発達のためです。この事が原因で幼子には『心が一つしかないためです。』具体的には『見ている自分』だけが存在しているからです。そのために、自分の裸を見られたとしても、『恥ずかしい』と思う感情が湧きあがらないからです。思春期頃人間の脳は大人の脳に近くなります。この意味は『脳の機能分化が完成する。』という意味です。この機能分化の完成によって『心が二つに分かれてきます。』

具体的には、『見られている自分』が付け加えられるという意味です。そのために、自分の裸をイチジクの葉で隠す、行為が自然と出てきます。この意味は『見ている自分』が『見られている自分』の気配を感じる、或いは自分で自分を疑う事を意味するからです。自分の心が自分の心に疑いを持つ事を意味するからです。こういった現象を『神に背く』と表現しています。

人間の脳内に二つの人格(二つの機能)が併設されていて、その二つの機能がお互いに、なじめないでいる場合を『失楽園』と聖書では教えています。人間には自我意識=顕在意識という心があります、ですがその裏側には『無意識の自分が潜んでいます。』この人格の存在が『分かり難いために』人間は、障害として或いは悩みとして、或いは生き難さとして、苦しみを背負う場合があります。この苦しみを背負う場合に『失楽園』とキリスト教では教えています。

仏教では『一切皆苦』です、どちらも、心的には同じ内容を語っています。その内容とは『生き難さ』の事です。何処から押し寄せているのか?分からない漠然とした不安を抱える、という意味です。

この不安に打ち震える場合、『自我』として感じている『心』が圧迫感を受けています。この圧迫感を『地獄』と表現しています。具体的に表現をするなら『意識地獄』です。意識がある間は『苦しい』です。この苦しい想いが『一切皆苦』です。意識する事自体が『苦の世界』という意味です。宗教的に云うなら『原罪や業』です。

この『意識地獄』からの開放を宗教が担って来ました。つまり魂の救いが宗教の目的という意味です。今風に表現するなら『究極的な心の癒しの心理学』を教える事が宗教の目的という意味です。

この線から、『人間にとって 存在とは?』を読み解いてみます。人間が疑問を抱く場合では『疑問を抱く時』もう疑問の答えは既に出ています。本人が知らないだけです。

どうしてなのかを書いてみます。人間にとっての最大の疑問は『有限と永遠』の落差です、言い換えるなら知性では有限も永遠も知っている筈です。ですが自我意識としての心は『有限の世界の中で』閉塞感を覚えて有限の壁に阻まれて、永遠に憧れを持つ場合があるからです。

或いは人間にとっての最大の悩みは『生と死』の落差です。この落差に『自我意識』は深刻に悩む場合があるからです。この苦しみからの解放が『魂の救い』=『宗教の目的』=『究極の癒しの心理学』を意味します。

この苦しみの原因は『脳の機能分化』が原因です。人間に『人格が二つ存在する科学的な証拠です。』ウイキペデアからです。『”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”』

この二つの人格が活躍している脳の精神活動が、脳卒中の為にさえぎられた為に、返って本人にとって、内部観察が可能となって、その後見事に生還出来て、年数は掛かったとしても、無事に回復出来た脳科学者がその体験を語っている動画がありますので紹介します。

『脳卒中、ジル、ボルト、テイラー博士』と検索をしてみて下さい、動画が出てくる筈です。

テイラー博士が語っている内容は正に『宗教体験』です。結論から書くなら『右脳の人格』は神や仏という意味です。右脳の人格の機能は『生命発生装置兼生命維持機能』です。

始めに生命発生装置の説明です。生命として芽生えた時から働き始めているという意味です。細胞分裂をする事を熟知していて、その順序まで既に知り尽くしていて、順序正しく働いてきた訳です、その結果誕生する事になります。誕生した時点で証明は終わっています。

生まれた時既に、自分の生命維持機能は『全てを知り抜いて機能しています。』身体の生命維持機能は、心臓でも肺でも呼吸機能でも消化機能でも、神経系統でも、ホルモンの分泌機能も、誰に聞く事もなく、誰に教わる事も無しに全て自分の、知っているとおり働いています。

又心に感じる事や、湧き上る考えも、これまた誰に教わる事無しに『全てを熟知しているが如く、こなしています。不安や安心する事も恐怖感等も、『全てを熟知していて』働く機能として、働いています。その証拠は『学ぶ事無しに不安や安心や恐怖する事を、既に知っている事から推察出来ます。』更に付け加えるなら、身体的な行動によっての『生命維持機能』も是に加わっています。その証拠は『手や足の動かし方等を、学ぶ以前に知っている事です。』

一つの結論として、右脳の人格は『生命の維持を目的として存在している事』です。言い替えるなら、生命の維持の為に、命の働きは『身体の生命維持活動』『湧き上る感情や考えを司る事による生命維持活動』『行動を通しての生命維持活動』を、行う機能としての『司令塔』の役割を演じている事を意味します。

びっくりした場合や、身の毛もよだつという場合では『自我意識の承認なしで』身体と心が『支配されています。』この場合の行動は、自我意識としては『思わずに反応しています。』こう云った『身体』と『心」と『行動』に付いての脳内に存在する『司令塔』が二重に働く事に『違和感が無い場合を、健常者』と呼んでいます。交替制が余りにもスムーズにいっているために、交替する時の軋みが無い場合です。

その反対が、神経質な性格や不安になり易い性格ですが、この場合では『交替制がスムーズに行かない場合があります。

始めに身体機能の生命維持機能に付いてですが、『自我意識が関与していない時』=『身体の機能の事を忘れている時』身体の機能は最も、活発に働いています。その理由は身体の機能を働かせている者は『無意識の中に封印された形で存在しているからです。』

言い替えるなら『自我意識には身体の機能に関しては、何一つ、自在にする機能が備わっていないからです。』自我意識が、身体の機能に付いて『違和感を抱いて』思う様にしたいとする時、思うようにしたいところが『機能していないかの様に錯覚をする場合が在ります。』

その箇所の機能が低下しているとする錯覚です。脳の機能も身体の機能も正常な場合でです。検査では異常が無い場合では『健常者と同じ事を意味します。』只一つの違いは『自我意識の過度な集中です。』意識する力が意識したところに異常感を作り出しています。無意識の自分への信頼感が欠けている事を意味します。自分を疑っている事を意味します。

『心』を語る場合では、『湧き上る感情や考えを司る事による生命維持活動』を疑う事を意味します。この場合に於いて、『湧き上る感情』に違和感を抱く場合では『感情障害』と表現しています。感情を湧き上がらせている者を疑う事を意味します。

湧き上る考えに違和感を抱く場合では、誰かが自分の考えを操っているかの錯覚や、誰かに自分の考えが漏れている錯覚や、どこかで音や映像を見させられているかの錯覚に陥る場合があります。『右脳からの情報の受け取り方』を誤っているからです。右脳からの情報は『言葉に寄らない事で』自我意識の受け取り方は千差万別だからです。

『行動を通しての生命維持活動』を疑う場合では、自分の身体が『自我意識の思うようにならない場合があります。』字を書く事も、人前で話をする事も、物を見る事も、人に会うことさえ出来なくなる場合です。主に神経症と表現しています。

この三つの障害と思える事は、症状として見た場合では『全く違って見えていますが』実は同じ原因が、違う形で表れているだけです。自分自身の心が自我意識と『同調し難くなっている事を意味します。』意識する自分が『無意識の力を借り難くしている事を意味します。』

言い替えるなら『無意識の自分を疑っている事を意味します。』無意識の自分は『生命の維持機能です。』生命の維持機能とは『仏性や神』に相当します。従って『自分自身を知る事』=『見性』する事で解消する事を意味します。見性すると言う意味は『症状らしきものを起こしている者』と出会うという意味です。その事によって『症状らしきものを受容れる事』を意味します。

分かり難い書き方をしていますが、この動画にあるとおりです。人生に救いを求めている事が『救われない理由です。』自分の人生には救いなど無かった事を了解した時が救われた時です。障害に苦しむ場合では受容れた時です。
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この回答へのお礼

何やら右脳と左脳の機能分けの話しや 自我と自律神経の話などと似てますねえ

大変勉強になりました。

しかし回答としては結局存在とは目的として追い続けるものなのか 価値として認められるものなのか 意味の根拠として最も意味あるものなのか

それが分かりませんでした

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2013/05/27 19:47

最新の量子論的世界像において、有限な存在性は観測される事に


よって生じています。
全てのものは、あなたが存在するための(物理的根源にまで遡った)
補完なのです。
自我仮説に対する相補的な時空仮説における、他我性こそが存在。
(無の無限の闇に対する自我の射影)

相対性理論の四次元時空の方程式において、時間項はマイナス
になっており、そのため空間軸と時間軸の等距離点に、“ゼロの面”
ができます。
それが「ライトコーン」、即ち光子(=量子)の形成する面であり、光速
以下の領域(未来)と超光速の領域(過去)を分ける界面原点なのです。
そして超光速においてエネルギーは虚数化し、相互作用=二乗に
おいて負=過去(時間的反転)と等価になり、即ち、現在から過去
と未来が対発生していると言えるのです。

逆に言えば、階層現象性の表面的な定性化(いい加減に
捉える)に依拠した非光速性によって派生する時空性に
対する無の射影(相補分化の相殺)として、量子=存在は
生じているのです。
そもそも、全ては、自己が存在するための補完なのに、
なぜ「自己」の思い通りにならないかというと、その
「補完」が物理的根源にまで遡った相補性であるがゆえに、
現象表面的な肉体的自己の思い通りにはならないのです。
即ち、自己に対置される外的存在性とは、“肉体(物質)
としての自己”と“宇宙(心)としての自己”のギャップ
に由来し、自己矛盾として“自己にぶつかる”のです。
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自分にとっては「自分自身であること」ですから(3)になりますかね。



他の人がそうでなくてはならない訳ではないので、どれでもいいんじゃないでしょうか。
自分自身でありながら選ぶことが、自分という姿だと思うので。
その人なりの正解があるだけのように感じます。


人間にとっては?の問いの答えなら、誰かに作られたものが存在するだけ。
すると(4)誰か画一化するために作ったもの(作ろうとしたもの)
になると私は思います。
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この回答へのお礼

なるほど (3)は頷けて 人間にとっては「作られたもの」

だという事ですね

ご協力ありがとうございます☆

お礼日時:2013/05/18 21:05

ちょっと考えてみました。



私は「期待の連続体」だと思います。三択では「目的」が一番近いですね。
明日への期待、これがある限り私は生きることを選択します。
無数のマイルストーンの集合体が私の人生ですから。
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この回答へのお礼

存在する事を目的と感じられると言うことですね

無数のマイルストーン(里標石)の集合体ですね

なるほどです

どうもご協力ありがとうございます☆

お礼日時:2013/05/18 21:06

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