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 おせわになります。「おしん」の再放送を見ています。佐賀のしゅうとめが、都会的思考の嫁をいじめる、という展開になっています。それで思ったのですが、大正時代の佐賀というのは、特に保守的、封建的風土の強いところだったのでしょうか。あるいは、佐賀が特別、保守的ということではなく、一般的な地方と東京の差、ということなのでしょうか。ドラマでは、しゅうとめの考え方として、「女は田畑や家事を一生懸命やり、外でお勤めなどしてはいけない。男は家事をいっさいやってはいけない。女は男を常にたてなければいけない。身分の違うものと親しくしてはいけない。」、などというようなことが、出てきました。
 佐賀というと「佐賀の乱」などが連想され、士族的気風の強いところのような気もしますが、どうなのでしょうか。もし、佐賀が他の地方より保守的だとすれば、その歴史的背景はなんですか。

A 回答 (6件)

佐賀に限らず、当時、日本全国女は男をたてるものって感じだったと思います。


今でも、老人ホームに入居している大正産まれの女性は、たとえ女性職員に対して厳しい態度をとっても、男性職員に対してはクレームなどは絶対つけないという話を聞いたことがあります。

 ・歴史的背景 佐賀って今は地方の片田舎ですが、江戸時代は日本の最先端を担っていました。長崎の出島から、外国の文物がダイレクトにはいってきたからだそうです。幕末には鍋島閑叟なんって殿様も出たり、明治維新では「薩長土肥」と、佐賀(肥前)は維新を成し遂げた藩の一角を担いました。アームストロング砲も佐賀で生産。ただし、藩の気風は古風で、教育も詰め込み教育型です。早稲田大学の創始者である大熊重信は佐賀藩の出身ですが、藩のつめこみ型教育の気風に反発して早稲田の校風が産まれたそうです。

 あちこち聞きかじりなので間違いなどはあしからず。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。佐賀は先進文化受け入れの先鋒だったわけですね。外国文化が入ってきやすいのに、藩の気風は古風になるというのは、なぜなのでしょうか。不思議です。

お礼日時:2013/05/22 19:56

   在米で家内はアメリカ人です。

この家内のお父さん(イギリス系ですがもうアメリカに移住して何代目か)がまさに「女は田畑や家事を一生懸命やり、外でお勤めなどしてはいけない。男は家事をいっさいやってはいけない。女は男を常にたてなければいけない。身分の違うものと親しくしてはいけない。」という考えの持ち主なのです。

   だから、日本の都市と地方の差、というより、世界的な年代の差、みたいな物があるようです。日本ではアメリカは男女同権だと思っている人が多いようですが、宣伝に上手くのせられている感じです。
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この回答へのお礼

 アメリカでもそういう考えの人がいるとはびっくりです。ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/23 09:34

佐賀の乱は余り関係ないけど、念のため説明しておきましょう。

佐賀藩は薩長土肥の一角を占める明治維新に貢献した藩なおですが、明治政府の中核は薩長に占拠されて、土肥は追い出されてしまったのです。言論によって大衆の支持を背景に復権しようと考えた勢力が自由民権運動に連なり、武力によって復権しようと考えた勢力が士族の反乱を起こしたという2つの流れに分かれます。どちらも旧士族だけの話であって農民には関係ない。武力に訴えたのが士族的気風だという解釈も間違いです。

明治維新後に明治政府は矢継ぎ早に急進的な近代化政策を実施しましたが、反発する農民は新政反対一揆と総称される騒乱テロ事件を起こしました。血税反対一揆、学制反対一揆、解放令反対一揆、地租改正反対一揆といった具合です。小学校が放火され、民が虐殺されるといった警察でさえ鎮圧できない事態で、軍隊が出動してようやく収まった。それらの新政反対一揆が発生した府県は極端に西日本に偏重しています。特に解放令反対一揆は全部西日本です。ただし佐賀県は激化事件は起きなかった方です。

佐賀県が特別保守的なのであれば、佐賀県でこそ新政反対一揆が激化した筈なのです。そうじゃないんですね。佐賀県は庄屋、名主がしっかり人民を掌握していたから、火が延焼する前に沈静化することができたんです。大隈重信はまだ政府にいましたから、その関係もあったでしょうが。

さておしんに話を戻しましょう。佐賀のしゅうとめさんは、新政反対一揆を自分の眼で見た世代なんです。まして佐賀のしゅうとめさんは旧家の出です。新政反対一揆の暴民たちを極めて冷ややかな眼で見ていたことは間違いありません。そうした時代に事を穏便に済まそうと腐心したのが庄屋・名主といった階層なのですから。

まして佐賀県は西南雄藩の一角を占め、幕末のパリ万博に薩摩藩と並んで幕府に対抗して出展した先進的な藩でもあったのです。

その佐賀県の旧家たる田倉家がなにゆえに、賊軍の山形県の、しかも小作人の娘を嫁に貰わなきゃいけないのか。これは佐賀のしゅうとめさんにとっては二重三重の意味で、理解能力を越える事態であったのに違いはない。まだ結婚は家と家の結びつきという観念が強い時代です。

個人主義全盛の現代日本人には到底、佐賀のしゅうとめさんの心情を理解することはできないでしょう。

「佐賀が他の地方より保守的だ」という事実はありませんし、そういう上っ面のキーワードで理解しようとする姿勢も間違いだと思います。こういう激動の時代は、激動の時代だからこそ世代間の意識格差の問題も大きくなります。そういう問題にも気づいていただきたいものです。
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この回答へのお礼

 とても丁寧な回答をお寄せいただきありがとうございます。佐賀藩がパリ万博に出展していたとは知りませんでした。やはり、非常に先進的な藩だったのですね。そのような風土から大隈重信も生まれたのでしょう。
とても勉強になりました。

お礼日時:2013/05/23 09:33

kokutetsu さん、こんばんわ。



大正時代というより江戸時代の封建制の気風が残る佐賀というかんじですね。もともとこういう雄藩のあったところは士族的気風が強く、とても保守性が強いです。だって城下町の身分秩序がまだ残っているのですから。こういうところからあの急進的な革命である明治維新の原動力になったのですからちょっと不思議ですね。説明の難しいところですが、まあまだ多くの一般的な地方でしょうが中でも特別保守性が強いところの一つでしょうね。もう少し新興で経済の発達しているところ、例えば神戸や横浜のようなところだったら、経済的な身分、例えば財産的なこと以外、こんな身分秩序の気風はありませんね。
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この回答へのお礼

 なるほど。丁寧なご説明ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/23 09:28

大地主のメンツもあるのでしょうが、ハシダ大先生の筆一つでしょう。



このようなサイトがあります。いろいろな見方ができ、非常に参考になります。

関連全部見てしまいました。↓

参考URL:http://desktop2ch.tv/natsudora/1244814793/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。面白いサイトも貼っていただき、ますますドラマが楽しみです。

お礼日時:2013/05/22 19:51

嫁をいじめたがる姑の性(さが)ともいうべきもので、




佐賀(さが)が特別に封建的だったということではない、




と思うとかよ。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。佐賀と性で、シャレが来るとは、思いもしなかったとよ。

お礼日時:2013/05/22 18:34

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