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仕事の関係で中国や韓国に出張が多く、現地に友人もいるのですが、いわゆる儒教の教えや習慣は韓国の方が色濃く残っているようです。

礼儀作法や年長者への接し方など、日本では消滅してしまった美しい文化だと思います。

ただ疑問に感じるのは、若年層や下層階級に対する「教え」や「戒め」が多くあるのですが、その一方、年長者など人の上に立つ人たちへの「教え」や「戒め」はあるのでしょうか?  

イジ悪くみると、年寄りはやりたい放題、若者はひたする頭をさげるのみ、といった感じを受けるときがあるのですが・・・ すみません。

A 回答 (2件)

>ただ疑問に感じるのは、若年層や下層階級に対する「教


>え」や「戒め」が多くあるのですが、その一方、年長者
>など人の上に立つ人たちへの「教え」や「戒め」はある
>のでしょうか?  

鋭い観察眼ですね。
ご指摘のとおり、儒教は目下の人(家庭では子供、組織では
臣下)が、目上の人に対する礼儀を説く内容が大半を占めて
います。

特に親への孝行が主眼となるのですが、この前提として、
親は無条件に子供を愛するという前提条件が付随するもの
と思われます。
これは一部想像が混じりますが、儒教の創始者である孔子
は、複雑な家庭環境ではるものの(孔子は妾の子供です)
おそらく親の愛情をたっぷり受けて育ったため、親の愛情
に対する疑問というものを、まったく感じていなかったの
ではないかと考えています。

もっとも君子(人の上にたつ立場の人)はかくあるべし、
という内容も多いので、必ずしも目下の人の道徳だけを
説いているわけではないようです。

さらに、少し時代があとですが、孟子の書物を読むと、主君
はかくあるべし、という非常に痛烈な指摘もあったりします
ので、一部分だけを捉えるのではなく、全体をきちんと学ぶ
必要があるのではないかと考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。 儒教ってものがよく分かってないもので、すみません。

ただ、本来は上位者に対する教えや戒めが多いはず、って事がわかりました。 本当はそうですよね。 日本でも「実るほどコウベを垂れる稲穂かな」という言葉があるくらいですから。 

でも、私も韓国で友人の子供たちから、年長者に対する礼儀を受けたときは、気持ちのいいものだ、と感じたものでしたよ。 その時は、見られても恥ずかしくないよう背筋がピンを張る気持ちがしたものですが・・・。

お礼日時:2004/03/25 15:07

 学校の倫理で学習したぐらいで、もはやうろ覚えであまり詳しくはないのですが、私なりに理解している範囲でお話しします。



 儒教(儒学)は、古くは春秋戦国時代にいた、孔子が理想とする、中国古代王国「周」の理想天子の政治(為政者は仁、礼、徳を持って治め、伝統を守り秩序ある暮らしを行う)に戻すことを目的に、そのための思想と方策を説いたものと思っています。
 現在に至るまで、そこから様々な学派(宗派?)、特に道教の宇宙秩序の思想を取り込んで体系づけられていき、また逆に何を重要視するかで様々な学派(宗派?)に分かれていますが、基本は過去をお手本に人格を完成し、倫理観に優れた社会を形成しようという考え方をすると考えます。

 その教えの中には、当然為政者や、上位者に対しても、心構え(仁:他者への親愛の情)、礼儀作法、修めるべき徳などが多数あります。特に最上位の者は、先人を見習い、先人の徳を積みなさいという、尊王的な思想です。
 最も儒学を学び身に着け、実践した者が為政者(支配者)たるべきだ。一方、一般民衆は、儒教の教えを最も身に着けた為政者(上位者)に対し、礼節を守り、忠義を持って仕えよ(手本にせよ)という、封建的というか伝統をお手本に、古き良きものを尊ぶ風潮があるように思います。伝統主義、形式主義、前例主義に陥りやすい面を持っているともいえると思います。よって、年長者や上層階級の意見(教え)を尊び、特に朱子学では上下関係を重視し、封建社会を正当化する思想でもありました。
 よって、政治・治安が比較的安定しているときには、尊ばれ、それなりに機能する考え方ですが、不安定なときには上位者がそれを行っていないことが多いため、機能せず、逆に排除されるように感じます。

 蛇足ですが、しかし、そんな場合でも、孟子が、易姓革命の思想を展開し、悪徳の君主は、他の徳を持ったもの(天)に覆されるとし、その点では為政者は易姓革命が起こらないよう、自らを戒めよとされているのですが、実際は弾圧により易姓革命を封じ込めようという対処の仕方を行うケースがほとんどのようです。

 で、先程も述べたように、上位者に対する教え、戒めはもちろん存在します。ただし、思想体系が封建的な性格を帯びているので、それがその上位者によって都合よく解釈されたり、それをないがしろにして、下の者に対する戒めのみを強調しているのかもしれません。
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この回答へのお礼

詳しいご説明、本当にありがとうございました。

そうすると、年長者や上位者に対する戒めの方が多いし、厳しいはずなんですね。

でも実際には、結構ワガママな年寄りに誰かが意見したり、注意したりするシーンって見たことがないんですよ。

真の儒教精神からは、かなり変化しているのでしょうねえ、多分。

因みに韓国ではキリスト教の教会が随分多くて、最初は何でかな? と思ったのですが、一説によると、法事など儒教精神から出発した様々な行事が韓国ではあまりに多くなって、家庭婦人の負担が限度をこえたため、その逃れからキリスト教に入信する人たちが多いから、と聞いたことがあります。

お礼日時:2004/03/25 14:57

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