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私は程度表現がない言葉は文脈、状況によって意味合いが変わるという考えを持っています。
具体例として、アンケートなどでよく
1.非常に重要である
2.重要である
3.どちらでもない
4.重要ではない
5.全く重要ではない
このような選択肢を見かけますが、私はこの場合の「重要である」や「重要ではない」は「どちらかというと重要であるor重要ではない」という弱い程度を意味していると思います。
反対に、「憲法は重要である!」と言った場合、ここでの「重要である」は「非常に重要である」という強い程度を意味していると思います。

他には、「間違えたところを直す」という文があった場合、この「直す」はただ直すことを意味しているのであってどの程度直すかは不明と考えるのが妥当のように思います。

このように程度表現がない言葉は文脈、状況によって程度を意味したりしなかったり、程度が強かったり弱かったりするのではないでしょうか?

皆さんの考え、意見をお聞きしたいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

(1)私は程度表現がない言葉は文脈、状況によって意味合いが変わるという考えを持っています。


(2)私はこの場合の「重要である」や「重要ではない」は「どちらかというと重要であるor重要ではない」という弱い程度を意味していると思います。

上記(1)(2)は賛成です。ただしどの程度賛成かは?

(3)「憲法は重要である!」と言った場合、ここでの「重要である」は「非常に重要である」という強い程度を意味していると思います。

上記(3)については何とも言えません。

いずれにしても、ここで重要なことはあなたがどうお考えになるにしても、それをどう科学的に証明するかです。でないと単なる感覚の問題(とりとめもない雑談程度の問題)として終ってしまいます。

抑制の利いた固い評論などはたぶん程度表現が少ないのではないかと思われます。そんな条件下で程度表現が出てきたら、それはかなり正確に程度を表現していると言えるかもしれません。

逆に会話文の多い砕けた感じの小説などでは程度表現が多用されるかも知れませんが、ただ大げさなだけでどれだけ正確に程度を表現しているか疑問を感じることもあるでしょう。

要は多くの例文を集め、それを前後の文脈から「どの程度か」を分析して何らかの結論を導くことです。困難な作業ですが、成功すれば立派な日本語学の学術論文になるでしょう。私は面白いテーマだと思いますよ。
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この回答へのお礼

>>要は多くの例文を集め、それを前後の文脈から「どの程度か」を分析して何らかの結論を導くことです。
私もこういう地道な検証が必要だと思いますので、これからもこの問題を頭に置きながら多種多様な文章に接し、考えを深めていきたいです。

回答非常に参考になりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2013/06/22 15:09

    このように程度表現がない言葉は文脈、状況によって程度を意味したりしなかったり、程度が強かったり弱かったりするのではないでしょうか?



   おっしゃる通りです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
参考になります^_^

お礼日時:2013/06/19 13:26

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