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ニーチェの友人の神学者の
フランツ・オーヴァーベックは、キリスト教について
どんな思想を持っていたのでしょうか。

Franz Overbeck
http://en.wikipedia.org/wiki/Franz_Overbeck

A 回答 (4件)

 名前論争に終止符を。

そいつは、オーヴェルベックが定説らしい。これをキーワードにして、検索してご覧。いくらでも論文が出てくるから。私はドイツ語は知らないので、言いっぱなしです。たまたま見つけただけ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど
オーヴェルベックですか。

お礼日時:2013/06/24 15:00

 こんにちは。



 No.2で紹介された論文を読みました。これに従って 考えるところを述べます。

 ▲ 香川 哲夫:二人の<反神学>的思想家
  ――ハイデガーにとってのオーヴァーベックの位置――
  http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696/home/phile …

 まづ オーヴァーベックは オーファーベックと呼ぶのではないのでしょうか? ななにす三世さんたちにおしえを乞います。

 そして その《神の死の神学》についての批評一般は もうひとつのご質問へのわたしの投稿で とりあえず代えたいと思います。
 
 そのこととも関連するのは:
 ▲ オーヴァーベックが自らの神学批判に見合う代替思想を残さなかった( 香川 前掲論文 p.36 )
 ☆ という事情があるのかも知れません。すなわち:

 ▲ しかし彼の思想の真価は彼の死後に初めて、バルトを始めとする慧眼の読者によって再評価されることになる。ハイデガーもそのひとりだった。( p.36 )
 ☆ といったふうに議論(思想史)は推移しているようです。


 ところで ここでは それでもオーファーベックのひとつの主題を論点として取り上げようと考えました。
 次の見解についてです。
 ▲ ~~~~~~~~~
 オーヴァーベックは、
 ( a ) 新約聖書の使信を徹底的終末論の現れと理解することによって、古代教会に特権的な地位を与える。
 ( b ) 古代教会は、それが修道院制度を設けたという点で、とりわけ称揚される。
 ( c ) それは、オーヴァーベックが考えるところの、自らを去勢する者というイエスの根本思想(*3)を代理的に実現するものだからである。( p.35 )

   * 3  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   すなわちマタイ十九の十二における次のような去勢された人間に関するくだりである。

     「結婚できないように生まれついた者、
     人から結婚できないようにされた者もいるが、
     天の国のために結婚しない者もいる。
      これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」(新共同訳)

   ** ぶらじゅろんぬ註:文字通りの《去勢》ではないらしい。
   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ~~~~~~~~~~
 ☆ ( a )と( b )とについては 次のオーファーベックじしんの発言によれば その《終末》は 時間的な問題としてではなく いま現在の言わば実存のあり方にかかわると言っているらしい。ゆえに ( c )に焦点を当てて論じ得る。
 ▲ ~~~~~~~~~~~
 オーヴァーベックはこう述べる。

   キリスト教の再臨が事実として起こらないからといって、
  信仰は砕かれない。それはひとつの理念的形態を保持して
  いるから。[・・・]ところでこの形態を、キリスト教は
  まさに、生を禁欲主義的に見ることおよび遂行することの
  うちに見るのである。
   これは実際、キリスト教の再臨に対する原始キリスト教
  的な信仰の変容したもの(Metamorphose)なのである。(ChT.,86f.)
 ( p.35 )
 ~~~~~~~~~~~


 さて ( c )の論点は 《ケノーシス(自己無化)》という主題をめぐるものである。

 まづたとえばアウグスティヌスの著書に『結婚の善』があるように 《結婚は 善である》。
 
  ** なおこの点 次の論文を読むと アウグスティヌスは 《女性は 子を産むために存在する》と言っていると読めます。
   ■ 赤 阪 俊 一:教会法における結婚
   http://www.media.saigaku.ac.jp/bulletin/pdf/vol8 …

 問題は アウグスティヌスにとって 《情欲のない生殖》の実現ということのようです。
 つまり いきなり《自己無化》をめぐって 情欲の問題に特化したかたちですが 香川がオーファーベックの理論にかんしてマタイ福音 19:12 を挙げているかぎりで この特化した論点ですすめます。




 議論の構成のためにすでにかなりの分量を費やしましたが ここで 結論を提出します。

 問題は 《恩恵論》です。すべては――つまりひとのおこなう行為のすべては―― それの成就いかんについては 神のめぐみを得られるかどうかによるということ これです。

 たとえば 次の聖句に議論は尽きます。
 ◆ (ガラテヤ書 5章) ~~~~~
 24: キリスト・イエスのものとなった人たちは、肉を欲情や欲望もろとも十字架につけてしまったのです。

 25: わたしたちは、霊の導きに従って生きているなら、霊の導きに従ってまた前進しましょう。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ 善なる結婚において 情欲のない生殖を実現するのは 《めぐみによる すなわち 霊のみちびきに従って成就する》 これです。そのとき それとしてケノーシスも実現していることでしょう。

 同じ趣旨ですが かかげます:
 ◆ (ガラテヤ書 6章) ~~~~
 14: しかし、このわたしには、わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。

 15: 割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ケノーシス=自己無化と言っていても ニルワーナ(寂滅・寂静・やすらぎ)とは おそらく基本的な発想は違うであろうと考え 取り上げてみました。








 あとは香川にしたがって ハイデガーがオーファーベックをどう読んだかについて 引用しておきます。
 ▲ ~~~~~~
 神学者E・トゥルンアイゼンの講演において、ハイデガーは、その講演を賞賛するマールブルク神学のメンバーに冷水を浴びせかけるかのようにオーヴァーベックの名前を挙げ、次のような発言をしたという。すなわち、

  「信仰へと呼びかけ、信仰のうちに留めておくことができるような
  言葉を探すことが、神学が再び向かわなければならない真の課題です」、

 と。このように初期ハイデガーにおける「方法的無神論」の根底には、オーヴァーベックの思想を真摯に受け止めた、神学の存立基盤に対する深い疑いが存していた。(p.39 )

 ▲ ~~~~~~~~
 オーヴァーベックの思想に接したハイデガーは、哲学における原理的な無神論をいうようになった。このことは、ハイデガーが個人としてキリスト教信仰を放棄したことを表しているわけでは決してない。むしろそれはオーヴァーベックの思想を真剣に受け止めた結果である。存在そのものへの問いを生涯の課題としたハイデガーにとって、その内部で神を語らないことは、彼なりのキリスト教信仰への誠実さの表明であったといえよう。( p.45 )

 ▲ ~~~~~~~~~~
 オーヴァーベックの思想を終生忘れなかったハイデガーは、哲学における「原理的な無神論」を破棄してゆく後期思想において、いわばオーヴァーベックの後を継ぎ、真の意味での神学(神についての語りtheo-logos)を実現しようとしたのだ、と推定してもあながち強引ではないだろう。

 しかしハイデガーの<神学>は、ニーチェにおける「神の死」と、ヘルダーリンの詩における「神の不在」という二つの基礎経験への傾倒によってひずみを来たしたと言わねばならない。

 その結果オーヴァーベックが理想とし、初期フライブルク期のハイデガーが自らの「宗教現象学」で主題化した、原始キリスト教の共同体におけるラディカルな終末待望における生という信仰の祖型の方が、かえって背景に後退する結果となったのである。( pp.47-48 )
 ~~~~~~~~~~~~~
 
 ☆ ひとつに 《人間のつくった想像物としての神》は すでにその生成の時点で《死んでいる》ということ これを見なかったし言わなかったこと。ひとつに 《無神論も信仰であるということ また その信仰では 神のめぐみが人間の自由意志をもしのぐということ》 この点に目を向けていないようであること。

 これらふたつの点で ニーチェは言うまでもなく オーファーベックもハイデガーも道遠しの感があるように思いますと――えらそうに――つけ添えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/24 14:59

kotobank=



ttp://kotobank.jp/word/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF


オーバーベック【Franz Camille Overbeck】 1837‐1905

ドイツのプロテスタント神学者。ペテルブルグに生まれ,1864年イェーナ大学私講師。70年からバーゼル大学で新約聖書と古代教会史を講じ,同大学にいたニーチェと親交を結んだ。原始キリスト教の終末論的,現世否定的性格を発見し,それとの対比において歴史的キリスト教を厳しく批判し,神学をも自己欺瞞とした。弁証法神学者として登場したK.バルトに大きな影響を与えた。【井上 良雄】

ww.hucc.hokudai.ac.jp/~k15696/.../kagawa.pdf‎
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/20 23:33

検索でこれといったものが見つからなかったので、


Internet Encyclopedia of Philosophy
http://www.iep.utm.edu/

STANFORD ENCYCLOPEDIA OF PHILOSOPHY
http://plato.stanford.edu/
でも調べてみたのですが、
Franz Overbeck
という項目はありませんでした。
哲学がらみの大概のことはSTANFORD ENCYCLOPEDIA OF PHILOSOPHYで検索できるのですが、正直、お手上げ状態です。
ニーチェに関する記述(http://plato.stanford.edu/entries/nietzsche/)にある外部リンクも調べてみたのですが。。。

ごめんなさい、
この質問に関してお役に立てないです、わたし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうでしたか。
日本語のwikipediaに項目が無かったし、
あまり有名ではないのかな。

お礼日時:2013/06/20 22:48

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