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日本の教育にかんする質問ですが,日本の教育,とくに,義務教育における,中学校の教育において,重んじられていることとは,どのようなことでしょうか?





参考までに:

教育の,ひとつの理解のあり方として,労働のためのスキルを身につける場であるという,理解のしかたがあります。お金をかせぐためのスキルを学ぶ場が学校であり,そういった点においては,このような考え方は的を得ていると,わたしはおもいます。

わたし自身は,教育とは多面性に富むものであり,そのひとつのアスペクトは「お金を稼ぐためのスキルを学ぶこと」であると,受けとめています。社会のなかで自立して,さらには,自律して生活をするためにも,教育は必要です。たとえば,コンピューター・サイエンスを学ぶ学生は,学校を卒業したのち(教育の課程を修了すると),国内外のIT企業に就職して,コンピューター・サイエンスの分野で活躍することになります。また,法律を学ぶ学生は,学校を卒業したのち,司法試験などを経て,法曹の分野で活躍することとなります。これらは,あくまでも,ほんの一部の例です。ライフ・コース,ライフ・スタイルの多様化とともに,教育を受けたのちの進路は,多種多様なものとなっています。

わたし自身は,以上のようにして,教育というものを受けとめていますが,日本社会における教育,とくに,義務教育課程においては,生徒や,学生を「管理」する,いわゆる,管理教育主義的な教育が,いまもなお実践されていると考えています。

いわゆる,「従順さ」,「オビディエンス」を「植えつける」場と化しているのが,日本の義務教育,とくに,日本の中学校の「悪しき特徴」であると,わたしは考えています。

そもそも,「集団主義」,「社会性」というものは,学校以外の場においても学ぶことができるものと,わたしは考えています。たとえば,ボーイスカウト,ガールスカウト,教会やら寺院の活動,地域の団体のボランティア活動など,学校以外の場においても,日本社会がとくに重要視するところの,「日本型集団主義」なり「日本型社会性」を学ぶ場は,豊富であると,わたしはおもいます。そういった,日本のいまの社会事情を考慮すると,義務教育というプロセスにおいて,いまの日本社会においては,「従順さ」,「オビディエンス」を「植えつける」ことに「やっきになっている」という印象を,わたしはもちます。

また,中学生というレベルにおいては,一定のレベルの社会性なり,集団性が身についていることが「前提」になると,わたしは考えます。ですから,「従順さ」,「オビディエンス」を「植えつける」ことに「やっきになる」のではなく,将来の日本社会を支える,優秀な人材の育成を第一の目標として,「学問を教える」ことに熱心になるべきだと,わたしはおもいます。現在の日本の小学校の教育レベルにおいては,子供たちが,基礎的な「読み」,「書き」,「計算」のスキルを十分に習得することが可能なのですから,いわゆる(レベルの高い)「学問」に挑戦できる「環境」をつくることが,重要であると,わたしはおもいます。(ごく一部の私立の学校においては,すでに実践されていますが…。)

A 回答 (3件)

>教育とは多面性に富むものであり,そのひとつのアスペクトは「お金を稼ぐためのスキルを学ぶこと」であると,受けとめています。



 教育というものを、動物の子育てにおいて子どもに餌を自分で捕獲できる力を身につけさせることに準えている説明もありますので、それには同意します。

>将来の日本社会を支える,優秀な人材の育成を第一の目標として,「学問を教える」ことに熱心になるべきだと,わたしはおもいます。
いわゆる(レベルの高い)「学問」に挑戦できる「環境」をつくることが,重要であると,わたしはおもいます。

ということなのですね。私もそれは大変大事だと考えますし、学校内でも当然必要です。そしてそれは必ずしも「従順さ」だけを志向するものだけではありません。その実現にすべて成功しているわけではありませんが、日本国憲法の三大原則を、身につけるべき民主的道徳の目標と位置づけ、学級及び学校集団における主権者としての自治の行使能力、いじめやボス支配のない平和な集団づくり、自身の基本的人権への侵害に対する主張力を育てていくことを大事にしている教育実践研究団体があります。
 質問者様からみれば、これも建前であり、失敗例も多いのではないかと言われるかもしれませんが、方法面で様々に工夫を凝らしながら、めざすべき理念として掲げ続けていきたいものだと考えています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

教育とは,社会制度と同様の性質をもつものであり,当事者を「実験台にする」という傾向がみられます。たとえば,中学生にとっての,高等学校の入学試験の制度こそ,その顕著な例であると,わたしはおもいます。推薦入試,一般入試,入試の形態は多様ではありますが,その「あり方」が改革されるたびに,彼ら,彼女らのみならず,先生たち,保護者,学習塾の関係者など,多くの人々を「巻きこみ」ます。このような言葉の使い方は誤解につながるかもしれませんが,アメリカ社会でいうところの,禁酒法,積極的差別是正政策などのようなものが,日本社会においてもみられる,ということになるとおもいます。

また,いまの日本教育においては,ある種の「脱・管理教育的な傾向」のための試みが,いまも続けられているものとおもいます。「管理」をする教育ではなく,「自由」の大切さや,「責任」の大切さを学ぶことのできる場をつくることこそ,いまの日本社会が必要としている人材をつくるうえで,必要不可欠な要素であると,わたしはおもいます。

お礼日時:2013/06/24 02:33

こんにちは。


まず第一に、日本を背負って立つ人材(官僚候補)を明確にすることです。
成績の付け方が普通ではないですよね。上位6%くらいに「大変よくできました」を与えます。それ以外はほとんど「普通」です。
絶対評価と言いますが実際は違います。判定基準は後出しジャンケンですし、学科に関係ないいろんなイチャモンを付けてそれくらいに納めます。
公立高校のトップ高は、副教科を含めて全てに優秀な成績を収めた人だけ行けるようになっていますよね。国立大学もそうですよね。特定の科目に優れていてもだめですよね。
次に、それ以外の人に対しては、優秀なサラリーマンになるような教育をします。
起業の仕方などについての教育は一切ないですよね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

日本社会は,民主的な社会であるとはおもうのですが,いわゆる「お上」中心の社会であると,そのようにおもうときがあります。

社会構造を変えなければならない時期にあるにもかかわらず,それが変わらない。改善されない。

日本社会にいることが,日本人にとっての「不幸」であると,そのようにおもうときがあります。

お礼日時:2013/06/26 02:05

勉強の内容だけでなく、学ぶ姿勢を身につける事ではないでしょうか?

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
あなたのコメントを拝見して,わたしが懸念したことは,あなたのコメントが,いわゆる「タテマエ的」なものであることです。「タテマエ」としては,あなたが指摘したように,「学ぶ姿勢を身につける」ことではありますが,では,「ホンネ」の部分とは,どのようなものでしょうか? 多くの人々が,疑問におもうことでしょう。

お礼日時:2013/06/23 07:24

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