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ホンマどうでもいい内容の質問ですみません。

先日吉野家に行き、リターナブル箸で牛丼を食べているときにふと疑問が2つ湧きました。

その(1)「ここでは見ず知らずの他人が使いまわしている箸を全く気にすることなく使っているのに、なんで家では他の家族が使っている箸を使うのに抵抗あるんやろ?」

その(2)「他の家族が使っている箸を使うのには抵抗あるのに、何でスプーンやフォークは気にならないんやろ?」

こんな疑問が湧いたため周りの数人に聞いたところ、皆が上記のように思うとのことでした。
これって、どういう心理なんでしょうか?

A 回答 (9件)

「家族の箸」だからじゃなく、「誰のか決まっている箸」だから抵抗があるのではないでしょうか?


(誰の持ち物かはっきりしてるということです)

スプーンやフォークでも名前を書いたらきっと、同じように感じるようになると思います。

外食で、リターナブル箸やスプーンやフォークが平気なのは、名前が書いてないから、他の人が使ったという感覚が薄いのではないでしょうか?

素人の考えですが、どうでしょう。
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この回答へのお礼

>名前が書いていないから、他の人が使ったという感覚が薄い

そうかも知れません。現段階で頂いた回答の中で一番同感してます。

お礼日時:2013/06/24 17:08

ちょっとすれちがっちゃいましたね。



家であっても、だれ用と決まっていなければ抵抗ないのでは、という結論です。
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この回答へのお礼

そう言われればそうですね。納得です。
再度の回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/25 16:17

すみません、肝心のご質問の答えを忘れました。


その(1)先に述べた理由により、自分の箸という意識が無い為。
その(2)日常使う箸に比べて、毎食使わないフォークやスプーンには自分の物という帰属感が薄い為。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほどです。特に(2)の回答には納得です。ナイフやフォークも家族のものが限定されていたら抵抗あるでしょうね。それゆえ益々(1)の謎が知りたくなりました。

お礼日時:2013/06/25 09:59

私自身として言うならば、誰かの物を使う事の不快感というよりも、自分の物を他人に使われたくないという所有権を侵されたような気持ちの方が強そうな気がします。


大げさ、それともただのケチでしょうか。(笑)
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うちの実家では、家族の自分用の箸は決まっていません。

ちなみにお茶碗もそうです。食器類は全部共用です。

なのでどの箸でも適当に使って食べてます。
箸の模様はそれぞれちがいます。

古くなったりしてるのは、やっぱり抵抗ありますけど、
きれいなのは問題ないです。

どの箸がだれ用 と決まっていたら、抵抗あると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ただ私の質問は「あなたの家の箸はどんなんですか?」という内容ではないのですが・・・。

お礼日時:2013/06/25 09:51

御礼を有難う御座います



広範な同意形成行為とは
電車に乗るならば切符を買う
食事は外食ならばお店がキッチリとしてくれている
親は子供の管理者である
給食には害はありません
子供は親の言う事を必ず聞いて当たり前
等のような社会生活上必要な基本的同意事項は元々出来上がっている
とする社会概念の事です
もっと簡単に言えば貴方と私ならば良いけども
あの人と私ならば嫌です
と 言うものの考え方の事です

個人宅では箸は専用品でも ナイフやフォークを専用にはしないからです
如何ですか?????
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
何となくわかってきました。

専用品でないものに対しては、抵抗感が少なくなるということですね。

お礼日時:2013/06/24 17:06

単純に家の箸はデザインや色などで誰の箸かが簡単に分かるからではないですか?レストランやその他の店のリターナブルは統一されてますし、フォーク、スプーンも同じデザインのものをセットで買っている場合も多いでしょうから。

誰でももし、自分のものと判断できるものがあればそれをまず使うでしょ?
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この回答へのお礼

質問は、誰の箸か分かるものには抵抗があり、誰の箸か分からないものに抵抗がないのはなぜか?ということなんですけど。

お礼日時:2013/06/24 15:10

 日本の食事のスタイルとして、個人個人にお寺などで見かける、一人分の食器を入れた箱があります。

これが一般的にも使われていたので、めいめい茶碗、めいめい箸。というのが生まれたそうです。
 自分で自分の食器などを管理する感じです。

 しかし、西洋からの食事のスタイルとして入ってきたので、その形のまま受け入れた。だからスプーンは個人のというのが無い。
 お箸は割り箸という事で個人の物という考えになったけど、森林保護とかうるさく言われて、割り箸が悪者にされてしまった。間伐材ということで、山の木々を管理するのに必要な作業の中で出てくる木なので、悪者扱いされても困るのですが、割り箸を作るためだけにと思われているのが現状です。また、そういった声もあり、使い回し可能な箸が使われていくことになった。その状態に慣れたということですね。
 
 
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この回答へのお礼

ということは、「めいめい箸」や「西洋からの食事スタイルの導入」といった、我々が直接体験していなく先祖が体験したであろう事象によって、現代に生きる我々はこのような感情を持つということでしょうか?
使い回し可能な箸に慣れたなら、家族の箸を使うことにも抵抗が無くなるようには思うのですが・・・。

それにしても、石油製品で箸を作り、何回も合成洗剤で洗って排水を流し、使えなくなったら燃やしてダイオキシンを発生させるくらいなら、割箸でいいのにな。

お礼日時:2013/06/24 15:04

日常生活の中で


どの部分に信頼関係が成立して
どの部分に信頼関係が成立していないのかと言う
個人的ではあるが
広範な同意形成行為の問題です

※家ではそれぞれの専用箸がある筈です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
『広範な同意形成行為の問題』ってどういうことなんでしょうか?

>*家ではそれぞれの専用箸があるはずです
はい、あります。使っている人の顔がわかります。だからこそ本来なら気にならないはずなのに、何故抵抗感があるのかという質問なのですが・・・。

理解力が乏しくてすみません

お礼日時:2013/06/24 14:51

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