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織田信雄について皆さんどう思いますか?率直な感想お願いします。

A 回答 (4件)

虚栄心は人一倍でありながら優柔不断


むしろ現代人の方がこういうタイプの人多いのではないかと


信雄の弟(とはいえ生誕日は信雄より早いが)信孝は
信雄より功を稼ごうとして焦っていたのが史実からわかります

信孝は神吉城攻めでは足軽に混じって戦い奮戦したと信長公記には記録され
四国遠征軍の旗頭になったのも信長に直訴したからといわれてます


信雄はその点、伊賀攻めでの失態など戦下手を露呈してます

ただ信雄で評価できるのは
信長の命により北畠家粛清を命じられた時
養父であった具房と妻である雪姫を信長に命乞い して助けたことですかね


具房は肥満体で実父の北畠具教に敬遠されていたともいい
逆に信雄とウマがあったのかも知れませんね

雪姫は信雄がぞっこんだったそうで助けたのでしょう
一部の書では雪姫が北畠家粛清の時、一緒に殺されたか、自決したと書かれているが、それは大いなる間違えで
雪姫は本能寺の翌年の1583年に信雄の嫡男を生んでいます


尊大で仕事はダメでも変な優しさはある
やはり現代人に共通するものが…
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この回答へのお礼

生まれてくる時代がみたいな感じなのでしょうかね?ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/27 19:18

「生まれた場所が悪かったネ」の人、という感じですね。



戦の才能は皆無だけど、武功はあげなきゃなんない立場で、なんとなく周りが盛り立てて来るんだけど、結局期待には応えられない、という。
ある種の「お人好し」のイメージです。

その一方で「文化事業」にはちゃんと結果を出してて、小幡藩(現在の群馬県甘楽町)の領主であった頃には「楽山園」という、当地では稀な大庭園を造設したり、養蚕などの地場産業を進めようとしています。
能の名手でもあったようです。

なんというか、若い時には父親の影を追ってて、父親亡き後に「自分はどう生きようか?」と模索しながら戦国を渡り歩いたという人生だったのではないかと思います。
途中から「自分と父はまるで違うのだ」と気が付き、野心を捨てたのでしょう。
それが長くに血筋を続かせる結果になったのだと思います。
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この回答へのお礼

ある意味一番織田家に貢献したのかもですね。ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/27 19:18

とてつもないバカ。


少なくとも当時の人はそう思ってました。
同じく今川氏真もそう思われてました。
しかし、織田家にしても今川家にしても
明治維新まで家を残せたのはこの2人のおかげ。
人間って時にはバカに徹しなければなりません。
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この回答へのお礼

ある意味バカでも運のいい頭のいいバカですかね。

お礼日時:2013/06/27 19:18

こんばんは。



ゲーム『信長の野望』では能力値が低い武将でした。
私の印象は『弱い』です。
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この回答へのお礼

確かにゲームの評価は低いですよね。

お礼日時:2013/06/27 19:18

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