アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

いわゆる従軍慰安婦の問題に関連して,先日,全国規模で支持者を増やしている政党の代表でもあり,地方公共団体の首長をつとめている人物が東京都内において,外国人ジャーナリストなどを対象とした記者会見をおこないました。

この記者会見において,彼は日本語で,みずからの主張をアピールし,さらには,日本語を使い,記者との質疑応答にのぞみました。彼の日本語は,複数の通訳によって,「とても綿密な作業」をとおして,英語に訳されました。

この記者会見において,彼がみずから英語を話し,みずからの主張をアピールすると「仮定」しましょう。そうすることによって,彼が主張するところの,いわゆる「日本人の言い分」は,記者会見に参加した,外国人ジャーナリストたちの「理解」を獲得できたでしょうか? 通訳を通すのではなく,みずから英語を話すことによって,得られる「効果」についても,考える余地があると思います。

A 回答 (5件)

ANo.2です。



若干付言。
実用的な英語(スピーキングまで含めて)を学び英米で生活したことがある人ならばおそらく知っていることですが、英語と日本語では論理構築が異なる場合が多いです。

英語は細かいものから大きなものに話が進んでいく傾向があります。たとえば名前。ファーストネームから始まってファミリーネームが続きます。住所もしかり。アメリカの場合は、最初に番地がきてストリート名が続き、その後に群や市などの行政区画、郵便番号、州です。

ものの名前だけではなく、話も最初に具体的なことを言ってしまってから徐々に話しを抽象化する方が話が進めやすいのです。

日本語はその逆、というか英語にはない余計な言葉(です、ます、とか、思います、など)を多用するため、同じ時間内で伝えられることが少なくなります。
だから抽象的な話から入り、具体的な話しをする前に時間切れになって説明不足になる傾向が強いです。あとは察してくれ、ということかもしれません。同じ島国に住んでいる者同士なら「あとは察してくれ」で済みますが、外国人に「あとは察してくれ」は通用しないのです。

あくまでも傾向です。例外はたくさんあります。

ですから日本語をその論理のままでフレーズ単位で翻訳しても英語話者にはかなり理解が大変になります。

彼が外国の常識を理解していなかっただけ、という回答がありますけれど、外国語を学ぶということにはその言葉が話されている生活文化や常識も学ぶことが当然に含まれます。彼らと日常会話レベルの会話をするためには彼らの日頃の興味を知っていなければならないからです。いつも日本文化の話題ばかりではやがて相手にされなくなります。

なので、やはり英語で自分の意見を表現しようと"努力する"過程で、英語話者たちの考え方に触れる機会が生まれて来ることになりますね。橋下氏が外国の常識を理解していなかったことと英語を話せないことはほぼ同義だと思いますけどね。

英語を学ぶ前にまず日本語を学ぶべし、小学校で英語教育義務化反対、という意見の人が日本には大勢います。ああやっぱり島国だなぁとつくづく思います。そういう意見の人は日本語で考えた意見と同じ意見を英語でも言えるはず、という前提に立っているんでしょうね。でもそれはそうではないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のコメント,ありがとうございます。

「英語と日本語では論理構築が異なる場合が多いです」

→ そのためか,わたし自身は,何かを書いたり,何かを主張するときには,英語のほうが日本語よりも容易に,みずからの意見を主張することができます。日本語よりも,英語のほうが使いやすいと感じるのです。

「英語は細かいものから大きなものに話が進んでいく傾向があります。たとえば名前。ファーストネームから始まってファミリーネームが続きます。住所もしかり。アメリカの場合は、最初に番地がきてストリート名が続き、その後に群や市などの行政区画、郵便番号、州です。」

→ とても良いたとえです。

「あとは察してくれ、ということかもしれません。」

→ こういった要素があるので,わたし自身は,日本人とコミュニケーションをするときには,「細心の注意」を払っています。

「やはり英語で自分の意見を表現しようと"努力する"過程で、英語話者たちの考え方に触れる機会が生まれて来ることになりますね。橋下氏が外国の常識を理解していなかったことと英語を話せないことはほぼ同義だと思います」

→ なるほど。このような主張からうかがえることは,「教育の問題」をふくんでいることだと,おもいます。

「英語を学ぶ前にまず日本語を学ぶべし、小学校で英語教育義務化反対、という意見の人が日本には大勢います。ああやっぱり島国だなぁとつくづく思います。そういう意見の人は日本語で考えた意見と同じ意見を英語でも言えるはず、という前提に立っているんでしょうね。でもそれはそうではないのです。」

→ あなたの主張したいことは,痛いほどわかります。これは,とても難しいトピックです。異文化理解という点において,たくさん議論のできるトピックであると同時に,言語理解のプロセスとか,英語教育のありかたとか,いろいろな「可能性」や「教訓」をふくんでいるものです。いろいろと考えさせられる内容です。

お礼日時:2013/07/04 12:39

 仰るとうりなのですけど、ここは日本です。

外国人ジャーナリストの方も、日本語を理解して欲しいですね。アメリカで、このような記者会見があったとしても、日本語ではしてくれないですね。

 ところで、彼が英語でしゃべったら、言ってはいけないことを喋ってしまったり、間違ったとらえ方をされるかもしれないと言う危険に対して、保険を掛けたのでしょう。
 私は、何年も英語を習ってきました。それで、日本人の喋る英語は少しは何とか分かりますが、外人が喋る英語は、全く聞き取れません。きっと、彼も同じようなものと思います。そりゃ、まともな英語を喋れない人から、英語を習ったのだから、仕方ないですけどね。私は、日本の英語教育が間違っていると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

「外国人ジャーナリストの方も、日本語を理解して欲しいですね。」

→ 外国から来日してきた人々はどうなるのでしょうか? 実際の記者会見においては,滞日歴の長い方々がいましたが,そうではない人々もいたでしょう。

「彼が英語でしゃべったら、言ってはいけないことを喋ってしまったり、間違ったとらえ方をされるかもしれないと言う危険に対して、保険を掛けたのでしょう」

→ そういう考え方もあるとおもいます。ただし,彼みずからが,英語を話し,彼みずからが,通訳の助けを借りずに,みずからの英語力だけで,記者の人々と意見交換できれば,の話になります。

「私は、日本の英語教育が間違っていると思います。」

→ あなたの心の内は,よくわかります。

お礼日時:2013/07/04 12:32

「この記者会見において,彼がみずから英語を話し,みずからの主張をアピールすると「仮定」しましょう。

そうすることによって,彼が主張するところの,いわゆる「日本人の言い分」は,記者会見に参加した,外国人ジャーナリストたちの「理解」を獲得できたでしょうか? 通訳を通すのではなく,みずから英語を話すことによって,得られる「効果」についても,考える余地があると思います。」
今回、どの部分が誤訳や誤解されて諸外国に伝わったとお考えなのでしょうか?私は単に彼が諸外国の常識を理解していないから彼が勝手に誤訳や誤報と勘違いしているだけだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

「私は単に彼が諸外国の常識を理解していないから彼が勝手に誤訳や誤報と勘違いしているだけだと思います。」

それだけの問題でしょうか? 「諸外国の常識」ということも考えられますが,「ほかの,多くの問題」も,含んでいます。

お礼日時:2013/07/04 03:37

自ら英語で説明しようと努力するならば、その努力の過程において、自分の意見が相手(外国人)に理解されるものかどうか予想できた可能性は非常に高いと思います。

その結果、少なくとも発言者の意図と相手の理解との間のギャップは大変小さくなるはずです。

通訳任せですと、自分の意見を外国人の立場でレビューするきっかけがないので、論理構築の修正はほぼ不可能に近いです。

これは橋下市長だけの問題ではないです。日本国内で多くの論者が従軍慰安婦や歴史認識の議論を日本語で行っていますが、そういった議論については海外への発信力はほぼゼロなのです。

プロの通訳や翻訳家は一つ一つのフレーズをなるべく正確に翻訳しようとは努力してくれますが、大本の論理構築までは修正できません。論理構築は発言者自身の手で責任を持って行うべきですね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。良い回答だとおもいます。

「論理構築は発言者自身の手で責任を持って行うべきですね。」

「多くの論者が従軍慰安婦や歴史認識の議論を日本語で行っていますが、そういった議論については海外への発信力はほぼゼロなのです。」

このような考え方から,うかがえることは,いまだに日本社会においては,「オリのなかだけで叫んでいる」ことばかりしていて,「オリの外」にむけて,叫んでいない,ということです。いわゆる「島国根性」がそうさせているのかもしれません…。

日本人が,とりわけ,いわゆる純日本人とされる人々が,「日本人の精神性」に,真摯に向きあうか否かが,ひとつの「鍵」になりそうです。

お礼日時:2013/07/04 03:36

自分で英語でしゃべることは重要ですね。

世界遺産の件ではドイツの代表と部屋の隅で英会話したらすぐ応援演説をしてくれ、三保の松原が候補に加えられました。演説ではなくてただの会話ですよ。猪瀬サン他も一生懸命英語の原稿を覚えて効果をあげているようです。

しかし従軍慰安婦の問題に限って言えば効果は限定的でしょう。日本の知事は 慰安婦= prostitute (売春婦) という軽い考え方ですが、外国では一般に 慰安婦= sex slave (性奴隷) という理解であってその (prostitute と sex slave の間の) 距離は非常に大きいのです。そうなると一回の記者会見で相手の意見を変えるのは困難です。

東京の戦後のパンパンと似ていると言いたかったようですが、パンパンは自分の意志に反した業務を強制されなかったし死ぬこともなかった;慰安婦は1日20回も「業務」を強制された上にその多くは戦地で死んでいったのです。これをいきなり同列に論じようとしても無理なのです。

まあ例えて言えばオウム真理教の麻原彰晃はペテン師ではなくてまじめな宗教家だと説得しようとするようなものです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

コメントありがとうございます。良い回答だとおもいます。

「猪瀬サン他も一生懸命英語の原稿を覚えて効果をあげているようです。」

「原稿を覚える」ことが重要なのでしょうか? 重要なことは,どのような場においても,口から外国語が出てくるという,「高いレベル」と,「(語学力を基礎とした)臨機応変さ」であると,おもいます。

悲しいことかもしれませんが,「外国語が堪能なリーダー」がいないことが,日本社会にとっての「不幸」なのかもしれません。それと同時に,「外国語屋」といった<考え方>があることも,日本社会にとっての「不幸」なのでしょう。

日本人でいることが,「不幸」の時代になってしまった…,のかもしれません。「杞憂」であると受けとめたいところですが…。

お礼日時:2013/07/04 03:34

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!