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世界史を習っていた方に質問です。
中国史の宋(北宋)と遼が結んだ「澶淵の盟」についてです。
これは「兄弟関係」の講和条約で、「兄が北宋、弟が遼」と習いました。
しかし、疑問に思うのが、

1:なぜ圧迫され、国力衰退気味の北宋が上の立場なのでしょうか?

2:そしてなぜ、上の立場が下の立場の遼へ貢ぐのですか?

お願いします。あと、答えていただける方へおまけを差し上げます。

「世界史 中国史」の質問画像

A 回答 (1件)

>1:なぜ圧迫され、国力衰退気味の北宋が上の立場なのでしょうか?



質問者さんの認識は間違っています。北宋は国力が衰退気味だった訳ではない。文治主義を推進した反面、軍事力が弱体化したとはいえるけど、国力が衰退した訳ではないんです。軍事力と国力を同一視するのは間違いです。真宗の時代は、江南の農業生産が飛躍的に増加するといった経済力増大もありました。北宋を過少評価してはなりません。

また一方、遼を過大評価するのも間違いです。遼は遊牧地帯を統一したとはいえ、さほどの強国でもない。遼は高麗に対して何度も侵攻を図りましたが、決定的な勝利を挙げることもできなかったぐらいです。どうして遼が高麗や北宋に対して攻勢を取ったかというと要は貧しくて食えないからです。何か戦果を勝ち取らないと食べていけない。

「北宋が上の立場」という認識も間違いです。澶淵の盟の意味は、北宋が「名」を取り遼が「実」を取るといったWIN・WIN関係の成立であり、give&takeの取引であるのです。言い換えれば、遼は北宋の顔を立てる、北宋はその見返りに歳幣を遼に送るといった相互互恵取引の成立が澶淵の盟なのです。

例えて言えば、弟は兄の家督相続に異議を唱えないという約束、兄は弟の生活費を支援するという約束を相互に約束しあったといったことなんです。

こういったことが中国4000年の知恵であり、中国の伝統的な外交手法なんです。こういう事例は中国史ではいつの時代でもよくあることです。

遼にすれば北宋に貢がせてやったとして顔が立ちます。手ぶらで帰ってきた訳ではない。立派な戦果を勝ち取ってきたと胸を張って領民に対して主張することができる。負けた訳じゃないぞと胸を貼ることができる。
北宋にすれば領土を遼の侵略から守ることができた。兄の立場として遼の矛を収めさせることができたと領民に対して主張することができる。負けた訳じゃないぞと胸を貼ることができる。

結局のところ北宋が名を取り、遼が実を取ったことで、北宋も遼もどちらも顔が立つのです。こういうことを理解できないとなかなか中国史は理解できないだろうと思います。

このような中国史に対して、日本は単純馬鹿一辺倒で、勝った・負けただけです。なかなか日本人には理解しがたい話なのだろうと思います。
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