プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1974年にバングラディシュで起こった大飢饉は洪水が引き金となったと知りました。
そこで質問なんですが、洪水はどのようにして飢饉を引き起こしたのでしょうか?
ネットで調べると洪水があり飢饉になったと書かれておりどういった経緯なのかわからないのです。
よろしくお願いします。

A 回答 (8件)

直接的にはあまりにも当然過ぎる帰結ではないですか?



洪水で農業そのもの(農地)が壊滅的打撃を受けたので、農産物ができなかった。
これ以外に解はありません。

金のある国(例えば日本)は穀物他農業生産物を海外から購入してその場を凌ぐでしょうから、飢饉にはなっても飢えることはないでしょう。

問題は食えない、ということ。飢饉は復興対策がその後の重要な施策ですが、まずは飢えから人々を救わないと、革命です。
    • good
    • 0

このサイトにバングラデシュの主要な自然災害が暦年で記載されています。


http://www.adrc.asia/countryreport/BGD/BGD99/CR9 …
これによると1974年の洪水とその後の飢饉では死者3万人となっており、それなりに死者の数が多いです。洪水やサイクロンの死者がもっと多い年もそれなりにあるし、5年10年という期間で眺めると自然災害はとても多い地域といえます。
 
そうであるのに、1974年のバングラディッシュの洪水の後で発生した飢饉が有名なのは、センという学者が取り上げたことにも原因はあります。
 
次のような言葉を紹介しているサイトもあります。(出典もわかりません。事実かどうかもわかりません)
http://journeytoforever.org/jp/foodfirst/report/ …
「この村でも大勢が餓死したわ。裕福な農民たちは米を買い占めて、貧しい小作人たちに見せないよう隠していた。洪水のためそれほどたくさんの食糧がなかったのかもしれないけれど、あの時、食べ物がみんなに分けられていたら飢えで死ぬ人は一人もいなかったと思うわ」1974年の大飢饉後にバングラデシュの小作人が語った言葉。
凶作の年はしばしば裕福な農民や商人が食糧を買い占め値段をつり上げる。目の前に食糧があっても、貧しい人たちは食べ物を買うお金がない。借金に追われる零細農民や小作人たちは最安値で収穫物を全部を買いたたかれ、土地も買いたたかれ、生活の糧そのものを失ってしまう。
 
この下のサイトには、バングラデシュ生まれグラミン銀行総裁ムハマド・ユヌスプロフィールのことが紹介されています。
http://soneda.or.tv/patio/read.cgi?mode=&no=21&p=2
1940年、現在のバングラデシュ生まれ。チッタゴン大学で経済学を専攻。米国留学後、同大経済学部長に。74年の洪水と飢饉を機に貧民支援に乗り出し、83年、無担保・少額融資のグラミン(ベンガル語で「村落」の意味)銀行を設立。全国に普及し、現在の融資残高は同国GNP(国民総生産)の1%にのぼる。また同様のマイクロクレジットは世界40か国以上が導入。その功績で2006年、ノーベル平和賞受賞。ユヌス氏は演説で「貧困は平和への脅威」と強調。米中枢同時テロとイラク戦争で「世界は(貧困削減という)グローバルな夢の追求から脱線し、『貧困との戦い』から『テロとの戦い』に注意を向けるようになった」と指摘し、特にイラクでの「戦い」に多額の出費を重ねる米国の取り組みを批判した。

基調講演「女性への融資は生きる」ムハンマド・ユヌス氏(グラミンン銀行総裁)

大学で経済学を教えていましたが、1974年、大飢饉で村に、餓死者が出ていること、多くの人が小額の借金に泣いている現実を知りました。ある村では42人で総額たった27ドル(セントと言っていたとも)の借金に苦しんでいました。銀行と共同で貧しい村人向けの小額低利の金融制度を作ろうと考えましたが、銀行は大反対。「信用がない、担保がない、女性なんて冗談じゃない。」という態度でした。
そこで、私が、保証人になって実験的に小額融資をしてみると、ちゃんと返済される。しかも男性に貸しても生活は変化しないのに、女性に貸すとお金が生きる。子どもの栄養状態が改善され、登校率が上がるのです。女性は「お金を必要とする優先順位を考え、それが長期的によい結果を生むのです。
83年、「女性を主な対象とする」グラミン銀行開設にこぎつけました。借り手にも生活の課題を洗い出して対応することを奨励、86年には「生活を圧迫する結納をやめよう」など16の実施項目を挙げました。村の女性のほとんどが字を読めないので、この項目を歌にして覚えました。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
現在の日本は豊かな国で食糧の相当部分が廃棄処分されていますが、時々ニュースで餓死しているヒトが発見されたと報道されます。貧乏で買い物が出来ないと餓死してしまうことが現在の日本でもあるということです。もしも、生活保護制度や医療保険制度がこれほど充実していなければ、毎年相当な人数が餓死しているかもしれません。毎年の死者は120万人くらいですが、餓死や栄養失調が毎年数万人出ているならば、それを飢饉とは言いません。それが、餓死や栄養失調が“ある年数倍に増えて”、大勢の人がその数倍も食糧に困窮すると飢饉が起きたと言うことになります。 食糧困難者・栄養失調。餓死が増加した理由は問題ではないです。
 
(飢饉=例年以上に食糧確保が困難な者が大幅に増加すること)が起きるのは、a食糧生産が減った b備蓄食糧が失われた c現金などの購入資金を失った d失業した e大きな病気や怪我をした f政府や地域社会の相互扶助システムが機能しなかった g交通や運送の機能が失われた h市場機能が働かなくなった i食糧価格が高騰した などが起きる場合です。
 
多くの飢饉のケースは、iとcが起きていて、a、bやfが重なることが多いです。
aやb、c、d、e、f、g、h、iなどは戦争や経済恐慌でも起きます。
洪水や日照り、日照不足、寒冷化、地震、火災が広範囲に起きた場合でも、そうしたことは起きますが、他の条件が逆方向にあると(例えば、社会扶助がされた、十分に備蓄や現金があったなど)飢饉は起きなくなります。
通常、飢饉のきっかけは大雨、日照り、冷害、虫害などですが、そのきっかけを元にして将来を見越して食糧を買い込みする行動が誘発され、ますます不安を高め、売り惜しみ・買い溜め、価格高騰を招いて、金を出せない人々が多数食糧をえられなくなるようです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

下の理解が妥当かどうかはわかりませんが、こういうことを言う人がいることは確かです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
http://repository.cc.sophia.ac.jp/dspace/bitstre …
センは1974年のバングラデシュの飢饉は同国の食糧生産量が最も高い年において発生したこと、1943年のベンガル飢饉は好景気の中で起ったこと等を明らかにしている。つまり、パイの大きさそのものが足りない場合でも、外部へのアクセスルートが確保されていれば飢饉は回避でき、逆にパイの大きさが十分の場合でも、その分け前の恩恵に預かれない人がいるのである。これらの事実が示唆するところは、重要な点は食糧が実際にあるか無いかだけではなく、生産された食糧が隈なく分配される保障であり、それらが人々のもとに届く手段である流通の確保であり、人々が実際に食糧を手に入れて消費することの可能性であるということである。これは飢饉発生の
有無はパイの分け方に依存するという需要サイドの議論である。センは、ある社会の中においてある個人が支配しうる選択的な財の集合である(エンタイトルメント)が崩壊することによって飢饉の発生を説明するエンタイトルメント・アプローチを展開した。エンタイトルメントの概念を用いることによって、食糧供給量が十分な時でさえ食糧価格の高騰等によって食糧へのアクセスが遮断され(交換エンタイトルメントの失敗)、飢饉が起りうることを示した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
過去の日本でも飢饉が起きたときの各藩の状況を調べて、天然自然の災害や現象が飢饉のきっかけになるが、飢饉はその地域社会の事情が引き起こすという説明をするのがポピュラーです。
    • good
    • 0

http://www.bioweather.net/column/essay3/gw18.htm

1974年にバングラディシュ
これはたぶん、グラミン銀行のムハマド・ユヌスの方の話ですね。

1972年に帰国してからの最初の大洪水が1974年であって、大洪水と飢饉はバングラデッシュではよくあること。

http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/810 …
1974年,最初に洪水があり,そして飢饉が起こった。死者は 26,000 程度
 1943年に発生したベンガル大飢饉の死者は 150万人とも 300万人とも推定されている。

飢饉になるのは
「飢饉の発生原因とは無関係に,飢饉を打開するための政策〔崩壊した「交換エンタイトルメント」を回復する食料の流通システムと分配システムの公的確保,公共事業計画など〕をとること,である。」

とあるように、政府なり行政がちゃんとやらないと死ぬのです。


ベンガル地方は基本的には豊かです。
パキスタンが独立(1947年)してから、政権を西パキスタン(現在のパキスタン)が握り、東パキスタン(現在のバングラデシュ)の富で西パキスタンを開発するという流れになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%AD% …
「1970年11月、東パキスタンを大規模なサイクロンが襲い、30~50万人もの死者を出す大惨事となった。この際西パキスタンによる災害救助の動きが極めて鈍かったことから東パキスタンでは政権不信が爆発し」

1971年に独立

基盤となるインフラができていない時に、大洪水があり、飢饉が発生したという構造になります
    • good
    • 0

確か田んぼとか畑はの土は只の土ではなく



すごく手間をかけて育てたけっこう繊細な土だったと思います。

塩分濃度(ph?)がちょっと変化しただけで作物育ち方が

まったく変わってしまうとか聞いたことあります。

震災のとき「塩害」と呼ばれて結構騒がれていましたよ。
    • good
    • 0

natadekoko0909 さん、こんばんわ。



おそらく、川がその周辺にある田畑に流れ込み、作物や灌漑などを押し流してしまい、その結果、食料不足になったのでしょう。
    • good
    • 0

洪水は水が流れるだでではなく、大量の土砂を残していきます。


畑を覆った泥は土の換気を妨げ作物の根を腐らせます。
用水路は土砂で埋まり、洪水の直接的な被害を免れた田畑も水が供給できなくなり、作物は枯れていきます。
このように大きな洪水被害のあった場所ではその年の収穫が無いので、バングラディシュのように食料備蓄と外貨備蓄が乏しい国では飢饉が発生してしまうのです。
    • good
    • 0

ネットで調べるより先に想像して見る事はしないのでしょうか?



日本のような食べ物さえも大量に輸入している裕福な国以外の地域というのは
普通、食料は地域ごとで自給自足です。持ってきても隣の町や村から仕入れる程度で
国と国で大量に食料を買うようなところはほんの一部です。

洪水で、畑や田が流されればその都市には収穫はありません。
主食である米や麦なんて年に1回しか大概は育ちません。
畜産だって、その米や麦から取れる藁やとうもろこしで育てます。 洪水なら農家のサイロもやられるでしょう。
洪水でウシや豚が死ねば、肉にするまでまた莫大な金と時間がかかります。
洪水が起こって農作物がだめになっても、人まではさほど減らないでしょうから、年間の食い扶持は変わりません
となれば食料は不足して、その余剰で次の年の耕作をまかなっていた種が作れなくなります。
消費は進み、製造は滞れば必然と飢饉状態になります。そのうえ、季節の変わり目で異常気象が起これば
更に消費ばかりが増えるでしょう。
国は国民に、次の収穫期までやしないほど金もありません。そもそも次の年に育つはずの作物を作る
畑や田も使い物にはならないでしょう。直す金もないでしょうし。

農業や畜産などは、製造サイクルのわが狂ってしまえば何年かは復活できません。
人間水だけで生きていられればいいのですがそうはいかないでしょう。
    • good
    • 0

土壌が流されちゃうからじゃないの?

    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!