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広島への原爆投下は少なくても,1週間前には予告できたはずです。

そうすれば日本は事前に降伏していた可能性があります。

10万人の尊い命が救えたはずであります?・・・・・・・・・・・

A 回答 (20件中1~10件)

あなたに一つ教えてあげよう、ー原爆を投下するまで日本を降伏させるな!ーと言う本がある、この中に描かれているトルーマンとバーンズの実際にあった、やり取り・行動を読んで理解すれば解明出来るのである。

この回答への補足

アメリカという国家は、絶対に許すべきではありませんね?・・・・・・・・・・・・・・・・・

補足日時:2013/08/07 04:46
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上手く使えるか不安だったからなのです。

投下に失敗すれば笑いものになるだけですからね。
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>10万人の尊い命が救えたはずであります?



戦争は敵の命を奪うのが目的ですがね。

ただ、アメリカのキリスト教徒は、非戦闘人である広島や長崎の女子供・老人・病人の命まで奪ったから戦争犯罪となっておるのですね。

もし、日本がイタリアのような白人のキリスト教徒の国だったら、投下前に予告したでしょう。
でも、日本に住んでるのは白人ではないし、「キリスト教の神を信じない野蛮人」だったので、事前予告の必要なしと判断したのでしょう。

現在はそれほどでもないですが、70年前の白人・キリスト教徒は、有色人種の非キリスト教徒を差別しておりましたね。
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日本人の多くの方が、米軍がビラを撒いたことを知りません。


ですが、ビラはまかれたというのが事実。
原爆とは書いてありませんが、避難するように書かれています。

当時の日本では、このようなビラを拾うだけで「非国民」扱いでしたから、
ビラはほとんど残っていませんが、現物は存在します。
http://www.hiroshimapeacemedia.jp/mediacenter/ar …

「原爆 ビラ」で検索してください。
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米国は放射線が人体に与える影響のデータが欲しかったのです。



米国はその年の7月、ポツダム会議の最中に原爆の開発に成功しました。米国側も兵士の犠牲をこれ以上出したくなかったので、幕引きを考えていました。しかし実験成功の知らせが入り、日本に対して投下するというかねてからの計画を実行に移しました。

実験では地獄的な破壊力があることが分かりました。放射線の濃度もとても危険なレベルであるということが分かりました。分からなかったのは、どの程度の被曝量で、どのような症状が出るのか、データが全くなかったのです。それを世界で初めて手に入れようとしたのです。日本は戦場というより、実験室だったのです。731よりも惨い実験だったのです。

(1)広島、長崎のような地方都市は、町の中心部から近い所に民家が密集していました。米国は放射線を直接人体に浴びせるために、地方都市を選んだのです。東京や大阪などは空襲で壊滅していたということと、町の中心はコンクリートのビルが建っていて、人体に直接放射線を浴びせることができなかったのです。

(2)原発は600上空で爆発するように設計されていました。地上で爆発したら、建物のさえぎられて、放射線を広い範囲に飛散させることができないからです。

(3)開発し並行して、投下の日や時刻を選んでいました。夏は薄着なので、これも放射線のデータを取るには好都合でした。8:15は通勤、通学のため建物の外にいる人の数が最も多いということを、航空写真から割り出していました。15分間隔で偵察機を飛ばしていたようです。建物の外にいる人が多いので、これも被曝者の人数を増やすことになります。

(4)これは推測ですが、イタリア、ドイツは同じ白人同士ですので、原爆を使わなかったという意見もあります。有色人種である日本人だからこそ使えたのだと、実しやかに言う人もいます。

このようなことから、原爆の開発がもっと後にずれこむようなことがあれば、終戦に向けて動いたのかも知れませんが、成功した時点で、日本に対して使うことを決定したのです。

日本はポツダム宣言を黙殺しました。もちろんそれには原爆のことは明記してありませんが、たとえ書かれていたとしても、黙殺したという歴史は変化しなかったと思います。
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今NHK-BSで放送している、オリバー・ストーンの「アメリカ史」を見るとそのことがよく分かります。

終戦前にすでにスターリンソ連との冷戦が始まっていて、小心者のトルーマン大統領はソ連を牽制するために原爆を落とさせたようです。すでに日本の敗戦は決まっていて、原爆投下は不必要だと、アイゼンハワーなど、周りの軍人達は止めたのに、政治的思惑で決行したようです。ですから日本のことなど何も考えていません。予告して降伏を迫る必要もなかったのです。すでに日本はポツダム宣言受諾の方向に向かっていて、時間の問題でした。原爆投下はソ連に対するデモンストレーションだったのです。だから降伏前に、急いで落とす必要があったのです。
アメリカはひどい国ですね。
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No12です。


私の回答の補足をさせていただきます。

確かに、アメリカも人体への威力は実感できていなかったと思います。
(そもそも、それを確かめる為の投下ですし)
しかし、それを敵国とはいえ、他国の国民で実験するのは如何なものでしょうか。
(まさか、無傷で済むと思ってはいなかったでしょうし)
それに、使用を決定した人たちは原爆の威力(爆発力)は知っていたと思います。


一部で無差別爆撃による大量殺人は日本が行った重慶爆撃が最初であり、それ以降戦闘が激化し市民が巻き込まれるようになったという意見がありますが、それは間違いです。

重慶爆撃は、今でも中国が執拗に戦争犯罪だと主張していますが、
重慶は戦略拠点であり、国際法でも爆撃対象として認められています。

中国はそれに対して、民間人の居住区に高射砲台を設置するという、ありえない事を行っています。
日本軍は軍事施設への精密爆撃を試みましたが、被害が増え続けた為に市街地も爆撃する必要が生じてしまいました。

連合軍も↑を知っていた為に、戦後の東京裁判では、重慶爆撃は起訴対象にはなっていません。


期間と被害についてですが、
中国側の「重慶抗戦紀事」(中国人民政治協商会議四川省重慶市委員会文史資料研究委員会編)では↓となっています。

1:重慶爆撃の期間は『約5年間』
2:犠牲者数は11889人(東京空襲は1日で10万人です。)

以上から、大量虐殺は日本が最初に行ったと語る人の知能と国籍を、私は疑います。


日中戦争で戦闘が行われていた期間は、約8年です。
中国はその間に、日本軍は3500万人の中国人を殺したと主張しています。
これは月平均で、約36.5万人となります。
これが事実とすると、重慶爆撃が、何故問題になるのかわかりません。
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それは原爆の威力を知った後だから言える話ですよ。



だれも威力を実感できていません。アメリカ自身もごく一部しか理解していません。
そんな話だけで終戦を迎えられるなら戦争しませんって


それと、民間人を巻き込むことはその時代の戦争では常識です。
理由はそこに軍事施設があれば正当化されました。

最初といわれるのは皮肉にも日本軍が中国の重慶でした爆撃です。
無差別で民間人も犠牲となったという欧米の非難に、そこには軍事施設があったからと日本軍の幹部が答えてます。

その数か月前から東京の空襲も民間人が10万人ほど犠牲になってます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC% …


ドイツも連合軍の空襲がありました。

ニュルンベルク
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5% …

ドイツもロンドンを無差別に爆撃してました。

第2次大戦は大量殺戮の戦争でその終末に原爆があると理解した方がいいでしょう。
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原爆による被害の検証データを取得したかったんです。


降伏されてしまっては、原爆を落とすことが出来なくなります。


元々、あえて被害が大きくなる地域を狙って落としています。
だから、救う気持ちは、初めからありません。


だからこそ、広島、長崎と連続して落としています。
一つ落ちた段階で、降伏されても困るからです。
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1:>アメリカは何故、原爆投下を予告しなかったのですか?


2:>10万人の尊い命が救えたはずであります?

回答1:していません。(理由は後述)
回答2:回答1より、民間人の殺傷目的だったので、救うつもりはありませんでした。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、
広島への投下は、↓のような経緯で投下されており、故意に民間人の被害を増やす意図で進められています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市であり空襲を受けていない為に原爆の威力を確認し易い。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

B:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)

仮に予告や警告をしていたとしても、日本がそれを信じなければならない理由はありません。
誤情報による相手の撹乱は戦争の常識です。

そもそも、原爆の使用自体が、民間人の虐殺という国際法違反であり、日本が降伏せず住民の非難もさせなかったと、避難するのは間違いだと思います。

それに、予告して無人の海上にでも投下すれば、効果は理解させることはできる筈です。
であるのに、わざわざ迎撃される可能性がゼロではない敵の都市に落としに行く理由は、↑の1、2としか思えません。

私には、当時の日本の対応を非難する人がなぜ↑の事を考えないのか理解できません。


原爆の使用について、日本が降伏をしなかったからだという意見がありますが、それは間違いです。

日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもり」でした。
しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなるという難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はでいませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、冷戦の最前線になってしまう事も考えられます。

以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。


連合軍は事前にチラシで避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)
(実は、小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました)
「アメリカは何故、原爆投下を予告しなかった」の回答画像12
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