プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

大学で、ストーリーテリングについて発表をしたいと思っています。
ストーリーテリングは、文字ではなく音による物語の伝達だと思うのですが、最近、児童教育の現場でストーリーテリングが見直されている、ということをよく聞きます。子供の本離れ、人の話を聞くことに対する集中力の欠如、そういったことにおいてストーリーテリングが非常に有効だとか。文字なくしては成り立たない今の世の中において、ストーリーテリング=音が、一体どのような有効性を持つのでしょうか。このようなことに考えをお持ちの方、ぜひご意見をお聞かせください。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

ご質問への回答と少しズレるかも知れませんが‥


第二次大戦中の捕虜収容所での実際の話です。
ドイツ兵を収容していた収容所では与えた新聞が綺麗な状態で残りました。しかし、日本兵を収容していた収容所では直ぐにボロボロになってしまいました。
これは、ドイツ兵収容所では一人が新聞を朗読し、みんなが聞き入ったのに対し、日本兵収容所では一人一人が新聞を手にして読んだからなのですネ。
基本的に日本語や中国語のような表意文字文化では読むものであり、欧米言語のような表音文字文化では聞くものなのですネ。
これは脳の働きそのものにも関係しているでしょう。
それを改造しようとする動きには、あまり賛成意見は持っていません。
韓国のように漢字を捨てて表音文字文化に変えてしまった場合はストーリーテリングが有効なのかもしれませんが、それは、長年培ってきた文化の放棄にもつながることのように思えてしまいます。
ただ、欧米式の思考回路を持たせたいという意味であれば、有効性があるのかも知れませんネ。
以上kawakawaでした
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 回答をいただき、ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2001/06/05 21:48

全くの素人なので,きちんと筋道立った説明はうまくできないのですが,私は一定の有効性はあるような気がします。



kawakawaさんのあげられたドイツの事例は,あまりにも児童教育とかけ離れている上に,脳の改造とか文化の放棄,欧米式の思考回路などといわれると,ちょっと極端過ぎるように思われます。
(kawakawaさんからすれば,そういう楽観的な考え方では甘い,ということになるのかもしれませんが…。)
また,おそらくkawakawaさんの内部では,日ごろからじっくり暖めていたテーマなのでしょうが,それを知らないで結論だけ読んでいる側からすると,話が短絡的過ぎるようにも感じられます。
日本兵が新聞を手にして読んだというのは,当時の日独兵士の識字率の違いなども関係しているのではないでしょうか。

表音文字であろうと表意文字であろうと,生まれつき読み書きできるわけではありませんし,まずは最初に音声言語を修得して,文字はその後に学ぶものでしょう。
ストーリーテリングが日本の文化を放棄させることになるのであれば,乳幼児期に親がいろいろなお話を読み聞かせするのもいけない,そんなひまがあればひらがなを0歳から教えろ,という話にならないでしょうか。

確かに,文字体系を修得してからの思考方法には,それぞれの文字体系によって違いがあるように感じられます。
自分の場合,日本語で読み・書き・考えている時は,頭の中に漢字かな交じり文が思い浮かんでいることが多いのに対して,英語の文章を読み書きしている時は,必ずしも英語の綴りが浮かんでいるわけではなく,何といったらいいのでしょうか,もっと抽象的な概念同士のつながりのようなものが浮かんでいたり,具体的な事物の姿が思い描かれていたり,という気がします。(このへんは当然個人差も大きいと思います。)
しかし,質問者の言われる「本離れ」は,つまるところ,ある程度長い言語表現を受け取って,自分なりに考える力が身についていないため,ともいえましょう。それは,音声言語・文字言語を問わない,というかそれ以前の問題のような気がします。
となると,ともかくまとまった長さのお話を聞く体験を積むことは,まとまった長さの文章を読むうえでも有効だと思うのですが,どんなものでしょう。

また,日本語の文字を表音文字化する(ローマ字なりカナなり)ことには私も反対です。表音文字化が日本の文化を破壊するという話なら理解できます。
しかし,ストーリーテリングの導入が文化の放棄というのは性急に過ぎるように思われます。
洋の東西を問わず,昔から子どもたちは,いろりばた(またはベッドサイドなど)で昔話を聞いて育ったのではないでしょうか。

韓国の話題が出ましたので,少し付記すると,韓国では,1970年代の一時期,学校で全く教えておらず,その後も小学校では教えなくなりました。
(結果的に,それ以前に比べて漢字の読み書きの平均的な力はぐんと下がっていますので,それを「捨てた」と言ってもいいのかもしれませんが。)
このため,街中の看板をはじめ,小説やスポーツ新聞などはほとんどハングルで書かれるようになり,一般紙でも漢字の比率は低く,本文は固有名詞以外ほとんどハングルです。専門書は漢字率の高いものも多いですが。
ただ,これについては「ハングル専用vs.国漢混用」の大激論が長いことなされており,また小学校での漢字教育の実践などもなされています。また金大中大統領は漢字教育に力を入れることを明言しています。
ハングル世代(学校で全く習わなかった世代)と,それより上の年代と,下の年代とで,どう思考回路が違うかとか,「脳の改造」に当たる現象があるか,などの研究があったらおもしろいのですが。(ありそうな気もする。)

ちなみに,児童図書館サービスに詳しい人に「ストーリーテリング」と「読み聞かせ」をごっちゃにして質問したら,えらく怒られたことがあります。
「お話」(素話=すばなし)何も見ないで,話を語る。
「読み聞かせ」本を見ながら(見せながら),朗読する。
「ストーリーテリング」本を見せながら,内容を紹介する。聞き手の反応によって言葉を追加したり要約したりすることもある。
みたいなことを言っていましたが(ちょっと自信ナシ),質問者がおっしゃっているのは,これらを全部含めた,広い意味でのストーリーテリングと考えてよろしいのでしょうか。この場合,狭い意味に限定する必要もなさそうですし。

(意見というより思いつきに近いもので,あまり発表のお役には立てないかもしれません…)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

丁寧なご回答、ありがとうございます。参考になりました。

お礼日時:2001/06/05 21:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!