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カントの「実践理性」「判断力」という言葉の意味がよく分かりません。

純粋理性については、純粋に思弁的・論理的な認識を行う理性ということで意味は理解できます。

しかし、「実践理性」については、神や道徳法則や自由について語っているのに、なぜ「実践」理性なのだろうと思いました(どちらかといえば、「道徳理性」とかではないかと)。

信仰や道徳的行為は「実践」されるものであるから「実践理性」だといわれれば、確かにそうかもしれませんが……。

あと、「判断力」については、「美」という思弁でも実践でもない認識だから「判断」、ということでしょうか。

A 回答 (3件)

質問の題名が、ちょっと気になったので追加です。



自分に問うてみるとわかります。
人は判断をするときって何かの選択に迫られた時ですよね。

例えば、あなたが「洋服を買う」とします。
その時、「かっこいい」とか「似合うだろう」とか「色が気に入った」とか「デザインがいい」とか
自分の美意識や美学で判断しますよね。
デザイン性の美や機能美など、その美の基準の置き方はそれぞれでしょうが。

判断の主な要因として人は「美」なのです。

正しいか正しくないかの判断も、正しいほうが美しいと私たちはどこかで感じている。
道徳的なことも、人間は美で判断しています。

部屋の片付けでも基本「美」が判断基準ですし、彼女をドライブに誘うときの景観も美が選択基準、つまりは判断力の根底の美を使いますよね。
数式に美しさを感じる人なども、合理的でシンプルさに美を感じているんでしょう。

カントの概念という捉え方は、別のところにたどり着くように思えます。
自分の中に存在するものを問うことで確認して、人間の中身をある程度明確にしたものが三大批判です。

自己批判するものには、本の内容は自明の理なのです。
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純粋理性批判


哲学的批判を、今風に言い換えると「問いかける」と言うことです。
自分自身に理性的に問いかけることによって、思弁・論理・認識を問うこととなります。

実践理性批判は、実践・つまりは行動を起こすことにおいて理性的に問いかけていくことになりますが
その際に自分の中に浮上するのは、道徳性などが上がってきます。
道徳性などは悟性の働きが関係してくるので、そのあたりはなんやかんやと書いてあると思います。

判断力批判は、判断すると言うことに対して自身に問いかけたときですから
カントにとって、美を判断するという事を自身の内面の動きを洞察し表現することによって
伝えたいものがあるのだと思っています。

自身への問いかけが、自分に対してどういう働きかけになり
自分と言うものがどういったものかを理解し、それによって外部にどう働きかけをしていくのか。
そのあたりを自己の体験から表現している本だと、私は捉えています。

カントの趣旨は、自分に問い自分を見つめなおそうぜって言ってるように思えますが
残念なのは、方法論が一般化されたものではないので分かりづらいor使えないと言うことです。

本来であればカントを読み解くより、自身でやってみれば
彼の言うところは内容的には非常に優しい話しなのですがね。
たどり着くまでには、時間はそれなりにかかりますが。

いづれにせよ、カントは面白いと思いますので頑張ってみてください。
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あのさ、カントが美とか道徳だの言ってる?人間とはなんだって言ってるの?

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この回答へのお礼

> カントが美とか道徳だの言ってる?
何をおっしゃりたいのかさっぱりですが、『実践理性批判』は道徳法則に関する書物ですし、『判断力批判』は美的判断に関する本ですが……。
失礼ですが、カントのことを少しでも知った上でその発言をされているのですか?

お礼日時:2013/08/30 13:44

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