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新・五輪招致の記憶(3) 今だから言える 名古屋がソウルに敗れた理由
http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/31765/32876/7 …

という記事をみつけました。
3ページ目後半:

  一方東京では、海外との名古屋の橋渡し役を果たしていた
  外務省の動きが鈍くなっていく。
  そして一切外務省から情報が流れてこなくなった。
  これを操っていたのが伊藤忠商事会長の瀬島龍三。
  韓国大統領の全斗煥や盧泰愚は、瀬島の陸軍士官学校の
  後輩にあたり、若い頃から瀬島に絶大な信頼を寄せていた
  という。

これによると全斗煥や盧泰愚が瀬島氏の味方になる動機が
あるのはわかりますが、逆向き(瀬島氏が全斗煥の味方にな
る)の動機を伺わせるものではありません。

このルポが本当だとして、外務省を操ってまでソウルを開催地
にしたかった主な動機は何だったのでしょう?先輩後輩の関係
を匂わせていますがそれでは弱い。プロフには日韓関係の改善
に関わったとありますのでその延長線上と考えられなくもありま
せんがこのルポには書かれていません。もっと直接的な商社と
して韓国との貿易に関わる何らかの利害関係があったと考える
のが自然ですよね?

A 回答 (1件)

日韓関係には全然詳しくないないのですが、



日本陸軍が消滅したのは1945年ですが、全斗煥は1931年生まれ・盧泰愚は1932年生まれで日本の陸軍士官学校には通っていないはずです。二人が通ったのは韓国の陸軍士官学校でふたりとも同期の第11期です。

瀬島龍三は1911年生まれで盧泰愚の生まれた1932年に日本の陸軍士官学校を卒業しました。30代の将校と13歳くらいの子どもの間に信頼関係が生まれたとも思えません。

瀬島龍三はいろいろな陰謀に関わったという話がありますが、陰謀論とか都市伝説のようなものもあると思います。
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この回答へのお礼

>全斗煥は1931年生まれ・盧泰愚は1932年
>生まれで日本の陸軍士官学校には通って
>いないはずです。

なるほどそういうことですか。
引用の記事内容はすべて根拠のないデマで
ある可能性が高いですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/09/15 19:22

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