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28日の読売新聞朝刊社会面に、
「日本語運用能力検定を受験した二万人の高校生のうち、合格レベルに達したのは2割に過ぎず、特に敬語関連の問題に誤答が多かった」
とまあ、そんな内容の記事が掲載されてます。
(ご参考までに→ http://www.yomiuri.co.jp/04/20010528i101.htm )

で、同じ日の朝、某テレビの「情報番組」がこの記事を取り上げたところ、それに出演していたあるコメンテーターが、
「敬語の用法を学校できちんと教えるべきだ」
てなことを発言しておったのですね。
あれぇ?と思いました。

このコメンテーター発言に限らず「青少年のマナー低下」を嘆くマスコミ報道は「学校(もしくは行政)の一層の改善努力を求めたい」という結びで締めくくられるものばかりであるような気がします。
個人的な感慨ですけど、「敬語の用法」に限らず、「公の場におけるマナー」ってのは学校で「学習する」ことではなく、むしろ親に叱られ叱られ「体験を通じて覚える」ことではないでしょうか。
したがいまして「青少年のマナー低下」を嘆くのであれば、その因を学校(行政)に求めるのは、かな~り「お門違い」であって、
「マナーの悪い青少年が増えている(ように見える)=マナーをきちんと教えられない親(家庭)が増えている」
と、結論付けるのがむしろ自然なような気がします。

で、タイトルに戻るんですけども、「最近の親(家庭)は子どもに対する躾がなっちょらん!」てな報道をすると、マスコミは「どこかの誰か」から「お叱り」を受けてしまうんでしょうか?
まあ、「学校(行政)はもっと何とかしろ」としておけば、それなりに「まとまり」のついた記事になる、てのが真相なんじゃ?てな気もするんですけど…

A 回答 (6件)

「最近の親(家庭)は子どもに対する躾がなっちょらん!」と言う報道をしたとします。


では、どんな家庭がと言う分析をしなければならないでしょう。
これって非常に微妙な問題を含みますよね。
新聞にしろテレビにしろ、うっかりしたらというような話題にはなかなか入っていけないのではないですか。
教育者を悪者にしておけば、微妙な問題を避けて通れます。
マスコミは単に卑怯なだけではないかと思いますけど如何でしょうか。
「青少年のマナー低下」を嘆くより、マスコミや評論家の不甲斐なさを嘆く方がずっと気が利いているような気がします。
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この回答へのお礼

>…微妙な問題を避けて通れます。
質問文中、「…それなりに「まとまり」のある記事になる…」と表したのは正にコレのことです。
敢えて蛇足ながら付け加えさせていただければ「問題が複雑化するのを避けるため」でしょうね。
「敬語の用法」から広げて「言葉の乱れ」についてになりますけど、この原因について、山本夏彦氏は「家庭から老人がいなくなったためだ」とされています。
このことを語るだけでも高齢者福祉はもちろん、住宅問題、共働き家庭の是非、昨今の労働者の就業状態等々に触れなければならず…いやー、収拾つかないなこりゃ。

>マスコミは単に卑怯なだけではないかと思いますけど如何でしょうか。
やっぱり「単に卑怯なだけ」になりますかねえ…。
「微妙な問題」に臆することなく、真っ向切りこんで行くドン・キホーテ的な報道こそが、今もっとも期待されるモノと思うんですけどね…。

お礼日時:2001/05/30 00:03

マスコミの難しい部分は、通常みんなが思っているよりも放送コードが


厳しいです。出版・テレビなどは影響力が大きいので特に問題になりま
す。そんな中でも全国放送で生放送ですと、がんじがらめ。多少そうい
った配慮があると思います。
日本中の北から南まで同じ番組をみている機会が多いもの通常ではない
と思いますが、マスメディアで必要とされるのは事実報道とかであり、
個人的見解は間違った誤解を与えることが多いですよね。感情が入った
偏った報道は必要なく、長野でのオウム事件のことなど(誤報で犯人と
疑われましたよね)の後も反省があまり感じられません。神戸の事件、
最近でも世田谷の事件もあれこれ推測したものに世間は不安をあおられ
ただけのような気もします。
コメンテーターは言うのは簡単ですし、そんなに事実を深刻に受け止め
ていないで発言することを視聴者の方でも認識しておく必要があるので
はないでしょうか?
また、タブーというよりもそれ程深く考えがあるわけでもなく、無難な
放送という事が、マスコミにも視聴者にも背景としてあると思います。

この回答への補足

えー、いちいち断るまでも無いんですけど、これをもってご回答の募集を閉め切ることにしました。
で、この場を借りて、ご回答いただいた皆様に感謝いたします。
せっかくのお答えいただいたにも関わらず、いろいろ口答えしてるような「お礼」もありますけど、今回は回答内容を全否定したくなるようなシロモノが全く無く、「エラそうついで」に言わせていただければ「大当たり」といった感があります。

したがって、今回のご回答はどれも甲乙着け難く、大変悩むトコロでありましたが、一応、ご覧の通りとさせていただきました。
ご回答いただいた方々の益々のご発展を祈念しつつ、それでは。

補足日時:2001/06/02 14:23
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この回答へのお礼

>個人的見解は間違った誤解を与えることが多いですよね。
マスコミにそこまで求めるのは過剰な期待かもしれませんけど、個人的見解を超えた「家庭の教育力不足」の科学的な検証が強く求められてもよい時期ではないか、と思う次第です。
先の「お礼」にも記しましたが、やみくもな公教育(学校)批判によって、学校はマスコミの言うことをただなぞるだけの対応でお茶を濁し、それを常態化させ、公教育そのものの形骸化を招く恐れがあります。
ここいらでひとつ、冷静な視点から「公教育」と「家庭教育」の役割についてじっくり考える必要があると思うのですが。

>コメンテーターは言うのは簡単ですし…
今回のコメンテーター発言を聞いてこちらへ質問する気になったのですが、新聞、テレビ等が敢えて「家庭の教育力低下」を語ることを避けて通っているような印象を持つようになってから、既に数年が経過していることを付記させていただきます。

>タブーというよりもそれ程深く考えがあるわけでもなく、無難な放送という事が、マスコミにも視聴者にも背景としてあると思います。
要はそこなんでしょうね。
でも、無意識のうちに無難な道ばかりを選ぶということは、「無難でない道」は既に「タブー」と化しているのではないでしょうか。

お礼日時:2001/05/31 00:02

 解答 「家庭の教育力低下」を論じるのはマスコミの「タブー」です。


 Rowさんの言っておられるとおり、放送局の「お客さん」は一般(公務員以外の)の家庭ですから、「一般家庭が悪い」とは言えません。
 そして、公の場におけるマナーは家庭で躾けられることだ。と言う意見には大賛成です。
 「家庭の教育力」と言うと難しく考える人がいますが、親を馬鹿にする態度をとったら、叱りつける。と言うことだけではないでしょうか。
 親や先生のそういう態度を、偉そうにしている、ととる向きも有りますが、将来社会に出た時の上司の役割を演じているだけではないでしょうか。一番身近な大人である親を馬鹿にする人間は、すべての大人を馬鹿にします。
 それが今の社会問題になっているのではないでしょうか。もちろん十把一からげにするつもりは有りませんよ。
 各自の自覚だけで結論付けてしまうのでは、躾も教育も否定することになってしまいますよね。「教育」というのは、善くも悪くも、ある価値観を押し付けると言うことですから。
 文部科学省や教育委員会(の「キャリア」組)を批判するのならまだしも、一般公務員は庶民ですから、それを批判して事足れリとするのは、少数派(弱い者)いじめで、責任転嫁ですよね。
 ゆとりは持たせて学力を下げない。子供の気持ちを大事にして、毅然とした態度をとれ。子供の希望を重視して社会の仕組みを教えろ。って、全て叶えるのは無理に決まってるじゃありませんか。
 だいたい公教育を批判しても何にもならないことは、そろそろ「学習」してもよさそうなものなのに…。
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この回答へのお礼

>だいたい公教育を批判しても何にもならないことは、そろそろ「学習」してもよさそうなものなのに…。
マスコミの紋切り型発言の一つに「命の大切さを教える教育」てのがありますね。
それって一体どんなシロモンなんだ?と思うんですけど、これについての具体的な解説って聞いたことないです。

そもそも公教育というのは、子どもが年齢相応に「身に着けておく」べき基礎的な事柄は、家庭が既にマスターさせている、ということを前提に成り立っているものであって、「授業中に席を立って教室内を徘徊してはイケナイ」てはことは「家庭の領分」のはずですよね。
学級崩壊については、教師の能力不足や学校の対応の拙さなどが要因になることもありますけど、こと、小学校低学年の学級におけるそれはもっぱら家庭にその原因があるような気がします。
が、これについてもマスコミは最近、それこそ十把一絡げに「教師の能力不足」とすることが多くなっているようです。
やみくもな公教育批判は、公教育の形骸化と家庭教育の貧困を促進させるばかりでは、と、思う次第です。

お礼日時:2001/05/30 23:47

質問のお答えではありませんけど.



そうした「素朴な疑問」、違うテーマでですが
わたしも抱いたことがあります.
それで直接該当の番組に、ducksoupさんのよう
に素朴な疑問を投書してみたことがあります.

そうしたら、その次の日の番組では
私の投書内容がよっぽど気にくわなかったらしく
「投書した私には、それとわかるような」形で
チクチク嫌味言ってましたよ.

マスコミは、非難する立場ばかりにいるせいか、
欠点を指摘されることに対してものすごくひ弱です.
むこうは「無知なくせになまいきだ」という態度を
とりますけど、その反面 性根が座ってないので、
すぐ女々しい反論しますよ.哀れですらあります.
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この回答へのお礼

>…チクチク嫌味言ってましたよ.

「そういうこともあるだろうなあ」ってお話ですなあ。
love sakiさんが投書された番組は何なのか?ちょっと興味あります。
ひょっとすると「アレ」だろうか…。

お礼日時:2001/05/30 20:20

果たしてどれだけの親が子供に論理だって物事を教えることが出来るのでしょうか?


多くの親が「私は勉強が嫌いだった。学校の勉強がなんの役に立つの?」と公言している状態で教育の専門教育を受けていると思いますか?
とくに日本語の場合、「非論理的である」と思われているところに、「正しい」言葉づかいを教えられる能力を持った親がどれほどいることやら・・・
そこで唯一共通のマニュアルを配布して、均質な教育を施せるのが学校であるということではないでしょうか?
こんなもってまわった言い方をするのは、それさえも私は信じていないからですが。だってマナーを身につけた、論理的な教育ができる教師がどれだけいると思います?
各自が自覚を持って身につけるしかないのではないかしら。
そういうたぐいの情報や本はたくさんありますしね。
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この回答へのお礼

親の教えることに論理性を求めちゃあいけません(いや別に、お求めになってるわけじゃないでしょうけど)。
「昔っからそういうコトになってんだから四の五の言うな!」
これでキマリです。個人的に好きなのは、
「オマエがそんなザマじゃあ、あたしゃ今日(こんにち)様に申し訳が立たないよ」
ってヤツですが(こんにちサマって何だ?)。
そういったコトを踏まえて、「非論理的である」側面を持つ「敬語」を家庭でマスターするのは、非常に意義深いことであると思うのですが。

ただまあ、厳密に言えば、親(家庭)で教えられるのは「ご近所界隈で通用するマナー」が限界であって、「検定」をクリアーできる「敬語」を教えるのに最も適当なのは…
>…唯一共通のマニュアルを配布して、均質な教育を施せるのが学校であるということではないでしょうか?
おっしゃる通りです。

ただ、
>多くの親が「私は勉強が嫌いだった。学校の勉強がなんの役に立つの?」と公言している状態で…
公言する親は少ないでしょうけど、「学校の勉強は(立身出世以外にも)役に立つ」と思っている親はさらに少ないでしょうね、多分。
そういう家庭環境にあって、学校で習った「敬語」が一過性の「情報」に止まることなく、「一般教養」として生徒の「身に着く」かどうか?
これが私の疑問の根本を成すトコロであります。

お礼日時:2001/05/29 23:47

マスコミというのは、一般市民に向けて情報を


発信します。
つまりマスコミというのは、番組を見てもらったり、
雑誌、新聞を買ってもらったりしなければならないわけです。
そんな中で、消費者である一般家庭が「悪い」とは
いえないのです。

そんなことを言えば、自分達にお金が入ってこなくなりますから(笑)
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この回答へのお礼

うーむ、明快なお答えありがとうございます。
情報を購うマスコミが、顧客の意識に「配慮」するのは当然と言えば当然でした。

ただ実際のところ、「最近の家庭はオカシイ!」という報道は確実に「需要」があると思うんです。
はっきり言って、視聴者・購読者の大半は他人の家のアラ探しをするのが大好きなわけですから(無論、その筆頭が不肖この私自身でありますが)。
自分ちが批判の対象になってるとは夢にも思わず、もろ手を上げて歓迎するのではないかと。

お礼日時:2001/05/29 22:28

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