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閲覧ありがとう御座います。早速ですが、私は一見大人しく、実際は単純で、友達を選ばない性格でした。しかしそれが原因で、ちょっとメンヘラっぽい人、被害妄想、虚言癖、周へりのこきおろし、自殺行為自慢・報告、嫉妬心が強い、情緒不安定、独占欲が激しいというようなボーダーっぽい人によく絡まれます。

絡まれてしまうとしばらくは地獄です。

そのため、関わる人を選ぶようにしたのですが、それでも何故か、そう言う人が関わろうとしてきます。露骨に避けると泣きながら私をいじめっ子扱いして先生に告げ口されそうで出来ません。(一度そう言うことがありました)しかしある相手の距離を保てる程度に穏やかに対応すると相手のペースに飲み込まれてしまい、振り回されてしまいます。

私以外の人は多少被害は加えられつつ、そこまで頻繁に絡まれることはないようです。

メンヘラ、ボーダーっぽい人に絡まれやすい要素でもあるのでしょうか?幼い頃、私の親族に精神病(ボーダーではありませんが感情の移り変わりが激しく、時々攻撃的になり暴力に走る)を抱えた人がいます。幼少期に長い間、その人と深く関わっていたのですが、それが関係しているのでしょうか?もし絡まれなくなる方法があったら教えてください。

A 回答 (10件)

No.5,8です。

お礼をありがとうございます。

ちょっと気になる箇所があったのですが
>その人の場合、ちょっとヤバそうな人だと感じて、できるだけ関わらないようにしていたのですが、半ば押し付けられる形で絶対に関わらないといけないような状況になってしまったのが始まりでした。
>先生も周りも荒波立てたくないのを遠回しで伝えてくるのでできるだけ優しくして理不尽なことも耐えていたのですが

何だか頼りない先生だなと思いました。呆れて思わず溜息が出てしまいました。
先生は、部活で全ての責任をキャプテンに押しつける顧問のような、責任回避方の人物なんだなって…。
ご質問者は、先生の役割を先生からも周りからも押しつけられ、リーダーシップを取るよう義務づけられてしまったんですね。

責任感が強く、任されたことはきっちりやり遂げる人だと周りから評価されていて、期待も持たれているのですね。あなたに全て任せておけば大丈夫だと。
これは信頼されているということだから、本来なら喜ぶべきことなのでしょうけれど、そこに、あなたの意志や要望が反映されていないのが問題ですよね…。
最初から、あなたがやるということが前提となってしまっている。

押しつけという形で任されてしまったということは、ご質問者が頑張り屋で、不平不満を言わず、なおかつ能力の高人だからだと思います。
この中のどれか一つでも欠けていたら、きっと、ここまで悪い状況に追い込まれることはなかったことでしょう。――能力が高いというのはお世辞ではなく、本当のことだと思いますよ。
幾ら頑張り屋で不平不満を言わない人であっても、力不足だと思われていたら、誰もそこまで話を振っては来ないと思います。

やはり、あなたが悪いということはないのだけれど、たった一つ忠告するのなら、「私には出来ません」と断る勇気を持つことだと思います。
「私はここまでのことは出来ます。ここまでなら、きっちり頑張ることもします。しかし、これ以上のことは出来ません」
そういうことを言える勇気を持つことです。

よく、「私には出来ない」ということを逃げだ、無責任だと考える人がいるけれど、そんなこと絶対にないです。冷静に考えれば、絶対に出来ないと分かり切っていることを無理にやり遂げようとする方が無謀だし無責任なんです。
頑張っているご質問者に向かって無責任なんて失礼な言葉は使いたくないけれど、失敗に終わったとき任命した側は非情にも「無責任だ」と烙印を押し、「そんなに荷が重いなら拒否も出来たはずだろう」と責め、任命された側は反省することを余儀なくされ、自信喪失と自己嫌悪に苛まれてしまいます。

心臓手術の経験のあろうはずもない内科医が外科医に成り代わって執刀を申し出たら、誰でも無茶だ、無謀だ、無責任だと憤慨するし、内科医が「私には手術は出来ません」と言ったら、誰もが当然のことと受け止めるし、責めはしませんよね。
思うに、周囲の人があなたにやらせようとしていることは、カウンセラーや精神科医に成り代わって、その子をなだめろと言っているぐらい無茶なことです。
これを断ったからと言って無責任だとは私は思いません。
「どうして出来ないと考えたのか」、「どこまでなら出来るのか」そういうことを先生や周囲の人たちに、きちっと伝えられる勇気を持ってください。

人を思いやること、それは手術なんかとは違って免許なんかいらないから誰にでも出来ることだ、そう考えられがちだけれど、
「こちらを思いやるどころか、どんどん要求を上げて、まるで下僕のように付き従うことを要求してくる人を思いやることなんか不可能です」。
――これをそのまま言ったら、あなたが悪者にされてしまいそうで、言葉とは本当に難しいものですけれど、どういう状況で苦しんでいるのか、助けるどころか助けて欲しい立場にいるんだと言うことを伝える勇気は必要だと思います。

そして、一つ忠告を。
素直な人、優しい人はすぐ謝ることをしてしまうけれど、相手の態度が間違っていたときは決して謝ることをしてはいけません。そうすると、先方は図に乗ってどんど要求を上げてきます。
いつの間にか先方からは下僕扱いに…という事態を招いてしまいますので、謝罪が最善というのは間違いです。


彼女には彼女の尊厳があってしかるべき、それが彼女と先生の立場なのでしょう。
しかし、「あなたにはあなたの尊厳があります。それをあなたが守らずして誰が守るのでしょう」。
もっと、自分を労ること、自分を大切にすることを考えてください。
今、あなたがエネルギーに満ちあふれているのなら、要求に応えても良いかもしれません。
でも、現実は限界に来ていて枯渇しそうなのでしょう?

繰り返しになりますけれど、
「自分のことは自分で守る」 
「出来ないことはきっちりと断る(何でもかんでも一人で背負わない)」

二つめのことですが、これは自分の限界を知ること受け入れること、周囲に知らしめることであり、自分を守ることに繋がります。
このことは、就職したときも家庭に入ったときも、老いた親を介護するときも、ずっと続くテーマです。
頑張って頑張り抜いて鬱病…なんて嫌でしょう?

頑張り屋なのがあなたの魅力だけれど、あなたは万屋でもなければ便利屋でもないんです。
“あなたの尊厳は守られてしかるべき”ですよ!
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
胸のつかえがとれたような気持ちです。
期待を裏切ってしまう形になったので、先生や周りの人達にすごく申し訳ない気持ちや自己嫌悪でいっぱいでした。自分に自信が持てなかったので、今までの自分の判断がこれで良かったのか、そしてこれから自分の進むべき道も分からず、という状態でした。そう言ってもらえて嬉しいです。

自己防衛のつもりですぐに謝るのも、これからは改善しなきゃですね!

頑張ればできるんじゃないか、と考えて今まで自分の限界を考えていませんでした。
「自分のことは自分で守る」 
「出来ないことはきっちりと断る(何でもかんでも一人で背負わない)」
ですね。ありがとう御座います。


ここで回答してくれた皆さんのお陰で、自分の性格を客観視することが出来ました。
ありがとう御座いました。

お礼日時:2013/09/30 23:09

またまた何度もすみません。



“ことわざ”ですけど…
「仏の顔も三度まで」
  http://kotowaza-allguide.com/ho/hotokenokaomosan …
「沈黙は金、雄弁は銀」
  http://kotowaza-allguide.com/ti/chinmokuwakin.html

冗長な回答を繰り返しておいてなんなのですが、言い得て妙だと思います…。


絡まれることが多い人というのは、心配性で先々のことを色々と悪い方に悪い方に想像を膨らませてしまうから、最悪の事態を回避しようとして「人に合わせることをしてしまう」んですよね。
心配性になるからには、それだけの重たい過去と苦い体験があるからなのですが、心配性であるが故に、自分から更なる暗雲や嵐を招いているところが多々あります。

そして、絡む人を引き付けてしまうのは、絡む方も同じく心配性だからだと思いますよ。同じテーマにいつまでも付き合ってくれるのは、心配性な人だけですから。
絡む側は、「自分に合わせることを望む人」。
だから、同じく心配性で「ひとに合わせることをしてしまう人」に出会うと、暴君みたいに際限なく無理難題を吹っ掛けてしまうんだと思います。

人に合わせることは生きる知恵だし、コミュニケーションを取る上で欠かせないことだけれど、決して奴隷にだけはなってはならないです。
奴隷になることを拒否することを我儘とは言いません。
誰もが持っている、誰もが守られるべき人としての尊厳です。


結局人は、「自分の気持ちに正直に生きること」をしていないと潰れてしまう。
我慢ばかりじゃ、心が壊れてしまう。
ずっとずっと自分を抑えていたら、生きる意欲までもが失われてしまう。

仏様でも許してくれるのは二度までなんです。
だったら、人は仏様よりも多く非礼に耐えなくても良い――そう思いませんか?
「仏の顔も三度まで」は相手を仏に見立てて考えるだけではなく、自分に当てはめても良いんじゃないでしょうか。
私は最近「仏の顔も三度まで」とは、「仏の顔を四度、五度と際限なく繰り返してはいけない」そういう意味に解釈して良いんじゃないかと思っています。
他人を仏様に見立てて三度の非礼をしないように…ということであれば、自分が非礼を受けた場合、三度目は流石に怒って良いのではないかと。

早いうちから何度も何度も繰り返し先方の非礼に耐え、ニコニコと腰を低くして応対することは、結局、相手からは「無礼者――本人が謝罪するぐらいだから、やはり悪いのはそちらで自分に非はなかった」と受け取られ、増長させることにしかならないのではないかと。

第一印象でその人の印象は決まります。
何が起こったのか、どうして向こうが怒っているのか、理由も分からないまま自分は何か失態を犯してしまったのでは?と焦って取りあえず謝る、これは絶対にしてはならないです(対等である関係を有する場合は特にです)。
それだと、ペコペコ、おどおどした人と見くびられてしまいます。
謝るときは事実確認をしてからでも遅くはありません。


怒るときには、ただ感情任せに怒るのではなく、ここで必要なのが「雄弁」なんだと思います。
冗長や説教ではなくて「雄弁」なのだと。
これが出来ない人のために「沈黙」が用意されているのではないだろうか?
…そんなことも思います。

相手に期待を持たず心底怒っているとき、この人にはもう何を言っても伝わらない、そう考えたとき静かな怒りとも言える「沈黙」が訪れるんじゃないでしょうか。
沈黙を負けだという人もいるけれど、沈黙というのは、人としての尊厳を賭けた無言の怒りだと思うし、突き放しでもあります。
相手が変わってくれることをどこかで期待していた甘かった自分と縁を切ることでもあるし、「人に頼らずともあなたにはあなたの足があるじゃないか。しかと自分で歩け!」と相手に伝えていることにもなると思います。

自分で自分の面倒を見られたら一人前。
他人に振り回されているうちは、自分の世話ができるようになることが第一。
だから「沈黙は金」。
そういうスタンスで良いと思います。
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何度もすみません、No.5です。


先の投稿は長かっただけで要領を得ず、実情や心情にそぐわない内容もまた多かったのでは?と思い、勝手ながら再投稿させていただきました。

嫌な目に遭ったので、その理不尽さに相手の人のことをパーソナリティー障害だとお感じになり、ご質問をなさったのだとご推察します。
通常では考えられないようなトラブルを経験した場合、相手の方に発達障害やパーソナリティー障害があるのではと考え、書籍やネットで調べて相手の人がどの分類パターンに当て嵌まるのかを考察したことのある方をよくお見受けします。
しかし、そういった情報を得れば得るほど、世の中にはそれらの傾向を全く感じさせないバランスの取れた人の方が少ないんだと感じることもまた経験すると思います。

バランスが完璧な人はいないし、同じ人と関われば誰もが必ず同じ結果になるわけではなく、問題があるように思える人と関わっても特に大きなトラブルに発展しない人もいます。このことは、ご質問者は承知していらっしゃると思いますので、次に述べることもご理解いただけると思います。

この人はきっと~障害だ、おそらくはそうなのだろう。
推測は当たっているかもしれませんから、そう考えて対策を練るのは決して間違いではないけれど、専門医から診断が下りたわけでもない人の内面に囚われて、そういったことにばかりに関心を向けてしまうと、自分自身の問題から目を背けることになってしまうので、自己診断はせずに、それらの情報については参考に留めるのが良いと思います。
障害の有る無しに拘りを持ってしまうこと、これ自体がパーソナリティー障害的な思考で不健康なので、のめり込まないようにするのが良いと思います。

相手の人を特別視するよりも、誰にでも潜んでいる特徴が一般人よりも際立っていて、自分のようなタイプと一緒になったとき、その特徴が増長されてしまうんだ、そう考えるのがベストだと思います。
相手が一方的に悪いと思ったり、自分が一方的に悪いと思うと何の解決にもなりませんから、「誰が悪いと考えるより、自分で自分を守ることを第一に考える」と良いと思います。


この人は何らかのパーソナリティー障害が疑われる人だ、そこまで思える相手なら、ご質問者には既に相手に対する嫌悪感が生まれているのだと思います。
そして、本当にその推測(相手の人がパーソナリティー障害であること)が当たっているのなら、その人には既に嫌悪感が伝わってしまっていると思います。
嫌悪感というのは、他のどの感情よりもストレートに相手に伝わりやすいし、ちょっとした言葉や態度の変化にも、悪い方に被害妄想を抱いてしまうような人ならば、嫌悪感に対する耐性が低く、過敏でもあると考えられるからです。

「この人は何らかのパーソナリティー障害が疑われる人だ」
ご質問者がそう感じたのなら、それは「引き際のシグナル」です。
もう、それ以上関わってはいけないし、誰か身近な人、直接あなたに助言できる人に相談するレベルです。
「何とか修復しよう。元通りの関係に戻ろうなどとは思っては絶対に駄目」です。
波風の立たない関係であること、それだけで充分です。
「この人は何らかのパーソナリティー障害が疑われる人だという思考を取ってしまうこと自体がもう限界に来ている証だからです」。

そこまで、ご質問者は無理をして、相手に合わせて付き合って来たのです。
その結果、ご質問者はあらぬ誤解を吹聴されたり、先生からは加害者扱いを受けてしまったのです。
相手は既に被害者意識が強くなっていて、ご質問者を攻撃するまでになってしまったのだから、優しくしても無駄です。
あなたの優しさは嘘だと思われるだけですから、何をしても信じてはもらえません。


これだけは声を大にして言います。決して孤立してはいけませんよ。
一つの友達関係が終わったら、もう友達は作れないなんてことありません。
一人でいるから、孤立しているから、あなたは相手に隙を突かれてしまったんです。
相談できる人がいるのなら、他に交流があったのなら、たった一人の人に気を揉んだり振り回されたり( NOが言えない対等ではない関係)なんて起きなかったと思います。

先生があなたのことを信じてはくれず、度々辛い思いをして限界を感じているのなら、他の先生をあたってください。
そして、それまでの経緯を話して仲介役になっていただきましょう。
相談した先生には、口外して欲しくないことがあるのなら、そのこともきちんと伝えましょう。その点をきちんと話し合った上で、何をどのように伝えていくのか納得した上で進めるようにしてください。

とにもかくにも、一人で問題解決しようとしては駄目です。
話し合いの場を設ける場合、公正な証人がいることが必須です。
二人っきりであったり、片方にばかり感情移入し易い人が立会人になると、言った言わないの話になり、あなたが一方的に嘘つき扱いされ兼ねないので、その子と二人っきりで話し合うことや、あなたを責めた先生一人を立会人にすることだけは絶対にやめてください。誰か別の、あなたの話に耳を傾けることの出来る先生にも必ず立ち会って貰ってください。

…これらは身内(女性)の実体験をベースに書いているのですが、(身内の場合は担任の先生が立会人で、公正な立場で臨んでくださったので、別の先生が立ち会うということはありませんでした。当時はまだ中学生でしたので、双方の母親も交えて話し合いをしました。)しかし、ご質問者の場合は年齢的に親が立ち会うというのは難しく、抵抗もあるのではないかと思います。相手の人とあなた、双方の親代わりに先生が二人立ち会うという形が現実的なのではと思います。


身内は中学の他に、高校に進学したときにもご質問者と似たようなトラブルがありまして…。
そのとき私は身内に「その人と会うときは、石ころ帽子(ドラえもんの道具でこれを被ると相手から決して見えなくなる)を被っているんだと思いなさい。絶対に反応しては駄目。嫌な顔も駄目なら、怯えているような顔も駄目。優しい気な素振りも駄目。これをしたらまた同じことの繰り返しになってしまうからね。
ともかく、その子の視界に自分は入っていないし、自分もまたその子が見えてはいないんだと思いなさい。そして一人でいては駄目。寂しそうにしていると狙われるから。
あと、嫌わないようにしようとか嫌われるのが怖いなどと思っては駄目。
自分と合わない人と出会ったとき、自分の思い過ごしだとか気のせいだとか思わずに、直感を信じること。そこで自分が悪いと思って変に頑張っては駄目」と言いました。
[自分がそれが出来なくて、おかしなことになったことがあったから、ここまで言いきったのですが、これには決して例外はなく(話は逸れますが場が場なので忠告いたしますが)、相手のことを確かめようもない顔が見えないネットでは特に言えることだと思います。…自分のことも他人のことも美化や期待は禁物です。]

当時、身内はその子からは「○○(身内の名前)が虐める~!」と、すれ違う度に言われ、最初のうちは近くにいた人たちから「どうしたの?」と周囲から訝しがられることもありましたが、その子の前では石ころ帽子を被ることに徹したこと、そして幸い仲が良く口の堅い友達が数名いましたので(難しい問題を話す場合は相手を選ぶ必要があります)、ときどき話を聞いて貰ったり共感してもらいながら凌ぎ、最後には周囲もその子の言う悪口には耳を貸さなくなったそうです(同じ様な経験をした人が周囲にもいたので、段々と実態が伝わっていったというのが真相のようです)。

高校卒業までには向こうも無関心な態度を取るようになり、特に何も起こらず、二人は別々の大学に進みましたが、身内が道ですれ違ったときは突然のことで何も考える暇もなかったけれど、先方の表情は強ばってはいたものの何も言われなかったし、実害は今も何もないと言います。
無関心を貫いたことで結局は嫌われたんだと思うけれど、絡まれるのが嫌だったから、それで良かったと思っていると言うことです。

合わない人がいるから、どちらが悪いと言うことはないと思います。
頑張りたいとは思えない人、ずっと面倒をみていきたいと思えない人のことで頑張ることをやめればいい、ただそれだけだと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
その人の場合、ちょっとヤバそうな人だと感じて、できるだけ関わらないようにしていたのですが、半ば押し付けられる形で絶対に関わらないといけないような状況になってしまったのが始まりでした。優しくしないと相手の方がどんどんヒステリックになってしまうし、先生も周りも荒波立てたくないのを遠回しで伝えてくるのでできるだけ優しくして理不尽なことも耐えていたのですが、嫌悪感が伝わっていたのでしょうか…理不尽さは増して、端から見ても分かるぐらい攻撃的な態度を取られるようになり、同級生には私の嘘の悪口をびっしり書いたメールを無視されても送り続けていたようです。


自分はいつも一人でいようとしますが、それでも味方になってくれる人はたくさんいました。(柔らかい雰囲気のお陰かな?)けど、人間関係にはつきものなんですけど、女性が多いので陰口が多くて、どこまで周りを信用すればいいのか分からない状態でした。特定の人の話なので、どうしても自分の口から悪口を言ってその場の空気を汚すのも嫌でなかなか人に話せずにいまいした。結局自分が心を開けなかっただけなんですけど



自分はいつも無意識に周りの顔色をうかがってしまって、
冷たくでる勇気がありませんでした。
誰が悪いと考えるより、自分で自分を守ることを第一に考える
これを忘れないようにしようと思います。

お礼日時:2013/09/30 01:30

優しくしない事ですね、一番は。


多分あなたは他の方々より優しそうに見えるのだと思います。
一度でも、優しくしたり同情したりしない事。
一度でも、否定的な言葉を掛けない事。
どなたかが、死んじゃえと言えと回答されてますが、それだけは止めた方が良いです。
優しくするより危険な行為です。
多分、死んじゃえなんて言われたら、自傷に走ると思います。
で、それをあなたのせいにされ、こき下ろしの標的にされます。
境界例の方は、好きか嫌いかでしか相手を括れません。
好きだと行為を寄せていた相手を、些細な事ですら切欠に簡単に嫌いになります。
徹底的に攻撃されてしまう危険性もあります。

つまり
相手にとってターゲットにならない為には、好かれる事と嫌われる事を避ける事が大切です。
境界例の方は、寄りかかれる相手を常に欲しますので、あなたの態度から、この人は寄りかかれないな、と悟らせる事。
どうすればいいかは簡単で、無関心になれば良いのです。
学生さんかな?
例えば、「ねぇねぇ○○ちゃん(質問者様の名前)、次の授業のグループ作りだけど、私と組まない?」と言われたとします。
まず駄目な回答。
「あー…(迷いながら、一回なら、と)いいよ。」
お勧め回答。
「あ、もう組む人決まってんだよね。他探したら?」
こんな感じ。
少し冷たく、でも相手を嫌ってる素振りもなく。
曖昧な態度は取らない。
曖昧な態度は、この人ならいけるかも、と期待を持たせますから。

関わって行ける覚悟がない場合は、とにかく素っ気なく、です。
繰り返し素っ気なくする内に相手はターゲットを変えます。

良くも悪くも、反応しない事。

後、メンヘラという言葉使いは差別用語ともなりますから程々に。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
冷たい態度に出るのが怖くて今まで曖昧な返事ばかりしていました。
荒波たてないようにしたつもりでしたが、それがよくなかったんですね。

自分で使ってる人もいたのでそのまま使ったのですが
差別用だとは知りませんでした…ご指摘ありがとうございます

お礼日時:2013/09/30 00:54

お礼ありがとうございます。


暗い雰囲気というか 話しやすい 優しい というのが元だと思いますよ
昔いじめにあっていたということで なんとなくその痛みが分かるというか
ほっとけないところがあるのかもしれないですね。
それはそれであなたの魅力でもあるのですが
自分自身も潰れちゃう危険があるので 今までのことにしても
自分が悪いと思いこまないことが大切です。 

他の方が引き離す方法として 死んじゃえなどを提案されていますが
これだけは絶対にしないでください 相手の存在を否定することだけは・・。
もともと不安定な彼らは そういってしまうと豹変して あなたを徹底的に攻撃する恐れがあります
これが本当のボーダーの特徴です。相手を不安がらせないように
そして自分がいなくても大丈夫ってことを分からせてあげる
もちろん一般のあなたには難しいことですが 依存しない程度に関わり
精神面で少しだけ助けてあげる 精神的に落ち着いている間は比較的正常心があるので
恐らくわかってくれるはずですから。とにかく感情に任せて発言をしないこと

あなた自身も少し弱ってきているようなので ストレスを発散 そしてリラックスできる場を作って
下さい。お体をいたわってあげてくださいね    
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要するに付きまとわれるのが嫌ということですよね。


でしたら、こちらに付きまといをする側と付きまとわれる側の心理や特徴について書かれていますので、ご一読お薦めします。
1)ストーカー 第1回
  http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/103542/20 …

なおこちらから閲覧すると、上記の参考リンク1の続きや関連記事を読むことが出来ます。
2)少年犯罪
  http://www1.tcue.ac.jp/home1/takamatsu/103542/

参考リンクはタイトルからして刺激が強く、そぐわない感があると思われたことでしょう。
しかし、絡む方も絡まれる方も結局はコミュニケーションの取り方に問題があり、拗れた場合は事件に発展することになりかねないので、ここに書かれたことは他人事では済まされない内容になっていて、何かしら参考になるのではと思います。


特に参考リンク1の「ターゲットになりやすい女性」の項目は、ご質問者に当て嵌まる事柄が多いのでは?
リンク1のお終いの方に「絶対に相手と連絡を取るな」という項目がありますが、これは絡まれたくないという人にとって鉄則と言えると思います(実行は難しいケースもあると思いますが、少なくとも間に誰か入って貰い一対一で合うのを避けることや、一人でいると向こうからコンタクトを取ってくることが予想されるので、なるべく一人にならないようにするなどの対策は出来ると思います)。

絡まれる人は構う人。
構う人は絡まれたい人…寂しさを感じている人とも言えると思います。
幸福感で一杯だったら、今の自分に満足できていれば、こちらをこき下ろし大嘘をつく人、めんどくさい人に何を言われても、構うことなどしない(自分から関係を絶つことが出来る)と思います。

結局のところ、他人からしつこくされる人というのは、お人好しな人、人当たりを気に掛ける八方美人な性格の人、嫌なことを嫌だとは言えない “人から嫌われたり人を傷つけたりを何よりも恐れる人” (性善説を信じたい人・他人を疑うことに悲しみを覚える人)、内省的な人、つまりは “心が綺麗で正しく優しくありたいと理想を追い求めてしまう人” が多いと思います。

自分にも人にも理想を求めてしまうから、人から嫌なことをされても、きっとこちらの配慮が足りなかったのだとか、先方も偶々虫の居所が悪かったのだろうと考えてしまって、深いところまで踏み込んでしまったり、踏み込ませてしまったりで、余計におかしなことになってしまうんだと思います。

深入りしてしまったと思ったときにサッと身を引くことが出来る(思いきりの良さを身につけている)のなら、大問題に発展することはないのに、何とか修復しよう、頑張ってみようと能力以上のことをしようともがいてしまい、結局は誰も幸せになっていないし、何も良くはなっていない…。
好きにはなれない人を、正しいとは決して思えない人を、何とか正そうとしたり何とか居心地の良い関係に持っていこうとしてしまうと、結局は拗れたり絡まれてしまいます。
それは相手が病気であってもなくても同じことだと思います。

問題なのは、その相手が ご質問者にとってそれほどまでに大切な人(愛情の対象となり得る人)なのかどうかということです。しかし、自分よりも大切な人は、そうそういないはず。
なのに何度も同じ様な嫌な経験をしてしまうのであれば、ご質問者が自分のことを大切に出来ていないということであり、自己犠牲に美を見出してしまっているからだと思います。
しかし、自己犠牲よりも自己実現の方に重きを置けば、自分の人生を自ら切り開く強い意志を持てば、きっとおかしな関係からは抜け出せると思います。


最初は解らなくとも、ある時期のある段階で、ご質問者と相手の人が決して良い関係は築けないことは、ご質問者が気付けていたことは今までに何度もあったのでは?
でも、恐らくは幼少期に親族の顔色を窺わなければならなかったので、そのときの習性が身についてしまっていて、他人からの攻撃に対して過剰に恐れを抱いてしまうので、自分本位ではなく他人本位に、「人に合わせた生き方」を選んでしまっていたので、今まで絡まれることが多かったんだと思います。

でも本当に怖いのは、一時の他人からの攻撃よりも、他人の意のままの人生を歩まされている感覚に包まれ続けていたり、本当にそうなってしまうこと、選択権を他人に委ねてしまうことだと思います。
自分の人生を歩むこと、これを選択していれば人から操られるような嫌な体験は自ずと避けられると思います。相手から高評価されることを望むことはせずに、ただ普通の人間関係が築ければ、それで充分幸せだし何も不都合はないのです。
「意志的に生きること」が何よりだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとう御座います
ターゲットになりやすい女性について、結構当てはまっていました。
おそらく自分は『心が綺麗で正しく優しくありたいと理想を追い求めてしまう人』です。無意識のうちにそうでないといけないと思っていたのかもしれません。

騙されやすい方でもあるので、今後他人に踊らされないよう、しっかりと自分を持っていこうと思います

お礼日時:2013/09/30 00:45

その人たちには、かわいそうですが、死ぬほど彼らのことを否定してあげることです。

お前なんか死んじゃえとか言ったら相手は、寄ってきませんよ。
いじめっ子でいいじゃないですか。
メンヘラなんて自分自身の問題なのに、誰かに助けてって言ってるだけなのですから。
助けられるのは、そんな落ちた気持ちになれた人だと私は思います。
私にかまうな的でいいと思います。とてもかわいそうだなっていうなら救ってください。絶対に無理だと思いますけど。
傷ついたらごめんなさい。誰も自分のことなんかわかってくれないってのが、私達でどんなに苦しんだかわかりません。でも、わかってくれないならわかってほしくありません。ほっておいてくれたほうが、よっぽどいいです。私達には、優しさが足りないのでつい優しそうな人を見つけると優しさをくださいってこころの奥底で思ってしまうだけなのです。
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この回答へのお礼

むやみに人格を否定することは逆効果だと思っていましたが違うのですか?

ボーダーの人は、常に、子どもの頃に遊園地で突然迷子になってしまったような不安感にあると聞きました。相手のためにも自分のためにも、はっきりと意志を示した方が、良いのですね。ありがとう御座いました。

お礼日時:2013/09/28 01:54

あなたの過去の質問を拝見しましたが、専門学校生さんのようですね。


それでしたら、先生への告げ口なんかを心配する必用はないように思いますが。
泣きながらいじめっ子を先生に訴える専門学生って、先生のほうが引きませんか?

負のオーラ同士は引きつけ合うといいます。
あなたにも、どこかそういうところがあるのではないですか?
たとえば依存心が強いとか、被害妄想気味であるとか。

一度、ご自分を見つめ直してみられることも必用かもしれません。
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この回答へのお礼

学校はクラス制なので少しだけですが影響はあります。先生は引いていませんでしたが周りの人はドン引きしていました。今はその子は孤立しています。先生には孤立させてしまったことについて何度か注意を受け、相手も同じサークルに入りたがっているし、仲良くするように言われました。


小学生の時に5年間いじめを受けたことがあります。今思うと、私が友達を選ばなかったこと、大人しくしていることが悪かったのですが、その影響からか、何でも言うことを聞いてくれそうで、少し暗い雰囲気があるようです。雑談がヘタで、いつも一人でいようとします。自覚があるのはこれだけですが、もっと自分を見つめてみようと思います。ありがとうございます。

お礼日時:2013/09/28 01:49

こんばんは。


診断や通院をしているということは確証できていますか?
そんなに絡まれるというか 普通はないと思うのですが
それに メンヘラ と断言しているあたり 過去に精神病を抱えた人のトラウマから
皆そういう風に見えている可能性もあります

もちろん自殺だとか 報告だとかは 普通はないとは思いますよ
でもそれらをすべてメンヘラで片づけてしまうのは早い気がします。
メンヘラっぽいというか あなたがおいくつかわからないのですが
学生? なら情緒不安定になりやすいので そういった影響もあるのかなと思います

しかし 対策としては 関わっても深いところに関わらないこと 相談に乗ったりも大切ですが
聞き流すこと 自殺行為の自慢は痛いでしょ 体大切にしてあげなよ そんなことしなくても
話聞くよ 聞こえてるよ と上手くかわす 本当にかかわりたくないなら 完全にかかわらないこと
もしその人がボーダーなら いい加減な付き合いをしないほうがいいです
彼らの特徴は 泣いたら帰ってきてくれるがモットーなのですから・・・。


 
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この回答へのお礼

通院している人もいれば、そうでない人もいました。病院に行ってないけどメンヘラだという人も結構いました。一番感情の移り変わりが激しくて、虚言癖があり、まわりへのこき下ろしが酷く、『泣いたら帰ってきてくれる』的な人は、自分は人には言えないけどとある病気なんだとは言っていました。それでボーダーだと想定して接していましたが、確かにもしかしたらそういう風に見えているだけかもしれません。


うまくかわしたりするのがヘタだったので、それが原因の一つかもしれません!どうしても嫌な顔が出てしまうみたいで、泣かれてしまうことがありました。関わっても深いところに関わらないこと、ですね。ありがとう御座います。

お礼日時:2013/09/28 01:34

すべては、


敵を知り、己を知れば百戦危からず。  (孫子の兵法)
で、対応が可能です。

Abandonment-depression に就いて、
鋭く深く、知ることをお勧めします。それと、
境界性人格障害で検索して、
対応方法が書かれているサイトが
ありますので、ご研究ください。

併症があるかもしれませんので、
慎重に進めて、別の病気も見つけて
研究し、適切に対応しましょう。

Good Luck!
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この回答へのお礼

ありがとう御座います。
あんまり売られてないんですけど、人格障害に関する本を買って独学ですが少しだけ知識をつけました。が、実際その人を相手にするとなかなかうまく行かないのと、自分のことで精一杯で気遣えずいます。もっと研究して知識をつけようと思います。

お礼日時:2013/09/27 22:12

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