聖徳太子についての疑問
梅原猛さん、山岸女史の解釈では、何かとミステリアスな方ですが、これだけ聡明に伝わっている方の一族が、滅亡した事が不自然でなりません。
実はフィクションなんでしょうか?
天皇家が、現在に至るまで複数族、存在したって事ですか?
蘇我氏が利権にがめつ過ぎて、滅亡したのな何となく合点行きますが、天皇家の一族である聖徳家が滅亡するって、クーデターが成功したって事で、国の威信から見て、まずくなかったんでしょうか?
それとも聖徳太子家って架空?
各種説があるなら、教えて頂けませんか?
(どの方向で、調べていいか分かりません)
回答(5件)
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No.5ベストアンサー20pt
聖徳太子論は、仏教史の側面から擁護されることが多く
学会でもそれを架空の人物だと一刀両断にするのはタブーとされているそうです。
また、私は聖徳太子論を専門に研究している者ではないので、
こういったことを書くのは知識不足で申し訳ないのですが。。
個人的には、
1.聖徳太子 という名前の人物は実在した
2.聖徳太子 という名前の人物が史書どおりの業績を行ったわけではない
と思っています。
1については、夭折したとかおとなしいなどのあまり現実には目立たない皇子の一人が史書編纂の上で
名前を借りられたのではないかと思います。
2については、推古ー蘇我系の政治家すべての集結した政治力の結晶だと思っています。
だって制度としては本当にすばらしいんだもの。
あとは、スーパーマンをつくることでオブラートにつつんだ恐怖政治ができるとか。
仮定としては、現行の定説をいくらでも覆せますが
ちょっと史料的には苦しいですね。
また、おそらく飛鳥時代以降の人々は、きっと聖徳太子が実在していた と本気で信じているようにも思います。
平安時代の人が聖徳太子の実像に疑問を持って研究していたら
史料がまず量ちがうだろうし、きっといまよりずっともっとベールをおとせるとおもうんですが。
ただ、対外的(外国。たぶん中国)には聖徳太子は「即位していた」もしくは、「即位していたとみなされている」
というツッコミもあるんですよね。
たしか、男の王にしかいわない呼びかけを、推古天皇の時代にしていて おかしい…と。
あとは、即位していないっていうのが二頭政治っていうのもわかるけれど
即位することに危機感があったのでは?
とか、即位したことをあとから消されたのでは? と思うこともあります。
ただ、この辺りはまったく調べていないしそんな証拠はおそらくないし。完全想像です。
ただ、これだけの重要な時期です。
当事者の全てに、何のマジックもなかったとは到底思えません。
彼らは国家で共犯で、
きっと現代人にはまだ推理なんて及んでもいないようなビッグミステリーがちゃんと隠されちゃってるよ。
っておもうと、わくわくしません?(^^)
好き勝手書いてしまいまして失礼致しました。。
こういう考えの人もいる。っていう程度にご参考くださると嬉しいです♪
この回答へのお礼
皆様のレス、とても参考になりました。
歴史書の嗜み方の指針にさせて頂きます。
ありがとうございました。
まず 一点。
聡明な方の一族であれば滅亡しないというのは、変ですよ。
織田信長の一族は滅亡しなかったけど、一万石とかの小大名。
豊臣秀吉の一族は直系は滅ぼされました。
蘇我氏が利権に・・・というのも、天皇家絶対視でいかがなものかと。
同時代的には、高句麗では、王家に替わって「泉蓋蘇文(せんがいそぶん)」が実権を握っています。
また、中国でも隋から唐へと王朝が替わっていますが、隋と唐の王朝はまったく他人ではなく「李淵は隋の楊堅の外甥」でありました。
これって、蘇我家と天皇家の血族関係に似ていません?
負けた蘇我家と勝った李家の違いだけだと思います。
ですから、威信といわれても、当時の国際関係で言えば 唐の威信>>日本の威信 ですので 問題はありません。
ちなみに、聖徳太子家に関しては、日本書紀を実際に作らせた 持統天皇の 亡き父 天智天皇(皇太子時代が 長かった)への 追慕として その業績が 仮託されているとも 言います。
山岸女史の解釈
この人の意見だったか忘れましたが、聖徳太子は一人の人間でなく何人かの人間の業績を一人の人間の歴史にまとめてしまったという風説があります。
日本神話の説話でもしばしばありますが何人かの業績を一人の業績にしてスーパーマンを造ってしまうようです。残念ながら推測の域を脱することはできないのですが・・・どう思いますか?
古代史は資料が極めて少ないため、科学的な研究の対象といえるかどうか疑問です。「隠された十字架」などの著作は、力作ではありますが、科学的方法で過去の歴史を実証してみせる歴史書というよりも、著者の想像力と文学的創作力の豊かさを示す一種の歴史読み物だと思います。
ただ、聖徳太子時代の天皇家は、豪族の中の豪族・最高の名家という程度の存在であって、他の豪族、特に「大臣」姓の豪族と質的には同じ存在だったと思われます。少なくとも、後世のように神格化された存在ではなかったはずです。そうであれば、天皇一族の一枝族が政争の果てに滅ぶという事態も十分にあり得ることでしょう。
No.1ベストアンサー10pt
こんばんは。
現在のところ、様々なかたがこれらのことをそれぞれ論じていますが、「証拠」がないのでどれが「正解」なんてのは言えません。
「正解」を導くためには、天皇陵とされている古墳をきちんと発掘調査して、できるならばDNA鑑定までもっていければ、もうちょっと詳しいことがわかるのですが。。。
現在は天皇陵の発掘すら認められてませんからね。
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