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最近、嵐のチケットが当選したというツイートに対し、「落選した人の気持ちも考えろ」という意見がありました。
嵐に限らず、東京オリンピックが決定したときも、「震災で苦しんでいる人の気持ちを考えろ」という意見があったように思います。

こういう意見を聞いていつも疑問に思うのですが、なぜ落選した人、震災で苦しんでいる人の気持ちが優先されるのでしょうか?
当選した人、オリンピックが嬉しい人の気持ちは無視してもよいのでしょうか?

別に「落選した人、震災で苦しんでいる人の気持ちなんかどうでもいい」とは思いませんが、「当選した人、オリンピックが嬉しい人の気持ち」を無視しているくせに、「落選した人の気持ちも考えろ」「震災で苦しんでいる人の気持ちを考えろ」というのは、(いい方が悪いですが)「弱者の傲慢」だと思います。

落選した人、震災で苦しんでいる人は、それはそれでかわいそう(というと嫌がられるかもしれませんが)とは思いますが、だからといって一方的に気持ちを押しつけてよいことにはならないと思います。

A 回答 (17件中1~10件)

そりゃ、意見って言うんじゃなくて、詭弁って言うんです。



文明が始まった頃から、人を言葉でやり込める術の一つのテクです。

あまりに古典的攻撃手法なので、人前で使うのは、恥ずかしい方法ですけどね。
また、日本では、詭弁の方法をきちんと教育しないんですね。
本来、正しく詭弁を教わって、使うのではなく防御しなきゃならないのに。

簡単には、
落選した人、震災で苦しんでいる人の気持ちを考えるという以前に
落選した人たち、震災で苦しんでる人たちの本当の気持ちを理解できるのか、
または、理解したのか、という所を無視してしまって、
落選した人たちは悲しんでるんだぞ。とか
被災した人たちが苦しんでるのに浮かれるとは何事か。
と決めつけて、喜んでる人たちの人格を攻撃しちゃうんです。
人の気持ちも考えずにってね。お互い様でしょ?

確かに、悲しんでいる人もいるかもしれないという程度の
理解しか、出来ないできないはずですよね。
特に喜んでる方々には。
そこが、攻撃の狙い目なんです。

全ての人の、気持ちを理解することはできない。
って、これも詭弁ですが、こんな答えも
あるには、あるんですけどね。

まぁ、深く考えずに、取り合わないことです。
こういう意見を言うのは、理由はともかく、攻撃が目的なんですから。
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そうですね。


言論の自由の範囲の発言だと私は思います。

耳が聴こえない人が「ライヴに行ってきた!」と書いてるのを見たら、「耳が聴こえない人のことも考えろ!」と言うでしょうか。

声が出ない人は、「カラオケに行った」というのを見て、悲しい想いをするかもしれないし、何か発言をすると、知らず知らずのうちに、知らない誰かを傷つけてしまっているかもしれないけど、そんなこと、誰も言いませんよね。
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今のご時世、いつハルマゲドンが来ても、おかしくない世界です。

ですからギャアギャア騒いだり自分の自己満足でしかない人生は周りから見ても不思議に思われるのだと思います。
オリンピックよりも、もっと重要な事に目を向ける方が、はるかに価値があるということを忘れてしまっている現代だと思います。

人生はオリンピックに時間をとられるよりもハルマゲドンがくる時に生き残れるように精神的にも備えておく方が幸せを掴めるのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> ハルマゲドンがくる時に生き残れるように
オリンピックがあるから2020年までがんばれる、という人もいると思うんですよね。
その意味で、オリンピックは「生き残れるように精神的にも備えておく」ことになっているのではないでしょうか?

> 人生はオリンピックに時間をとられるよりもハルマゲドンがくる時に生き残れるように精神的にも備えておく方が幸せを掴めるのです。
どうせハルマゲドンが来るのだから、それまでおもしろおかしく生きたほうが幸せだ、という生き方もありますが、それについてはどうでしょうか?

お礼日時:2013/10/05 16:12

それを言っている人は震災被害者でもなく嵐ファンでもないのでは。


誰がなんのためにいってるの?(笑)と失笑レベルの話です。

「喜んでいる人間の気持ちも考えろ!外野が!」
と言ってやればいいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> それを言っている人は震災被害者でもなく嵐ファンでもないのでは。
私は嵐ファン、震災被害者というより嵐原理主義、震災被害者原理主義な気がしますね。

お礼日時:2013/10/05 16:10

「落選した人の事を考えろ」と、人に押し付けるのがが傲慢なら


逆に「当選してうれしい」と辺りに撒き散らすのも傲慢ではなかろうか
黙っていさえすれば噛み付かれる事もなかったのに・・・

まぁ、自分からすると「落選した人の気持ちを考えろ」と言われた人に
「ガイドビーコンなんて出すな!やられたいのかい!」と言いたい
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 逆に「当選してうれしい」と辺りに撒き散らすのも傲慢ではなかろうか
不幸な人に直接いうならともかく、不特定多数につぶやく分にはよいのではないですかね。

お礼日時:2013/10/05 16:09

日本人の変な思想観だと思います。


以前、福知山線事故で多数の人が亡くなる中で、生き残った人がいましたね。
その人は、“多数の人が亡くなったのに、自分だけ生き残って申し訳ない”みたいなことを言ってました。
まるで一緒に死ねばよかったみたいなニュアンスです。
恐らく、“周りは不幸なのに、お前だけヌクヌクとしやがって”という妬みや恨みを自己に抱えたのかと思いますが、そうでなくても、現にそういう嫌がらせをする人もいます。
たとえ少数(この場合は当選)であっても目立たず騒がず、多数派(この場合は落選)に迎合するような心構えでいることが美徳であるような、歪んだ感覚・思想観のような気がします。
当選したことを素直に喜んであげられない人がそこにいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> その人は、“多数の人が亡くなったのに、自分だけ生き残って申し訳ない”みたいなことを言ってました。
あれはサバイバーズ・ギルトの一種ではないでしょうか。
「助けることができた人たちを見殺しにして、自分だけが生き残った」という罪悪感。

これはこれで理解できるものですが、だからといって「幸せな人たちも幸せを喜ぶな」というのは違いますよね。

お礼日時:2013/10/05 16:08

確かにお気持ちはわかりますし、賛同します。


でも「弱者の傲慢」というほどは思いませんが。

例えば、柔道だっけ?相撲だっけ?剣道だっけ?それとも弓道を含めた日本のスポーツ全部だっけ?
勝っても、ガッツポーズしちゃいけないですよね。
海外は知りませんが、日本には、勝ったら相手を思いやる心、というものが教えられてきています。
だからって、ツイートに「チケットが当たった!ワーイ!!」とつぶやくのは礼儀に反するとは言ってませんし、落選した人の気持ちも考えろという人も礼儀に反している気がします。

でも、当てたかったのに当たらなかった人は、ねたみ、そねみ、嫉妬の気持ちを抱いてしまうのは事実。

その思いを汲んで、受け止めてやるのが、器ってもんです。

まあ、「弱者の抑えられない気持ち」と言うところでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 柔道だっけ?相撲だっけ?剣道だっけ?それとも弓道を含めた日本のスポーツ全部だっけ?
> 勝っても、ガッツポーズしちゃいけないですよね。
剣道は、ガッツポーズすると一本取り消しですね。
柔道は普通にガッツポーズしている人がいますね。

お礼日時:2013/10/05 16:06

>当選した人、オリンピックが嬉しい人



そういった事実だけで十分しあわせナ人たちです。
しかし、そういう人のなかには、その幸せな気分を他人に宣伝しまくって、更に自分だけの喜びをむさぼろうとする(傾向がある)。

>落選した人、震災で苦しんでいる人

誰にもその気持ちを言えずじっと耐え忍んでいる。そういうひとたちには、上記のはちゃめちゃにうれしがっている人を見て、もう少し押さえて欲しい、彼らの様子を見ていたらこちらは更に落ち込見そうになる、という気分になるのは当然です。

もちろん後者のひとたちも幸せな人の足を引っ張ろうとは思っていないと思います。

幸せな人も、そうでないひとが周囲には沢山いるのだということをすこしでも自覚していれば、はしゃぎまわるのは押さえるはずですね。社会人としてのマナーだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> しかし、そういう人のなかには、その幸せな気分を他人に宣伝しまくって、更に自分だけの喜びをむさぼろうとする(傾向がある)。
別の人への回答でも書きましたが、不幸な人にわざわざ電話したり、メールしたりするのであれば、それは問題だと思います。
しかし、SNSって不特定多数に向けて書かれるものですから、不幸な人に対してわざわざ書かれたものではありませんし、別にいいと思うんですよね。

お礼日時:2013/10/05 16:03

日本には連帯感情っていうのが存在するのかな、と思わされます。



昭和天皇崩御の際に祝い事を控えたり、災害後にコンサートの中止、葬式の歳は年賀状キャンセル。

昔の日本男児は歯を見せて笑ってはいけない。笑うことはあざ笑うと取られる可能性がある。

絆と連帯感を感情面に持ち込んで、一緒に笑い一緒に頑張り一緒に泣く、それが仲間だそれが家族だそれが日本人だとスケールを変えて常に存在するようです。

そのそういう感情を刺激するのが抜け駆け。玉の輿に乗ったり、先生に贔屓されたり、株で大儲けしたり。皆で同じところに立っているはずが実はお互いに見張っていたのです。

玉の輿に乗った人をうらやましい、いいなあと思う人と、ずるい不公平だと思う人の割合を国別に見てみたいです。個人主義の国ほどいいなあ、あやかりたい率が高いはずです。

抽選で当たった人を「外れた人のことを考えろ」とは上を向くな、バスケットゴールにシュートして喜ぶな、外れたボールの気持ちも考えろ的な無理があります。少なくともバスケットなら上達する努力もできますが抽選じゃ確率は変わりません、努力の甲斐もないし能力も関係なし、ただのくじ運でしょ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> 日本には連帯感情っていうのが存在するのかな、と思わされます。
他国ではどうなっているか気になります。

> 昭和天皇崩御の際に祝い事を控えたり、災害後にコンサートの中止、葬式の歳は年賀状キャンセル。
年賀状キャンセルについては、喪中の人は年賀状を出さないだけであって、喪中の人に年賀状を出してはいけないという意味ではない、と聞いたことがあります。

ただ、天皇崩御やコンサート中止については私も理解できないですね。

お礼日時:2013/10/05 16:01

まさに「弱者の傲慢」ではないでしょうか?



嵐のコンサートなんて当選する人のほうが少ないでしょう?

落選して当たり前ちゃうんですか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

> まさに「弱者の傲慢」ではないでしょうか?
やはりそうですよね。

お礼日時:2013/10/05 15:57

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