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「刑罰は、復讐の権利を国家が奪い取ったところから
 始まった、と言われています。」と言っている人がおりますが、これって 正しいですか?

A 回答 (6件)

『奪い取った』と主張するのは無理があるでしょう。

確かに仇討ち、仕返しを放置しておくと、それが果たして本当の仇討ち、仕返しかどうかの判別がつかず、治安が乱れる原因になるので統治する側はこれをコントロールするための法令を作ったことは確かです。しかしそれを統治される人間の権利を奪い取ったとするのは言い過ぎでしょう。それを制限し、秩序を維持できるようにしたのであって、権利を剥ぎ取ったわけではない場合が殆どです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ごもっともなご意見ですね。

お礼日時:2013/10/05 11:05

権力者、もしくは集団にとって不都合なものを排除するためと、個人もしくは集団の復讐、報復の二通りでしょうね。

今の法による刑罰は大半が前者でしょう。例えば麻薬使用の処罰。これには復讐の要素は皆無です。社会にとって不都合なものを排除する動機しかありません。無人島で一人で暮らしていたら、麻薬は善であり、悪ではありません。
明治になって、仇討ちを禁止して、法による処罰に変えたのは後者の典型例ですが、法の趣旨としてはほんのわずかでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/05 14:56

間違いとは言い切れませんが、「適切」とか「万全」ではありませんので、「そう言う表現も可能」とか「そう言う側面もある」と言う程度です。



「刑罰」とは「制裁」の一種です。
対等者による制裁が「復讐」などで、上位者(≒権力者など)による制裁が「懲罰」。
この懲罰が、国家権力によって行われる場合が「刑罰」です。

国家権力が「復讐」を禁じ、刑罰権を行使する状況は、修辞技法的に「国家が国民の権利を奪い取った」と表現することは可能かとは思います。

とは言え、因果関係を考えますと、過去の為政者が、主に国民の権利剥奪を目的としたとも思えず、「結果的にそう言う形になった」でしょうね。

即ち、刑罰には複数の目的があるので、目的の一つに関してのみ焦点を当てれば、「そう言う表現も可能」と言うだけです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

key00001さんは勿体ぶった表現が好きですね。

お礼日時:2013/10/05 12:02

人類の歴史は古いですし、各地で違った歴史を持っていると思います。

日本では大昔は宗教的な感情から政治的な背景があっても死刑などの処罰はしなかったと聞きます。
http://ssk-ws.cside3.com/new/library/refer/japan …
にあるように「犯罪行為は、「魔物」や「穢れ」が行為者の 身にとり憑いた故だと理解し、神的力による「禊ぎ」の儀式を通過して「穢れを絶 つ」、すなわち穢れを払い清めてやるならば、違法行為者をも社会に復帰させてよい とする理解が、上代の日本にはあった」らしいのですね。歴史的な文書の残されていない時代のことです。
天皇制度の確立とともに死刑なども採用されたようです。武力で国内を平定するようになれば当然の成り行きでしょう。後の源平の争いでは相手方の子供も殺したりすることが行われましたが、根絶やしにしないと危なかったわけですね。その前の天皇制度の中でも似た事情はあったでしょうね。
庶民の犯罪は別でしょうが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/05 11:07

 権力者が自分にとって都合の悪い者を抹殺することから始まったと思いますが。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/10/05 11:05

いえ、過去に仇討・敵討(復讐)は法制化されていましたので、1873年(明治6年)2月7日の司法制度の整備が行われるまで合法だったことから、「刑罰は、復讐の権利を国家が奪い取ったところから始まった、と言われています。

」は、間違いです
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も間違いだとは疑っていたんですが、その人が何を根拠に主張しているのか気になるところです。

お礼日時:2013/10/05 09:23

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