プロが教えるわが家の防犯対策術!

 銃を使った事件が起きると、銃があるからいけないとか、銃がなくなればいいということが必ずといっていいほど言われるようです。
 けれども銃(狩猟、射撃用の散弾銃及びライフル)は単なる道具に過ぎず、事件も銃を使ったものが悪いはずなのに、どうしてそのようなことが言われるのでしょうか?

 2000年に岡山のある少年が母親を金属バットで殴り殺す事件があった際、金属バット使用禁止しろとは誰も言わなかった。
 2001年に大阪府内のある小学校に包丁を持った男が侵入し児童を殺傷する事件があった際も、包丁がなくなればいいとは誰も言わなかった。
 加えて(日本国内の場合)銃を使った殺傷事件より包丁等の刃物を使った殺傷事件のほうが圧倒的に多いといわれる

A 回答 (15件中1~10件)

>どうしてそのようなことが言われるのでしょうか?


身近に銃が無いからです。

>銃を使った殺傷事件より包丁等の刃物を使った殺傷事件
官公庁を除いて、銃の数と包丁やナイフの数はどっちが多いの?
刃物をその手に持ったことがある人と、銃を持ったことがある人 どっちが多い??

人ん家に文句を言ってもしょうが無いんだけどね。
言ってるのはマスゴミだけだけど。
    • good
    • 0

 アメリカでは、銃による事件が多いので、銃規制が問題になります。

しかし、アメリカで、銃を規制しても、重大な事件は減らないでしょう。ただし、「銃による事件」は減るでしょう。

 日本でも、金属バットによる殺傷事件が多発すれば、購入が規制されるかもしれませんが、今のところ、金属バットによる殺傷事件は多発していません。日本で、ナイフの購入規制がなされましたね。日本でも、包丁などは、既に銃刀法の規制があります。ナイフや包丁の不法所持は逮捕されます。あとは、これをどれだけ強化するかという問題があります。

 凶器になるものを減らしても、殺傷事件はなくなりません。規制すれば、殺傷事件が減るかどうかは、微妙でしょう。
 法規制は、しょせんイタチゴッコですが、政治家にとっては、世論対策として必要なのです。
    • good
    • 0

貴方のおっしゃっている矛盾点がわかる気がします。

殺される犠牲者にしてみれば、何で殺されようが同じだし、一人殺されようが多く殺されようが、自分が殺されれば同じだもんね。それどころか自分ひとりで死ぬより、多いほうが癒される可能性もある。(旅は道連れ世は情けとも言う・・・正規の使い方じゃないが、聞いた事がある)

銃等は殺傷のためにもあるが、抑止力にもなる。もし誰が拳銃を持っているかわからなければ、強盗も一歩引いて考えるだろう。警察も弱い立場の者に対して職権乱用しなくなるだろう。北朝鮮の核が抑止力になり、発言力を持てるのも一つの例です。警察官の不祥事や暴力団との癒着の話はほとんど毎日、新聞に書かれている。誰かが書いていたが、警察権力が最高の公的暴力集団といえるかもしれない。

なぜ一般市民が、いつから武器(自分を守るための)を持てなくなったのかと言うと、豊臣秀吉の「刀狩」だったと思う。キリシタン(神の元に人間は皆平等という思想)弾圧のため、「檀家制度」や「寺受け制度」により、お互いを監視しあう世の中を作って、時の権力者が楽して管理しやすいようにした。これも日本人が自己主張できない民衆にしてしまった原因の一つだと思う。戦後はアメリカにより、非武装の国になり、警察・暴力組織・以外は基本的に銃や刀等は持てなくなった。これを「自由」と思いこんでいるんだよね。奴隷の自由というんやろね。

私個人の希望としては、銃規制や大麻等は規制撤廃すべきだと思う。酒を飲んで車を運転するのは間違っているが、飲まないでも人を事故死させれば同じ事やしね。保守的というか事件の後始末が面倒なのでしょうね。「法律は頭のいい人が頭のできの悪い人をいじめるために作られたもの」とNHKの悪事を内部告発した立花孝志氏が言ってます。
    • good
    • 0

銃や日本刀は人を殺すための道具です。


一度手にして頂ければ判りますが、必ず撃ってみたい、斬ってみたいと思わせる不思議な魔力があります。

拳銃マニアが模造拳銃を改造して本物に近づければ近づけるほど、この魅力(魔力)に憑りつかれてついに撃つようになってしまいます。
標的も動かないものから動くものへ動くものでも動物から人間へと際限なくエスカレートしていってしまうという怖ろしいものです。
ナイフマニアでも同じことが起きます。小さなものからより大きなものへより殺傷力の高いものへとエスカレートします。

バットや包丁もプロになればなるほど、その性能に拘ります。
逆に絶対に目的以外には使わなくなります。
プロの板前や大工が他人や、ましては素人に手を触れさせないようになるのもこの為です。

釣竿などでも、本当に好きな人は自分の愛用の竿は人に貸しません。

道具というものは、不思議な魅力と力を持っているものだと御理解下さい。
    • good
    • 0

もし銃が日本社会から無くなっても誰も困りません。


別に無くてもよい物です。
しかし、包丁や金属バットが無くなっては不便が生じ、社会的に困ります。
    • good
    • 0

銃は本質的には人を殺すために作られた道具だからでしょう。

猟銃という使い方もあるけど、それはいってみれば金属バットで人を殺すのと同じような「一番最初に考えていた使い方ではなかった」ですからね。
だから、日本刀のような「武器としての刃物」も原則的に規制されていますよね。デカいサバイバルナイフは割と堂々と売られていますが、名目上は「アウトドアで使うための道具」です。でも日本刀は「アウトドアで使うための道具」ではないですからね。
「それで人を殺せる」というのなら、もうなんだって規制になっちゃいますよ。鉄アレイだってドツけばただじゃ済みませんからね。杉良太郎さんの流し目だって規制の対象ですね・笑。
    • good
    • 0

無差別殺人などに銃を使われたら?(秋葉原であったような)


と考えると怖いですね。

死にたいけど一人では死ねないから、誰かを道連れに殺した。
2人以上の人を殺せば死刑にしてくれるから2人殺した。

本人は自殺志願者だから良いけど、殺されたら側が可哀想すぎる。
    • good
    • 0

(Q)けれども銃は単なる道具に過ぎず、事件も銃を使ったものが悪いはずなのに、どうしてそのようなことが言われるのでしょうか?


(A)それは、物事を実行するには、
目的と手段の両方が必要だからです。

例えば……
Aさんが、B地点からC地点へ移動しようとします。
これが目的です。
手段には、徒歩、自転車、車があるとします。
人は、目的を達成するのに、最も便利な道具(手段)を使います。
でも、もしも、自転車も車もなければ、
徒歩しかありません。
逆に、車を持っていて、車で行けばあっという間に目的地に
行けるのに、わざわざ徒歩でいくというのは、よほどの理由が
なければ選択しません。
手段というのは、とても重要なのですよ。

AさんとBさんがトラブルになったとします。
お互いに頭に血が上って、相手をやっつけたいと
強く思ったとします。
Aさんには、道具がありません。つまり、素手。
Bさんには、銃があります。
AさんがBさんを叩きのめすには、自分が叩きのめされる
危険もあり、リスクが伴うのは、誰でもわかります。
つまり、目的達成には手段が弱い。
BさんがAさんをやっつけるには、銃を使えば良い。
一定の距離を置いたところから打てるので、
自分がやっつけられる危険性は低い。
つまり、目的を達成できる強力な手段です。

つまり、強い目的意識と強い手段があれば、
人は、簡単にそれを実行してしまうのですよ。
逆に、強い目的意識があっても、貧弱な手段しかなければ、
諦めなければならないということになるのです。

銃の存在自体が、事件を引き起こすきっかけになるのです。
手段とは、それほどに重要なのですよ。

質問者様は、この質問を気軽にしたと思います。
手元にPC(または、スマホなど)があるからだと思います。
でも、この質問をするためには、10キロ離れた図書館に
歩いて行かなければならないとしたら、どうしますか?

手段は、重要なのですよ。
    • good
    • 0

感情的になる人多いからですよ、何かあると死刑にしろとか報復的な人多いですよね


弱い人が強くなれる道具あったら、大変な事になることは否定できませんよ。
    • good
    • 0

日本の場合は精巧なモデルガンで、なかなか殺傷能力はあったりします。



仰る通りです。

・車で人を殺しても車は作られます。
・電車で人はねても、電車は走ります。
・飛じゅうg行機が墜落しても、飛行機は飛びます。

銃は包丁やバットに比べたら、無くてもあまり問題ではないでしょう。

しかし日本のように公然と拳銃の販売が認められていない国で、銃規制を!と叫んでみたところで、屁の突っ張りにもなりませんね。


つまりは、そういうことまで考えられない無責任な発言だからということです。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!