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いえ無能である宿命にあるのではないかしら?

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8315201.htmlにシュリハンタカというお釈迦様の直弟子のお話の質問が出されました。
つまり下根なる至根についてです。
“こだわり”をあらためて意識しまして、数度にわたって解答投稿をしました。

私は生活でも, そして46年いた大学(11年前に退職)の仕事でも無能でした。
20代~30代はもっとも不得手な全学労組の書記長や退職前の60代には総務課長などもやるなんてこともやり、ずいぶん辛かった。
まぁごみための哲人みたいに小学校から何かと実際のことではないことを考え思い巡らす性格でしたけど、大学までは実務処理っていう場面がありませんでしたから、そんなに無能だとは思っていませんでした。

そして, シュリハンタカのように私も人がすぐに他のことへと移っていくのに、いつまでもひとつの事をやり続けています。
そしたまた, 世間や実務, 実際生活には機敏ではない。まぁ下根です。
更にあまり毀誉褒貶に関心がない。
(小3から6までの恩師はこのことなどを評して奇人変人の中の奇人に入るといっていました。)
つまり世間では役や益に立たない。

こういう傾向のある人が哲学や宗教を精進しようという人には多いのでしょうか?
いえ宿命ではないかと思いますが?
西郷さんは、“金も地位も名誉も命もいらんという奴は始末におえない”と山岡鉄太郎を面談して送出してから嬉しそうに述懐しています。
そんな偉いんじゃないが、そんなものが寄っても来ないし、望めもしない。縁がない。

それで実務的な図書館学をやり、就職してから法学(労働法ゼミ)をやったりしたがやはり、実務はだめでした。
こういうような型の人って哲学や宗教を精進する人に通有でしょうか?

A 回答 (8件)

>>哲学や宗教に関心のある人は無能の人が多いかしら?



幸福の科学の大川総裁の書籍には、宗教家や哲学者などについて分析した書籍があります。
それを読むと、質問者さんの推測どうり、優れた哲学者や、有名な宗教の教祖であっても、普通の人からすれば、「役立たずのダメ男」という評価になる方がわりといるそうです。

例えば、キリスト教のイエスは、大工の長男として生まれながらも、大工仕事はせず、お尋ね者のようになって、地下にもぐって怪しげな活動をするし、高級売春婦のマクダラのマリアと夫婦同然の交際をしていた(子供もいたようだ)。

ソクラテスも、奥さんや子供がいるのに、働かないで稼がず、議論ばかりしているロクデナシ。

そういえば、仏教でも、釈迦族のシッタルダは、複数の妻と子供と王子の身分、両親を捨てて、人生への疑問を解明するために出家(家出)しています。

あの世の世界へ、幽体離脱して参入する能力のあるような人、哲学的な思索を深く行う人は、この世的な実務能力が乏しくなる傾向があるそうです。
ですので、宗教団体でも、霊的なことが得意な方を教祖にして、お布施とか式典など実務能力がある人が補佐するって、車の両輪のようなシステムにしているところもあるといいます。

また、山に篭もって禅寺で修業している人、断食修行とか、托鉢に出て、乞食のような生活をしている人ばかりが増えたら、「ひきこもり(自宅警備員)」「ニート」みたいな人ばかりとなり、現代社会は成り立ちません。

とはいえ、幸福の科学の大川総裁は、5人の子育てを頑張った「初のイクメンの救世主」であり、偉大な霊能力を持ちながらも、大手商社に勤務し、今は無きツインタワーで仕事をしていたという経歴の持ち主で、金勘定も得意ですし、実業家としての才能もある方です。
まあ、こんな多才な才能のある人は極めて稀で、普通は、霊的・哲学的な方は「実務はダメ」となりがちだそうです。

聞いたところでは「禅寺にこもって瞑想」というような過去のスタイルではなく、忙しいビジネス社会の中で、「仕事を通じて菩薩をめざす修行」というのを提示しているということだそうです。

この回答への補足

lv4u さん、早速に素晴らしいご解答を有り難う御座います。
二十歳である大学に就職し、ちょうど60年安保の前年でした。
荒川と隅田川に挟まれた地域の都立高校と私立中学での洗脳で、ラディカル革新の私は就職した大学で労組の書記長をやり、まぁ革新に傾倒していました。大川さんの幸福の科学は私たちの機関紙でも決してよくは扱われてはいませんが、このように噛み砕いて説明してもらうと偏見の目から鱗が一枚落ちますね。ありがとうございます。

補足日時:2013/10/25 10:21
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この回答へのお礼

どうも私の質問の趣旨というか、次元をご理解いただける方が貴兄のほかには居られなかったようで、このカテの限界でしょうね。
有り難う御座いました。

お礼日時:2013/10/25 16:04

大学教授と思われる方の書き込みを見て笑ってしまいます。

戦前の国家神道は確かに宗教化したので神道とは言えませんでしたが、大東亜戦争に対する戦後の認識を疑うことなく生きてこられた方のようで勉強不足のそしりをまぬかれません。軍部の独裁を批判してきた方で、何の目的で日本人があの戦争を戦ったかよく理解していないのだとわかります。学者然とした傲然とした若者に対する忠告めいた言葉は噴飯物です。しっかりしてください。あなたのような大人が日本を危機の淵に陥れてきたのであって、そんな反省もないことで学生が教えられるものかと思います。ここに書き込みをする暇がよくおありですね。あなたこそ無能で偏った考えの人であり、お話になりません。お願いいたします。
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質問者の周囲がそうであったとしてもそれが一般例に適用できるとは限らない。


哲学や宗教に関して言えば、結局のところ実生活にどれだけ結びつけられるかであり、
目的意識をどれだけ持てるかという事に尽きます。哲学や宗教はある一定の価値基準を
持っていますので、それが現実と乖離してしまえばお話にならない。

まあ、日本という国も国家神道という宗教を偽造して、大量の日本人を
拙い戦略で大量死させました。無能の名に値する事は間違いありません。

質問者の年齢層にはそういう偏った人間が多そうですな。

この回答への補足

そういう面でのご理解もありますね。

補足日時:2013/10/25 15:59
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やはり座学だけで一人前の人間になろうとしても無理でしょう。

シュリハンタカは実践だけで頭が悪かった方でしたが、大学で学んでいる人はあなたのように頭だけで、実践がないので使い物になりません。仕事も体を動かして働かなければ、頭も賢くなりません。知行合一という教えがありますが、今のインテリはみんな心と体が分離していて、実務といっても事務仕事なので、知恵がつかず、何をしていいやらわからない専門バカならぬバカ専門と嗤われています。西洋学問をやり始めた明治以降の大学制度が問題です。事務系と現業が分かれたのが、運のつきです。小説家で、自分の限界を知り、ホームセンターで商品の棚卸の仕事をし始めた人がいましたが、そのくらい体を動かして働くことは頭を鍛えるためにも必須です。あなたはインテリにもシュリハンタカにもなり切れないので苦しんでいるだけで、やり方次第で何とでもなりますので自信を持ってください。山本健造という人が素晴らしい理論を発案し、本をたくさん書き残していますので、検索して読んでみてください。参考になると思います。

この回答への補足

有り難う御座います。
歩んだ経験が多少異次元であるような気もします。

補足日時:2013/10/25 15:58
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その学び以上に積極的な実学が伴っていれば価値を生む可能性はあるでしょう。


しかし、このサイトのユーザーにも多いですが、冴えない現実から逃げる自己防衛目的の屁理屈は価値ありません。
いまは価値ないがきたるべき時期に価値を生むなど、愚かすぎて鼻で笑ってしまいます。
ただ部屋に閉じこもってるだけの人間など、そもそも人間としての価値がどこまであるのやら。
そういう意味では、無能が多いと感じます。

この回答への補足

はい、よく理解申し上げます。

補足日時:2013/10/25 15:56
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 ★ (No.1補足欄) 役立つ事は認めるし、無能であっていいとは言っていないのです。


 ☆ そうでしょうか。


 ★★(趣旨説明欄) 下根なる至根
 ☆ について 問題は ほかの人間が勝手にひとをクラス分けしているというところにあります。

 つまり そうする人間もそのことをよしとする人間も 阿呆であるということを言わなければ 《無能であっていい》と言っていることにひとしい。こう考えます。


 いったいだれが ひとを上中下に分けてよいと思っているのでしょうか? 気が狂ったとしか考えられません。意味がありません。

 ひとの評価がもしあるとすれば それは 少なくとも息を引き取ったあとの話です。何を血迷うて 他人を勝手に評価し下根などと規定するのでしょう? それこそ 豆腐の角にあたまを打って死んでしまえと言いたい。です。

この回答への補足

お説の通りですね。
だから貴方のお話を否定をしていません。

補足日時:2013/10/25 15:55
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「社会の役に立つ」という場合、既製の社会の中で歯車として


役に立つ、という場合が一般的です。
しかし、世の中が大きく変わろうとする場合に「役に立つ」人材
は、それらとは正反対の性質を持ちます。
たとえば坂本龍馬が平安な世にあって、あれほど活躍できたで
しょうか‥‥「治世の姦賊、乱世の英雄」とでも言いましょうか。

既製の枠の中で有能であるには、その「既製の枠=社会制度
や思想」に疑問を持つ事は、ムダな労力か、ヘタをすると犯罪
になり得る“世を乱す”事になります。
目先の物質的な損得にこだわるか、心の中の満足にこだわる
かの違いで、どちらも社会の必要とする要素です(既定のコー
スを走るスクリューか、コースを転針する時に働く舵か)。

この回答への補足

少し私には難しいのでよく反芻してみます。

補足日時:2013/10/25 16:03
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 こんにちは。



 ダメです。それでは ダメです。

 宗教は また別です。ただ群れているだけのことですから 扱わないとします。

 哲学は 無能ではありません。役に立つ人間であるはずです。

 ただし 種類がふたつあります。
 
 いま現在の・現行の社会の制度のもとで有能であるか それとも来たるべき社会においてか。この違いです。


 信仰を持つということは 現実の社会で生きると腹を決めたことのほかは 意味しません。
 
 その信仰にもとづき 哲学をやるわけですが そのときいま現在の体制の真っただ中に入って生きるか それとも未来社会においてだという選択をするかだと考えます。


 ただし 修道院といった制度は あるにはあります。
 これは 生まれて来て ものこごろがついたときには おれは 自分の一生を神にささげても悔いのないめぐみと感謝にあふれていると感じた人間がはいるところです。
 その人たちの一種の《坐禅》生活は 現実社会で仕事をするわたしたちを勇気づけてくれます。


 哲学の徒は 有能でなくてはなりません。未来社会における有能をえらんだとしてもです。

この回答への補足

bragelonneさん有り難う。
仰せのような見方と表現もありうると思います。
私の想いとは少し違いますが、決して否定はしません。
まぁそういう見方と表現を肯定しながら私は更に、参照で出している質問や解答、そしてこの質問を出しています。
役立つ事は認めるし、無能であっていいとは言っていないのです。

補足日時:2013/10/25 10:16
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