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平均以上の大学から大学のカテゴライズが現れるのですが、これは平均未満の大学を間接的に批判しているのでしょうか。


大学において偏差値が全てではないですよね。

A 回答 (13件中1~10件)

 P先生、それはいい塾ですね。

私はいくつか働きましたが、そのうちでも怒鳴られた塾は、ちょっと特殊でした。塾がない日も、休日も、「サービス出勤」しないとなりません。生徒のためならともかく、 ミーティングだとか、経営者(各支部のとりまとめ役)のありがたいお話を聞くためでした。交通時間を含めると半日がサービスで持っていかれます。かなりの赤字です。

 労働基準法違反なので、そのことを指摘すると、職場に居づらくなるように嫌がらせがありましたね。私が塾長に怒鳴られたのは、そうした嫌がらせの一貫だったのでしょう。まあ、今流行の「ブラック企業」ですよ。こういうパワハラにあったのは私だけだったのか知りませんが、その大手塾は、今や高校に非常勤で講師を派遣したり、大学の先生に教え方を伝授したりしているそうです。まあ、私のいたところだけがひどかったのだと思いたいですね。

 こういう塾は、形は違えども、 いくらでも経験しました。一番ひどいところは「チャージ」と称するよくわからないものを天引きしていました。内訳は健康保険だとか、失業保険といろいろ書いてありましたが、無論、すべてデタラメです。給料の二割がそれで引かれるということでした。一々項目を読み上げていって、「本当ですか?」と言ったら、相手は音を上げました。チャージは返すけれど、首だ、と言われました。こういう一方的な解雇も違法です。それに生徒のことも気になりました。しかし違法だなんだと議論するのが面倒なので、「ああ、それはよかった」とニコニコして帰ってきました。当時は「ブラック企業」という言葉はありませんが、そういうところに巻き込まれたのが嫌で嫌で、毎晩悩んでいたわけです。首でも何でも、悩みと縁が切れたわけです。

 これらを経験したのは二十歳の頃です。今ならもっと気が済むまで 喚いたかもしれませんが、あの頃は、臆病でもありました。「会社も大変なんだろうな、仕方ないなあ」としょんぼりしていましたね。こういうわけで、私はあまり「労働」にいい印象を持っていないんですよ。そして未だに何かの契約書を見ると、本当なのかとじっくり読み、何かの書類が欠損していないかと疑っています。あらゆる書類で、騙されているんじゃないかと思ってしまう。少し形は違うけれど、これもまた貧乏性なんでしょうね(笑)。
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Dieckbec9さん>塾のはなし。



ぼくは奨学金とアルバイトで大学院に通っていましたが,ODになって奨学金が切れてにっちもさっちもいかなくなり,東中野にある塾に助けられました。東大ODで教員免許があるというので,「いちど授業を参観してから」という条件つきの即決でした。あとで推量したことですが,塾のメンバは紛争世代の北海道大学卒らしく,就職できずに東京にでてきて塾を開いたようでした。困窮しているぼくを見て,同情するところもあったのでしょう。その年からの入塾パンフレットでは,「北大卒」にまじって「東大OD」をちゃっかり利用された感じでもありましたが。

>しかし私は「そんな立派な学歴の人が、この安月給で働くか」と言ってやったらいいと、常々思っていますよ。

ぼくは東大の劣等生であり(じじつ駒場の点はふるわず大学院同期では最後まで売れ残った 笑),貧乏根性が先に立つ人生でしたね 笑。塾講師は公募上の時給はいいけれども,予習・残業時間をふくめば安くなります。ぼくはすぐそれに気づきましたが,その収入を失うわけにはいかないし,任された仕事は全うしようと考えました。ぼくが作問した「直前模試・理科」は,都立高校入試問題を3割的中させました。ぼくにそのくらいの分析力があるのは当然。他の塾ではもらえると聞く的中報奨金は,ぼくはもらいませんでしたけれども 笑。

ぼくに助手採用が決まったとき,メンバはみな自分のことのように喜んでくれました。ぼくはいろいろな人に世話になりましたが,彼らを忘れることはできません。彼らは塾という特殊ながらも真剣勝負の教育理念をもっていましたし,ぼくをふくめて「人」を育てることができる人たちでした。
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一応言っておくと、


大学受験のランク表というのは、リアル人気投票の結果です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
投票の理由の中には、偏差値が高いから、という理由もあれば、有名だから、という理由もあるでしょうが、xx教授のxxが、という理由もきっと含まれているでしょうし、研究予算や設備からxx大学が、という理由も含まれているでしょう。

なお、リアル人気投票というのは、例えば二つの大学があれが、どっちに出願するか、両方受かったらどっちに行くか、という選択を、受験生個々がしているはずで、入金だったり入学だったりというリアルな行動によって「投票」されているのです。
ランク表は、概ね、その結果を受動的に表した物でしょう。
明治と法政に両方受かった受験生の多くが法政を選べば、その分明治に空きが出ますので、明治は更に下位から合格者を出さないと定員割れしてしまいます。
その結果、下位から合格者が出ますので、より低い偏差値の者が合格することになるでしょう。

大学の偏差値というのは(入試がまともなら)それだけの物です。
しかしただ一つ、入学者の学力レベル(大凡の最低ライン)は概ね推測できそうです。
底辺大学を想像すればすぐに判りますが、少なくともあまりレベルを下げすぎると、高校の勉強や中学の勉強からやり直しましょう、というようなことになるわけで、そこから直線引っ張れば、偏差値いくつの大学ででどのレベルの講義が、というのも大凡想像できるかもしれません。
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 いや、なんか恐縮です。

P先生は貴重な人材だと思いますよ。他のゼミではじかれた学生を受け止める人がいないと、組織として大学は機能しません。どうもそのことが分かっていなくて、ポンポン破門する先生がいて困ります。

 閑話休題。塾の先生は、過剰に学歴を気にしますね。昔、大手の塾でバイトしたときの経験。塾長が突然、次のように叫びました。「D、てめえ、幼稚園から全部一流校だからって俺のことを舐めてんだろう。俺は地方の三流公立しか出てねえよ。でも一生懸命、やってんだよ」。「え、〇〇塾長の学歴、私は知りませんよ・・・私なんにもそんなこと思ってませんけれど(幼稚園って、いつそんなこと言ったっけ?)」。「顔にかいてあるんだよ」。

 まあ、私の顔がどういう顔だったかは別として、塾長が気にし過ぎだったことは確かです。これと同様で、私は質問者が、職業柄、妙に気にしすぎなだけじゃないかと思っています。塾の先生ということですので。親たちに自己紹介する時に、確かに東大卒だと言えたら、気分がいいでしょうねえ。しかし逆に「地方の××大学です」「え?それはどこですか? 日東駒専なら知っているんですが」なんていわれた日には、面目丸潰れでしょう。同じくらいの偏差値なら、有名私大に行けばよかったと悔やみもするはずです。

 しかし私は「そんな立派な学歴の人が、この安月給で働くか」と言ってやったらいいと、常々思っていますよ。夏目漱石の坊ちゃんが、着任した時に、そういうことを言うんですけれどね。校長に立派にやってくれたまえ、と言われて、「僕はそんな立派な人じゃないんで、帰ります」とか言ってしまう。こういう開き直りは案外、どの職業でも大切なことだと思うんですよね。「そんなに立派な人が欲しいなら、相応の給料払ってくれよ。労働力を買い叩いてるんだからしょうがないだろ」くらい、笑っていえる職場環境でないとならない。

 現代の若者の肝っ玉が細くなったせいもあるだろうけれど、これがまた難しい(笑)。
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Dieckbek9さん>そこそこの大学で、ボンクラ教授に教わった方が遥かにマシです



わはは! ぼくはまさにそうだ。近年はもう充電はあきらめて,定年までに電荷を放電してしまおうと考えています。それを年間13科目で放出していますが,ゼミ生以外はぼくの専門が何かわからないだろう。そもそも理系か文系かさえ。他のゼミではじかれた学生も,寛大に引き受けてますしね。だんだん破綻していく大学環境のなかで,将来のある若手の負担も減らしたい。

ここ(OKWave)でこまごま書き込んでいるのも,放電のひとつの電路。かつてはマジで勉強・研究していた経験があるから,いくらか参考になるはず。事務的な質問に教務委員長や学科長などの経験者が直々に答えることも,ほかにはないだろう。
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 批判というより、カーストを作っているのでしょうね。

さらにブランド戦略もあるでしょう。しかし、こうしたカーストはかくも糾弾されるべきことでしょうか? よい大学は志願者が多いので、それなりに入学が困難になります。そしてここから翻って、偏差値が高い大学は人気が高いのだから、よい大学に違いないと考える人が出てくる。それはしょうがないんですよ。

 どこかの食材偽装レストランと同じ話です。食ってみて、食材が何かおかしいと分かる人は一握りしかいない。大半の客は、有名店で、金をそれなりに取るからちゃんとしたモノを食べているのだろうと思っている。大学も同じです。都内一等地にあって、伝統もあるし、学費も高いし、先生たちも有名大学の出身だ。だからちゃんとした教育をしてくれていると思っている。

 プロからみると滑稽でしょう。しかしアマチュアはそれでいいんだと思います。例えば「元東大教授が教鞭をとるからFランク大学に」などとやっていたら、ものすごく不幸なことになるのも分かります。奨学金も出ない、就職も苦戦する。さらに先生は自分の研究に忙しく、学生に構ってくれない。これならそこそこの大学で、ボンクラ教授に教わった方が遥かにマシです。

 モノをみる目が無いなと自覚したなら、世論に従うのも悪いことではありません。食材偽装レストランで得意気に食事したような大恥をかくかもしれないけれど、それはしょうがないのです。「偏差値がすべて」というより、偏差値が一番安定して、大学の良し悪しを判別する手段になっているということですよ。
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大東亜帝国や摂なんとかなんてものあるようですが。



1.上位の大学は数が少ない。数が少ないからまだ覚えられる。覚えられる数少ないまともな(?)大学だから、難易度が確保できる。
2.下位の大学は数が多い上に、本当にぽっと出の大学まであって、把握しきれない。
3.早慶レベルは首都圏のみ、MARCHレベルは更に関西圏4つと愛知福岡に1つずつですが、日東駒専レベルになると、おそらく100万人都市にならありそう。
更にその下なら、県庁所在地の多くにありそうだし、地方の2番手3番手大学も該当しそう。
というわけで、地域的にも把握しきれない。

という辺りが理由でしょう。
一般的に下位大学は、批判しようにも、大学名を知りませんので。
それに、大学を批判するってどういう内容なんでしょうか?
大学の指導力が悪い?そんな連中を合格させているのが悪い?研究成果が挙がっていない?
学生の批判ならいくらでも可能でしょうが、大学の批判って何でしょうか?内容に依るでしょう。
そもそも、どこの大学がどうということになりますが、どこの大学、と名前が出てくるのでしょうか?

それと、根本的なことですが、平均なんて褒められたものではないということを見落としています。
中学生の平均は上位から5割ラインにいるわけですが、大学進学率は5~6割です。
となると、平均的な中学生は底辺大学層等、平均的な日本人は、底辺大学層等、ということになります。
平均なら良いでしょうか?
大学の平均もそうです。
ど真ん中レベルの大学に行く受験生は、センター試験5教科で70~75%取れているでしょうか?
取れないということは、まともな進学校の基礎的な学習内容が身に付いてないということで、普通に高校卒業試験でもやれば、まず間違いなく卒業できません。
平均なら良いでしょうか?

偏差値が全てでは無いですが、相当大きなウェートを占めるとは言えます。
授業のレベルが変わりますんで。
おそらく従来のMARCH辺りであれば、難関大学の授業と比べて、それほど遜色があるわけではなかったでしょう。
その理由は、教える側のの指導力が絶望的に低い為、有能な学生に応えられるだけのことがしてやれないから、それより上位の大学に於いて、大学教育は停滞するのです。
従って、その辺りから上なら、それほど大きな差は生じないでしょう。
しかし、おそらく今の日東駒専以下や、それよりいくらか上になると、まず高校の学習内容すら満足に身に付けられなかった連中の集まりですから、授業のレベル自体を意識して下げないと、どうにもならないでしょう。
しかも、頭のできができですから、東大京大並みのスピードで授業を展開できるわけでも無く、更に教員にそういう能力があるわけでも無く、ということで、最終到達地点も下げざるを得ないはずです。

もし、偏差値は無視して良い、と思うのでしたら、あなた自身が底辺高校を卒業すべきでした。
授業は中学生レベル、知っていることばかり延々と聞かされ、校則は五月蠅く、自学自習で大学受験に対応しようにも、早慶旧帝大ともなるとそれも困難で、となるでしょう。
事実、それよりは遙か上の、一応はまともな進学校のうちの高校からだと、早慶旧帝大ストレート合格は困難でしたから。
授業レベルが低い為、かなり真面目に勉強をしていても、入試標準レベルを超える問題を解くのは困難だったようです。
大学も、おそらく下の方は状況が似ているでしょう。
例えば理系で、低レベル大学から難関大学の大学院に進学しようとしても、大学院試の出題範囲がカバーできていない為に、困難なようです。

教員で選ぶにも限度があるでしょうね。
他のことやもう少し広い基礎を身に付けるのが困難になりますので。
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批判しているというより、馬鹿にしているんでしょう。


それと、平均以下のカテゴライズも存在します。これまた馬鹿にするためのものでしょう。

ただ、そもそもの話として、何故にそれらの大学が平均以上であるか、あるいは他に比べて高い偏差値になっているかということも言及する必要があります。だとすれば、偏差値とは何かを理解しなければ話が始まりません。
偏差値というのは、いわば市場原理で決まるものです。そこの大学に行きたいと思う学生が多いほど、競争率が高くなり、偏差値も上昇するということです。つまらない大学であれば行きたいと思う学生は少ないです。そこに行く学生も、他の大学に入れなかった結果として、仕方なくそこの大学に入った学生が多いです。それが現実です。つまり、偏差値というのは社会の評価を反映している訳です。

>大学において偏差値が全てではないですよね。
もちろん、偏差値の低い大学の中にも優れた学部なり、教育システムが存在する可能性はあります。しかし、総じて、多くの面で低レベルです。なぜなら、上述のように偏差値というのは社会の評価を反映したものです。評価が低くなるのは中身に問題があるからです。なので、偏差値というのにはそれなりの意味があります。
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 大学は本来、大学に行くべき人々が行くところで、もちろん勉強をしに行くところである。


勉強の習熟度を見るためには、試験が必定で、その結果が優れているか否かを判定することも、また、必定である。
「人間的な教育」とかいう美しい言葉は、大学に求められるべきものではない。
再度言う、大学教育は、高等な、勉学意欲に燃えた、誤解を承知で言えば、偏差値が高い人々が行くべきところであり、それを否定するのは、大学教育を否定することであり、もう少しいえば、それを否定する人々が多くなれば、大学は必要ではなくなると言う事である。
 つまり、好むと好まざるとに拘わらず、試験で高得点を取る人々が、偏差値の高い大学に行くことは必定だと言う事である。
 手に職を付ける、運動能力の向上を図る等は、別カテゴリーの、勉学とは違う人間の能力を向上させる手段である。筆者はそのことを否定するものでは無いが、本来の大学教育とは違うと考える。
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偏差値の高い大学からも入社していることにより少しでも優秀な学生を取りたいという企業の思惑です。

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