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ゆとり教育を受けた所謂「ゆとり世代」は学力が低下しているという指摘がありますが、
逆に学力が高くなっている(※)という見方も出来るようです。
※ゆとり教育の影響でという意味では無いようです。


「ゆとり」に「学力テスト」 誰のための教育なのか
現代日本の足跡に学ぶ(7) 東工大講義録から
(1/6ページ)2013/11/18 3:30日本経済新聞 電子版
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGH14007_U3A1 …


>こうしたこともあり、人々は「ゆとり世代は学力が落ちている」と受け止める一因になったと思います。

>果たしてその通りなのでしょうか。私が中学生の頃にも、全国一斉の学力テストがありましたが、最近の学力テストで昔の問題を
>こっそり出題したことがあったのだそうです。
>そうしたら、正解率は今の生徒の方が高かったという結果が出ています。 そして、昔は都道府県別の成績には 大きな格差がありましたが、最近はその格差が大きく縮まっているという事実もあるのです。
>私は、「ゆとり教育」によって日本の生徒たちの学力が落ちたという指摘を裏付けるはっきりとした証拠はないと思います。 むしろ、問題の解答によっては、 我々の世代より今の生徒たちの学力の方が上がっているともいえるのです。 問題は、証拠(エビデンス)に基づいて論じなければならないのに、何となく「学力が落ちてきたのではないか」という印象論で 語られてしまっている恐れがあるように思います。


学力低下について心配している人々は学力低下について研究不足だったのでしょうか。

実は昨年だったと思いますが、掲示板かブログで「昔のセンター試験はこんなに簡単だった!」という驚きの声とともに、昔の出題が何問か紹介されているのを見ました。
そこでは「いや、当時のセンター試験は最低限の学力を確かめるだけのものですから、そんなものですよ」
「その最低限の内容のセンター試験でなぜ当時の学生はこれだけしか正解できなかったのですか」など色々意見が出ていました

ところがこの記事でも書かれているように学力というのは試験で単純に計れるものでは無いという意見があるようです。
何故なら毎年試験内容が異なると単純に比較をすることが出来ず、かといって、学力テストのように問題がすぐに公表されるものは翌年に同じ問題を出すことが出来ないそうです。


「ゆとり世代」は学力が高いのではないか・・・この見方についてどう思いますか?

A 回答 (11件中1~10件)

高いのか低いのかわからない。


とりあえず、それに尽きると思います。

「学力低下」というムードが広まったのは、2003年に行われたOECDの国際学力比較テストで、前回1位だった順位が落ちた、ということに端を発します。
ところが、このOECDのテストは2000年が第1回で、なおかつ、第1回よりも、第2回、第2回よりも第3回、と毎回、参加国が増加しているのです。実際、順位が低下としっても、そのときに上位に来た国は、第1回には参加していなかったり……というケースが多いのです。
また、順位だけがクローズアップされたのですが点数を見てみると、順位は下がったものの統計的な点数に有意差がない、というものが多く、世界トップレベルである、ということには変わりなかったりします。
そもそも、人口1億人超という規模を誇る国で、これだけの高水準を保っている国はありません。しかし、そういうところは一切、省みられませんでした。
また、当たり前のことですが、2000年が第1回ということは、それ以前の国際比較はない、ということになります。「昔の方が高かったはずだ」というのには一切の根拠がない、ということになります。


その上で、「実感として下がっている」なんていう意見というのは、一番、信用してはいけないものと言えるでしょう。
というのは、人間の認知能力というのは「見たいものだけみる」という機能が備わっているためです。
例えば、朝の情報番組で、「今、こんなファッションが流行っています」という風に放映されたのを見て、いざ、通勤や通学をすると「確かに、そういう格好をしている人が沢山いる」と気づいた、なんてことはありませんか?
当たり前のことですが、流行というのは1日2日で起きるものではありません。朝のテレビ番組で流れる前から、通勤が通学の途中で、そのような格好をしている人は沢山いたはずです。けれども、興味がないときは、そういう人がいても気にせず、スルーしていたのです。それが、番組などで紹介をされて、「本当かな?」と注意するようになると気づく、というわけです。
それと同じ心理効果が、「実感している」という人にも当てはまる可能性が高いからです。

ただでさえ、人間の記憶というのはすぐに薄れます。
そして、その中で必要以上に美化されたり、悪いものとして記憶されます。現在、目の前にいるバカと同じようなバカがいたけど、すっかり記憶の彼方に飛んでいるため、そんな奴はいなかった、なんていうことが起こります。
そのことをかんがみたとき、「実感している」というものほどあてにならないものはないのです。


さらに、もうひとつあるのが、日本全体と、自らの身の回りを履き違える、というケースがあることです。
よく、有名な学校のベテラン教師が、「昔は、この問題が出来ない奴はうちの学校に入れなかった。学力低下だ」というようなケースがあります。これは典型例です。
ご存知の通り、日本ではずっと少子化が進んできました。仮に、ある学年の人数が全国で100万人ならば、上位10%というのは10万人になります。その人数が80万人に減ったら、上位10%は8万人になります。
一方、学校というのはそこまでフレキシブルに募集数を変化させることが出来ません。私立学校は文字通りにそれが「商売」ですし、公立学校にしてもそんなに変化は不可能でしょう。そうすると、少子化で人口が80%になっても、募集人数はかわらないため、人口が多かった時代には合格出来なかった学力水準の生徒が合格する、ということが起こるわけです。
しかし、これは日本全体の学力水準とは無関係なわけです。
また、学校単位で言うと、学校に対するブームなどで一気に学力が高くなったり、低くなったり、なんていうことがあります。


ということで、学力が高い、かどうかはわかりません。
比較の出来ないものを比較することは出来ませんので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/26 00:18

学力はできる奴はできる、出来ない奴はできないだから一括りにすること自体無意味です



教育者としての意見を聞くとね、日本でゆとり教育する前にアメリカでも昔やってたらしいですよ
でもなかなかうまくいかなかったからアメリカではゆとり教育を辞めたそうです
結果がどうなるかわかるのに同じ事をするというのは勉学の時間を削るべきでない、という世論を作るための犠牲として、ある意味実験された世代なのではないか?と仰られてました
上記のことと共に、ゆとり教育なんてダメだ!君たちは選挙権がまだない、大人の思うままゆとり世代になった被害者でもあるんだから勉強した方がいいよ、と言っていたのは高校の教頭先生でした

まぁね、みなさんの言うとおり確かに出来は悪いと思いますよ
でも批判したり叩いてばかりは仕方ないと思います、どの世代も叩かれていますよ
戦争→時代に翻弄され、敗戦から日本を立ち上げた世代、戦争のことで叩かれる
団塊→貧しい時代に生まれるもバブルに向かって上り調子でトントン世代、学生運動が盛んな時代に青春を過ごし暴力的
現在の日本の構図を作ったと言って過言でなく下の世代から恨み妬み半分で叩かれている
バブル→黄金の卵と言われチヤホヤされる、社内教育も手厚かった世代、お調子者が多く部下を振り回すと言われ叩かれる
団塊Jr→不良が多い世代、直接的なバブルの恩恵をギリギリ受けていない、援交など社会問題に取り上げられる事案が多い世代で叩かれる
氷河期→不況で職がなく苦労した世代、社畜、イエスマン、面白みがないと叩かれる
ゆとり→不況しか知らない、協調、個性を重んじる教育を受けた世代、社会にでるとあまりの非常識にボロカスに叩かれる
とまぁネットでよく見る世代別の叩き傾向はこんな感じかと…団塊とゆとり叩きが圧倒的ですね

話戻って、仕事ができないのはゆとりの所為でもあり環境その他の所為でもあるのではないかな?
私はゆとり教育というより家庭教育ができないことの方が問題と思うけど
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/14 15:35

興味深いご質問ですね。


私自身は共通一次試験の初期の世代で、
子どもたちが「ゆとり世代」~脱「ゆとり世代」の母親です。

>>「ゆとり世代」は学力が高いのではないか・・・この見方についてどう思いますか?

確かに、「学齢期では、学力としてはそうでもない」です。
ですが「社会人になって10年ぐらいで、遜色なくなる、
もしくは上の世代を抜くかもしれない」というのが、私の意見です。

「本人の暮らし」にとって「あまり関係のない?」ことを、ゆとり教育は省いてきました。
お受験をする子は、別枠(:塾や予備校など)で学んでいますが、
うちのような公立育ちの子どもには、まんまだと空白の「一般常識エリア」が出現します。
(例:中学生に「長崎と宮崎、原爆が落とされたのはどっち?」レベル)

もちろん気が付いたときに、親が教えればよいことですが、
自分自身は多かれ少なかれ詰め込み教育の勝ち組だっただろう官僚が、
想像するところの「ゆとり」って、どこか国民感情:皮膚感覚?が
足りないのかなと、時々がっかりしました。

他方で、「ゆとり教育」時代には、結果オーライなこともありました。
「時々のがっかり感」を持っている親や教師同士が、
組合とは別立ての、自然発生的な共助グループを作りました。
子どもたちの育ちやすい環境を作ろうと願う、地域の大人
(主に高齢者)を巻き込んだ教育活動になり、
子どもたちの学力の底上げをして、結果を出しました。

>学力というのは試験で単純に計れるものでは無いという意見があるようです。

私もそう思います。
学校を卒業した「ゆとり世代」は、生きていくのに必要な力が、
単に知識の量だけでないことを知っています。
例えば、「問題解決力」とか、「企画、運営力」とか、あと「人を巻き込んでいく力」。
確かに自分たちには知らないことも多いから、今からでも学ぼうという謙虚さ、素直さ。

そんな彼ら・彼女らからすると、過去の栄光(:一次試験の素点)をどや顔で話す先輩は、
もはや価値観の違う「不思議さん」のようで、戸惑うらしいです。

「ゆとり世代」は、学び続け、これからの高齢化社会を支える
心優しい「大器晩成世代」だと、私は思っています。
これからもあたたかく見守りたいです。

この回答への補足

こちらの補足欄を利用させて頂きます。

前の回答へのお礼で、私が「ゆとり世代」の人間であると誤解されたというような記述がありますが、私の方の誤解のようです。
申し訳ありません。

補足日時:2013/12/14 15:34
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/14 15:32

うだうだ言ってるようですが、実際に新卒連中の働きぶりを見た現役世代の


実感の方が正しいと思いますね。


ゆとりはゆとりです。

だから「ゆとり」と言われるんです。

この回答への補足

すみませんが、質問文を読んでいないのでしょうか?

補足日時:2013/11/26 00:18
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

あの、すみませんが、記事にただのイメージや雰囲気で語ることについて触れられているのに、何故そういうことを言うのでしょうか?
また、私はゆとり世代ですとは一言も書いていませんが、何故そういうことになったのでしょうか。
補足説明をお願いします。

お礼日時:2013/11/26 00:18

 「ゆとり教育」といっても、質的な側面とデータ的な側面とで評価も分かれるでしょう。

「ゆとり世代」の実態も高校生ならば以前よりもひどい詰め込み状態になっていたとも思われます。
 センター試験で記述が課されたなどといっても、たかだか800字にも満たない記述であって、しかも簡潔明瞭にまとめよといってもロジックすらまともに展開のできない生徒が続出する状態では「総合科」や「思考力を高める」はずの方針が徹底されていなかったことにもつながっているとも思われます。
 その一方で「知識量」そのものは増えてもいるといわれますが、実際には中学校段階で扱う数学の分野領域も減らされてもいます。70年代には中3段階で扱われていた三角関数も姿を消し、高校段階に移行してもいます。その逆に中3段階で目に付くのは統計や確率の単元であって、こうした変化は社会状況の変化にも対応させられているともいえます。
 実際に70年代のインフラ整備は建築開発に重点が置かれていましたが、現在の社会では情報通信分野がそれに対応するともいわれております。こうした点で「単元項目の入れ替え」がある程度は行われることも致し方ないとも考えますが、それでも基本的な部分だけは易化させたりすることに僕は反対です。
 「円周率」を教えるならば、最初から「π」と置き換えることを教えれば済む話であって、それを「3.14」ではたいへんだから「3」にしましょうなどとは言語道断な話です。単元項目の変更は許されもしますが、内容を矮小化したりスリム化したりすることは決して許されもしないはずです。
 日本史の教科書でも、現在は幾つかの見解を並記するなどは当然の話であって、1192年でなければいけないだの、1185年の方が正しいなどの愚かしい話も他にはありません。「鎌倉幕府の性格」や「武家政権の誕生」といった事象を記すには、「何をメルクマールとして規定するか」の根拠に基づいた立論をしているのであって、そうした説明をすっ飛ばして「いつ・誰が・何処で・何を・なぜ」とデータを暗記させるのでは意味などないのです。
 そうした「データ容量の多寡」を受験の基準とするからおかしな話になってもしまう。ですから今年のセンター試験の国語では阿鼻叫喚の地獄絵巻が展開されたともされています。
 たかが小林秀雄程度の文章すら読むことができないのは、データ化された項目に対しては強いが、自らで論理を組み立てる力に不安があるからと僕は観ています。
 今年の文科省全国学力調査の結果を覧ても、中学生の「国語B」「数学B」は目を覆うばかりの惨状です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/26 00:20

 私は、「ゆとり教育」が失敗した、一番の原因は、それを「甘やかし教育」「子供に楽をさせる教育」と履き違えたことにあると思います。


 例えば、円周率は、小学校高学年では、3.14と教えていたのを、「およそ3」で良いとしたのが、「ゆとり教育」の一例ですが、ここで子供が、それをどう捉えるかです。
 参考URLのページで見ても、円周率と言うのは、実に奥深いものです。手計算での記録更新、コンピュータでの記録更新など、調べれば調べるほど、子供たちには興味がわき、面白くなって行く内容と思います。
 優秀な子供は、おそらく、円周率は「およそ3」と教わっても、「果たして、それで正しいのだろうか」と疑問を持ち、学校の図書室、街の図書館、あるいは、参考URLのようなネットでも構いません、円周率について、徹底的に調べようとしたことでしょう。
 このように、ゆとり教育は、学校で全てを教えない代わりに、自分で調べなければならないウエートが高くなる、むしろ、子供たちにとっては、ある程度苦労をしなければならない教育というのが、本来あるべき姿と思います。
 「ゆとり世代は、むしろ学力が高い」というのは、ゆとり教育を受けた世代の中にも、このように、その趣旨を、正しく理解し、自ら調べる力を付けた子供が、少なくなかったということではないでしょうか。
http://円周率.jp/
 漢字混じりのアドレスは、参考URLに貼り付けられないため、こちらに貼り付けさせていただきました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
自分で研究させる教育という側面ですね。

ちなみに、例に挙げている円周率3の件ですが記事では事実では無い、学習塾のキャンペーン広告であると否定しています。

>学習指導要領では、「円周率」は小数点以下の計算方法を習う前に学習するので、円周率3.14を3として計算してよいと言うことになったのです。
>これをとらえて、首都圏のある学習塾が鉄道に、「3.14よ、さようなら」という趣旨の車内広告を出しました。(略)
>「(公立中学校ではなくて)受験して私立中学に行こうね」という、一大キャンペーンを打ったわけです。(略)

>実際には、当時も「円周率は3.14」で教えていたのですが。

補足:質問文で上げた記事は「池上彰の必修教養講座」というシリーズです。

お礼日時:2013/11/24 20:14

昔と比べても科学も進歩しているから学力も進歩していると思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/24 14:09

ゆとりが全く関係ないかと言えば嘘ですが,学力=経済力ではないでしょうか?



潤沢な資金のある家の子は高等な教育が受けられます
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これは大げさに考えたら世の中が豊かになれば教育にかけられる資金が増えて学力が上がる・・・そう考えて良いのでしょうか。

お礼日時:2013/11/24 13:19

え?



今が平成何年か
総理大臣の名前が分からない
日本の隣の国の名前
自分が住んでる都道府県が分からない
鎌倉幕府の成立が1192年

と言ってる世代のどこが学力が高いの? 笑


まぁ簡単なクイズですら答えられない芸能人ですら東大出てるんだから
日本人の学力なんて元々そんなものなのかも知れないけど

この回答への補足

すいませんが、ただの印象で語っている危険性について記事に書かれているのに、
学力テストの話を無視して、こう言っている世代だというのがどういうことか良く分かりません。

さらにクイズが何かの根拠になるのかも私には分かりません。

補足日時:2013/11/24 13:28
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
これは本当なのでしょうか。
確かにこの記事でも学力テストの結果についてのソースはありませんが、ゆとり世代はこう言っているのソースもありませんね。

それと鎌倉幕府の成立が1192年と言っているのは今の20代後半やもっと上の世代に多いのでは無いでしょうか?
中学校の歴史 1192は違うの?鎌倉幕府成立
2008年02月28日
http://www.asahi.com/edu/student/kyoukashow/TKY2 …

お礼日時:2013/11/24 13:26

こんばんは。



高校で非常勤講師をしております。


「ゆとり」が原因かどうかは正直わかりかねますが、
ただ、現状を言いますと、
やはり学力はそうとう落ちていると思います。

同じ高校の受験での合格ラインが、
10年前に比べるとかなり低くなっております。

また、授業をしていましても、
昔は通用していたやり方が通用せず、
イチから説明しないと先に進める事ができない場合が多いです。


「ゆとり」というよりは「少子化」の影響で、
高校としては人数を集めなければならないが故に、
受験内容のレベルが落ちたのではないかな…と感じています。


また、幼い頃からの教育面での差も大きく影響しているように思います。
昔と違って、今は何でもそろいますし、親も教育者も過保護ですから。
とにかく「考える力」「創造性」の不足具合が一番の問題点だと思います。

例えばですが、クレヨンの色のそろい具合。
最初からピンクやオレンジ、紫、肌色がそろってるわけで。

わからなかったら、親に聞き、答えをすぐ聞いて終わり。


その結果、高校生でも「ピンク」の作り方がわからないというコは年々増えています。

ピンクと言っても濃いピンク、薄いピンク、黄みのピンク、青みのピンクいろいろあります。
想像している「ピンク」は本人にしかわからないわけで。


とりあえず、ピンクを想像して、ある色を混ぜて作ってみようという発想もありません。
自分で考え、工夫する力がないんです。
すぐに人に聞く。
そして聞いたまま作って、自分が想像していた「ピンク」と違っていても
そのままですませちゃって終わりです。
考える事も、工夫する事も面倒くさいって済ませちゃってるんですよね…。

ちょっとしたことなんですけども、それが他にも大きく影響しており、
「考える力」が衰えれば、各教科で考えることもできなくなり、当然学力も落ちるわけで…。


超進学校といわれ学力が高い学校出身の大学生でも、
びっくりするくらい要領が悪く、気もきかないコは多いです。

私個人としましては、「学力以上に、思考力・創造力の低下が問題」だと思っております。
それは生きる術を得ていないということだと感じているので
この先の日本が心配です。


入試の問題が昔より難しくなったと言われるのは、
日本全体の基礎教育レベルが上がったからじゃないかなと考えます。

ただし、この15年間で比較したら、年々レベルが落ち続けてきてると思います。
つい最近になって「ゆとり世代」以降の世代のコ達が受験生になってきているので
今後、また少しずつ改善していけばいいなと思いますが…。


なんだか論点がずれてしまいました。
申し訳ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

学力が下がったが想像力や工夫力が下がったということですね。

日本全体の基礎教育レベルが上がった、この15年間で比較したら、年々レベルが落ち続けてきてるというのはどういうことなのでしょうか。

基礎教育レベルが上がって、最低ラインは上がったが全体としては下がったということでしょうか。
15年前までは上がってきていたが15年前から下がってきたということでしょうか。

お礼日時:2013/11/24 13:40

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