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太政官符
一應停郡司譲軄㕝

右軄無尊卑理須上命。何以公官私得相讓頃年之例往々有讓件軄件軄者父子之間有宣旨以裁許。自餘親踈待國觧以處分。至貞観十七年苻雖父子之間。非國司言上不聴相讓自尔以來。諸國依託此苻多相讓之銓本欲遏巧偽之濫。還爲申請之媒。逐使調傜伇民頓昇入位之級。外散位輩多满諸國之中。歴年稍多。不啻致課丁之欠。一宗傳讓。或已忘代遍之格。稽於政途甚非公盆自今而後。冝依件停止。
以前被右大臣宣偁。奉勑。冝令依件遵行。


この文の書き下し文(出来れば口語訳も)教えてください。ゼミの課題で出て難しくて困っています。時間もありません。助けてください。

A 回答 (1件)

 夜分に失礼します。

せっかくの補足をいただきながら返答が大変に遅くなってしまったことを先ずはお詫び申し上げます。ご事情は察しましたので、釈文を作ってみました。
 でもその前に一言。ここにある「元慶四年三月二十六日」とは、ここに挙げられている史料の前にある太政官符の発給された日付を記した部分ですので、当該史料の日付は元慶七年十二月二十五日のことです。釈文の後に少しばかり補足説明をしますので、その部分も合わせてお読み下さい。

【書き下し】
太政官符す。
一つ 応に(まさに)郡司の職を譲ることを停(とど)むるべき事。
 右の職、尊卑と無く、その理(ことわり)須く(すべからく)上命なるべし。何れか公官を以て私に相譲(あいゆず)ることを得むや。頃年の例、往々に(「ところどころに」とのルビもありますが、往々との読みで問題もないと考えられます)件の職を譲ることあらば、父子の間に宣旨ありて、裁許を以て(もって)す。自餘の親疎は國の解(げ)を待ちて以て處分(しょぶん)せよ。貞観七年の符に至りて、父子の間と雖も(いえども)國司(国司)の言上するに非ざれば(あらざれば)相譲することを聴かず(または「許さず」でも可)。爾自、諸國此の符を託するに依りて、相譲の銓(せん、詮に同じ)多し。本より(もとより)巧偽(こうぎ)の濫はしきこと(みだらわしきこと)を遏めん(「やめん」もしくは「とどめん」)と欲し、還て申請の媒と為せり。遂に調徭の役民をして頓に(とみに)入位(じゅいあるいは「八位」と読む可能性もあり)の級(しな)に昇らしめ、外散位(げさんみ)の輩(ともがら)、多く諸國の中に満ち、年を歴ること(へること)稍(やや)多からん。課丁の欠を致すに啼かざらん。一宗の伝譲、あるいは已に(すでに)代遍の格を忘る。政途を稽ふる(かんがふる)に甚だ(はなはだ)公益にあらず。自今以後(じこんいこう)、宜しく件に依りて停止(ちょうじ)すべし。
以前、右大臣の宣を被る(こうむる)に称く(いわく)、勅を奉るに、宜しく件に依りて遵行(じゅんぎょう)せしむるべし。 
元慶七年十二月廿五日 三代実録四卌にもあり。


【釈文ならびに大意】
太政官からの回答
 郡司職に関して譲り渡すことを禁ずる
「郡司」の職がその身分や地位の高さに関わらないことはこれまでの規範や通達に基づくことは当然の事である。 だがしかし、近年ではそうした過去の法制を踏まえずに公職としての郡司職を私的に譲渡するケースも見られると聞いている。
 父子間での相譲を希望するならば、その時には宣旨による裁許を経て認められ、自らと他人の間にある親疎の判断に関しては、太政官でそれぞれの地域から上奏される解を得た後に協議により出された結論に基づき判断せよ。
 貞観十七年の太政官符に依れば、郡司職の譲渡を父子間で行う場合にも国司による太政官への申請がなければ郡司職の譲渡を許可されることはない。
 そしてこうした父子間での相譲が認められ頻繁に遣り取りされるに至った結果、元郡司としての外散位が増加し課丁数が減少してるこ現状は問題である。
 従って、この意味から郡司職は頻繁に交代もすべきではなく終身官として在任すべきであり、この符による決定以後はそうした譲渡行為を禁止するものである。
 これは先に出された右大臣(源多=みなもとのまさる)の宣を受けそれにより下されての勅命によるものであり、この決定に従うことが求められる。
 元慶七年十二月二十五日
             尚、この記事は三代実録の同日の記載にも覧ることができる。

【問題として議論する内容】
ここでのテーマは「郡司職の性質」とその変質の問題であり、郡司職に関する記述は『続日本紀』の天平七年五月丙子条に覧られる「郡司の譜第制」に関するそれである。
 この元慶七年の符が提起した問題は律令制下において、古代国家が意図した「譜第」基準の導入により中央集権的な地方支配の深化を企図すると同時に、合わせて「代遍之格」により郡司を長期在任させることで地方支配の安定化を図ることだったとも考えることができるとの部分である。
 この天平七年の格にある「終身之任理可代遍」には二通りの解釈が可能であり、
(1)「代遍」の意味を「かわるがあまねく」と読み、郡領は終身の任用であるからその論理に従えば、任用は一氏族による世襲の地位ではなく「諸氏族が遍く代わる代わるに」任用されるべきである

(2)「代遍」を「一生を通じて」読むことで「郡領は終身の任務であって一生を通じて務める官職である」
との二つの解釈である。
 従ってこの史料から抽出し議論の材料とする言葉は事書にある「郡司職」から順番に「相譲」「宣旨」「貞観十七年符」「調徭役民」「昇入位」「外散位」「課丁之欠」「代遍之格」となっていきます。
 これらは『続日本紀』および『律令』を参照すると共に先行研究を調査することも基本的な作業として大切です。研究論文はかなりの蓄積もあります。
 また日付の下にある脚注に見える『三代実録』と照合し、文字の出入りがないか等の基本的な確認作業も必要となります。『三代実録』に関しても、『国書総目録』で刊本の有無を確認することから始めることが基本となります。

【最後に】
補足としていただいた「元慶四年三月二十六日」との情報ですが、『類聚三代格』は「六国史」などの史書とは性質の異なる史料で、そこに記載されている一つの史料を読む場合には、
 (1)「事書」…○○に関する記述との項目立て(この史料の場合は「太政官符 一応停郡司譲職事」の部分)
 (2)本文
 (3)その官符が発給された日付
との構成になっていますのでその順に読んでいくのがルールです。
 恐らく質問者様は編年形式の史料しかこれまでに接してこられなかったから、それと混同してしまってもいると考えられますが、史料の読み方として「古文書の書式」および「形式」のテキストをもう一度参照され直すことをお勧めします。

 今回の史料に関しては読み下しに余り自信はありませんので、御自身でも読み下しを作ってみて下さい。しかし異体字をよく入力できましたね、できたということは読めていることに近づいているとの裏返しでもあります。
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