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なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

A 回答 (9件)

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。

これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。
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アメリカで護衛空母がつくられたのは、ほとんど太平洋戦争開戦後なんです。


だから太平洋戦争直前の米正規空母は、航空機輸送艦として使われています。
そもそものんびり港で待機しているような情勢じゃないですよ。
太平洋に配属されてる二隻は本土~ハワイ~グアム・フィリピンと航空機を輸送してます。
開戦間近でめいいっぱいフィリピンの航空戦力を増強してる時期ですからね。
だからでき過ぎではありません、万一たまたまハワイに居たら、それこそ僥倖です。
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アメリカは日本が真珠湾を攻めるなら南方海域から来ると思っていた


そのため空母を南方海域に進出させていました

当時サイパンやグアムなどは日本領だったので
そっち方面から攻めてくるのが妥当だったんですね

ところが日本は択捉島の単冠港から出撃して真珠湾を狙いました
この主力空母を沈められなかったことが日米の命運を分けました
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mkfdhさん、こんばんわ。


真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

私は偶然ではなく、たまたまだと思います。
貴方は固執しすぎます。確かに2隻の空母は演習中で湾外に出ていたということですが、まだ無傷な基地施設がありました。
もし、南雲司令官に必勝の信念があり、そこを艦載機で破壊すれば、真珠湾基地は後半年は使用不能になったでしょう。また、攻撃の報を受けて真珠湾へ戻ってきた空母に対して攻撃を仕掛けることが出来たと思います。
貴方が空母主力という機動部隊思想がアメリカにはまだ浸透していませんでした。アメリカ軍が空母による機動部隊を編成するのはこの後、攻撃の主力となる戦艦が1隻も無くなったからです。
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空母「エンタープライズ」「レキシントン」は真珠湾外で航空機輸送任務に従事していたため無傷であり、残る空母「サラトガ」「ホーネット」「ヨークタウン」「ワスプ」「レンジャー」は西海岸または大西洋配置で日本軍が撃沈できる可能性は皆無であった。



 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E7%8F%A0% …

Wikiより~
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他の回答にありますけど、暗号解読していたので、真珠湾攻撃を米国は察知していました。

でも、現在の尖閣を巡る中国との争いと同様に「最初の一撃は日本に撃たせたい」ということで、奇襲をわざと成功させました。
とはいえ、日本軍に米軍空母を攻撃されたくはないので、例外的な演習を行って真珠湾外に逃がしたので、米軍空母がいなかったのです。
ちなみに、真珠湾攻撃をさらに徹底的に行って、日本軍がハワイを確保していたら、戦局はかなり変わった気がします。

真珠湾攻撃時、山本五十六は広島の柱島にいました。そして、奇襲攻撃が成功したあと、空母編成を解いてしまいました。
また、正規空母4隻が米軍に沈められたミッドウエー海戦では、山本五十六は、戦艦大和に乗って、空母の500km後方をちんたらとついていきました。
一方、米軍のミニッツは戦争の前線にいて、自分で確かめていました。

このようにみると、日本が連合軍に勝利できなかったかもしれないけど、自分の身の安全を考えず、日露戦争の東郷さんのように勇敢に司令官が戦っていれば、米国との戦いは、もっと違った様相になったのではないか?なんて思えてきますね。
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 真珠湾攻撃の日はあらかじめ決まっていました。


 日本から遠征するのですから予定の変更は難しく空母がいる日を選べません。
 当然いない事はあり得ます。
 その日、アメリカの空母は訓練で真珠湾を出ていました。
 空母艦載機の搭乗員、乗組員は訓練をしませんと技量が落ちますから定期的な訓練が必要です。

 戦艦は燃料の消費量が大きいのでいつも動かす事は不経済です。
 戦争状態でなければ停泊させておくというのは間違いではありません。

 アメリカは真珠湾攻撃を知っていてあえて攻撃をさせたという噂がありますが、動かぬ証拠はありません。
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 真珠湾攻撃は必ずしも成功でなく、失敗だった面もあったと言われています。



 空母がいなかったのは機密情報漏れが原因でしょう。山本五十六が乗っていた航空機も撃墜されているほど杜撰な情報管理しか出来なかったのが、当時の暗号技術と機密保護の現実です。今も同じだろうと思いますが。

 真珠湾に面した燃料タンク群を爆撃する爆弾が無かったのも同じです。戦艦の空爆だけしか考えなかった当時の旧日本軍の作戦計画そのものが、情報不足であり、勝てない相手に戦いを挑む為の捨て鉢な作戦だったと言われます。

 米国が原爆実験に成功している情報を知っていながら、大本営は握り潰すだけで、何も対策を打てなかったのが真相ですしね。
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空母云々は知りませんが、


日本は奇襲攻撃だったのに対して、
米軍は事前に無線を傍受して攻撃されることを知っていたのです。
真珠湾にはおとりのために少ない軍隊がいたのみでした。
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