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キリスト教徒の教会選び(長文です)
こんばんは。

キリスト教や聖書をもっと勉強したいと思い電車で約30分位かけて、とある教会に通っています。自宅からあまり近過ぎるのも嫌だったため、ここにしました。

その教会はプロテスタント系で雑居ビルの一室にあります。設立して約15年程らしいのですが、予算等の関係で専属の牧師がいません。教会は水曜日の数時間と日曜日の礼拝時しかオープンしていないようで、事務的な運営自体も教会員の方々が自主的にされているようです。この教会に通い始めて約一ヶ月経ちましたが、別の教会にも通ってみたいと思うようになりました。

この教会に通って少し不思議だと感じたことが以下の点です。キリスト教徒の方、または教会に通っていらっしゃる方のご意見をいただければ助かります。

• この教会に通っている方々は多くて約20名ほどで、そのうちほとんどが10年以上、礼拝に参加しているため、新しいメンバーを少し疎外する傾向があると感じます

• 礼拝参加者の人数も毎回10名位しかいなく、献金に関しては誰がいくら入れたか分かってしまいます

• 専属の牧師がいないため、私個人としては落ち着いて礼拝の説教を聞けません。牧師自身も明言しましたが、牧師同士で意見の対立なども多くあるらしく、聖書に対する解釈も違うため、礼拝に参加している私としては説教に一貫性なく感じます。

•代表者がいないため、教会内のルールや活動内容、設立に至った歴史などが良く理解できません。誰に聞いて良いかも分かりません。

• 何かお手伝いさせて下さいと申し出ても、いつも何もしなくてよいと言われる→古株同士はとても仲良く準備をしたり連絡網を作ったりしてます。

•礼拝最後に報告会があるのですが、ほとんどの内容が、会員の人の病気や怪我の話。礼拝終了後には、当の本人達が「痛みが酷いので、みなさん私のめに祈ってください」と、病気やケガを患った人のために祈ることに多く時間を取ります。

•献金以外にも最近災難に遭われた会員のために別の寄付をお願いされましたが、私としてはまだ自分は新しく加わった身で、誰が誰だか良く分かりません。

•この教会は大変小さな規模なので、みなさん本当に仲良しです。私自身、お友達を作りに教会に行くことが目的ではないのですが、私が見る限りでは、みなさん、おしゃべりを楽しみに教会に来ていると感じます。お互いのプライベートをとても詳しく知っています。

規模が小さい教会では新しいメンバーを受け入れることは難しいのでしょうか。私自身、献金は多くて1000円、一番少ない時は300円程度入れています。これでは少ないのでしょうか。

私は過去にミッション系の学校に行ってましたが、大人になり定期的に教会に通うのは、今回がはじめてです。献金や活動内容の説明がないことは良くあることですか?またプライベートなことも話さなければ会員として認めてもらえないのでしょうか。

報告会で、健康診断や血液検査の結果を公表したり、礼拝後のお茶会時に「自分はどこそこが痛いから、みなさんに祈って欲しいんです、私今日は早く帰らないといけないから、今、祈ってもらえます?」と、かなり強い口調で言われた時は少し驚きました。みな談笑されてましたが、ピタリと談笑を止め、その人のために祈り出しました。

私なら、この人のために祈ってあげたいと思えるならば心の底からお祈りしたいですが、この場合なんだか強要されているように感じました。

私はまだ洗練を受けていないので、まだまだ勉強不足のところが多いと思うのですが、この教会は古株の方々の権限や口調がとても強いと感じていて、私自身、穏やかな気持ちよりも、少し居心地が悪く感じます。私のようにもっと聖書の勉強がしたいと思う人は聖書の勉強会などがしっかり提供されている教会に行くほうが良いのでしょうか。
または
もう少しこの教会に通ってから継続するか止めるか決めるべきでしょうか。

A 回答 (5件)

>私の目的はキリスト教の信仰を深めることです



「あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。」 (イザヤ55:6) (口語訳)

と書かれておりますので,例えば,「まことの神は,どこにおられるのですか。神を知ることができるよう,導きと助けを与えてください」というように,求められることをおすすめします。もし,ほんとうに神とキリストを求めておられる場合,必ず導きと助けを備えてくださると思います。
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初めの人になるアダムは神様を象って造られました。

しかし、罪を犯すことによって神様の形を失ってしまいました。だから、私達は神様の形を失ったアダムの形を象って生まれるのです。罪がもたらす代価は死です。すなわち、私達の全ては死にます。単なる死ではありません。全て地獄に行くようになります。光と闇の間に何も無いように、地獄と楽園の間にも何もありません。

旧約では律法を守りながら罪を犯すと子羊を選び、傷や斑点が無いか詳しく調べました。そして、傷や斑点が無いと自分が犯した罪の身代わりとして神様にささげ、罪を赦して貰いました。それは、イエス・キリストの模型でした。

だから、沈礼人ヨハネがイエス・キリストを見て"見よ、世の罪を取り除く神様の子羊です"と証拠したのです。

また、律法は沈礼人ヨハネまでだと言われました。それは、律法は旧約のものであり、イエス・キリストが子羊としてこの世に来られ、新しい約束が施される状況下に置かれて有るからです。そして、イエス・キリストが私達の全ての罪だけでは無く、世の全ての罪を背負い、十字架の上で処刑されました。イエス・キリストは私が犯した過去、現在、未来の全ての罪の身代わりになられて処刑されたのです。

だから、イエス・キリストが十字架の上で最後になされた御言葉が"全てを成し遂げた"だったのです。

そして、イエス・キリストは三日後に復活され、その方を信じる500人くらいの人々に現れ、3番目の天にある楽園に上りになりました。キリスト人はイエス・キリストが自分が受けるべき罪の身代わりになって死なれたから自分が犯した罪の故に受けるべき死は無いと信じる人です。また、罪が無いので死なないと信じる人です。だからイエス・キリストは"私を信じる者は死んでも生きるのであり、生きて私を信じる者は永遠に死にません"と言われたのです。イエス・キリストが再び来られる時に信じて死んだ人は復活され、生きたままに信じている人は死ぬことが無しに楽園に引き上げられて行きます。しかし、このように信じる人はほとんどいません。私達が住んでいる所はヨハネ啓示録4章1節の手前です。

4章1節で"ここに上って来なさい"と言われると私達は瞬く間に楽園に引き上げられて行きます。

4章1節の手前にあるラオデケア教会が1900年頃から始まった最後の教会です。ラオデケア教会の特徴は救われた人がほとんどいないことです。だから、イエス・キリストは教会の中にいません。教会の外で門を叩いて神様を探し求める人を呼び出しておられると預言された通りに教会の中に救われた人がいません。もはや教会ではありません。貴方がここに書かれたことを信じるならば、貴方は救われた人になります。真のキリスト人になります。このようなことを彼等に教えて上げて下さい。ここに、書かれたことは100%聖経に書かれてあります。体の優れて無い状況下なので何章何節という根拠は書きませんでした。例えば、デサロニケ前4:13-18がヨハネ啓示録4章1節のことを預言しています。
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小さいころに洗礼を受けていて自分の意志ではないですが、教会にはよく通っていました。


カトリックです。

プロテスタントとはちょっと違いますが、キリスト教徒ということでお伝えします。
基本的に祈りは神に感謝をささげるというのが本来のスタンスで、誰かのために強要されるものではありません。『神に感謝』というフレーズをカトリックのミサではよく聞きます。

また組織立っていない教会の献金は使途が良くわかりませんので、運営に回されているかどうか確認をしても良いかと思いますが、でも小規模な寄り合い所帯のようなので、村八分になりそうですね。

教会という名を借りた井戸端会議の場としか思えませんので、まともの聖書研究は期待しないほうが良いと思いますよ。
通常宗教は、新しく参加した人を歓迎します。信者が増えるということですので、なのに疎外感を抱かせるということは、やはり自己満足の場にされているかと思います。

聖書に関する解釈が分かれるのはよくあることですが、同じ教会内で、というのはなかなか聞きませんね。カトリックはバチカンが意思統一を図っているので、大きくはぶれません、派はいろいろあります。
プロテスタントは、福音派とリベラルとで大きく分かれているようですが、どちらなんでしょうね?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD% …

まずはネットで拾える単純なキリスト教の宗派理解をされてから選ばられることをお勧めします。
また、キリスト教を探求されるならカトリックのミサとプロテスタントの聖餐式の両方を体験してみると良いかと思います。それに大きい教会を選ぶほうが無難だと思いますよ。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
この教会は福音派です。私の見た感じでは、特定の方々がリーダーのような役割されてますが、信徒が増えるとリーダーの座が危ぶまれると思われているようで、とにかく権限をちらつかせます。その割に教会のルールを教えていただけないので、たまに注意されることもあります。
私も大きな教会の方が良いと思ってきました。カトリックのミサにも機会があれば参加したいと思います。

お礼日時:2013/12/18 21:19

現在のキリスト教会には問題のあるところが多いです。


教会選びは慎重にしたほうがいいでしょう。

初めての教会のやりかたが一般的な教会のやりかただと
思いや易いですがそれは間違いです

・専属の牧師がいない、代表者がいない
・病気や怪我の話、プライベートな話をする

これは教会としてはかなり特異な形態です
自分としては別の教会へ行くことをお勧めします

・神学校を卒業した牧師がいる
・聖書の研究会がある

こういう教会も探せばありますよ
なお、聖書の勉強は自分でやる気がないとダメです

あと教会を選ぶ時には自分の信仰がどうなのかも大事です
福音派なのか、聖霊派なのか、リベラルなのか
自分の信仰にあった教会へ行くことが長続きするコツです
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この回答へのお礼

アドバイス、ありがとうございます。おっしゃる通り、何分はじめての教会通いでしたからこれが普通なのかどうか悩んでました。確かに皆さんよい方達ですが、プライベートを話し過ぎるのもどうかと思いました。私自身も持病がありますが、その痛みについて他人に延々と話しをすることは考えられません。
聖書の研究会を持っている教会を探してみます。あまり深入りしなくて良かったです。

お礼日時:2013/12/17 18:29

    ご質問では、その特定の教会になぜいらっしゃるのかという目的、さらにもっと一般的に言って特定の宗教を選ばれる目的が、僕にはよく分かりません。



  が、今なさっている行為が、当初の目的に敵っていれば継続、いなければ止めればいいと思います。ご質問では友達が作りたいが、古株連中が固まっていて、新来者の入り込む隙がないようです。

    であれば、明らかに当初の目的が、現在の教会では満たされていないわけですから、時間とお金の無駄で、即刻止めればいいと思います。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
私の目的はキリスト教の信仰を深めることですけど、
こちらの教会は礼拝そのものを大切にするより
その後のおしゃべりタイムを楽しみに来ている方が多いと思いました。
多分、私自身は学校で聖書の時間がしっかりあったため、
礼拝などの目的で本来集う仲なのに、プライベートや病気怪我の話でいっぱいになることに違和感を感じたのだと思います。
多分、私には合わないと思うので、聖書の研究会がある教会を探します。

お礼日時:2013/12/17 18:35

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