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地方の中学修学旅行で靖国神社参拝していたとおもいます。私の場合も、せっかくの東京見物なのに靖国神社に行けず残念に思った記憶があります。

靖国参拝がされなくなったのは、1960年代くらいかと思われますが、靖国神社参拝をしなくなった、いきさつなどご存知の方は教えてください。よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

>地方の義務教育である中学校の修学旅行で靖国神社がコースから離れたいきさつを知りたかったのです。



質問文からは、そのような主旨は汲み取れません。
回答を望むなら、文章は日本語として完成されたものをお願いします。


>靖国参拝がされなくなったのは、1960年代くらいかと思われますが、靖国神社参拝をしなくなった、いきさつなどご存知の方は教えてください。よろしくお願いします。

主語が不明なので、回答が困難です。
主語は省略せずに文章ごとに明確にしてください。
一般人は普通に参拝していますが。

修学旅行については、私はそのようなことになっていたという事は知りません。
質問者様の疑問は、どのような根拠や資料によるものでしょうか。
また、それ以前の修学旅行では、靖国に行くことは普通だったのでしょうか。
事実だとしたら、自虐史観を植えつける日教組の勢力が強くなった為だと思います。

「サヨクと日教組による歴史の歪曲」(動画)



天皇陛下や閣僚が靖国参拝を辞めたのは1970年代です。
その経緯は↓のように日本国内の反日団体が騒いで中国を煽ったのが原因です。

A:1975年、昭和天皇がいつも通り靖国神社を親拝されます。
B:社会党がこれを問題化し、それが原因で天皇陛下は靖国親拝ができなくなりました。
C:昭和1985年、中国が首相の公式参拝を抗議。→仲曽根首相は参拝を止めました。
(当時の国民は参拝に反対していませんでした)

これ以降、マスコミが靖国参拝を騒ぐようになり、首相交代や夏になると靖国の事を質問するようになりました。
これらの騒ぎに拠って、中韓に靖国は日本叩き(=強請りのネタ)になると思われてしまいました。

この問題では、いわゆる元A級戦犯の合祀を中国が非難したからだという意見がありますが、元A級戦犯の合祀は1978年です。

天皇陛下の親拝中止については、元々陛下は毎年親拝していないから親拝中止の時期がズレても関係がないとは言えないという意見もあります。
しかし、これは状況証拠による推測に過ぎません。
この場合、【告発側の立証責任】より、「親拝中止の理由は戦犯の合祀である」と主張する方がそれを証明する義務があります。

他にはいわゆる富田メモの件についての意見がありますが、
それには以下の疑問点が指摘されています。

1:問題の部分は手帳ではなく、手帳に張られた紙に書いてあった。(→書いた時間、人物が不明)
2:日経新聞は宮内庁・皇室が了解済みとして発表。(宮内庁はこれを否定しています)
3:メモの記述に疑問。(陛下の場合は「親拝」であり「参拝」という言葉は使わない)
4:松岡は病死であり、軍人ではなく戦死者や公務死でもない。
  →A級以前に合祀の条件を満たしていないという指摘ではないか?

また、富田メモが天皇の意見であると決定した「富田メモ研究委員会」のメンバーは、富田メモの発表元である日経新聞が集めたものなので信用性に欠ける上に、一組織の見解にすぎず、公的・多数の結論とするには無理があります。


私が「元」A級戦犯と言っている理由ですが、
実は彼らは、

a:合祀前に既に国際的に赦免され名誉も回復されている。
b:彼らの罪は不当な裁判による冤罪である

からです。
である以上、現在彼らを戦犯と呼ぶことは侮辱であると同時に、自分の無知を晒すことになります。
現在、日本政府は彼らを「法務死者」(靖国神社では「昭和殉難者」)と呼称しています


彼等の赦免の経緯ですが、
国内における彼等の赦免と名誉の回復については、国民の要望に国会が応えたものです。
戦後、彼等の救済を求める4000万人の国民の署名が集まり、国会で審議され1953年に遺族等援護法が改正されました。
これは、東京裁判で有罪とされた全ての人たちは、日本の国内法においては罪人と見做さないというものでした。
それによって、服役中の死亡は「公務死」、逮捕者は「抑留又は逮捕された者」とし、公的な名誉の回復がなされています。

国際的な赦免について以下の経緯によります。
1951年のサンフランシスコ平和条約により、日本は主権を取り戻します。
通常の平和条約では、締結の時点で、占領国が行った立法・司法(裁判)は無効となり、それらの失効も継続もその国の自由です。
ところが、この平和条約は日本に東京裁判を受け入れることを要求しています。
これは、いわゆる戦犯の名誉を公的には回復できないことで、講和後の主権国家の内政に干渉しており、異常な内容です。
しかし、日本はこれに調印しなければ国際社会に復帰できなかった為に、この条件を受け入れました。

しかし同時に、条約では裁判参加11ヶ国の過半数が同意すれば、彼等の赦免・減刑ができることにもなっていました。
その後の1958年、その11ヶ国から、戦犯者の刑の残りを免除する通知が出ています。

この時点で、いわゆる戦犯は存在しなくなっています。

赦免後の彼等の合祀は、靖国神社の独断ではありません。
合祀は、東京裁判の有罪判決による処刑による死を「公務死」と定義して、合祀基準に含めることが国会で決議され、靖国神社がこれを受け入れたからです。
これは靖国神社の自由意志であって、国家権力による強制ではありません。

現在では、陛下や議員の靖国参拝を叫んでいるのはあの3国しかありません。
しかし、それらの国々はサンフランシスコ平和条約に調印していないので、この件で何を言う権利もありません。
彼等の靖国批判は反日による国内の不満を逸らすことが目的です。
とどのつまり、自分の都合による言い掛かりでしかありません。

それに、中国にとっては日清戦争も侵略戦争だったはずですが、その関係者も靖国に合祀されています。
なのに、中国がそれについては非難せず、何故か大東亜戦争の事ばかり言っています。
日本には、日露戦争でロシア艦隊を破った東郷平八郎を祀っている神社もありますがロシアは何も言っていません。
(彼は退役後の病死なので靖国に合祀はされていません)


いわゆる元A級戦犯の処刑が冤罪である理由は↓によります。

イ:判事は、国際法より連合国の意向に沿う判決を要求されていました。
(「法」以外の何かの「意向」が優先されている時点で裁判ではありません)
ロ:元A級戦犯の罪状である「平和に対する罪」が戦時中には存在しない「事後法」を適用している。
ハ:判事や裁判官に戦勝国側の者しかいない(裁判の公平性が保たれていない)
二:判事に国際法の専門家は、インドのパール判事しかいない。(パール判事は、日本の無罪を主張)
ホ:実際の審理も、連合国に有利な証拠は審理が甘く、敗戦国側からの証拠や弁護は認められなかったり、却下されている。(これは、判決後、裁判に関わった者も指摘しています。)
へ:戦争を個人の罪として裁いている。

「へ」ですが、国際法上は、戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任はないと言うのが常識です。
これは東京裁判で日本の弁護を担当したアメリカ人も指摘し、裁判自体の無効を主張しましたが却下されています。(動画も参照)

以上から、彼らを裁いた東京裁判は、戦勝国の都合による私刑であり、「裁判」といえるものではありません。

http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo
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この回答へのお礼

質問文が思いつきにもかかわらず丁寧なご回答ありがとうございます。私は日教組教師によるいろんな教科書外の自虐史を習わされたものですから私の中学校の修学旅行で靖国参拝がなくなったのは日教組のしわざだと思っていましたがやはりそうですよね。当時の日教組教育では韓国併合の違法性や関東大震災の朝鮮人への蛮行などを教えるものでしたもちろん教科書からではなくなにやらいいかげんなプリントされたものでした。そういう状況からやはり日教組だったんだなと懐古しています。

靖国に祀られた英霊について解説していただきありがとうございました。

靖国参拝を非難する国がありますがもともとの震源は左翼なんですよね。他国にそれを利用されているわけですので国内で解決すべきですね。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/27 01:40

>靖国参拝がされなくなったのは、1960年代くらいかと思われますが、靖国神社参拝をしなくなった、いきさつなどご存知の方は教えてください。



無くなったわけじゃないですよ。
現に今でも、修学旅行生が靖国神社の境内を歩いている光景は良く見ますけど。
なので、修学旅行で靖国参拝をやらなくなったと言われても、見学しているのを見ているので、何とも言いようがありませんが(^^;
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この回答へのお礼

そうですか、地域性があったですね。
昔無くなったと聞いたことがあったものですから。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/27 00:42

いやそんなことはありませんよ。

何かの誤解です。今でも毎日たくさんの人がお参りしていますよ。総理大臣だってしています。7年前に小泉首相が参拝した後しばらく途絶えていましたが、途中で民主党政権が出来たりして邪魔されたからです。もう大丈夫です。東京に出てこられたらぜひ参拝して下さい。前の戦争ではたくさんの兵士が戦死しましたが、みなここに祀られているのです。フィリピンで戦死した私のお祖父さんも祀られています。春は桜がきれいです。気象庁が毎年発表する東京の桜の開花日はここの桜が咲いた日です。
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この回答へのお礼

地方の義務教育である中学校の修学旅行で靖国神社がコースから離れたいきさつを知りたかったのです。また機会がありましたら靖国神社に行きます。本日の総理の参拝はよかったとおもいます。謝罪に受け取られないかと心配しましたけど中国韓国がブイブイいうので安心しました。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/26 22:23

 大阪の小学校はずいぶん長い間(40年前の私もそうですが)神宮参拝がメインの伊勢志摩方面への修学旅行でした。

今過去形で書きましたが、現在も伊勢志摩方面ってのも多いと思います。神宮参拝しなくてもパルケエスパーニャもありますし、鳥羽水族館などもありますし。

 宗教の自由が一般に浸透しているので、特定宗教へ係ることをよしとしない風潮になったのでしょう。私の頃も「神様はお参りできへんねん」などとして神宮参拝をしなかった同級生もいましたし。

 A級戦犯の合祀問題ももちろんでしょうが、特定宗教への関わりを避けるようになったと思います。
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この回答へのお礼

スペイン村と水族館とお伊勢さん詣ですか。

そういう回避策をとったという、回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/12/26 21:42

二つの説がありますね。


靖国神社にA級戦犯が合祀されたのを天皇陛下がよく思わなかったから。
靖国神社に参拝に行くとマスコミが「公的」「私的」などで騒ぎ立てるのを陛下がよく思わなかったから。
主に有力だったのは前者でしたが、私は後者を推します。
前者だと年代が合わないのです、なぜなら陛下はA級戦犯が合祀された2年前に既に参拝をやめていたからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

靖国神社に参拝に行くとマスコミが「公的」「私的」などで騒ぎ立てたことが参拝する陛下の思いに全く一致しなかったのですね。マスコミの不理解の問題だということすね。

お礼日時:2013/12/26 21:38

http://blogs.yahoo.co.jp/bonbori098/31906936.html

が何かの役に立つかも、しれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。知覧も同じような思いで行きました。参考になるURLを教えていただきありがとうございます。

お礼日時:2013/12/26 21:35

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