自叙伝、自分史について
日本で、いわゆる一般の人が自分史や自叙伝を書くのが70年代か80年代くらいからブームになったようですけど、
そのきっかけは何だったのでしょうか?
それはいつごろですか?(70年代か80年代か。。)
またどういう人が、どういう内容の本をかいているのでしょうか?
どなたか教えていただけませんでしょうか?
回答(4件)
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ひとえに、自費出版会社の営業攻勢によるものだと思います。あれは、あこぎな商売で、制作費折半しますよなどといっては、むちゃくちゃ著作権料無視みたいな本の作り方をします。で、金かけてこんなかよという程度の装丁であったり。誤植多かったり。
ちょっと、ほかの方へ話がいきそうなので、とりあえずこれで、送信します。
この回答へのお礼
すみません、お礼が遅くなって本当に申し訳ございません。
パスワードを忘れてしまって、ログインができなくなっていました。
本当にありがとうございました。
No.3ベストアンサー20pt
お礼欄拝見いたしました。
>世界的にそういう流れがあったのでしょうか?
まず、「自分史」という言葉自体が、色川大吉の造語です。
世界的な潮流のようなものがあって、それを色川が日本に導入したという性格の概念ではないと思います。
「自分史」を英語にすると"personal history"になるかと思いますが、この言葉に該当するのは、自伝・自叙伝の類です。
検索にかけてみるとおわかりかと思いますが、それこそ膨大な数の"Personal History"はヒットしても、それは著名人が書いた自伝にほかなりません。
世界的に見ると、日本のように市井の人が、自分の歩いてきた道を振り返り、それを時代と合わせて書いていくというのは、きわめて異例と言ってよいかと思います。
ではなぜ自伝ではなく「自分史」なのか。
#1の回答であげた二つの著作には出ていなかったので、検索してみました。
http://home.att.ne.jp/kiwi/KT-BIO/explain/bio.htm
を見てみると、
「それでは、なぜ、そのとき「個人史」といわないで、「自分史」といったのか。巨きな歴史のなかに埋没しかかっていた個としての自分をはっきり、歴史の前面に押しだし、じぶんをひとつの軸にすえて同時代の歴史をも書いてみたかったからです。その一念が「自分」史という強い語感に託されました」(『“元祖”が語る自分史のすべて』草の根出版会)
とあります。
「ふだん記」の橋本義夫とのつながりは、『個人史』に詳しいのですが、「ふだん記」サイトのこの項にも簡単に触れられています。
http://homepage3.nifty.com/fudangi/sub3e.htm
「自分史」の概念を打ち立て、自分なりに書いていこうと試行錯誤していた色川が、既に『ふだん記』という実践を重ねていた橋本と出会い、実践と結びついていった経緯が述べられています。
色川は民衆史という視点から、歴史にアプローチしてきました。
同時にベ平連の活動家として、市民運動に関わってきた人でもあります。
こうした色川が、大衆的な「語り口」を十分に意識していたことにまったく不思議はありません。
「読者は一般の人である。専門家でもない知識人でもない一般の人に自分のいいたことをわかってもらわなくてはならない。そういう歴史叙述がせまられいる。これは書くものの社会的責任である」(『歴史の方法』大和書房)
こうした視点によって書かれた『ある昭和史』は、『自分史』によると十万部も売れたそうです。
この本によって「自分史」という言葉は市民権を獲得した、と言うに足る数字であると思います。
この回答へのお礼
すみません、お礼が遅くなって本当に申し訳ございません。
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本当にありがとうございました。
#1の方が回答されている内容を読み、参考になりました
私も昨年の5月から書き始めています、先ず年表から始めて肉付けをするのが常道と思います
私の場合は結果的に逆になりました、書き始めると無関心であった歴史に興味が湧き、先祖を遡り位牌と墓石の調査、古文書にも目を通すほどに嵌まり込んでいます
歴史の資料を集めるには、インターネットが便利で我が家が資料館のようです
WORDで書き込めば、文章の添削も簡単であり、ネット上の写真と古い写真はスキャナーでパソコンに取り込み、文章の間に添付します、好い時代が来たものだと喜んでいます
今直面する問題は、写真の添付が原因で1ファイル22MB、100ページに膨れ上がり、近くに並ぶ写真が相互に反発する
現象を起こすと同時に動きが重くなりました
何れにしても最後の年表は、WORD上で切り取り最初に移動する予定です
質問に対する回答にならず失礼しました、最後にお詫び致します
この回答へのお礼
ありがとうございます。
章ごとに別のファイルで保存をされると一つのファイルの容量は少しは小さくなるのではないでしょうか?
そのあたりは、パソコンの技術的なことなので、
私にはあまりよくわかりませんが。。。^^;;;
自分史という概念を、日本で初めて使ったのは、歴史家の色川大吉です。
1975年、『ある昭和史 ――自分史の試み』(中央公論社)を発表し、従来の極力主観を抑え、客観性を重んじる歴史の記述に対して、「自分と歴史の接点を書く」自分史の概念を提唱します。
「自分の人生の方向を決定づけたような原体験(略)を記述することによって、その時代の活(い)きた情況――世相、風俗、社会意識やそれに捉えられていた自分の姿を描きだす。やさしくいえば一人々々の庶民の切実な自己認識の記録なのだ」(『自分史 その理念と試み』色川大吉 講談社学術文庫)
色川の提唱には、それに先立つ実践がありました。
それは橋本義夫の「ふだん記(ぎ)運動」です。
『昭和史』のなかでこの運動を紹介したことが、自分史を流行させる発端になったのだろう、と色川は書いています。
詳しくはこの二書を参考にしていただきたいのですが、橋本義夫は、庶民に自分の生活誌を書かせよう、という問題意識の下、1968年からその運動に取り組みます。
当初はガリ版刷り、わずか五十部からスタートしたこの運動は、1970年代に徐々に拡がっていき、色川の本に後押しされるように、広範な参加者を獲得します。
「「地球上に住む全人類の中で、ただ一つの生しかない、体験しかない自分の歴史を書くことから、庶民は文章を始めるべきである」。そのためには、まず自分の年表を作ることだ。生まれ育ってきた地域の年表と、日本と世界の出来事と、自分の身辺関係の年表をつくる。それは、「自分史が客観的な世界や日本の動き、地域の動きと結びついてこそ、はじめて他人が読んでも、何らかの感動を与える文章になる」からだという」(『自分史』)
この運動の中心的な担い手となったのは、まず、中年の婦人で、次いで老年層だったようです。
1970年代後半から80年代、女性が広範に、就業するようになっただけでなく、地域や環境問題などのボランティア活動全般に進出するようになる時期でした。
こうして「ふだん記」のグループは、全国に拡がっていきます。
各地のカルチャー・スクールでも「自分史」の講座はかならずといっていいほどあるような、現在のブームの背景は、このようなものだと思います。
検索してみたところ、「ふだん記」のサイトもあるようです。
http://homepage3.nifty.com/fudangi/
「自分史」の内容に関しては、このサイトなども参考になるのではないでしょうか。
この回答へのお礼
ありがとうございます。大変参考になりました。
日本では、色川さんということですが、
世界的にそういう流れがあったのでしょうか?
また色川さんは研究者ですが、
研究者の人の提唱が、一般大衆の人たちの実践に
どのような経緯で結びついていったのでしょうか?
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