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あるサイトでこのような内容の書き込みを見つけました。
それは、「名は体を表す」と諺にあるが、名前はそのものの本質と深く関わりがあるというものです。

私はそれを読んで強く疑問を感じました。
例えばゾウリムシの本質が草履に見えることだと言うのなら、生物学者なんてこの世に必要ないことになります。
今の政権が自民党から社会労働党にでも名前が変わったら、日本は社会主義国に変化するのでしょうか。

他に、ひまわりという名前を見ると、太陽の周りを見て回るように感じられますが、実際はそんなことはないそうです。
>花は太陽の方を向き、その動きにつれて回るといわれるが、それほど動かない。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/187005/m0u/ …
提供元:「デジタル大辞泉」


「名は体を表す」は本当なのでしょうか?

A 回答 (12件中1~10件)

「名は体を表すか?」、つまり言葉と対象との間には必然的な結びつきがあるか、それともないかについては古代ギリシャのプラトンの対話篇「クラテュロス」で、名前はもっぱら人々の間の同意と取り決めによるとする「慣習説」を唱えるヘルモゲネスと、各々の事物はある自然的な本性に基づく「正しい名称」があるとする「自然説」をとるクラテュロスの論争として描いています。


言語学では、それを「有縁性」といい、言葉と対象との間には「有縁性」があるかどうかと問われます。
古代ギリシャでは「名は体を表す」ことを「ミメーシス」といい、言葉は対象を「模倣する」という考えが支配的でした。
「ミメーシス」とは「模倣」ということです。
つまり、ギリシャでは言葉と対象との間には「有縁性」があるという考えでした。
このギリシャ以来の言語観を否定して、言葉と対象の間には必然的な結びつきはなく、つまり「言葉は体を表す」のではなく、言葉と対象との間には「恣意性」しかないといったのがソシュールです。
例えば「猫」を指して私たちは「ネコ」と呼びますが、別にそれを「サル」と呼んでもいいし、また「イヌ」と読んでも構わない。
ただ、習慣としてそれを「ネコ」と呼んでいるから、対象「猫」と言葉「ネコ」との間に必然的な結びつきがあるように思っているにすぎない。
言語「言霊(ことだま)」説というものがあって、言葉には「物の怪」が宿っている、あるいは対象の「霊」が宿っているという考えは古くからあります。
これをソシュールは否定したことになります。
あなたの指摘されている「ひまわりという言葉は、その花が太陽の周りを回ることから命名された」というのも単なる「こじつけ」にすぎません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/04 14:54

kiritsubokoui様、こんばんは。




>「今の政権が自民党から社会労働党にでも名前が変わったら、日本は社会主義国に変化するのでしょうか。」

ほほう。


そりゃ、ウソかもしれないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/02 17:39

逆です。



名前に合わせるように体(性格)が変わるのです。

たとえば、親が「世界に羽ばたいてほしいから、はるかって付けたのよ」
ということによって、はるかちゃんは外向的な性格になります。

単なる暗示です。

あるいは名前という言葉のフィルターを通すから、
そのように見えるだけです。

「ゾウリムシ」って付けることによって、その生き物の草履っぽい形に目が向く。

結果、「これは草履っぽい形だ」と認識するわけです。

心霊現象が錯覚と思い込みなのと同じです。

人は言葉に影響されやすく、錯覚しやすい生き物なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/02 17:39

Q、諺は、事象の全体像や本質を表現しているのでしょうか?


A、否!

 周知のように、諺ってのは、生活体験の中で発見された事象の一側面をある種の教訓・風刺をもって伝承する言葉です。その言葉自体は、とっても簡潔で短いので、事象の全体や本質を伝えてはいません。事象の一側面をクローズアップし強い印象をもって伝えるために生まれた言葉ですので、これは致し方ないことです。

 このような諺の生成過程に着目するならば、私たちは、それが使われ始めた時代背景なども考慮しつつ意味を汲み取る必要があります。加えて、「どういう時に、どういう目的をもって、どういうタイミングで用いるために生み出されたのか?」という諺が誕生した意義についても知る必要があります。ですから、「短く簡潔な言葉が正しいかどうか?」は重要ではありません。それぞれのケースにおいてそれぞれの文脈で、正しく使うことが重要なのです。

問1、「名は体を表す」は本当なのでしょうか?
問2、諺は、事象の全体像や本質を表現しているのでしょうか?

 問2は問1を普遍化しただけです。問2の答えは否。ですから、問1の答えも否。正確に言えば、「ケースバイケース」ってところです。

PS、「名は体を表す」は本当?嘘なのでは?

 この批判精神は、情報が過剰に氾濫している現代において最も必要とされるものです。これからも、持ち続けられるならば、より事象の本質に迫る物の見方・考え方に接近されると思いますよ。期待しています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 22:12

名は体をあらわす ことはないとは思いますが、だんだんそのようになってくるからでは?


例えば名前を付けられた由来を聞くと自信がそのような行動を無意識にしようとしていたり、
人間でなければ、そのような行動をしているように人間が無意識に見ているとか・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:53

本当だとは思いませんが名前がつけられる事によって


時間と共に体が名に近づいていくように感じます。
ですから古くから存在し、現在でも使用されている名前ほど名は体を表す事が多い気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:53

合っているときもあると思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:53

そうかも知れません                                                        

                                                                                                                                                                                                                        
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:07

本当ではないと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:07

もちろんウソですよ。

国号に民主主義と付く国に民主主義の国は無いし、東京ディズニーリゾートは千葉県、ファンタグレープのグレープ含有率は0%、金玉も金の含有率ほぼ0%です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/01 21:07

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