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その大学の過去問を中心にマークの問題集をたくさんやって答えが合うようになってくれば本番でもなんとかなるものなんでしょうか?

正直かなり不安です。

A 回答 (7件)

正解より自らの誤答に注目し、その理由を理解した上で再発防止策を頭に叩き込むことのほうが重要です。

それが不十分だと類題で面白いように同じ間違いをおかします。数をこなしたところで学習効果が低いということです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/04 12:35

 おやおや、遂にtさんともあろうお方が遂に焼きが回りましたか。


>そうそう。この教員ご自身のことに他なりませんね。

 東大め
  筋を通せと一った橋
 筋無しクラゲの
  己こそ見よ 

私が言う頭が良いというのは、自分の頭で文章の内容を捏造するような頭の良さでは無く(むしろそれは頭が悪いと言う)、論理的に物事を判断できるような頭の良さです。
捏造はするな、その手の教材にはきちんと書いてあることです。
というのは、私自身がそういう過ちを犯していたからで。
ここでもこの教員の捏造は止まらないのですが、どう捏造しているかというと、「頭が良い」という「私の定義」を無視し、勝手に「自分の」「頭が良い」という定義を他人の文章に「押しつけている」のです。
文章を読むにあたってそういうことは反則で、文中にどう書いてあるのか、あるいはこういう場なら、相手がどう考えているのか、きちんと読み取るなり確認するなりして、解答するなり理解するなりしていくことが必要なのです。

 この文中にある「頭の善し悪し」という定義を貴方は前回の回答のどこで寄せていますか?。
「頭が良ければ、それらの教材で伸びますし、悪ければ何をやってもダメでしょう」と抽象的に書いてあっても、その内容が具体的に一言として記されてもいません。貴方自身が知ってか知らずか、問題をはぐらかしてもいる様子を見て、僕は正直情けないとの印象を受けています。それまでは理路整然として受験のノウハウと蘊蓄を披露されていました。
 僕は何も捏造などしてもいません。それを穿った見方や色眼鏡で見られたら、それこそ相手に対して失礼とも言うべき行為ではありませんか。同じことを言っても、所詮は自身の説明で十分と仰るならば、それで質問者の方にとっては問題のないことでしょう。でも表現の仕方には表側から行くスタイルと裏から見たスタイルの2種類があることも、国語の世界では当たり前の話です。

 >「自分はこう思う」なんてのを選んだら、出題者の思うつぼなんです。たぶんそういう選択肢が用意されているはずです。自分がどう思うかではなくて、文中にどう書いてあるか、を読み解かなければならないのです。
 
 これも僕が言っていることとまるで同じです。殊更に貴殿の回答に横やりを入れているなどの意識も毛頭ありません。確かに「頭が良いと文章を自分の意見に沿った考え方をしてそれが誤読の原因となる」とは言っております。でもそれは列して頭の良い受験生のとるべき思考様式ではない。なぜなら最初に書いたとおり「結果として作者と喧嘩してしまうこと」となるからです。それを捏造などと勘違いされたなら堪ったものではない。なぜその様にうがった見方をされてしまうのでしょうか。

それは、そこの教員が馬鹿にしているまともな受験用(?)教材には書いてあることでしょう。
まともじゃ無い物はこの限りではありませんがね。
また、続いてこれも捏造です。
「林も出口もポイントは同じだ。(が、私はそう考えてない)」これも貴殿の回答に横やりを入れているわけではありません。自身の見解と異なるものを全て排除するとの考え方ならばそれに値もするでしょうが。どこをどう読んでも批評は述べてもいません。明らかな誤読です。

私はそれについて何も言及していませんよね。
常識的には、むしろ、林と出口で言うことが違ったら怖いくらいです。
細かい所やレベルの高い所でどうかというのはあるかもしれませんが、基礎的な所について違うはずがありません。
私の文中に何も無いことを見事に捏造しています。林なんて書いてすらいない。


 少なくとも僕が林さんを引用したのは貴殿の回答に横やりを入れるわけでもなく、林さんの発言から「基本を大事にする」との姿勢に同感もしているからですよ。またそうした姿勢は大学生にとっても意味のある勉強の仕方にもなりうる。何も受験に特化して話をされるtさんと議論しようなどとは考えてもいないのです。それくらいわかりませんか?
 かつて早稲田ゼミナールにや代ゼミに出講されていた石丸久さんという方がいらっしゃいました(70年代後半から80年代にかけて)。この方の指導方法は今の林さんや出口さんと全く一緒です。むしろその雛形といっても差し支えはありません。文脈の追い方から始まり、メタファの理解の仕方、逆説展開などをキッチリとした論理に基づいて説明しているから解りやすい。解りやすいということは同じ過ちを繰り返しにくいとの具体的な成果にも表れる。
 やたらに僕のことを敵視し二流大学で教えてみろなどと仰るが、実際に僕はFランクと呼ばれる大学でも教えたことはありますよ。その時に知ったのは、学生自らが主体的に学ぶ意識を持てないとの最悪状態だったことも目の当たりにしていますよ。それでも「せっかくこの学問領域に脚を踏み入れたのだから、過去の先達の知恵を元にして自らの目で社会を見る姿勢を培ってみようよ」とモチベーションを促し続けましたよ。中にはそれでも効果のなかった人物もいます。「所詮、大学なんて就職のための通過儀礼にすぎない」と嘯くタイプでしたよ。それはFランクだろうが一流だろうが同じです。どこに行ってもこの様なタイプはさほど珍しくもなくなり、そうした姿に僕は危機感を募らせている。
 ある意味で言えば、僕とtさんは合わせ鏡のようなものかもしれない。僕が理想やあるべきにこだわるとすれば、tさんは「そんなこと、知っちゃいない」と強がりをいうかもしれない。
 けれど「あるがまま」に妥協するだけならば、それは単なる精神の怠惰とも同じではないでしょうか。tさんが予備校の講師だとしたなら、少しでも上を目指して欲しいとは思いませんか。そのためにそれに適う方法をアドバイスもすることでしょう。
 僕がtさんの回答を誤読しているつもりはありませんが、もしtさんの目からすれば誤読されているとご立腹されるように、僕自身もtさんによって誤読もしくは捏造呼ばわりされる点に合点のいかない部分もありますので、その辺りもお留めおきいただけたなら幸甚です。
 何も僕は「世間的に二流と呼ばれる大学」であっても、そこに在籍する学生の全てが二流であるなどとは考えてもいません。逆に名前に胡座かいている某有名私立大学の方がよほどヒドイと感じています。それは創始者の言葉が世間で喧伝されていることとは全く裏腹に偏狭なナショナリズムを煽る超保守主義的なスタンスであったことに起因もしそのような輩にはこの国の舵取りなどさせるわけにはいきません。「天は人の上に~」などとはいっても実際にやっていたことは最初からアジアに対する露骨な支配と共に内政的に国家秩序維持のためのシステム構築を促進するための言動に他ならなかったのですから。
 一流の学舎とは「自らの頭で考えることのできる人間を育成するための場」であって、自分の頭で考えるのは入学以後に求められもしますが、その準備が無駄であるとは僕は考えません。無論それは「受験」では一時的に除けておくしかありませんが。
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私に撃墜を喰らった失格教員からちゃちゃが入っているようです。


しかし、なにせ、ご自身、私の文章を読み間違うくらいですからねぇ。今回も酷い的外れです。
ただし、挙げられた本は、1度目にしても良いかと思います。

> 「頭が良ければ~」とはよくいったもので、読み取りを誤るのは専ら「自分の頭で考えて、出題文および設問文と喧嘩してしまう」からに他なりません。

そうそう。この教員ご自身のことに他なりませんね。

 東大め
  筋を通せと一った橋
 筋無しクラゲの
  己こそ見よ 

私が言う頭が良いというのは、自分の頭で文章の内容を捏造するような頭の良さでは無く(むしろそれは頭が悪いと言う)、論理的に物事を判断できるような頭の良さです。
捏造はするな、その手の教材にはきちんと書いてあることです。
というのは、私自身がそういう過ちを犯していたからで。
ここでもこの教員の捏造は止まらないのですが、どう捏造しているかというと、「頭が良い」という「私の定義」を無視し、勝手に「自分の」「頭が良い」という定義を他人の文章に「押しつけている」のです。
文章を読むにあたってそういうことは反則で、文中にどう書いてあるのか、あるいはこういう場なら、相手がどう考えているのか、きちんと読み取るなり確認するなりして、解答するなり理解するなりしていくことが必要なのです。
だから、「このxxという言葉はどういう意味か、次の選択肢から選べ」なんて問題があるでしょう。
そこで、「自分はこう思う」なんてのを選んだら、出題者の思うつぼなんです。
たぶんそういう選択肢が用意されているはずです。
自分がどう思うかではなくて、文中にどう書いてあるか、を読み解かなければならないのです。
私の文中に、「頭が良いと文章を自分の意見で捏造する」などという内容はどこにも無いはずです。
よって、この選択肢は間違い、なのです。
それは、そこの教員が馬鹿にしているまともな受験用(?)教材には書いてあることでしょう。
まともじゃ無い物はこの限りではありませんがね。
また、続いてこれも捏造です。
「林も出口もポイントは同じだ。(が、私はそう考えてない)」
私はそれについて何も言及していませんよね。
常識的には、むしろ、林と出口で言うことが違ったら怖いくらいです。
細かい所やレベルの高い所でどうかというのはあるかもしれませんが、基礎的な所について違うはずがありません。
私の文中に何も無いことを見事に捏造しています。林なんて書いてすらいない。
林さんの本って、たぶん見たこと無いんですよね。入門レベルの本を書いているのかな。
http://www.amazon.co.jp/林-修/e/B00FGOIQ3I
これも、私の文中に書いてあったことを選べ、なんて問題で、
a)林も出口もポイントは同じだ
b) 林も出口もポイントは同じだが私はそう考えていない
なんて選択肢はどちらも間違いなのです。
a)は「常識」的には正解ですよね。でも文中には書いてないんです。文中に書いてないのだから設問の答えとしては不正解なのです。
こういう選択肢も良くあります。
b)に至っては、勘で外せるレベルですよね。

林や出口や田村に原点があろうが無かろうが、それは現在の「多くの」受験生にさほど重要だとは思いません。
と言った所で、そもそも私に撃墜を喰らう原因が、「多く」がどうか、一般的にどうなっているか、常識はどうか、といったことをまるで知らない、知ろうともしない、ただ本や学問に逃げ込む姿勢にあるのですから、きっと判らないでしょう。
とにかく、こういう高偏差値人間=統計的に勉強ができるという変人、がどうであった所で、凡人の私やあなたがどうなるわけでは無いのです。
自身が指導など受けずともどうにでもなったからといって、指導の分野を軽視してはいけないのです。
殊更それらの教材を持ち上げるつもりはありませんが、しかし、現実的に「凡人に判り易い」若しくは「凡人の指標」という点で、第一選択としては間違いなさそうです。
それに、特に出口ですが、受験だけのことを考えて教材を作っているわけではありません。(船口辺りは、従ってあまり推薦していません。)
どこかの大先生のお眼鏡に適おうがどうだろうが。
まぁ一応大野晋も見ておいた方が良いとは思いますが。教材は、一応は見てから判断する物ですから。相性の良し悪しというのもありますし。
誰某の推薦だからハズレに違いないなどとは言いません。むしろ、学識にだけは期待できる御仁ですから見るだけは見ておきましょう。
今は無理でも、あなたの学力が上がったときにどうかということもありますし。

なお、そこの失格教員は、私の合格点が欲しければ、次のクリスマスにどうぞ。
それまでは少なくとも失格です。誰が認めようが、私は認めません。筋を通すのだからそうなります。
このことは、学者としてどうかという話とは全く別です。
失格しているのだから、己を磨くため、底辺大学にでも出向いて、学生から色々なことを学ぶ、逃げずに回り道すべきです。
二流大学の二流の学生が、教養や学識に加え、指導力まで身に付けてご覧なさい。
心配しなくても、30年経てばその大学の評価は上がるでしょう。
学生は二流だが一流の教員が居るから一流大学だなどというご都合主義の詭弁を振りまかなくても、勝手にそうなります。
東大も京大も一橋も、指導力の養成を酷く怠っているのですから。どなたかが典型で。

アントニオ猪木の目を覚まさせるには、ビール瓶で頭をぶん殴れば良いのかもしれませんが、一般人にそんなことはできません。
目を覚まさせようとしている、という点に於いては本当に尊敬できますし、何せ学識が学識ですから、相手のレベルが高くて、それがはまったときはとてつもない威力を発揮します。
ところが、とにかく常識を知らない、相手を知らない、知ろうともしないので、ビール瓶が空振りするのです。
本気で目を覚まさせようとはしていない、腰が引けてる、逃げているからです。だからちゃちゃにしかならない。
学生の指導教育がそうなってないことを祈るのみです。
実際にそういう教員を見てきましたし、明らかにそういう教員複数によって寂れる学科も見てきました。
そういう所は学生が二極化しそうなものです。
教員の指導力には期待できないが、それでもその分野がやりたい、という熱意溢れる学生少数と、じゃんけんで負けたか成績が悪く希望が通らなかったか何かの、やる気が無い学生多数とに。

大野晋がどうとかこうとかというのは、私に言うことでは無く、高校の教員に言うことでしょう。
筋違いも甚だしい。筋を通せと怒鳴りつける人はまず当人がやれば良い。
とはあまり言いたくないな、というのが良い部活動の経験から来ることですが、これも、筋通せ、なんて言っちゃうダメガリ勉には判らないことでしょう。

たまたま今日見てきましたが、出口の、好きになる現代文、は、相性が合えば悪くないと思います。
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 熱血スパルタの受験スペシャリストがご登場の様子ですね。

さも真打ち登場とのことでしょう。
けれども以下のコメントにはそれこそ多大な誤解もありますので一言。

 >出口や田村などで基礎的な読解力を身に付けないと、まずはどうにもなりません。
現代文は伸びないだとか本を沢山読まなければだとか言う人が居ますが、幾分かは正解でも大方間違いと言えます。
頭が良ければ、それらの教材で伸びますし、悪ければ何をやってもダメでしょう。マークなら、各選択肢の正解不正解の根拠が、正確に言えるかどうかでしょう。

 確かに出口や田村といったところは受験生が即効性を求めるには正しい麻薬的効果はあります。でもその原点がどこにあるのかを知らねば、宝の持ち腐れですよ。僕らに言わせれば、今でしょ!の林先生も出口さんもポイントは同じです。「筆者の論理を如何に的確に読み取るかを論理的に説明する」だけの話です。
 これは彼等がこの世に生まれる以前から既にあった方法を知的レベルで劣る現在の受験生向けに易しくかみ砕いて説明しただけの話です。それを殊更に過大評価する受験スペシャリストの気がしれませんね。
 「頭が良ければ~」とはよくいったもので、読み取りを誤るのは専ら「自分の頭で考えて、出題文および設問文と喧嘩してしまう」からに他なりません。
 それは一般の読書や大学教育および研究に携わる者でも、基本中の基本です。一本の論文や史料を読む時には、先ず頭の中を真っ新にして読まねば、そこでの問題の所在や検証過程そして結論および以降への展開などを把握することにもならないでしょう。
 自分の頭で考えることは、これとは別の問題です。そこでは読み手(研究者)は前段階の冷静な観察者から、それと同時に今度は問題点を炙り出しそれを下に議論を展開する段階に移行しもします。だから決して「頭が悪い」などの感覚的な言葉を使ってはいけないことにもなります。
 このところのtさんはいささかオーバーヒート気味なご様子ですので、道草することをお勧めします。仰りたいことは重々に承知していますが、貴重なアドバイスを表面的にしか受け止めることのできないのが現在の受験生の一般的な傾向や実情でもある。そこに麻薬的なもの(がん治療では「モルヒネカクテル」を使用することも標準治療の一環として認知されていますが、痛みや苦痛を軽減するとのそれは対症療法的な措置でしかない)を与えたところで、実力不足の段階にある者が、基礎の大切さに気付くといえるでしょうか。
 もし僕がこの質問者に一冊だけ参考書を薦めるのであれば、大野晋氏の『日本語練習帳』(岩波新書-新赤版596)以外にはありません。
 文章を読む時の手掛かりとして、「文の骨格」「掛かりと受け」そして「少々の文法」「順接と逆接」そして「逆説」を実践的なトレーニングを踏まえる形でアドバイスし、文を読みそして書く「愉しみ」を綴っています。
 受験参考書とは異なり「疲れた頭に一息入れる形」での読書ですので、参考書にみられる「これは重要だから憶えなければ」との強迫観念に囚われる可能性もありません。
 受験生が焦るのは、あれも見落としていたこれも見落としていたと「定評ある受験参考書や問題集」を手掛かりにして自身で勝手に思い込んでしまう点にもあります。殊にある程度できる人ほどその可能性も高い。
 だったら僕ならば、「貴方はどうにもこうにもならない状態なのだから、先ずは基本を見直そうね」と相手に正気を取り戻させる方法を選択しますね。
 この様に書きますと、またまた「どこをどう読んだのかは知らないが」と反駁を受ける可能性も多々ありますので、僕とtさんとの間で最も異なる点を挙げて、この回答を終えることとします。それは「tさんは質問者の現状を冷ややかに観察するだけ」、「僕は、相手自身にそれを気付かせようとするだけ」とのアプローチの仕方の違いなのですよ。これでも僕は二流大学の教員ですかね、貴方の仰る。
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なりません。

全く。
それ、勘で文章を読んで、勘でマークしているだけですから。
出口や田村などで基礎的な読解力を身に付けないと、まずはどうにもなりません。
現代文は伸びないだとか本を沢山読まなければだとか言う人が居ますが、幾分かは正解でも大方間違いと言えます。
頭が良ければ、それらの教材で伸びますし、悪ければ何をやってもダメでしょう。
マークなら、各選択肢の正解不正解の根拠が、正確に言えるかどうかでしょう。

一方で、勘が当たるかどうかってことですから、本番で緊張でもすればまた感覚が狂うでしょう。
勿論、感覚が狂って正解率が上がるようなことも無いとは言えませんが。
過去問で鍛えたから、と言ってみたところで、(広義の)出題者が同じだとは限りません。
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 今になってジタバタしても遅きに失した感もありますが、先ずは「なぜ間違ったのか、どこで間違ったのか」を冷静客観的に判断しましょう。


 問題をたくさん解いたところで、同じパターンの設問では得点できても少し捻った問題文に対しては全くお手上げならば意味はありません。
 (1)問題文の書き手と喧嘩しないこと(内容には賛同できなくとも、それは一時的に除けておく)
 (2)メタファを適切に読み解くこと(同じ内容を違う言葉や表現で言い換えている部分に注目)
 (3)その文章の趣旨を一言で示している言葉を探すこと
 (4)逆説に注意
 (5)指示語(こそあど言葉)の具体的な内容を確実につかむ
 (6)文章の展開の仕方に注意(結論は必ずしも文末にあるとは限らない)
以上が基本的な部分ですので、もし基本の一つでも見落としがあったなら、基本からやり直すことをお勧めします。
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なんとかなりますよ、とかしか。

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